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2024年 11月 21日 (木)

【第2回】根井寿規・東北経済産業局長に聞く:経済産業省って、そもそも何? 取材・写真・文/大草芳江

2009年5月20日

意味ある答えは現場にある

根井 寿規 Hisanori NEI(東北経済産業局長)

昭和33年生まれ。昭和56年(1981年)東京大学理学部地学科卒業後に通産省(現経産省)に入省。大臣官房、資源エネルギー庁、環境立地局などで主に石油政策、産業技術政策、地域振興政策などに従事。地域振興政策については、農村地域工業等導入促進法の改正(昭和63年)、地域コンソーシアム制度の創設(平成8年)を主導。平成9年(1997年)から米国テキサス州ヒューストンに勤務(JETROヒューストン・センター次長)し、米国の中東・石油政策や産学連携・インキュベーション等の新規産業育成政策の調査等に従事。この間に、仙台-ダラス産業交流、米国の産学連携機関(TLO)の経験の日本への移転などに尽力。こうした功績により、米国テキサス州ジョージ・ブッシュ知事(前大統領)から感謝状を授与。2001年1月から経済産業省中東アフリカ室長、2002年7月から資エ庁石油精製備蓄課長として同時多発テロ後の経済産業省の中東・石油政策を遂行。イラク戦争直後の2003年5月から日本政府を代表し、イラク暫定施政当局に3名の外交官チーム(故 奥大使、井上一等書記官とともに)の一員として派遣。 6000kmを車で走行し、ライフライン、産業施設の現状調査を行い、復興計画を策定。イラクの治安悪化により2003年8月に帰国。その後、貿易経済協力局技術協力課長として、特に、東南アジア地域との経済連携強化のための人材育成・知的財産・基準認証等の制度構築支援に従事。2005年9月から原子力安全・保安院原子力発電検査課長として、2006年末からの発電設備の総点検による過去の不正の洗い出しを指揮し、2007年7月の中越沖地震発生時のスポークスマン役などを担うとともに、長年の懸念であった定期検査間隔の柔軟化など国際水準の検査制度を実現。2008年7月から東北経済産業局長、現在に至る。

わたしたちは日本という国に住んでいるが、
普段の生活において国を実感する機会はそう多くはない。

国の行政機関のひとつに経済産業省があるが、そもそも経済産業省とは何かを、
教科書的な知識にとどまらず、実感を伴って理解していくには、どうすればよいだろうか。

そこで、東北経済産業局長の根井寿規さんという「人」を通して、
経済産業省とはそもそも何かを探るインタビューシリーズの第二弾。 (取材日:09年4月30日)


東北経済産業局長の根井寿規さんに聞く

―わたしたちにとって、なかなか実感が湧かない対象のひとつである経済産業省とは
 そもそも何かを捉えるためのアプローチとして、前回のインタビューでは、
 局長の根井さんという「人」の軌跡や経験から、その一側面をとらえようと試みました。
 ※前回の記事はこちら

 「政策の対象である東北を知らなければ、何もはじまらない」という前回内容の延長線上から、
 今回は、ここ東北の地において、根井さんという「人」が見て感じられて知ったこと、
 そこから局として具体的にどのように対策をして、何に力を入れていくのか、を中心にお話を伺うことで、
 経済産業省とはそもそも何か、そこから見る東北とは何かを、伺えればと思います。

去年の7月、東北経済産業局に来ました。
これから、この9ヶ月のある意味、感想を言うことになるでしょう。

その感想を言う前提として、もともと自分がどのように思っていたか。
それからこの間、自分の抱えている仕事をめぐる環境が、どのような状態だったのか。

「こういうことをやって、こう感じています」と言う前に、
「なぜそのようなことをしているか」を、まずはお話しておきます。


「今、現場で何が起きているのかを、良く見ておけ」

去年の7月、私は東北経済産業局に来ました。

我々の仕事、つまり国の行政機関としての仕事とは、基本的には
経済産業省ですから、経済と産業を見ている、ということです。

ちょっと違う言い方をすると、
より政治や社会に近い仕事をしている役所が、他にあるわけです。

例えば、厚生労働省。
地方で言えば、厚生局や労働局という役所でやっていることは、
どちらかと言うと、社会政策と呼ばれるものですね。

例えば、色々な意味で話題になっている、年金や健康保険、
地方の病院で医師が足りない、というような話。

つまり国民の健康、あるいは生活保護的なものなど、
いわゆる憲法25条の世界を、直接的にお世話している役所は、
厚生労働省さんです。

他にも、雇用や労働基準の話などがありますね。
過労死を防ぐ、労働者がむやみに働かされすぎてはいないか、とかね。
昔から労働基準法は、1日8時間、週40時間と変わっていません。

労働基準を守らせるような仕事は、厚生労働省、
地方では労働局の労働基準監督署というところがやっているのは、
社会政策なわけです。

それから、総務省という役所があるでしょう。
総務省は、いろいろなところが一緒になっていますが(※1)、
(※1 2001年の中央省庁再編により、総務庁、郵政省、自治省を統合して創設された)
例えば、地方自治体に地方交付税交付金を配るとかね。選挙も担うでしょう。

このようなものはどちらかと言うと、社会や政治に近い仕事ですね。

そのような役所もあれば、財務省さんみたいに、地方なら財務局ですが、
国家財政の金融、いわゆる金融庁ですが、財政金融の役所もあります。

そして、我々の仕事というのは、経済と産業の動き。
経済産業の一環なのですが、そうした産業の動きに加えて、
ちょっとウエイトが大きいのが、エネルギーと通商貿易。

そういう経済産業の動きを見ている我々の仕事からすると、
日本の景気が山から谷に、結果としての後付けで、
下方軌道に入ったのが、一昨年の10月頃だったかな。

2007年10月がピークで、景気が下方局面に入ったと、
後付けで言ったのが、今年に入ってからじゃなかったかな。

ですから当時、私が7月にやってきた頃には、
景気が拡大局面から下方局面に入ったかどうかについて、
必ずしも国として、政府として、確認していないという状態でした。

けれども、どうも少し、下り坂に来ているんじゃないか、
と言われ始めていた頃です。

それと、もうひとつ、その頃話題になっていたことは、
原油価格が上がりました。原材料価格が上がりました。

ガソリン価格がとんでもなく高くなってしまい、
国民生活に大きな影響がありました。

原油と言えば、アメリカの原油先物取引市場で、
1バレル147ドルという瞬間最高値をつけたのが、その頃ですね。

原油原材料価格が上がって、ガソリン価格も上がって、軽油価格も上がって、
運送業などを営んでいる人たちが「もうたまらない」と言っていたのが、
去年の7月から8月頃。

その頃ここ(東北経済産業局)に来て、
最初の頃は挨拶がてら、地域をまわっていてね。

景気が下方局面に来ているな、ということを感じながらも、
それでも、まぁ落ち着いたサイクルの中かなぁ、というくらいでした。

特に東北は、宮城を中心に、セントラル自動車さんや、
パナソニックEVエナジーさんも、こっちに来るとかね。

自動車産業、特にトヨタグループの中部・九州に次ぐ
第三拠点整備が、ちょうど固まっていた頃です。

その頃は、全体的には少し下方局面にはあるけれども、
東北自身は、先に少し明るさがあるね、という話をしていたところでした。

それで9月くらいから、中の人たちと、いくつかまわって話をしていたのは、
要するに東北の場合ではね、例えば自動車関連産業で言いますね。

関東自動車工業さんが、93年に金ケ崎(岩手県)に工場を持って、
95年くらいから本格稼動しています。

福島や山形辺りに、自動車部品の企業さんは、結構あるのですね。
けれども大体、その売り先は、首都圏や中部圏にある
自動車の最終組立工場や企業さんです。

言ってみれば、関東や中部のお得意さんに、
東北からも買ってもらえる部品を、どうやってつくるか。

例えば、商談会などに一生懸命出展して、お客さんを見つける。
そういうことを東北全体で、うちも一緒にみんなでやってきたのが、
ここ5~7年の話なのです。

けれども今は、セントラル自動車さんがこちらに来ますし、
関東自動車さんも生産能力を増強して、東北全体で、今すぐ50万台。
あるいは後で100万台に行くか、とか。

「そこまで来れば」と言うんで、
トヨタ東北さんがエンジン工場を作るか、とかね。

それに対応して、これまでは単に、東北以外の地域で、
自動車メーカーさんに買ってもらえる部品をつくれればいいや、というところから、
自動車の開発・設計の一翼を担えるくらいのところまで、東北を高めたい、
という準備作業が、やはり、はじまったようです。

半導体の方でも、東芝さんの拠点工場が来たり、
東京エレクトロンさんが、最新鋭の半導体製造装置の工場をつくる。

そういう動きに対応して、もう一世代先の半導体プロセスの開発や、
そういうものに東北が貢献できるための体制作りというものの準備を、
9月くらいにしていたのですね。

そうしたら、9月15日にリーマンの破綻。
9月16日に日本に伝わってですかね、「日本はどうですかね」という話をしていましたが、
最初はあまり、どのような影響があるのか、という感じでは、なかったんですよ。

我々の世界からすると、政府全体がどちらかと言うと、
リーマンショックの後というより、原油原材料価格が高かったこともあって、
それで苦しんでいる中小企業の方たちへの対策として、
いわゆる金融対策、資金繰り対策というものを、
中小企業庁というところを中心にして、やっていったのです。
それが、8月31日だったかな。

そして、補正予算を国会に提出して、でもこれが、当時なかなか通らなくてさ。
当時は、民主党さんと自民党さんとで、国会でいろいろな議論があって、
補正予算が通ったのが、10月16日じゃないかな。

そして新しい資金繰り対策を出す、となったのが、10月31日。

それまでの間で、今うちの大臣をしておられる二階さんから直接言われたのが、
「今、現場で何が起きているのかを、良く見ておけ」ということ。

それもあって、少し様子を見ながら、各地を歩きました。


本省から言われる前に、局として、そのつもりでやっていた

それで、なんでこんな話をしているか、ちゅうとね。

だいたい自分の感覚でいうと、10月20日くらいまではね、
通常モードでいろいろなところへご挨拶に行って、お話をしていたんです。

ところが10月20日頃から、急速に様子が変わっていってね。

例えば、自動車関連企業では、10月上旬にはフル生産していた工場も、
その次週には、生産計画が大きく変わって、工場も本社も大慌てだったんですよ。

その頃にね、もうひとつあるな。

大臣の二階さんから電話があって、新しい緊急保証、いわゆる新しい政府保証を入れて、
金融資金繰り対策をやるのだけど、それがちゃんと現場まで浸透しているかどうか、
各局の局長が全部自分で信用保証協会へ行って確認しておけって、言われたんだね。
それが10月31日。

その1週間後、11月7日の金曜日。
毎月第一金曜日は、僕ら局長が集る会議が東京であるんです。
民間でいう、支店長会議みたいなやつです。

普通は、僕ら局長が集まって、それを統括する地域担当の本省の局長さんと、
議論するのが基本なんですね。

そして普通であれば、四半期に一度だけ、
そこに政治家の偉い人5人(大臣1人、副大臣2人、大臣政務官2人)が入って、
事務次官という人たちをはじめとして、本省で局長をやっている人が全員揃い踏みをして、
我々各局長が地域の状況などを挙げて説明して、全体の方針を決める会議があるんです。

四半期に一度ですから、3月、6月、9月、12月だけなのが、普通なのです。

ところが11月、普通の会議をやる予定が急遽、二階大臣が「俺も出る」と仰って、
四半期に一度しかやらないものを、11月にやるようになった。
それ以来、それを毎月、やっているんですよ。

それでね、さっきの話に戻りますと、
10月31日に二階大臣が「各局長が全部確認しろ」と言って、
その結果を、7日の局長会議のときに「俺に報告しろ」って言うわけ。

10月31日って、金曜日でしょう。
11月の頭って、休み、あるでしょう。

「7日の会議で報告しろ」って言うから、3日間くらいで全部行かないといけないわけ。
でも、広いでしょう、東北って。
後で聞くとね、まともに全部まわったのは、僕くらいだったのですけど(笑)。

これはね、たまたま他の用事を入れていたので、
他の用事の前後に、ちょっと足を伸ばして行ったんです。

例えば、31日のその日に、すぐ宮城の信用保証協会へ行ってね。
その日の夕方くらいに、もともと大曲に行く約束をしていたのですよ。
15時半くらいに新幹線に乗ると、17時に大曲が間に合うのかな。

ところが、信用保証協会って、秋田市にあるでしょう。
ですから秋田市の信用保証協会に電話入れて、
「17時半には行くから待ってろ」と言って、
大曲を通り越して、先に秋田市に行って。

信用保証協会の会長に「ちゃんと聞いているよね」と話をして。
それから大曲に戻って、17時から付き合う予定を、
18時半からに切り替えて、とかね。

5日にちょうど八戸へ行く用事があったんだ。
だからその前に青森へ行って、青森の信用保証協会や銀行へ行って、
その帰りに盛岡へ行って。そして6日に、福島と山形に行ったの。

これで、6つですね(笑)。

ということをやりはじめて、それ以来とにかく、
金融の確認をしないといけないし、中小企業の方との意見交換をしないといけない。

もうひとつ、おもしろいのが、ちょうどその頃から、経済産業局と財務局で、
本省でいうと中小企業庁と金融庁で、全国150箇所、うちの管内で24箇所、
中小企業の方からの意見を聞きます、というのをやったんです。

管内24箇所だから、各県4箇所かな。

たまたま自分は、いろいろな付き合いがあってね。
本省から言われる前に、「各県最低1箇所は、とにかく自分がヒアリングに行くから」
と言ったら、皆、仰天していたね。
だいたい課長補佐くらいが行こうとしていたものだから。

そういう風にやっていたのだけど、僕の感覚からすると、
高いレベルでの対応が必要な感じがしていた。その一週間後ですよ。
先程お話したように、突然、二階大臣からレベルをがーっと上げろと言われて。

ところがうちは、本省から言われる前に、局として、そのつもりでやっていました。
もともと僕が自分から行くし、他のところも各部長さんたちが行くようにしていましたから。

そういう意味では、去年9月16日のリーマンショックの後、
製造業では10月20日過ぎ、11月、12月と急速に(景気が)悪くなっていく中でね、

資金繰り対策などで「ちゃんと見ておいて」と大臣から言われたので、
だーっと、いろいろなところへ行く理由ができちゃったものだから。

しかも「組織のトップが見ておくべきだ」という、
ある種のお墨付きを頂いたので、気軽にざっとまわったのですね。

そういう意味では、そういう機会がない通常時にここに来た人よりも、
早く現場をまわれたかもしれないですね。

次へ 結局最後は、人と人との関係


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