仙台一高パンフレット会議最終回・アドバイサーの仕事を振り返って
仙台一高の学校案内パンフレットの制作会議に、
「アドバイサー」として参加して、5回目。
本日が最後の会議となりました。
「第三者」として、
一体どんな価値を提供することができるのだろう?と、
毎回、試行錯誤をしながらの参加でした。
私は普段、「当事者」として表現する機会が多いのですが、
「当事者」として表現することの難しさをいつも感じます。
「当事者」として伝えたいことはたくさんあるものの、
それを一度にすべて他者に伝えることは不可能だからです。
そこで、
①まず、どの階層で伝えるのか?(相手に合わせすぎてもダメ)
②次に、何を軸にして伝えるのか?(軸はひとつだけ)
③最後に、今回必要な情報は何か?(情報が多すぎると逆にぼやける)
これらを、瞬時に判断し、構造化しなければ、
結局言いたいことが相手に伝わらない、
と毎回思ってはいるのですが、日々訓練。
会話レベルで、毎回課題を見つける日々です。
特に難しいのが、①だと思います。
自分でつくった言葉ほど、
「こう言っても相手には理解されないかも」と、
どこをどう出そうか、迷ってしまいます。
そこで、「第三者」の出番です。
「第三者」との議論により、自分を対象化することができ、
自分の中で、伝えるべき階層が定まってきます。
それは大概、
そもそも自分が引いている前提は何で、
その前提とは、どこまでなのラインなのか?
ここを見極める作業と、その前提に対する結果を
構造化することに、尽きるのだと思います。
この構造さえ決まってしまえば、
あとは伝えたいことが、たくさん出てくるもの。
「言いたいことを言って、しかも他者に伝える」ためには、
自分が引いている前提をきっちりと認識することが、
どんな時でも必要なのだな、と最近強く感じています。
ということで、
「第三者(アドバイサー)」の立場として提供できるものとは
そもそも何だろう?というのを考えると、
結局はこの構造化(①)に対して、
「第三者」として意見を言うことなんですね。
あとは、「当事者」としての思い入れがない分、
削ぎ落とす作業(③)に対する意見を言うこと。
また、ある情報に対して何を伝えたいのか、
意図を確認すること(②)。
これらを、実際のレイアウトとしてどう実現するかを
提案すること。
あくまで「第三者」なので、「当事者」ではないことに
気をつけて、以上のことを最大限やることなんだな、
と、今回のアドバイサーのお仕事をさせて頂いて、強く思いました。
「第三者」としての視点を、今回のお仕事で学ばせて頂いたので、
これらを「当事者」としての表現にも、活かしていきたいと思います。
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