【番外編】世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山・熊野古道)」へ②
【番外編】世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山・熊野古道)」へ①の続きです。
翌日は、熊野三山のひとつ「熊野那智大社」のある那智山(東牟婁郡那智勝浦町)へ。
実は、「神社お寺前駐車場」まで上がらずに、ある場所で駐車するのがポイントなのです。
そのある場所とは、熊野曼荼羅の郷河川公園にある駐車場です。
なぜならば、古道の面影が色濃く残る「大門坂(だいもんざか)」を歩くため。
なんでも約30分で古道の雰囲気を楽しめるという、お手軽コースらしいのです。
熊野古道を「歩くこと」が霊域へ通じるための「行(ぎょう)」とされていたらしく、
手軽に雰囲気を楽しむ程度では「行」を体感できないのでは...とも危惧しましたが、
まずは全体把握のためにも、王道を行こうと決めました。
このように民家を通り抜けていくと、
石畳の下から力強く生える、竹の子が。
樹齢800年の「夫婦杉」の間を通って、大門坂のスタート。
「夫婦杉」から後ろを振り返ると、近くに茶屋。
こちらの茶屋では、平安衣装の貸出なども行っているそう。
生憎の雨天で恨めしい・・・と思いきや、逆に、雨で石畳が輝き美しい。
紀伊山地は、全国でも有数の多雨地帯。
この石畳も、豪雨から道を守るためにつくられたと聞きます。
熊野九十九王子の最後の王子「多富気王子(たふけおうじ)」。
王子とは、熊野三山の御子神(みこがみ)のこと。
いつ誰が、置いていったのでしょう。
日本サッカー協会のシンボルマークで有名な「八咫烏(やたがらす)」。
詳しい観光案内を見ることができるQRコードもありました。
ちなみに、このWEB画面からもQRコードを読み取れますので、気になる方はどうぞ。
(写真ではわかりづらいですが)雨で濡れた杉の表面が様々な彩りに。
樹齢数百年の杉が並ぶ道。
この石は、木の補強のためでしょうか。
時の流れが感じられます。
空洞化して倒れてしまった巨杉も。
倒れた杉の中に入ってみました。まるで滝のよう。
なんだか仏様のようにも、見えなくもないです。
昔の人は、そうやって自然を見てきたのでしょうか。
巨杉のパワーを体全体で吸収するおじさん。
これで杉の大きさがわかりやすくなったのでは。
467段の石段を上って、熊野那智大社に到着。
雨天ならではの光景です。
気温が急に低下して発生した霧が、神々しい雰囲気を醸し出しています。
どうやら晴天時には、ここから海が望めるようです。
巨大なおみくじ。結果は中吉でした。
奥に歩いていくと、すぐ隣に「那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)」があります。
神社とお仏が隣接して建つという、神仏習合時代の名残りを残す場所とのこと。
今では、「神様は神社、仏様はお仏」とはっきり区別されていますが、
明治政府の「神仏分離」政策までは、神と仏は区別なく一体のものだったそう。
そう言えば、「神様・仏様、どうかお願いします!」と今でも言いますが、
神も仏も関係なく、とりあえず拝みたくなってしまう気持ちは、今も昔も変わらないのかも。
これって、(特定の宗教の信者の方以外は)唯一絶対神ではなく、
神様と言えば「八百万の神」という、日本人独特の宗教観なのでしょうか。
これについては、芥川龍之介も下記のように言及しているそう。
大変興味深い表現ですね。
件の神仏分離令で、熊野本宮大社や熊野速玉大社では仏堂が取り壊されたそうですが、
熊野那智大社の本堂(=「如意輪堂」、後に信者の手で「青岸渡寺」として復興)だけは、
西国三十三所巡礼の第一番札所でもあることから、壊されずに済んだそう。
ちなみに青岸渡寺の現在の本堂は、戦国時代に織田信長の兵火で焼失したものを、
1590年(天正18)に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財にも指定されています。
豪華絢爛な桃山様式の建築で、南紀最古の建築物とのこと。
桃山様式建築と言えば、仙台にも国宝・大崎八幡宮や(元国宝の)瑞鳳殿があります。
それにしても、いろいろなものが、天井からぶら下がっていますね。
振り返ると、こんな感じや、
こんな感じ。何だかタイムスリップしたような気分です。
青岸渡寺の本堂から、さらに奥へ進むと、三重塔が見えます。
本来ならば、ここから「那智大滝」が見えるはずなのですが、雨と霧で全く見えません。
そもそも「熊野那智大社」とは、滝(那智大滝)を神とする自然崇拝からおこった社。
つまり、那智大滝なくして、熊野那智大社は語れず。
果たしてこの霧の中、滝を無事見ることができるだろうか、と不安を抱えながらの参拝。
あ!わずかに滝の姿が。
落差133mとのことですが、ここからでは全部、見えません。
そこで、参詣料300円を支払い、滝壺へ。
「那智御瀧 飛龍神社延命御守」と書かれたお守りも渡されます。
那智大滝の水は、延命長寿の効果があると言われているそう。
「延命長寿の水」として飲める場所もあり、初穂料として100円支払うと盃もいただけます。
滝壺に到着。
霧のせいか、まるで天から滝が流れるようです。
昔の人は、この滝のなかに、神様・仏様を見出したのですね。
「温泉民宿 大村屋」お手製の熊野古道弁当をいただきます。大変美味です。
ただ、これだけは、晴れた古道で食べたかったですね・・・とにかく寒い・・・。
車の有難さが骨身に沁み渡ります。昔の人は大変だったのだろうなぁと思います。
お次は、熊野三山の一つ「熊野本宮大社」へ。
熊野本宮大社の社殿は、残念ながら撮影禁止です。
熊野三山の中で一番、なんだか"今風"なサインが多いですねぇ・・・
都道府県別の熊野神社分布図がありました。
確かに「熊野神社」と言えば、近所にもありますし、全国各地でも見かけます。
熊野神社の総本山は、この熊野三山か、出雲の熊野大社、という説が有力とのこと。
気になる宮城県には、熊野神社は133社。ということで、全国9位です。
ちなみに、「紀伊の熊野三山同様に、熊野三社が地理的・方角的に全く
同じセット状態になっているのは、宮城県名取市の熊野三社だけ」らしいです。
その昔、信仰心の篤い老女によって勧請されたと聞きます。ぜひ訪れてみたいですね。
無事参拝が終わったと思いきや、参拝順の間違いに気付きました。
左側の「結宮」が一番大きく、しかも「第一殿」とあったので、
迷いながらも左から参拝したのですが、主神は第三殿の「家津御子大神」の方で、
どうやら第三殿から順に、参拝しなければならなかったようです。
それにしても、複数の神様を一緒に並べて祀っているなんて、なんだか不思議ですね。
特に、先日訪れた熊野速玉大社(下写真)では、ずらりと並べられた神様が印象的でした。
※熊野本宮大社も、現在の社殿は四神ですが、もともとは十二神だったそう。
件の水害で、第五殿から第十二殿までは、流されてしまったそうです。
一度にまとめて拝むなんて、何だかこちらが楽をしているようで、
少々後ろめたい気持ちがなくもないですが、
複数の神様をある意味で"平等に"祀ってしまう ― これも日本人独特の宗教観なのかも。
そもそも世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」そのものが、
修験道の「吉野」、神仏習合の「熊野」、密教の「高野山」という、
三つの異なる宗教の霊場を、「参詣道」で結んでいる、独特な場所です。
日本人をネガティブな面から言えば、「自分(の意見)がない」とも表現できますが、
「敵対するのではなくて、融合し、共存する」無意識の思想と言えなくもないのですね。
(もともと日本人は、自己と他者の境目があまりない民族なのかも)
サッカー日本代表チームのシンボルマークでおなじみの「八咫烏」がポストに。
八咫烏(やたがらす)の特徴は、足が3本ということ。
天から遣わされた道案内として神話にも登場する八咫烏は、熊野のシンボルでもあります。
もっと世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」について知りたいと思っていたところ、
(「道の駅」等を必死に探しても、不思議なくらい、パンフレット等の案内がないのです)
「和歌山県世界遺産センター」なる施設を、件の大斎原近くで見つけました。
熊野を実際に訪れてみて、いろいろな疑問が湧いてきたところなので、
概念が整理整頓されて、むしろ、ちょうど良いタイミングだったかもしれません。
逆に、旅のはじめに来ていても、あまりリンクはかからなかったかも・・・。
こんな展示もありました。
旅行記は、明日へ続きます。
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