河北新報エッセー連載を担当させていただくことになりました(夕刊・隔週月曜日・全6回)
河北新報「まちかどエッセー」(隔週月曜日・全6回)を
本日付の夕刊から担当させていただくことになりました。
エッセイでは「科学って、そもそもなんだろう?」をテーマに、
これまでの「宮城の新聞」取材結果や、NPO法人 natural science における
科学コミュニケーション実践活動などから思うことを凝縮し、
気合と根性を入れて、必死になって書いているところです。
エッセータイトル(予定)は、下記の通りです。
第1回(2011/01/17) 「科学と私」
第2回(2011/01/31) 「あの世とこの世の間に」(仮)
第3回(2011/02/14) 「生きているって何だろう?」(仮)
第4回(2011/02/28) 「すべて適当ですよ」(仮)
第5回(2011/03/14) 「日本が食べていくために」(仮)
第6回(2011/04/04) 「科学で地域づくり」(仮)
第2~5回は、これまでインタビュー取材させていただいた、
様々な科学者たちにも登場していただき、いろいろな角度から、
「科学って、そもそもなんだろう?」を表現できればと考えております。
一体どんな科学者が登場するかはお楽しみに。
なお本日付掲載のエッセイは、第1回目ということで、
私の活動の、そもそものモチベーションについて、
「科学と私」をテーマに、約700字の文章にまとめました。
よく講演会などのイントロでお話させていただく内容のダイジェスト版です。
全文を下記の通り掲載しますので、よろしければご覧ください。
「科学と私」
私は5年前に、理系の大学院在学中に起業し、科学・技術の専門家層と一般層のちょうど中間の立ち位置で科学イベントの企画運営や取材活動など、科学と社会をつなぐような仕事をしている。
しかし最近、そのような私自身が、実は典型的な「科学離れ」だったことに気付いた。身の回りにはさまざまな科学・技術に関する事柄があふれており、その恩恵を受けているのに、これまで原理などに特に興味・関心が湧かなかったのだ。そもそもなぜ私は「科学離れ」になったのだろう。
「不思議だと思うこと、これが科学の芽です」―ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士は「科学する心」をこう表現した。これまで私が取材したさまざまな科学者に共通するのも、まさにこの一点だった。
私は親の転勤で宮城県に越してくる8歳頃まで、地区内すべてが埋立造成によってできた土地に住んでいた。人工的な土地に人工的に植えられた草木や花が、幼い私の遊び相手だった。
そんな環境で育った私は無意識のうちに「どうせ土を掘ってもコンクリートが出てくるだけだから、土を掘っても意味がない」といった自然観をもつようになった。不思議だと思わないから、自分で確かめてみようという気も起こらない。ご察しの通り、「科学する心」からは程遠い。さまざまな科学者と一緒に仕事をする中で、このような自然観の違いの大きさに気付かされた。
不思議だと思わずに、ものごとが何でも当たり前に思えてしまう。これは科学・技術分野に限らず、他の領域にも共通する潜在的な現代病であるように思える。
でも、当たり前に思えるものごとが存在するまでの過程に、実は本質的な価値が隠れているのではないか。現代病にかかっている私だからこそ、これら一つ一つを再発見していくことが、社会に提供できる価値ではないかと思っている。
おおくさ・よしえ 1982年長崎市生まれ。2005年東北大学大学院在学中に有限会社フィールド・アンド・ネットワーク設立。現在、同取締役。2007年NPO法人ナチュラル・サイエンス設立。外部アドバイサーや科学コミュニケーターなども務める。
(河北新報「まちかどエッセイ」掲載 2011/01/17夕刊)
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