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記者・大草芳江が活動をつづります

2008年12月30日

「自分」へのインタビュー 2008

カテゴリ:ひとり新聞社

2008年も残すところ、あと1日となった。
1年に1度くらいは、「自分」を振り返ってみても、良いかもしれない。

そこで、「自分」のスタンスを対象化すべく、「自分」へのインタビューを試みた。
以下が、そのやりとりである。

リアリティーって、なんだ?
― それは、「生きている」実感だろうか。

「生きている」実感って、なんだ?
― それは、「死にそうだ」という実感を、対象化した実感だろうか。

「死にそうだ」という実感って、なんだ?
― それは、「感じる心」と「生みだす手」の喪失、だろうか。

「感じる心」と「生みだす手」の喪失って、なんだ?
― それは、「自分」というものの喪失、だろうか。

「自分」というものの喪失って、なんだ?
― それは、「いつもここからはじまるのだ」という「基点」を創れないこと、だろうか。

「いつもここからはじまるのだ」という「基点」って、なんだ?
― それは、今の「わたし」も、過去の「わたし」も、常に繰返し通ってきたはずの1点、だろうか。

今の「わたし」も、過去の「わたし」も、常に繰返し通ってきたはずの1点って、なんだ?
― それは、「わたし」が「わたし」であること、だ。

「わたし」が「わたし」であることって、なんだ?
― 「わたし」が「わたし」を認めること、だ。

「わたし」が「わたし」を認めることって、なんだ?
― 「わたし」が「わたし」以外のものは「わたし」ではないと認めること、だろうか。

「わたし」が「わたし」以外のものは「わたし」ではないと認めることって、なんだ?
― 「あなた」の存在を認識すること、だろうか。

「あなた」の存在を認識することって、なんだ?
― 社会そのものを認識すること、だろうか。

社会そのものを認識することって、なんだ?
― わたしがここにいる前提を認識すること、だろうか。

わたしがここにいる前提を認識することって、なんだ?
― わたしがここで生きている、ってことを実感すること、だろうか。

だから、わたしは、それらを描写したい。

わたしが「何をどうしたいのか」、
起業後、3年間の活動の中で対象化した階層は、以上の通りである。

わたしの前提はここにある。ここがわたしの基点である。

目に見える尤もらしい何かにしがみ付くその手を離さねば、基点は一点に定まらない。
目に見える尤もらしい何かを、外からひっぱってくれば、基点は直ちに消滅する。

目に見える尤もらしい何かより、その基点は柔らかく、確かな輪郭を持ってはいない。
しかしながら、外に見える尤もらしい何かより、しなやかで深い安定感があるようだ。

言葉そのものに意味はなく、そのスタンスに、「わたし」の前提がある。

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