[Vol.7]
工藤治夫さん (工藤電機株式会社会長)
2008年2月11日公開
「ものづくり」という言葉の意味を、これ程にも具現化している人物に出会えることは、そう滅多にないだろう。工藤氏が「根っこ」と表現する「ないものをつくる」という一本の筋が、オンリーワンの仕事をつくり、逆境を切り抜ける力となっていった。「ないものをつくる」価値、つまり広義の「ものづくり」を、多くの人は評価することができない。それを計る「はかり」が存在しないからだ。既存の「はかり」では計れない「はみ出し人間」が、「はかりしれない」仕事をする― そんな「はみ出し人間」の存在が認められる地域社会の実現を、工藤氏は強く望んでいる。
身のまわりにないものを、身のまわりにあるものを活用してつくった少年時代
少年時代は、電気好き少年でした。ものを形あるものにつくるということに、大変興味をもっていたのです。 小学校5年生の頃は、鉱石ラジオをつくっていました。終戦直後、みんなどうなるかという頃のことです。お父さん、お兄ちゃん、親戚が戦死して、焼け野原になって、食べ物がないという時代ですよ。当時、"子どもの科学"という雑誌があってね。それでラジオが聞こえるんだと言うから、それをつくったわけなんですが、"聞こえるわけないだろう"と、まわりの大人達にひやかされたんです。それでも身近にあるものを活用しながら、隣人たちのおじちゃんたちに、使えそうな部品を提供してもらって、つくっていました。夏になって、いよいよ聞こえるかどうかとなったとき、近所の大人達が14,5人くらい集まってきて、一大イベントみたいになりました。それでね、アンテナをチューニングしたら、新駐留軍放送が入ってきたんですよ、がんがん聞こえてね。聞こえたね~、まわりのひとたちが仰天していましてね。それが電気少年になるきっかけだったんですよね。すべて条件が揃っていたところでつくったのではなくて、ないところでつくる、そこで知恵をつけて、それが今の基盤になっているんだな。
それからは、ジャンク品やポンコツを集めてきて、アマチュア無線をつくっていました。 それともうひとつは、鉄道模型にこっていましてね。今のようにキットなんてないですから。小遣いちょうだい、なんていっても、親は貧乏ですから、買って貰えないわけです。だから小遣い稼ぎに、参拝客がいっぱいくるお祭りのときに、多賀神社へ行って、駅のところで、箍(たが)を売っていました。お祭りの時、歳の数だけ"たが"をつないで、それを多賀城神社に奉納する習慣があるのです。その"たが"を売るんです、小学生が。"たが"を売っているのは、大人から子どもまで、50~60人、並んでるんですよ。小学生がセールスしながら、"たが"を自分の歳の数だけつないで、多賀神社に納めるわけです。一個1円くらい。36歳だったら、36円で売れます。あの頃の36円と言うのは、大変なものですよ。一日で、500~600円稼ぎました。今で言うと、100倍くらいの価値になるのでは。だいたいそうですね、普通のお給料が5千円くらいの時代ですから。仕入れは、タダだから、そうやって、お金が稼げる。それで喜んで帰ってくるでしょう、すると母親に半分とりあげられちゃうんです。 でも半分もらえるから、夜店で自分で好きなものを買って、おもちゃとかね、そういう時代でしたから。そういうことで、人のやらないことをやってみたいなぁ、と思うようになりました。それが小学生の頃です。
中学生の頃は、授業中も隠れてモーターを巻いていましたね。今だったら、そんなことしていると怒られますね。でもそのとき先生は、"おぉ工藤、どのくらいできたんだ?""あと、もう少しです""そうか、がんばれ"。そういう先生がいたんですね。今でも、そういう先生がいるんだろうけどね。子どもが本当にやりたいこと、得意なことを伸ばしてあげよう、そういうことでしたからね。それが一生を支配したきっかけかなぁ、と。今考えれば、大きいですね。
高校の頃は、夜間部でしたからね。ラジオ屋の技術屋ですよ、日中は。有名な学校に入るだけのね、偏差値がなかったわけですよ。好きなことをやめて、勉強しなければならなかったから。理工数学でね、社会とか苦手だったんです。当時は、得意なことを伸ばしてあげよう、やりたいことをやれやれ、というような社会じゃなかったと思いますよ。貧しいながらも、身のまわりにないものを、身のまわりにあるものを活用して、ないものをつくるということが、非常に大きなエネルギーになったと思います。その後、22歳で独立して、ラジオ屋をやったわけです。
モノなし・金なし・能無しの3なし。あったのは、ないものをつくりたいという情熱だけ。
当時、大学の先生方は、研究のために必要な設備や測定器をつくっていたんです。メーカーはリスクのある仕事はやらないので、電子アンプとか、無線通信の技術とか、ラジオとか送信機とか、組み立てるエンジニアがどうしてもいる、ということになりました。そこで知り合いが私を紹介してくれ、じゃあ君来てみなよということになり、先生方の研究のために必要な設備や測定器をつくりはじめました。そのためにつくられた部品なんてないわけですから、部品づくりからのスタートでした。世の中には存在していない実験装置です。より良いものをつくるには、制度の高いコントロール技術が必要でした。そういうものをつくるための、実験回路や実験方法等は、その先生の中にニーズがあるんです。ところがシーズは全然別のシーズですから、ニーズを開発するための技術や知識は、別の研究室にありました。そこで私が、別の研究室に数週間通って、電子回路や制御回路などの技術を教わりながら、ニーズのある先生の技術ができあがっていくんです。つまりニーズに対する、シーズをもっている先生達が大学内にはいるんですけど、つながっていないんですよね。今思えば、私はその媒体になったんだな。
"工藤君、そんなすごいものは君にできるはずないよ"。大学の先生は、すごい知識をもってますから、そう言うんです。でもそこで、意地になるの。工藤君ができたら、大手の会社がとっくにやっているよ。じゃあその大手の会社の、2桁精度が高いものをやります、と言って、はじまったわけですからね。受注して開発をはじめたわけです。できるかできないかなんて、考えませんよ。受注しちゃったわけですから、できなければもうあんたね、そっちに迷惑かかるし、それまでかかったお金回収できないですし、もう死に物狂いですよ。
1年かかって、やりました。大手の電機会社をもってしてもやれない精度を。世界でもトップクラスです。そこからさらに2桁精度を上げるのに、40年かかっていますね。そういうことは、目の前の飯を食うだけ、利益を追求するためだけでは、やっていけないことです。チャレンジしてやっていくんだ、白い目で見られている中で、なぜそれをやったかといえば、ないものにチャレンジしたい、ないものをつくりたい。月に行ってみたい、という気持ちと同じだったんではないでしょうかね。今は月に行けるようになりましたけど。
「この装置によって、これまで出なかったデータが出た!」と喜ばれたら、世の中にないものをつくりたいという気持ちが強くなるじゃないですか。こうして、一般のラジオ屋からはじまったんですけど、大学の先生達の試作担当みたいな仕事が増えていきました。先生方ができあがった研究成果を論文にして、学会で発表すると、その装置や測定器は、どうやってつくったのかと聞かれるわけですよ。"私の実験室でつくりました""誰がつくったんですか?""工藤という器用なやつです"。先生が営業マンですよ。世の中できる人、できない人がいますけど、私の場合電気少年だった、という動機付けだけだったのではないでしょうかね。しかしね、そこで今度は、いろんな測定器や装置をつくりましたね。仕事を紹介してくれるんです。21歳からはじめて、もモノなし・金なし・能無しの3なしですよ。大学出ているわけでもないですから。しかしあるのは、人がつくったものではなくて、世の中にないものをつくりたい、という情熱だけだったのかな。それが私の青春時代ですかね。
逆境の中で味わった悔しさ。それを乗り越えた原動力は「ないところでつくる」ポリシー。
ところがそういった仕事が来るのは、関東関西からなんですね。宮城仙台に、必要としているところがないんです。東北大学は、グローバルな研究をやっていますが、東北ではその研究成果をもって、経済産業界で商品化、製造してビジネスを展開していくということは、戦後あまりなかったんですよ。関東からみたら、非常に貧弱です。戦前は強かったんですけどね。それが現在も続いているんです。大きな視点から言えば。50年間、会社を経営してきて、東北大学があったから、ずっとやれていたんだと思います。年間5億円の売り上げのうち、地元は1割もありません。これまでもずっと関東関西の研究機関や大手装置メーカー等から仕事が来ます。私はこの宮城・仙台という地域で、骨を埋めるつもりだし、ここで育ってきたわけですから、非常に、これで良いとは思ってはいないですね。これまで非常に辛い思いをしたのは、この地域のスポンサー、金融機関、経済界が、研究開発型でユニークな企業を、研究者の中では非常に評価されているにも関わらず、支援してくれないということです。こういう地域に対して、私は非常に強い根っこがありますね。非常に悔しい思いをしたことが何回かあります。
会社も大体ね、設立10年くらいで、十数名になって、資金繰りがつかなくなります。そうしますと、部品も買えなくなる、給料も払えなくなる、支払いにお金が足りなくなる、普通は倒産ですよね。この50年間の間に、10~15年のサイクルで、私の会社は危機的な状態に直面しました。そのとき、地元の金融機関や経済界は、積極的に支援はしませんでした。3回工藤電機は潰れたという噂がでました。でも潰れてません。その危機をどういう乗り越えたかというと、そういう地元じゃない、関東関西のお客さんが、潰れたら困るといろんな形で支援していただいて、乗り越えてきています。ということで、そういう支援体制がもっと身近な地元に、今で言えばベンチャー企業に、支援がなかったということに、極めて強い悔しさがありました。関東関西の方に来なさいよとも言われました。けれども私には"ないところでやる"というポリシーがあって、ハンディーキャップがあることがわかっていても、あえてそれを乗り越えていくことに意義があると思っていたんですよね。そこですよね。そこで目利きがあって支援があって、世の中にいるんだということを、50年間直接迷惑はかけないで、やってきました。お陰様で、専業の分野ではお客さんは多いですから。そういうところに、研究開発型企業のしたたかな知恵を、学ばせていただきました。それは非常に生きているかな、と思います。
では現状はどうかと言うと、さらに発展させるように、会社は動きだしています。ここ10年、20年の間、ベンチャー企業に対して、支援制度がたくさん出てきています。優秀な実業家の卵も育ってきています。ただね、私が50年間、この地域で頑張ってやってきて味わってきた悔しさは、経済界と金融機関に、経営に必要な環境が極めてプアであるということです。この地域には、優れたやる気のある人、ユニークな人、一生懸命やろうとする人を、もっともっと支援できるような環境づくりが必要ですね。皆さん方にそういう力が必要な人たちがいることに気づいてもらって、真にここで起業して、本社がここにあって、発展してもらう環境作りが一番大事だな。
本来の「ものづくり」とは、新しい付加価値を生むということ。
そういうことを一生懸命やっていても、評価する側に問題があります。本物を評価できないんです。プレゼン上手に渡り歩いている人たちが、成功者として見られている。そこにお金がどんどん流れていく。裸になったときの実力って、どういうものなの?それが実像です。ところが、株式とかで大きくなるのって、虚像なんですね。そうやって会社を大きくしていって、そこに真の姿がどこにあるの?走り過ぎちゃうと、いつバブルがはじけるか、そういう経済の流れに批判的な流れも必要です。そうなると、やっぱり、ものづくりなんですよね。ものづくりを忘れた国民の国家は、いずれか滅びていくんですよ。 世界を制覇したローマ帝国時代、ものづくりをしていませんでしたから。中国大陸だって、チンギスハンとか、ものづくりじゃなくなってしまっているんです。それは滅びているでしょう。武力や暴力を使わないでも、経済大国になって、大量生産するものは海外に工場をもっていったら、一生懸命やっていっても、海外の人たちが"自分たちでビジネスモデルを会得したから、おたくの通りには仕事しませんよ"となってしまいます。今の日本は、ものづくりを忘れた国民が絶対数増えてきているんです。
決まりきったものを、どんどん早く、安く、つくるというのは、本来のものづくりではありません。ロボットがやっているんですから。人が組み立てているわけじゃないから。ものづくりということを行っていないんです。ものづくりというのは、新しい付加価値を生むための、ものづくりです。 それは例えば、一枚の半紙に、ある人が絵を描いた。また別の人が他の絵を描いた。こっちの絵は鼻紙にしかならないが、そっちの絵は1000万円で売れる。創造力、これも、ものづくり。そういう人が増えてもらえないと、これからの日本が非常に危機的な状態になってしまいます。
でもそれを世の中の人々に訴えても変わりません。だから小学校で、ものづくりを教えているんです。はみ出し人間を如何に多く、仙台から育んで、クリエイティブな仕事がやれる人が増えると良いな。いいことやってるな、じゃあ投資してやろうかという仙台市民が増えてきて欲しいな、という願いですよ。ITが非常に発達したって、所詮、道具でしかないはずです。ツールが便利でも、ツールに使われているのではいけません。ツールに使われていることを、それでよしとしているのがおかしい。知恵と言うのは、こういうものをつくりたいんだ、自己実現で完成させたいんだ、痛い思い、辛い思い、死ぬ思いまでしないと到達しないものです。そんな知恵を、誰かが授けましょうということはできないんです。
天才と気違いは紙一重。人と違うことをやりたいときは、はみ出さないといけない。
今思えば、私の根っこは、小学校時代に、電気少年になったことです。小中学生の時に、一生の進路というものを、その時は気づかないけれども実はもっているのです。非常に興味を持っていて、でもそれに集中できない環境に今はあります。 家庭も先生達も、知識をどんどん詰め込んでいって、試験を合格して行きなさいという環境です。私たちから見ると、"こっちの方が好きなんだ"という気持ちは制限されちゃっているように見えますね。今の先生方は、終戦後の、物なし・金なし・能もそんなにない、ということはそうないですね。そういう環境で育ってきた人たちが、学校の先生をやっています。 マニュアルとか教科書とか、自分の知識から離れたところには、自分は感心がないし、余計なことはやる必要がないと思っているところもあるんじゃないですかね。
子どもたちは、ひとり一人違う可能性をもっています。無限の可能性をもっていますから。すべてのこどもたちを画一的にやるというひずみが、いろんな問題に出てきていると思います。天から生まれてきたときに、世界中に同じ人は2人といません。子どもひとりひとりはたったひとつの個性をもった子どもなの。そのひとりひとりの個性を活かしたい。そうやって育った子どもたちが、社会に出たとき、クリエイティブな仕事をするんです。そんな人が育って欲しいな。
秩序というもの、社会をつくっているのは、大人でしょ。その秩序からはみ出した子どもは、否定されてしまうんです。天才と気違いは紙一重なんです。人と違うことをやってみたい、というときには、はみださないといけない。もっと柔軟に、子どものもっている好奇心が強くでるものに、気がすむようなところまで許容してやるべきです。今、大人が子どもに、問われています。小学校5年生になると、大人がはっとすることを言いますからね。けれどもそういう知識があるけど、それは自分の発想じゃないんですよ。そこがやっぱり、教育というものなんですよね。好奇心というものは、死ぬまで人から教わるものじゃないんです。人から教わるのは学校、そこからは自分の知識をどう発揮するかという、知恵なんですよ。だからそもそも、生涯教育という言葉が生まれることが、私はおかしいと思っています。
競争で勝つということは、自分の位置が、裸になったって、不動であるということ。
持って生まれた、天から備わって生まれてきた、60兆の細胞の組み合わせが、無限にあるわけでしょ。全く同じ人というのはいないんですから。そういう人を導いてやれるように何故しなかったの?ということが、非常に悔しいなと思いますよね。「教育」という言葉について、ある人が言っていました。教育は"教えて育む"、"教えて育ててやる"と書きますが、そうやると今の教育では、知識しか教えてあげられない。その子どもの天性、興味好奇心、その必要に進んでいきたい、というときに、それを伸ばしてやる、それを導いてやる、道しるべを示してやるというのが本来大人がやることなのです。"導育"それぞれ違うところのいいところをね、持っている要素、素質、それは伸ばしてやった方がいいんじゃないかね。それを受け入れる社会、それが必要じゃないですかね。秩序はある程度必要ですよ、常識的、道徳的には、人の痛みをわかってやる、和、人に感謝するという気持ちは大切ですよね。
私と同じことを競争したって、ある競争では、負けるけど、ある競争では負けないというところがあるじゃないですか。最近は、小学校の運動会で、100M競争はみんな1位というところもあるようですが、全部同じにしちゃったら、競争原理じゃない。競争原理を問題視して、それを受け入れてやっている大人がおかしいじゃないですか。グローバル競争、勝ち抜かなければ企業は存在できません。でも一般消費者から見ると、個人までその競争で差別化されるのがおかしいじゃないですか、となるわけです。競争、あっていいんです。ただし、そこにはルールというものがあるからね。人をおとしめても自分が上に上がりたい、そういう人は社会に尊敬されませんから。でもそういうのも私は違うと思っています。本当の競争の勝つことは、自分の位置というものが、不動であると言うことです。人を利用して自分の方に金が動く仕組みで、心に傷をつけることをやる仕組みは、がたがたと崩壊してしまいます。裸になったって、その人の不動の位置があることです。もういいんですよ、まわりからどう評価されようと。自分がどうまわりに合わせてうろちょろしなくたって。そういう人を尊敬する気持ちを、人それぞれにもっている特性をお互いに尊敬し合うという、そういう人が増えてくるといいな。宮城の前に、仙台。日本全部は難しいから。それをここから、やれたらいいな。
はかる「はかり」がなければ、はかれない。それを伸ばせば、はかり知れないことになる。
よそがつくってないこと、人がつくってないこと、それをこれまでやってきました。人を採用するときも、個性が強い人を採用していますよね、気づいてみると。 人と同じようなことをやっていたら、50年間も続かなかったと思います。初代の社長が50年続けていくという会社は、100社のうち1社あるかないかです。 30年サイクルが一般的ですね。資金繰りがつかなくなって倒産したり、内部分裂があって元の会社からスピンアウトしたところが続いている会社もあります。非常に、いろんなパターンがありますよ。 そこの中で、やっぱりね、人のやらないことをやりたい、ひたすらやってきた連中が、工藤電機の中核をなしています。やっぱりね、オンリーワン、です。規模が小さくても、ここでしかやれないこと、人のやりたくないこと、人がやれないこと、それをひたすらやってきました。それはいつの時代も、永遠に続くと思いますよ。人がやりたいことに憧れてやるから、そこから再生産されないんです。 奪い合いになっちゃう。弱肉強食になっちゃいます。外圧から守るために、ナンバーワンになろうと思うと、弱肉強食ですよ、弱いものを牛耳って、大きくなっていく。その代わり、これしかできない、人が出来ないこと、やる気にならないこと、人がやってないこと、それをひたすらやっていくのが、オンリーワン。人がやってもうまくいかないことをやり続けることを、やっていくことじゃないかな。
時代の変化によって、守りの姿勢になっちゃダメ。チャレンジ、チャレンジ、そうすると、会社は安定しないですよ。 それと、わたしのところは受注生産でやってきていましたから、非常に不安定です。季節や年度によって、注文が多かったり、少なかったり。安定しないと、安心できません。安心できないから、 そこになにか、自分のやってきたことで、もう少しこういうこともやってみよう、こういうことをできますよ、そういうことをやりながら、種をまいてみると、 3年くらい経って仕事につながるということもある。オンリーワンというのは、決まったことを一筋にやるということではありません。いずれ時代に淘汰されますから。時代の変化に対して、数年ないし、5年を見越したテーマを見つけ、自分の沿線上に描いたものを、少し、PRするんです。しまい込んではだめ。
大人がつくった「はかり」ではかりきれない、はみ出し人間。はかる「はかり」がなければ、はかれないじゃないですか。それを伸ばしてやれば、はかり知れないことになるよ。そういうことをやっている人間はどこにもいない。はかりしれないことをやってきました。そういうすごいことをやっていると、こっちを向くわけですよ。大人のつくった秩序の中で論じていてはダメ。そこからはみだすこと。はみ出し人間をもっと増やす環境が必要なんです。電気少年から60年後、71歳。はみ出した電気少年の、そのころの種が、一生の人生になりました。
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