(9799)
2017年 05月 01日 (月)

みやぎ工業会会長の川田正興さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2010年09月08日公開

自らの責任において人生を実現する場が社会

川田 正興 Masaoki Kawata
社団法人みやぎ工業会会長、元株式会社日本セラテック代表取締役会長

 1940年、福岡県出身。社団法人みやぎ工業会会長、元株式会社日本セラテック代表取締役会長。1963年3月、九州工業大学工業化学科卒業。1963年4月、日本セメント株式会社(現・太平洋セメント株式会社)入社。1993年6月、株式会社日本セラテック代表取締役社長。1994年2月、セランクス株式会社(現・株式会社日本セラテック)取締役。1994年6月、日本セメント株式会社(現・太平洋セメント株式会社)取締役。1998年6月、株式会社メガセラ(現・株式会社日本セラテック)代表取締役社長。2005年10月、株式会社日本セラテック代表取締役会長。 2006年4月、サンシン電機インターナショナル株式会社取締役会長。2006年6月、株式会社日本セラテック取締役会長。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、社会に関する様々な「人」をインタビュー
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とは、そもそも何か」を伝えます


当時、会社の存続が危ぶまれるほどの経営状態にあった日本セラテック社に、
1993年、2代目社長として就任した川田正興さん(現・みやぎ工業会会長)。

川田さんは、ある『悟り』のもと、会社の業績を伸ばし、2006年には、
東北地方の会社としては43年ぶりとなる東証一部上場を果たした。

そんな川田さんが、これまでの人生70年を振返り、
リアルに感じるそもそも社会とは何かを聞いた。

<目次>
自らの責任において、人生を実現する場が社会
賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ
背に腹は代えられない状況で掲げた経営姿勢
自分の利益を優先しちゃあ成功しない
自己実現とは、自分の人生に納得できるかどうか
リーダーに一番大切なことは、責任をとること
自己責任をとれる者が、大きな成果を出せる
そもそも自己責任とは、社会人とは何たるかという話
非社会人の時代に大切なこと
自立して、そこから社会人ですな
いろいろな選択肢を持てば、いろいろな人生実現の場がある
価値観の画一化から多様化へ
何も考えなくても皆ハッピーハッピーの時代
日本は大いに豊かになった。けれども何かが足りないぞ
敵を知り己を知れば百戦危うからず


みやぎ工業会会長・元日本セラテック代表取締役会長の川田正興さんに聞く


自らの責任において、人生を実現する場が社会

―川田さんがリアルに感じる「社会って、そもそもなんですか?」

私が認識している社会とは、まさに自己実現。

自らの責任においてね、
自己実現、人生実現の場だと思っている。

したがって、自己責任の世界が社会だ、と。

ですから、人生を実現するにあたってですね、
自らの責任において、良い人生にも、
残念な人生にもすることができるし、
そのことについて自分が責任を持つのが、
社会であり、社会人である。

だから、あれですなぁ、
学生・生徒とか子どもとか、
親に保護された時代とは違って、
収入も自ら稼ぐ、使うのも自ら決める。

貯金をするもよし、
自らのスキルアップに投資するもよし。

あらゆる選択肢は自分にあり。
しかし、自分で責任を持つ。

そして、人生を戦略的に設計して、
実現できるかどうか。

それが、やがて人生の最終章でね、
ハッピーであるか、あるいは非常に悔しいものになるかが
決まると僕は思っているのね。
反省を込めてだよ。


賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ

―「反省も込めて」とのことですが、
 例えば「人生を戦略的に設計して実現」といったことは、
 最初から見通すことができたのでしょうか?

それはね、よく言われるように、
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言うでしょう?

要するに、普通の者はどうしても、
自分が経験したことでしか、行動を起こせないもんです。

それをね、多くの人生の先輩諸子、
成功者がやってきたことを学ぶことが、
「賢者は歴史に学ぶ」だよね。

そういうことによって、
自分のささやかな体験でしか図れないものを、
成功者である賢者の経験、それが、すなわち歴史ですな。
それを学ぶことによって、自分の人生の実現を考えていく。

これは私もね、愚者の一人だから、
だんだんだんだん年をとるにしたがって、
そういう風になっていくわけですね。

それまではね、何も考えない。

自分の好き勝手、自分の経験上、将来の進むべきことを、
自らの経験からしか、図れなかったのだけど。

今、振返ってみれば、昔の人は良いこと言ったな、と。

だからね、「そんなこと心配ないよ」と言う
若い人に、是非そのことを知ってもらいたい。

早め早めにね、いろいろな人の意見を聞いて、
いろいろな人の体験談、歴史に学んで、
そして「自分はこうやっていこう」というように。

それによってね、人生の最終章でね、
自分の人生が誇れるようになるであろう。

世の中に多くの貢献ができた、
と実感できるようになるであろう。

それに、最終章で気がついたって、
もう間に合わないんですな、
ということを言いたいですね。


背に腹は代えられない状況で掲げた経営姿勢

―川田さんはそのことに、第何章くらいで気づいたのですか?

僕はね、実はね、日本セラテックという会社。
これを引き受けたのが、1993年かな。

僕は、二代目社長として来たのだけど、
そのときは相当、会社の経営成績が悪くて、
存続が危ぶまれたのですよ。

そのときに、大学の先生の力を借りよう、
行政にもいろいろな相談をしよう、
社員にも今まで以上に頑張ってもらおう、
株主にもいろいろな支援を頼もう。

要するに、一人でやったって、とてもじゃないけどね、
会社を存続発展させることができないような状況にあった会社ですな。

その時にね、僕は、多くの人に応援してもらおう。
多くの人に応援してもらうためには、
自らの利益を優先していてはならない。

つまり、共通の目的を持った応援団を、
わたしは「内外の応援団をつくれ」という風に、
あらゆる人に言ったのですけど。

「内」とは、株主とか社員ですよ。
「外」とは、あなた方みたいな方や、
銀行や大学、行政含めてすべての人ですね。

全ての人が、日本セラテックという会社を
盛りたてるために、力を貸してくれるためには、
その動機が善でないといかん。

一企業の利益を優先してはならない。
この会社は、世のため・人のためになる会社だ。

そのことを目的にすることによってね、
多くの人が応援してくれる。

そして、この会社を、世の中が必要とする会社にすることができる。
すると、会社が存続発展できるだろう。

これが、私がひどい状態の会社に来て、
自分が進むべき姿勢・方向性として掲げたものなんです。

ですから、今のご質問の「いつから?」については、
このひどい状況の会社を引き受けたときにね、
「これは自分の事は捨てよう」と。
それから「この会社の利益を言うまい」と。

世の中が必要とする会社、すなわち、
世のため・人のためになる会社を
つくろうとする経営者になろうと。

そういうことをね、
これはもう背に腹は変えられない状況で、
私が決めたことなんですね。姿勢として。


自分の利益を優先しちゃあ成功しない

―それは、これまでの姿勢と比べると、大きく変わるものなのですか?

やっぱりね、あれですな。

多くの人を味方にし、多くの人が必要とする会社にするためには、
そうしないといかんというのは、その会社を引き受けた時点からですな。

それまでは、やっぱり親会社の一組織の人間として、
任されたセクションを、会社の方針に沿って
責任を果たしていくだけの仕事でしたから、
特段のことは考えていませんよ。

ですから、そのときが転機ですな。

親会社は、今は太平洋セメントですけど、
合併前は、日本セメントという会社でね。

1993年に出向という形で、
この日本セラテックという子会社に来たのですよ。
52歳のときです。

多くの社員を自分の責任において抱えたわけだから、
社員をハッピーにして、地元には税金を払って、
地元に貢献しなければならん、ということだからね。

今言った、世のため・人のためが経営姿勢です。
それが、今度は自分の人生観になってきたわけです。

日本セラミックという会社はね、私が二代目社長なのだけど、
私の時代に東証一部まで一気に株式公開して上場したのだけど。

ただ非常に残念なのはね、私の次の三代目の社長の時代、
リーマンショック等あって、東証から退場しちゃったのでね。
それが非常に私の失敗体験ですよ。

後継者に対して、私が責任を果たしたのかどうか。
いろいろこの業界のことを知らしめるとか、
あるいは手伝うとか、いろいろなことについてね。

環境変化が激しかった時代に、私が責任を果たしたかどうか。
後継者は言うなれば私が指名したのだから、
そういう不義理を残していますよ。
これが私の失敗体験です。

そういうことを含めて、若い人には畏れずに、
挑戦的にあらゆることに立ち向かってもらいたいけど、
そのときに自分の利益を優先しちゃあ成功しないよ。

世のため・人のためというプライオリティ
(優先順位)を間違ってはいけない。

いずれ自分のところにも、幸せはやってくるのだから。


自己実現とは、自分の人生に納得できるかどうか

―そもそも自己実現とは、何ですか?

自己実現と言うのは、
我々なんかはもう、ほとんど最終章に入った者がね、
要するに、自分が目指した人生を振返って、
自分の人生に納得できるかどうか。

納得できるときは、人生を実現したとき。
納得できないときは、やはり悔いを残していることになる。

それはね、予測して準備して危機管理をしながら、
実現していかないと、できないことなんだね。

それはラッキーという恰好ではないんだよ。
もちろんラッキーもあるかもしれないけど、
反対に、アンラッキーもあるわけだからね。

―先ほど「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と仰っていましたが、
 「予測して準備して危機管理をしながら実現する」ことは、
 体験から学びましたか?それとも歴史から学びましたか?

いろいろな先輩はいましたよ。
けれども人生観を議論するようなことは、
なかったような気もするね。

特に、私の若い頃は、日本が高度成長期だから、
少々失敗しても取り返せるし、黙っていても豊かになるし、
何の努力しなくても成長できるのが、高度成長期ですな。

ということで、良い先輩とは付き合っていたのだけど、
そういうことを議論し、あるいは先輩からアドバイスを
受けることはなかったですな。うん。

私はね、結論から言えば、愚者ですよ。
今気がついてね、あのとき、こうすれば良かった。
あのときに、この人に相談すれば良かった。
振り返って思うのですから、やっぱり愚者です。

けれども多少ね、私はこの厳しい会社を、
16年前に引き受けた時にね、
真剣にこの会社を良くしよう、
この会社の社員をハッピーにしようと思いました。

しからば、経営者として自分は何を為すべきか、
どういう姿勢で望むべきか、そういうことをね、
他の人よりも多少早く考えたかもしれないね。


リーダーに一番大切なことは、責任をとること

―川田さんは人生を振返って、後悔しているのですか?

あれですな。後悔はやっぱりしているんだ。
もうちょっとね、大きい仕事をしたかった。

多くの社員を抱え、大きな税金を払い、
そして世の中に貢献する会社をつくりたかった。

そういうものを目指すために、さっき言った悟りのもと、
自らの利益を優先せずに、やってきたわけなんですな。

ところが、後継者への責任の果たし方の失敗とか、
いくつかの失敗が、今、振り返ってみるとありますよ。

そういうことは、運が悪かったのではなくて、
自らの努力が足りなかったわけです。

一人では多少ね、考えながら人生やってきたつもりだけど、
まだまだ真剣に考えるまでいかなかったな、というのはある。

社会的に責任ある立場に立ったからね。
自分だけとか家族だけとかだったら、それなりの範囲があるけど。

大きな責任を負ったら、
大きな責任を果たさなければなからないでしょう。
だから、そういう後悔は今、残っています。

やはり、すべては自分の責任ですな。

だからね、リーダーというのはね、
我々も会社の経営陣として指揮をとったわけだけど、
リーダーに一番大切なことは、責任をとるということですよ。

会社の業績が悪くなった時に、
悪くなったのは、誰のせい?

それは、経営者の一番の責任です。
だって、一番の権限を持っているのだから。


自己責任をとれる者が、大きな成果を出せる

あなた知っている?
アメリカの海兵隊がね、世界最強の軍隊と言われているんだね。

それはね、なぜか。
アメリカ海兵隊は、最近はちょっと違うのだけど、
骨を拾ってやるというね。

兵士の活動に対して責任を負うという強いものがね、
兵士を安心して頑張らせて働かせるわけです。

だから、世界最強の海兵隊は生まれているのだ、
と私は認識しているのだけどね。

やっぱり最後に、責任を負うということ。
そうしないとね、会社においても、仕事を失敗したら、
「お前のせいだ、会社を辞めろ」と言われたら、たまらんでしょう。

指揮命令したのは、社長であり、あるいは部長でありながら、
「失敗したらお前のせい」というのは世の中によくあるでしょう?
これは、指揮官としては最悪なの。

だからね、自己責任というのをそういう恰好でしっかりとれる者が、
大きい仕事ができるし、大きな成果を出せるわけですな。

だから、人生の目標をそういう風においた者はね、
やはり大切なことは、自己責任を果たすこと。

大きい目標でなくっても、家族とおもしろくやっていこう。
それが家庭の父親として、責任を果たすということだね。

反対に、自分は競馬やパチンコをやって、給料も入れずに、
家族を不幸にして父親面したって、家族は父親とは認めませんよね。

これは、例が悪いかな(笑)


そもそも自己責任とは、社会人とは何たるかという話

―そもそも「自己責任」とは何ですか?

私は経営者の立場で、社長の自己責任とか、
そういうことを言ってきたのですけど。

最初にね、あなたの質問にあったように、
社会人とは、そもそも何かと言えば、
自己責任を負う立場に立つのが、社会人なのです。

それは具体的に何かと言えば、
学校を卒業して、給料も自分で稼ぐ、自由に使う。

それから他人に迷惑を及ぼした時は、親や学校に泣きつかず、
自分で責任をとる、犯罪を犯したなら、自ら刑務所に行く。
他人に助けてもらわない。

要するに、社会人と言うのは、ありとあらゆることを、
どういう立場に立とうが、自分の人生に自分で責任を負う。

これが僕は、自己責任。
すなわち社会人たる前提だ。

つまり、今言っている自己責任とは、個人のレベル。
それから、学校を出た若い人が社会人になったとき。
そして、そうやってずっと人生をやっていくうちに、
大きな仕事をやっていくようになる。立場も変わって、
会社という立場での社長の自己責任まで話しただけであってね。

そもそも自己責任とは、社会人とは何たるかという話ですな。

だから、「社会人」とわざわざ言うのはね、
子どもに対しての社会人であり、学生に対しての社会人であり。

要するに、一人前になった、という意味でしょうな。


非社会人の時代に大切なこと

―子どもや学生は、自己責任を負う立場にいる「社会人」の前段階なのですね。

だから子どもや学生は、「非社会人」ですな。

失敗しても誰かがかばってくれるし、
わからないことは教えてくれるし、
いろいろなことを親も学校も友達も、
面倒を見てくれるわけさね。

依存社会ですわね。

そして、それで良いということ。
それが社会人になるための準備期間だからね。


―非社会人が社会人になる前の依存社会の中で、最も大切なことは何だと思いますか?

要するに、社会人になるための準備ですわね。

非社会人は、収入を得ようと思っても収入を得られないでしょう。
採用してもらえない。だから、親に依存しなければならない。

勉強も、自分で勉強するだけの能力がない。高校生はともかくね。
やっぱり先生に世話にならないといかん。

いろいろな意味で周囲に依存して、
そして社会人になる準備をしていくわけですね。
それはそれで、けっこう。

そういう立場を、自覚させて、
やがて独り立ちせんといかんのだぞ。

今ね、皆が助けてくれる間に、大いに甘えて、
そのかわり、大いに自分を磨きなさいと。

ということを、素直にやっていくのが、
非社会人の時代だね。

素直にというのは、別に「はい、はい」と言う意味ではなくて、
自分の立場に対してね、真面目にやって生きなさいということ。


自立して、そこから社会人ですな

―振返ってみると、非社会人と社会人の切替となる境目を、
 非社会人時代、あまり自覚できなかったと感じています。
 「大学を卒業したら社会人」と既に決まったものとして
 単なる言葉としてでしか「社会人」をとらえていなかったように思います

それが僕は、今の時代の問題だと思うの。

だからね、そこのちょうど切替る時にね、いきなり、
ある時点から「はい、あなたは社会人になりました」
ということは、できないんだから。

だから自覚させていって、場合によっちゃね、
高校出た時とか、大学出た時から社会人ではなくて、
もうちょっと例えば、中学を出てから社会人になっても、
いいわけですね。そういう人、実際にいますね。

この間ね、「ASIST」というアジアの
留学生の支援機関の会合に出てね、
ある若い人の基調講演を聞いたの。

この人がね、15歳の時だから、
中学を出てから会社を興しているんですな。

会社を興して、会社を順調に成長させながら、
最初は慶応大学だったかな、高等の資格をとって、
慶応大学に4年行ったところで、
たしか脳腫瘍だったかな、手術をして、
車椅子生活を4年間やったというのね。

それから今度は、早稲田大学に行きなおして、
それから、ずっと会社の経営を続けているんだってよ。
そして現在、27歳。

年率30%成長している会社の経営者なのね。
それでアジア人を40%くらい採用してね。
IT関係の会社だったね。

つまり、僕が言いたいのはね、
「ここから社会人」じゃなくて、
準備できた人、あるいは、もう社会人やっていくよ、
という人がね、早めに社会人をやってもいいんだよ。

そういうことが自由に行われる多様な価値観をね。

大学で人生が決まるのではなくて、
自分が経営者としてやるなら早くやればいいし。

石川遼君みたいにね、ゴルフで特殊な能力を発揮するなら
高校生のときからプロゴルファーになったっていいし。

つまり18歳から社会人じゃない、
22歳から社会人じゃない。

自立して、そこから社会人ですな。


いろいろな選択肢を持てば、いろいろな人生実現の場がある

画一化は、親も先生も安心だろうけど、
けれども、やっぱり人間にはいろいろな才能があるし、
そういうものを伸ばしてやるのが、強い社会だろう。

価値観が画一的だったら、それに失敗したら、
人生すべて失敗した、みたいになっちゃう。

だから大学で失敗したって絵で生きていこうとか、
それだったら、早めに社会人をスタートしようとか、
いろいろな価値観があって良いと思うのですね。

と言う私も、画一的に子どもを育ててきたな、
と思うのだけどね。

やっぱり子どもをね、普通通りに学校に行かせ、
大学を出してやらないといかんだろうな。

それが普通の姿だろうな、という子どもの方向付けを、
親として、してきたんですな。

だから、いろいろな価値観を持たせ、いろいろな選択肢を
子どもに増やしてやる社会にしないといかん、と言っていながら、
自分でやらなかったのが、反省ですわね。

今、社会問題になっている、
年間3万人を超える自殺者がいるでしょう?

あの人たちはね、「これしか生きる道はない」と思っているんだな。
でも生きる方法は、いっぱいあるんだから。

だから、そういう画一的な社会ではなくてね、
生きる方法が、いろいろなところにあるんだということ。

―自分が中高生の頃を振返ると、すべての要素が固まって動かないように見えました。
 実際の社会は、いろいろな要素が、組み上がってできて動いているものですが、
 全部決まっているもんだ、固まっているもんだと無意識のうちに思っていました。

それは、あなたのせいじゃなくてね。
親も先生も皆、そう思っているのだから。

だから、あれですな、
子ども達がそうなっていくのはしょうがないからね。

ただね、さっきの話で、自殺者が多いと。
価値観が多様化していないというのだけど、
生活ができないという問題があるからね。

きれいごと言ってもしょうがないんじゃないか、
と言う声もあるだろうけど。

ただね、今は海外に行けば、仕事いっぱいあるんでね。
トルージャなんかね、日本人はね、
今は誰でも採用されるくらいあるんだよ。

だからね、生活ができない、仕事ができない、
それで自殺するしかない、と言って死んじゃう。

そういう人が、海外で生きていけるようなことがあれば、
日本に仕事がなくても、海外で充分家族を養えるのよ。

だけどね、そういうことが当たり前の教育を受けていない。
日本の中でね、人生が終わるのが、定番みたいなね。

例えばの話ね。
いろいろな選択肢を持てば、
いろいろな人生実現の場があるわけだ。


価値観の画一化から多様化へ

―そう頭では思うけど、実際にはそうならない現実があるのはないでしょうか。
 例えば、川田さんがお子さんに、画一的な教育をしたように。
 そのギャップをどのようにお考えですか?

それは言っている意味は、わかるよ。
確かにそれは、個人レベルでは難しいんですよ。
社会システムだからね。

社会システムの中の異端児になろうとすることになるでしょう?
価値観が画一的な社会においてはね。

例えば、大学を出ていない者の評価が下げられる社会においては、
やはり皆、親も子供も大学を目指す、これは当たり前のことですよ。
そういう社会システムですから。

大学に行って、大学の知識を得ようとするのも一つの道だし、
あるいは、中学の頃から会社の経営者になって富を得ようとすることも、
ひとつの人生観、人生の目的・目標になる。

そういう社会を皆さんが認めるようになればね、
選択肢は増えていくのだけど。

今は、社会が価値観をつくっちゃっているからね。
その中で行動すると言うのは、難しい。

さっきの15歳で起業した人もね、
成功すれば崇め奉られるけど、
失敗すれば、あいつは馬鹿だったと言われる。
非常に難しいですよ。

でも難しいからダメだじゃなくて、
難しい中でいろいろな人が問題提起して、
マイノリティー(少数派)の考え方が、
マジョリティー(多数派)になっていく。

特に日本はどちらかと言うと島国だから、
国境を持っていないんだね。
海外の文化に触れてない。あまりね。

ただ今は、一国主義で生きていけない社会になっちゃっているから、
海外の影響を猛烈に受けるようになったわけでしょう。

今言ったような、多様な価値観は海外に多い。
海外は、民族が多いから、多民族国家でしょう。だから価値観も多い。

そういう社会に日本人は今、触れているわけですな。
だから今、日本人にはいろいろな戸惑いがある。

今言ったようにね、そういうことになっていくよと。
そういう価値観を持たんといかんよ、ということをね。

そういう立場にある、行政とか、一番は政治家だけどね。
あるいは学校の先生とか親という人がね、
いろいろなことを言い始めていかなければいかんのだな。

そうしないとね、子どもにいくら親が
「大学すべったっていいよ。他にいい道があるよ」と言ったって、
子どもは認識できないよ。親がそういう認識ないんだからね。

ま、だからね。
時間もかかるし、大勢が努力をしないといかん。
特に大きな力を持つ人が努力しないといかんからね。


何も考えなくても皆ハッピーハッピーの時代

―川田さんは、価値観の多様性を、どんなところで一番感じましたか?

それは自分の人生において?

僕はね、幸運な人生であると同時に、
不幸であったかもしれないのだけど。

僕は昭和38年に大学を出たのだけど、
高度成長期のほぼ始まりの頃ですよ。

金太郎飴型の人間が大事にされたの。
余計なことを考えるなと。
多様なものを言うと、邪魔なんですな。

とにかくつくれば売れる、
アメリカが買ってくれる。
だからもう、何も考えるな。

とにかく決まったことを全力投球してやってくれ。
異端児は要らないよ、それが高度成長期です。

それが高度成長が終わって、
特に2000年のバブル崩壊かな。
その前の、プラザ合意かな。

その頃からね、日本人も考えさせられるようになったね。

だって、あなた方の時代じゃないかなぁ。
日本の千代田区でカナダが買えるとか、
東京都でアメリカが買えるとか。
土地バブルがあったでしょう?

日本は、あそこでずっと突き進んできたのだから。
だからね、ハッピーハッピーの時代よ。

言うなればね、日本の成長神話が崩れたときから、
大いに考えるようになったんじゃないかね。

それまでは、何も考えなくても、
皆ハッピーになれるって、思っていたんじゃないか。

―自分が生まれてきてから、物心ついた頃は、
 ずっと日本は停滞しているのが普通だから、
 そんな時代があることに実感が湧かないし、
 逆に、それで何でうまくいくと思うんだろうと不思議です。

あなたみたいな考え方が、健全なのよ。
それなのに、先輩の日本人は、盲(めくら)になっていてね。

僕だってそうだもん。
給料だって、1年したら倍になったりしてね。
それを当たり前だと思っちゃったから。
何の努力もいらない、何の選択肢もいらない。

ただ、競争社会ではあったからね。
あいつよりもいい大学に行こうとか、
あいつより多くの給料をとろうとか。

そういう競争社会ではあったけど、
まあ画一的だよね。

考えちゃいかんのだから。
金太郎飴型でないといかんのだ。

金太郎飴型の人間が大事にされたけどね。
余計なことを考え余計な行動をするものは邪魔なの。

今は、そういう人じゃないと、逆にダメだね。


日本は大いに豊かになった。けれども何かが足りないぞ

今、69歳なんだけど。
わずか70年くらいの期間でね、ずいぶん変わったなと。
すごい変わり方だなと。

我々の子どもの頃は、何もない時代でしょう。
今は、足りないものは何だと言う、足り過ぎた時代ですよね。

それでいて、じゃあ皆さんがハッピーになったかといえば、
自殺者も高水準だしね、失業率も統計等出しても最悪でしょう。
わずか1%に満たない大金持ちと、いろいろな格差が広がっている。

いろいろな意味で、我々の子どもの頃とは全然ちがった。

うん。我々の子どもの頃は、「百万長者」といって、
100万円を持っていたら、大金持ちだったのだから。

それで、皆ハッピーになったんだろうか?

僕はね、情調的な言い方をするのだけど、
今テレビはね、一番好きな番組というのが、
日本の里山の風景とか、文化芸術番組とか、世界の旅番組とかね。

要するに、昔の風景、歴史ね、
そういうことがものすごく今、関心事なのね。

最先端のロボットがどうだとか半導体がどうだとか、
そういうことじゃなくって、もう家にいるときは、
歴史番組を見たり、日本の里山風景を見たり、動物の世界を見たりね。

非常にそういうものに、より関心を持つようになったね。

―どういう心境の変化なのでしょうか?

これはまあ人間誰しも加齢と共に辿る道らしいんだけどね。
情緒的になってくるらしい。

水戸黄門の番組を見て、涙が出るの。
「この印籠を見たか」という場面が、ほろりとくる場面だね。

ま、だから、言いたいことはね。

そうとう日本も高度成長期で、大いに豊かになった。
けれども何かが足りないぞ、という感じがするね。

今言ったように、もうちょっと人間の価値観を増やして、
いろいろなことに人が満足して、喜びを覚えるような、
価値観をつくるような社会にしていかないと。

勉強ができなくたってね、こっちの方じゃあ、
立派な人間だと、尊敬されるようなね。
そういう感じがするね。


敵を知り己を知れば百戦危うからず

―最後に中高生へメッセージをお願いします。
 仮に中高生時代の川田さんがここにいるとすれば、何と声をかけますか?

「人生楽しいよ」と。

考えようによっちゃ、楽しいよ。
楽しいことはいっぱいあるよ。
常に前向きにいきましょうや、と。

できないことは何もないんだよ。
自分にできることはいっぱいあるよ。

稲森和夫さんって知っている?
京セラのね。
あの方が言っているのはね。

いろいろなお客さんから、
いろいろな注文があったとき、
できないと言ったことは一回もない。
やってみましょう、と。

だけど、お客さんの言う通りじゃできないから、
こういう風に変えてもらえませんか、
だったらやれますよ、と言うんだ。

常に、やれる方法がある。
それを実現していくと、人生楽しいよ。

だから英語が苦手でも、数学が苦手でも、
自分が得意なものを自分で見つけなさい。

敵を知り己を知れば百戦危うからず。
自分が優れたものは、必ずあるよ。

それを活かしていけば、人生楽しい。

100130_01.jpg

―川田さん、ありがとうございました。

取材先: みやぎ工業会      (タグ: , ,

▲このページのトップHOME


コラボレーション

ハワイ惑星専用望遠鏡を核とした惑星プラズマ・大気変動研究の国際連携強化)×宮城の新聞
東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)×宮城の新聞
宮城の新聞×東北大学理学部物理系同窓会泉萩会
KDDI復興支援室×宮城の新聞インタビュー
宮城の新聞×東北大学大学院 理学研究科 地学専攻 塚本研究室
宮城の新聞×生態適応グローバルCOE

おすすめ記事

【特集】宮城の研究施設

一般公開特集

【特集】仙台市総合計画審議会
参加レポート

仙台の10年をつくる

【人々】カテゴリ の記事一覧

【社会】社会って、そもそもなんだろう?





【社会】社会って、そもそもなんだろう? の記事一覧

同じ取材先の記事

◆ みやぎ工業会





取材先: みやぎ工業会 の記事一覧


▲このページのトップHOME

宮城の人々
最新5件



カテゴリ


取材先一覧

■ 幼・小・中学校

■ 高校

■ 大学

■ 国・独立行政法人

■ 自治体

■ 一般企業・団体


宮城の新聞
仙台一高
宮城の塾
全県一学区制導入宮城県内公立高校合同説明会をレポ
宮城の人々