みやぎ工業会 専務理事の管野繁さんを訪ねました
ものが溢れ、様々な情報が飛び交い、
人と人との関係性が希薄化した成熟型社会では、
より"人"という存在が見えにくくなっています。
しかし、今の私たちの社会だって、"人"の思いと
試行錯誤のプロセスの結果、つくられていることに変わりはありません。
昨日は、社団法人みやぎ工業会専務理事の管野繁さんを訪ねました。
これまでの「みやぎ工業会」への取材では、
宮城の産業発展のために一丸となる"人"たちの思いから、
宮城の「今」がつくられていくプロセスを肌身で感じました。
◆ものづくりで宮城を元気に 「みやぎ優れMONO発信事業」スタート
◆宮城・仙台発の夢を乗せた電気バス
そもそも「みやぎ工業会」の発足は、昭和61年。
今でこそ、異業種交流グループは珍しくありませんが、
「異なる業種との交流から、開ける可能性があるのでは」と、
県の働きかけで、その動きが本格化したのは、昭和57年のこと。
それまで宮城県には業種を超えた横断的な組織がなかったそうなのですが、
事業で毎年新たな異業種交流グループが結成され、
それらがひとつになって、「みやぎ工業会」が生まれたそうです。
管野さんからは、「世界にはばたく宮城の工業技術」など、
これからの取材の参考となる情報を、たくさん頂きました。
個人的な話になりますが、かれこれ人生の半分以上、
宮城に住んでいるにもかからわず、転勤族(余所者)であるためか、
学生時代、この地域に対する誇りや愛着が湧くことは、ほとんどありませんでした。
しかし当然のことながら、"人"が思いをもって試行錯誤するからこそ、
その結果の総和として、私たちの社会が、現在進行形でつくられています。
『宮城の新聞』では、"人"というものを通して、「社会」「教育」「科学」を切り口に、
わたしたちの社会である宮城に誇りが持てるような情報源を目指していきます。
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