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2016年 07月 24日 (日)

山城巖さん(株式会社東栄科学産業代表取締役会長) 取材・写真・文/大草芳江

2009年03月13日公開

組織に限界はない

山城 巖 さん(株式会社東栄科学産業代表取締役会長)
(社団法人みやぎ工業会理事、東北科学機器協会理事長、日本科学機器団体連合会副会長)

業種別売上・東北1位の企業を、わずか一代で築き上げた山城さん。

18年9ヶ月間のサラリーマン時代、己の限界を感じ会社を去る人々を、
引き止めることができなくなった。そんな自分も、組織の限界を感じていた。

「個人の能力の限界は、自分でつくってしまうもの。当然ながら、個人能力には限界がある。
そこを乗り越えるには、組織力。組織には絶対、限界はないはずだ」。

そう思い描いたものを、山城さんはつくり続けてきた。
それが山城さんの言う「会社らしい会社」である。

東栄科学産業・代表取締役会長の山城巖さんに、その生き様を聞いた。
※インタビュー時は代表取締役社長


東栄科学産業代表取締役会長の山城巖さんに聞く


「会社らしい会社」をつくりあげたい

 わたしが世の中に出たのは、ちょうど安保闘争の時代でした。「現状打破」の意欲が強い青春時代を過ごし、自分が世の中に出るときに、自由度を求めて旅立った人たちが多かった年代だったような気がします。

 もちろん、しっかりとした会社を選ぶという「寄らば大樹の陰」の考えもありましたが、「自分がこの世の中でどれだけ生きていけるのか」ということを、何の恐れも感じずに、純粋にそう思えていた時代背景があったと思います。

 大きな会社からも「(入社しても)良いよ」と言われましたが、すでに出来あがった大きな組織の中に入ってしまうと、自分の自由や意思を通していけないような気持ちがあったんだね。

 わたしがはじめてお勤めした会社は、二十数人規模の会社でした。会社というより、家内企業。そこで18年9ヶ月、お世話になりました。仕事も楽な方ではなく、就職後も勉強が必要な仕事だったから、大卒の方が多かった。

 家族会社のような中で、わたしは36歳で常務になっていました。そしてその間に、わたしの前を56人が通り過ぎていきました。18年9ヶ月の間に、入っては辞め、入っては辞め、ね。

 会社の名前に自分の苗字をお付けになるのは当時、一般的でした。緊張してはじめて会社に入ってくるときは、アットホームで「良い会社だな」と一瞬思うのだけど、そこで3年、4年、5年が経ってくると、当然、会社というものを見始めるよね。

 すると「ここの会社に長くいても、自分の将来って、現状を大きく変えられるものはないんじゃないの」って誰でも思っちゃうのね。そうやって限界を感じて、皆お辞めになってしまう。

 わたしもこの性格だから、一生懸命に皆の意見をまとめ、より良き方向にとの思いの中で、社員を代表して改善案を提出してみたのだけど、結局その時の話だけで終わってしまうんです。

 事務所3階が社長達のお住まいだったから、そこで家族で夕食をおとりになる。その家族会議の中で、ボツになってしまうの。「山城、良いことだから、やっていこうよ」と会議ではおっしゃっていた社長が、朝になると「山城、やっぱりうまくないから、やめようよ」となっている。そういうことが何度もあるのでね。

 わたし自身も18年9ヶ月いたけれども、大きな限界を感じていました。だから社員から「辞めたいんです」と言われた時、引き止めてあげられる何の理由もなくなっちゃたの、わたし自身も。

 「辞めたいんです」と言う人に、「次の会社や仕事はどう考えているの?」と聞いて、そこでしっかりとした考えが返ってくれば「そうだね、その方が良いね」と。

 役員でありながら、そういう風に言わざるを得ないということは、やはり会社そのものの中に、自分自身の人生、つまり「自分がこの世の中でどれだけ生きていけるのか」ということに対して、矛盾が生まれてきちゃっていたんですね。そこでその会社を辞めた、ということなんです。

 辞めた一番の根本は、この業界、特に仙台だけど、全くの家内企業なの。社長が旦那さん、副社長が奥さん、経理部長が娘さんだったりする。

 その当時は多かったから、それが悪いとは言わないけれども、ある意味からすると、社員の将来を考えるよりも、○○家の生活安定というかたちに、やはり7割以上気持ちが行っていた。社員がでっち的な思いの中で、まだまだ見られていただろうと思うのです。

 そこでわたしが思ったのは、例えこういう仕事であろうと、絶対に組織づくりはできるはずだ、会社らしい会社をつくりあげることができるはずだ、と。

 じゃあそれを自分自身で、どんな会社づくりができるだろうか。自分の人生にひとつ賭けてみて、独立したというのが、一番の基本なんです。


「苦労していない」の意味

 お陰様で、その後もあまり苦労しないで、ここまでやってきました。「苦労していない」と言うよりも、私の場合は、自分が思った形の中で、成し遂げられてきたという、ひとつの考えを持っています。

 そもそも「苦労」とは、自分の意思以上のものがある場合に、それを乗り越えるために「苦労」がある、という意味だと思います。「あれをやれ」「これをやれ」となると、段々と肩の荷が重くなってくるもの。けれども自分から「あれをやりたい」「これをやりたい」という形で突き進んで仕事を食っていれば、苦労はありません。

 皆さんは「大変だったでしょう」「山城、よくそこまでやるね」とおっしゃる。けれどもそれは大変なのではなくて、私から見たら、やらないと気が済まないから、やっているだけのことであってね。要は、仕事を受身と考えないで、自分から仕事をつくっていく性格なのです。

 そうやって、東北で一番大きくなれました。わずか90人足らずの会社だけど、科学機器を専門でやっている会社としては、東北ではダントツ、トップになれました。

 これは私だけの力ではなく、社員もついてきてくれたというのもあります。ひとつの「会社らしい会社づくり」ができるはずだ、そして今では、ひとつの姿づくりというものはできてきたかな、という思いなんです。


営業の世界から、ものづくりの世界へ

 東栄は商社からスタートしています。けれども時代は、どんどん変わってきている。はっきり申し上げて、わたしがこの業界に入ったときに比べると、お客さんから見たときに、商社の付加価値が下がっているのは間違いないことです。

 商社活動とは、まずPRからはじまり、あるいは情報をお客さんに提供することが大きな任務でした。けれども今はネットが普及し、その部分の価値は下がっています。

 商社はお客さんとメーカーの間に立って、中間マージンを搾取しているというイメージで見られることもあります。そこで商社を抜いてメーカーから直接買えば、商社マージンをコストダウンできるだろう、というのは最終顧客から考えれば、偽りない気持ちでしょう。

 価値をお客さんから認めてもらうとすれば、東栄には東栄の機能をひとつつくりあげていかないと、このまま商社といった場合には、だんだん先細りするなという気持ちがありました。

 そこで12年前、東栄のオリジナル製品を開発していこうと、技術部をつくりました。営業活動の利益を開発に注ぎ込んできたのだけど、ようやくそれがカタログになってきたの。これが商社としての東栄の案内。そしてこれが、メーカーとしての東栄の案内。

 ものづくり企業でも、ネームプレートにそのまま企業の名前が出て、企業製品として世の中へ出している企業は、けっこう少ないのよ。特に宮城県はそうだね。

 部品づくりとか、OEM(他社ブランドの製品を製造すること)で委託先のネームプレートで世の中へ出て行くとか。加工や頼まれ仕事をやっておられるところは、もちろんご立派なのだけれども、自分たちの独自製品という形は少ないですね。食品関係は別にして、こういうものづくりに限っては、宮城は弱いと思うんだよね。

 もともとわたしは、ものづくりをしたい、自分たちのオリジナル製品をもちたいなという思いを、一番下の二文字につけていました。「東栄科学」の最後に「産業」をつけて、「東栄科学産業」。そこで自分たちの完全オリジナル製品を、どういう風にやっていこうかと、非常に悩んだの。

 みやぎ工業会へ異業種交流会という形で入った当時、まだ会社設立3年目で、社員はわたしを含めてわずか5人でした。わたしはものづくりをしたことがなかったのですが、いろいろな方とお付き合いする中で、ものづくりは大変なのだということを、そこでうんと勉強さえていただいたのです。

 そこで皆さんがおっしゃっていたことが、「ものはつくれるんだけど、商品がつくれない」ということ。ものはいくらでもつくろうと思えばつくれるが、ものはお客様がお使いになって頂いてはじめて、そこに商品としての価値が出てくるのだ、と。つまり、つくったものが売れなければ、ビジネスにはならないのです。

 そこで東栄の特長とは一体何だろう、と考えました。東栄は会社創立以来、営業活動を展開してきており、お客さんを営業活動の中で知っています。では、営業力をものづくりに生かせないだろうか?

 また皆さんが、売るということに大変苦労されていました。絶対に売れると思ってつくったのだけど、結局は売れなくて、ボツになってしまったとか。

 そこでわたしたちは、持っている営業力を生かし、それを逆手にとろうと考えます。まわりでも、営業の世界から、ものづくりの世界に入っていかれたという話は、聞いたことがなかったですからね。

 そうやって、「営業力と技術力の融合」という表現を、会社の中に掲げたのです。


科学機器の技術商社になりたい

 営業力とは、イコール情報収集能力です。営業というものは、いろいろなところで情報を聞いて歩いて情報を抽出し、ではこちらの会社と、東栄科学はどういうお仕事をできるだろうかを、基本的に考えることからはじまります。

 その中で、このお仕事はさせていただけそうだからと、東栄科学のお仕事をご紹介します。するとお客さんが「そういうことができるのか、じゃあカタログを持ってきてくれ」。そういう関係の中から、営業活動はスタートするからね。

 お客さんに対して「どんなものを考えておられますか?」「特別なものづくりをするようなことはございませんでしょうか?」と聞きます。するとお客さんが「こういうものを考えていて、いろいろメーカーに聞いてみたけど全然なくて」。

 そういうものを東栄の中でつくれたら、メーカーのものをただ右から左へ云々しているよりも、東栄はそういう力を持っているのかと、お客様からの見方が変わります。単なる商社と、ものもつくれるというので比較するのでは、お客様から見た場合、大きな差があるのです。

 営業力があるのだから、そこによき技術力を東栄の中につくっていって、営業力と技術力を合体させたかたちに持っていく。本来の意味からして、ただの商社ではなく、ものづくりも含めて「科学機器の技術商社になりたい」と思ったのが、会社をつくって10年目の時でした。

 けれども技術部をつくるために、懸命に人を探したのだけど、そう簡単には見つからなかったんだね。

 例えば、工場の製造ラインの中で自動機をつくるだけなら、ただ故障せずに動いてくれればそれでことは済む。けれどもわたし達の機械は分析器や評価機だから、機械が動いても出てくるデータに信頼性がなければ、その機械装置に何の意味もないのです。出てきたデータを学会などで発表するときに、そのデータに科学的な裏づけがなければ、何の信用もしてもらえない。

 そういうものを踏まえた上での装置作りとなると、それを設計できる人と言うのは、実は見つからなかったの。そこで4年かかって、ようやくそういう人に巡り会いました。

 それが、ちょうど12年前のこと。そこから少しずつやりながら、やっぱり10年かかるんだよね。ようやくここまで来て。自分たちの製品だけで、今年は6億円くらいの売り上げになっているからね。

 6億円の売り上げとなると、地元のものづくり企業の中では、大体いいところで肩が並び始めているんだね。だから今の東栄科学であれば、トータルでなんとか売り上げ100億円にしたいと思っています。

 商社で90億、自社製品生産で10億にもっていけたときに、東栄科学の企業らしいひとつの姿づくりが、完成ではないのだけど、自分が描いていた姿づくりができるかなと思うのだけどね。そこにいくまでは、まだまだ遠いのだけど。

 東北地区と、都心関係を含まない群馬以北を考えると、一番の業績になっている会社になってきています。うちは、今年度は売り上げが62億円位まではいくはずなので(※取材後、2008年9月期実績で67億円となった)、みんなの頑張りで、2番手の40億円前後との差がだいぶ出てきたというかんじですね。そして同業界の中で、自分たちのオリジナル製品を持っておられるというのは、栃木・群馬以北では全然ないこと。

 東栄科学のひとつの大きな特徴を、成長させることができたなと思っています。


「営業」は大嫌いだった

 この街に惚れ込んだ感じで仙台に来たわたしですが、やはりご飯を食べていかなければならない。けれども俺、営業って、大嫌いだったの。営業マンって聞いただけで、あいつ馬鹿じゃないかと思うくらい。

 けれども、ご飯を食べていかなければいけないとなると、そうは言っていられないところが、あるじゃない。そこで一番嫌っていた営業という世界に入って思ったのが、営業というものは誤解されているな、ということ。

 何よりもわたし自身が誤解していたなと思った時に、営業の世界でがっちりとやっていこう、という思いになってきたのです。

 わたしは会社説明会で、皆さんに必ずお聞きすることがあるの。皆さんは営業職希望で、東栄の会社説明会に来ておられますけど、営業の仕事って、どんなイメージですか。すると「ノルマ背負って、お客さんにぺこぺこして、接待を強制されて」という、へんてこりんなイメージが全般的にあるのね。

 けれども、営業というはそういうことでは全然なくて、人と人との気持ちのつながりあい、世の中を生きていく上での、基本的な資質を求められているのが、営業の仕事なのです。そう思った時に、営業という職業に対するイメージが、ガラリと変わりました。

 だったら、人に信用してもらうためには、自分にとって何と何が必要なのだろう。そういうところを解き明かす中でね、東栄科学の営業活動には、手八丁、口八丁は、厳禁なんです。あることないことを、べらべら喋ってもしょうがない。

 我々が扱っているのは、科学機器。科学ってそもそも何?それは、真実の探求なんだね。真実を探し求めようとする装置に、手八丁、口八丁はないでしょう。本当のことを本当のままお話させて頂くことで、ご理解いただく。それが営業の基本姿勢です。それをずっと貫いているの。

 だからうちの営業の連中、そんなにお客様にぺこぺこすることもしないし、平常心の中でしっかりお客様と話し合う、というのを基本にしています。

 お互いが、どれだけ本心の中でお話し合えるかなというのが一番大切なことなのです。どんなに飾ったって、必ずぼろが出ちゃうことなので、本心で本当のことを話させていただいていることが、気が楽ですし。

 やはり、そのままの自分の姿をそのまま見ていただいて、大勢のお客様に受け入れてもらえないとすれば、それは、社会を見ている自分の見方が間違っているということ。

 そこを自分自身が、社会人として、自分のひとつの位置づけをしていなければ、営業活動もなにもできるものじゃない。礼儀作法からはじまる、一般人としての基本が一番大事になることなのでね。

 わたしには、知人一人もいなかったことだし、人との関係をつくること、こうやってお会いした人との関係維持というものを、ものすごく大切にしていたの。

 ひとりひとり、お友達とかこうやってお話させて頂いた人、対お客さんも然りだけどね。わたしの場合、ほとんどが長いお付き合いになっています。

 仕事で一番大切なのが、ひとつのことでいくら儲かったかではなく、10年間でこれだけのお仕事をさせて頂いたんだという感覚が、一番大切なところだと思うのです。


限界って、そもそも何?

 うちでつくったものと、メーカーでつくったものを組み合わせる。メーカーの側面は技術力、商社の側面は営業力。これを融合させたら、ちょっとおもしろい会社がつくれるんじゃないか。それが今の基本的な構想です。

 でも簡単にはいかなくてね。よくできたと思っても、他が追いついてきちゃうから、どんどんつくっていかないとね。それと、どんどん科学技術と言うものは、進んでいくでしょう。それを後ろから追いかけるのでは、ものを買っていただけない。それよりちょっとでも前に来てやらないと、買っていただけないからね。

 20人足らずのところで、開発要素がその中に盛り込まれてしまうところが、我々の辛いところだよね。前納めたものでリピートするのなら簡単なのだけど、前に納めた装置にこういう機能をプラスした形で今回装置をつくってほしいんだ、という要望があるのは当然だからね。

 その対応のためにどうしても、ものをつくることが遅くなってしまう。ひとつの装置で具現化しようとすると、すぐに四ヶ月だ、半年だ、とかかってしまう。それが、こういうものづくりの仕事での苦しみ。

 止まっちゃったら、追い越されちゃう。けれどもこういう装置をつくっている以上、宿命じゃないかね。それにへこたれちゃったところが、負けちゃうのだと思う。

 これは、企業の限界じゃなく、人の限界。その人の限界ってそもそも何?と考えたとき、「自分がここが限界だ」と思ったところが、その人の限界なのだよね。

 人が限界と感じないのは、自分の仕事だと思って食っているからだよね。自分から気づいたことを、之を取り入れたら面白い、あれもこうしたら、もうちょっと違う答えが返ってきて、そこの中に違う価値観が見つけ出されるんじゃないのと、頭の中が活性化されている状態だよね。

 「これ以上できない」と思った時が、その人の限界なのだよね。それを感じなければ、その人に限界はない。ただ、限界というものは、確かに存在しているんだよね。

 わたしも正直言うと、この歳になると、決断力と持続力がものすごく減退してきている。昔は何の限界を感じることもなかったのだけど、与えられている24時間は全く一緒なわけだから、限界を感じると、仕事に重みを感じるようになってきたの。

 人間には、必ず限界がある。けれども限界のないものがある。それが、組織。ただそれが会社となった場合には、その組織は費用がかかるから、多少の限界はあるけれど、その中で組織力を生かして成果を上げていったら、どんどん大きくすることができるでしょう。

 個人の能力の場合、限界は自分でつくっちゃうもの。当然ながら、個人能力には限界がある。そこを乗り越えるには、組織力。組織には絶対、限界がない。そういう格好の中で、東栄科学がここまで来ているのは間違いないです。


組織には限界がない

 組織力を如何にしっかりつくりあげていけるか。機能をしっかり果たせる組織づくりを如何にできるか。そういう格好でやっていったら、そういう方々が集まり、どんどん躍進していきました。

 そうやって東栄は、東北でNO1になれました。「会社らしい、会社」というのは、当然ながら、組織ということも入っている。まだまだ自分からしたら、中途半端な組織なのだけど、他所と比べたら、多少組織力が備わってきているから、ここまで来れているのではないかと思っているのだけどね。

 自分の人生というものを、東栄の中で、つくりあげてほしいな。そういう意味で、東栄科学は青天井だよ、とずっと言い続けているのだけどね。それが東栄という会社をつくったときの、原点なのであって。

 以前わたしは、限界を感じてやめていく人たちを、ずっと見てきました。だからそこに限界がないのだよ。自分の努力次第なのだよ。自分の意欲を東栄で生かしてみなさい。反面教師みたいな形で、ずっとこの話をし続けているのだけどね。

 そういうことをご理解頂ける社員はどんどん伸びていくんだけれども、そこのところの理解をそのまま理解できないというか、それはそんなこと言われたって無理だよと思ったところが、その人の限界になっちゃうから、逆の面もあるんだけどね。

 だから、伸びるのは伸びる。社員の平等性というのも、青天井にすればするほど、平等性というものをどういう風に会社の中につくり上げていくかも、逆に言うと、非常に難題なのだけどね。

 誰だって、ぐんぐん伸びていく人がいると、ねたんじゃうからね。彼の力でどんどん伸びていったんだ、と素直に思ってくれる人は少ないよね。

 自分で限界をおつくりにならないで、挑戦していく。そして組織には限界がないということは、自分が組織づくりをしようと思えば、いくらでもできることがあるということ。その人が組織の中核になって、その組織をどう風に成長させていくかという意欲と能力があれば、いくらでもできる。

 東栄科学、みんなに言っているのは、ぜひぜひ、会社説明会でもよく言うのだけど、やっぱりただ入社、ただ働くと言うのではなくて、東栄というここの基盤を活用して、東栄の中で、自分の人生設計を是非描く社員に増えてほしいんだと常に願っています。

取材先: 東栄科学産業      (タグ: ,

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