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2024年 11月 21日 (木)

社会って、そもそも何だろう?:東北経済産業局長の守本憲弘さんに聞く 取材・写真・文/大草芳江

2014年3月21日公開

個々人の幸せの追求だけでは、
説明できないことがある。

守本 憲弘  MORIMOTO Kazuhiro
(経済産業省 東北経済産業局長)

昭和36年1月生まれ。昭和59年3月、東京大学法学部卒業。昭和59年4月通商産業省入省(産業政策局総務課)、平成元年6月米国留学(ノースウエスタン大ビジネススクール)、平成9年6月環境立地局総務課(法令審査委員)、平成10年6月中小企業庁長官官房総務課(法令審査委員)、平成11年6月外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官・参事官、平成14年7月通商政策局中東アフリカ室長、平成16年4月資源エネルギー庁電力・ガス事業部ガス市場整備課長、平成18年2月経済産業政策局参事官(産業人材政策担当)、平成20年8月日立キャピタル(株)(人事院官民交流法派遣)、平成23年4月大臣官房参事官(エネルギー担当)、平成24年10月中小企業庁経営支援部長、平成25年6月東北経済産業局長、現在に至る。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。

そもそも社会とは何か、「個々人の幸せの追求だけでは、
説明できないことがある」と、東北経済産業局長の守本さんは言う。

戦後教育の流れの中では、戦時中の全体主義への反動もあって、
「個人の解放」というものに重きが置かれていたと思う。
戦後の制度もそれを推進し、個々人が他人と干渉しなくとも、
ある程度、幸せに生きられるようにつくられてきたように思う。
ところが、それがそろそろ限界に来ていることが、
今になって表面化しているのではないか、と守本さんは指摘する。

結局、周りの人と一緒に、いろいろなことを、必要なことを、
補い合って生きることの方が、実は、一番効率的であること。
人と人との関係をもう一回取り戻さなければ、お金では、
解決できない話がいっぱいあることが、明確になってきた。

むしろ、ここ数十年か百年が、大変特殊な時代だったのだ。
だから、その継続を前提とする考え方は、まず持たない方が良い。
これからの時代の人間の生き方、社会の形というものを、
やはり、自分の頭で考えなければいけない。

そう語る守本さんがリアルに感じる社会とはそもそも何か、
インタビューした。

<目次>
社会は、個々人の幸せだけでなく、種の保存のためにある
個々人の幸せの追求だけでは、説明できないことがある
「社会が種の保存のためにある」という意識はどこから来たか
「個々人が他人と干渉しなくとも、幸せに生きられる」制度の限界
周りの人と補い合って生きる方が、実は、お金も手間もかからない
人との関係が出てくる時に必要な力
「社会人基礎力」を構成する3つの力
社会人基礎力が問題になった背景
ここ数十年か百年が大変特殊な時代だった
自分の頭で考えろ


東北経済産業局長の守本憲弘さんに聞く


社会は、個々人の幸せだけでなく、種の保存のためにある

―守本さんがリアルに感じる社会って、そもそも何ですか?

 うーん、そうですね。ご質問に対して、最初に思い浮かんだのは、「ダーウィンが来た!」という、私の好きなNHKの番組です。いろいろな生き物の生態を紹介する番組で、基本的には、その種が生き延び、場合によっては拡大していくために、どんな社会を築いているかが、詳しく取材されています。

 その番組を見て私が感じることは、人間も含め、生き物は個々で生きているだけでなく、種を保存し、維持拡大するために社会をつくっている、ということです。社会のルールをつくったりいろいろ工夫するのも、究極目指すところはそこにあるのかな、と思うのです。

 つまり、ご質問に対して、二つのお話がどうもあるように思います。一つは、生きている人一人ひとりが楽しかったり嬉しかったり、いろいろな形での生きがいや生存感を感じるのも、非常に重要です。もう一つは、社会全体がきちんとまわり、人類が長きにわたって生き延びることも大変重要です。この二つを両立させるために、人間はいろいろな工夫をしてきたと、私は思うのです。

 社会とはそもそも何かを見るためには、その両面から見る必要があると感じますね。


個々人の幸せの追求だけでは、説明できないことがある

―守本さんは、なぜ社会をそのように見るようになったと思いますか?

 それも難しい質問ですね。自分たちの育った世代が特にそうだったかもしれないですが、「生きている人間それぞれが幸せになるのです。社会はそのためにあるのです」と、強調されてきた意識があるのです。ですから私が子どもの頃は、社会が種の保存のためにあるという意識は、あまりありませんでした。

 社会には、いろいろなしきたりやルールがありますね。それが何のためにあるのか?を考えると、「今生きている人たちがスムーズに生活できるように」と考えがちです。しかし、それだけでは当てはまらないことも人間はいっぱいやってきました。例えば、二酸化炭素による気候温暖化の問題は、影響を受けるのは自分が生きている時代ではありませんが、それを皆で考えようとしています。

 このように、人間社会のルールは、自分が生きている時だけのルールだけでなく、過去からさかのぼって先のことまで考えていることを、どこかのタイミングで実感するようになったのです。

 そんな視点で「ダーウィンが来た!」を見ると、動物の世界も人間の社会と同じようにまわっていると、非常にすんなり入ってきます。鮭なんて、非常にわかりやすい例ですが、卵を産むために遡上し、卵を産んだら死ぬわけです。自分の幸せのためだけを考えたら、そんなこと、あり得ないですよね。

 まとめますと、三つの段階があると思います。まず、①個々人がハッピーに過ごす、自分だけ楽しめればいいという、第一の段階があります。次に、今ここにいる人たちが仲良く幸せに過ごせればいいという、第二の段階があります。ところが、それだけではなかなか説明できないことがいっぱいあるのです。

 では、それは何のためか?を考えると、次世代やずっと先のことまで見通して、人間としてきちんと維持するために行動することが、どうも求められているように思えるのです。


「社会が種の保存のためにある」という意識はどこから来たか

―守本さんは、これまでの時代の「変化」から、社会を捉えていることがわかりました。では、その「変化」後に生きる今の中高生は社会をどのように捉えれば良いと思いますか?

 戦後教育の流れの中では、戦時中の全体主義への反動もあって、「個人の解放」というものに重きが置かれていたと思うのです。基本的人権の尊重や個人のプライバシー、個人の自立といったものが強調されてきましたし、制度もそれを推進してきました。

 ですから我々世代は、「自分たちの世代のことだけ、第二段階まで考えていればいいんだ。これから先のことはそれほど考えなくても、社会はまわっていくんだ」くらいの意識で、いろいろなことを教えられてきたのではないか、という感じが僕はするのです。

 けれども、それがどうも、うまくいかなくなってきたのではないか、という問題が出てきました。「成長の限界」(ローマ-クラブの報告書。1972年刊。資源の制約や環境の制約(廃棄物の捨て場の枯渇)から経済成長や人口増加に限界があることを論じた。/出典:三省堂 大辞林)や、地球の公害問題などが出てきたのです。

 公害問題も局地的なものでなく、典型例は、地球温暖化やオゾンホールなどの広域的な問題です。「①自分たちの世代がハッピーに過ごそうとすると、次世代に迷惑がかかるから、きちんと止めなければいけない」という考えです。

 ②そんな価値観が教えられたのは、二つのところから。一つは、我々のおじいさんやおばあさんから。もう一つは、海外から来た問題提起です。

―我々の世代からは、「世界は有限ですよ」と、初めから教えられて育ってきました。どんどん縮小する社会の中で生きる自分たちにとっては、それが当たり前過ぎて、逆に、先ほどで言う「第一段階」が成立するように思えた社会があったことの方が、驚きです。

 我々の時代は、「21世紀は夢の世界で、何でもできる」と思えたのです。バブルを超える辺りまでは、本当にそんな感じだったのですよ。

―噂には聞いております。昔はもっと、未来がキラキラ輝いていたらしい、とか。

 本当にそうですよ(笑)。


「個々人が他人と干渉しなくとも、幸せに生きられる」制度の限界

―制度もそれを推進してきた、と先ほどお話されていましたね。

 メインディッシュではないかもしれませんが、先ほど言いかけた、制度の話を言うとね。戦前のことは詳しくは知りませんが、戦後の制度は、個々人が一人で他人と干渉しなくとも、ある程度、幸せに生きられるようにつくられてきた、と思うのですよ。

 例えば、所有権の問題もそうだと思います。戦後、政府は「農地開放」をして、自立した農業者をたくさんつくったわけです。それも土地というものを生活する人のものにしましょう、という方針があったのです。これによって個々の農家が自分の作るものを決められるようになりました。

 年金もそうですよ。老後になっても、子どもや周りの人の手を借りずとも、年金を使いながら、ひとりでもきちんと生活できるようにしようとしたわけです。井戸の代わりに水道ができたのも、水道ができれば井戸の共同管理をしなくて済むわけです。

 このように、便利になるということは、大勢の人が集まり役割を決めて身の回りにあるものを一緒に管理しなくとも生活ができる、ということ。それこそが便利さであり、生活の安心であったと思うのです。

 ところが、それがそろそろ限界に来ていることが、今になって、表面化しているのではないでしょうか。

 例えば、では「年金に依存して老後を過ごせますか?」と言えば、そんな人は滅多にいないことが、だんだんわかってきました。すると、介護保険もあるけれども、やっぱり周りの人にいろいろ助けてもらわなければなりません。

 そこで今、「共助」という概念が出ていますね。ある程度のお金を持っていれば、必要なものはお金で買いながら一人でやれる、と思っていたものが、どうもそうではないようだ。そのような見直しが始まっている時期かと思います。


周りの人と補い合って生きる方が、実は、お金も手間もかからない

―昔は、とりあえずお金があって分担された役割さえこなせば、他人と干渉しなくても、個々人の幸せを実現できた時代があった、ということですか?

 「あった」ではないのですよ、「目指した」のです。「あった」時代はなかったと、僕は思うのですよ。21世紀になればそうなると思いながら制度をつくってきたのではないか、そう僕は思うのです。

―それは前提が変わったからできなくなったのでしょうか?それとも、そもそもできないものだったのでしょうか?

 やっぱりそれだけでは無理なんですよね。言い方を変えると、自分たちの周りの人たちの協力で、ある程度、自立して生活するというやり方が、一方であって。でも、目指してきたものは、実は、そうじゃなくって。

 例えば、行政みたいなものがあって、ある意味、そこに依存するわけですよ。そういう制度に従っていれば、周りの人と干渉しなくても生きていける世界ができるのではないか、そう思っていたのではないかと思うのです。

 けれども、実際にやってみると、もちろんいろいろな条件が変わってはいますが、条件が変わらなくても、やっぱりそれは無理があったと思うのです。

―その心は?

 結局、周りの人と一緒に、いろいろなことを、必要なことを、補い合って生きることが、実は一番効率的なんだ、と思うのです。お金も手間も、実はその方がかからない。それを全部お金に置き換えると、ものすごくコストがかかるんですよね。今はその辺が、かなりわかってきていると思うのです。

 ですから、いろいろな形でコミュニティを復活させる動きがあったり、NPOの人たちが頑張っているわけですよ。なぜかと言えば、人と人との関係をもう一回取り戻さなければ、お金じゃ解決できない話がいっぱいあることが明確になってきたから。ですから、そんな動きになっていると思うのです。

 というのは、どちらかと言うと、僕らは「時代が変わったね」と思っていますけれど、皆さんは「そんなの当たり前じゃん」って、思っているんじゃないの?(笑)

―そうですね(笑)。我々が生きてきた時代は最初から、どんどん縮小化していく社会です。どんどん社会を細分化・複雑化して役割分担することで、効率性を手に入れたと思いきや、実は、それと引き換えに、人間の内発的なモチベーション発現の機会を失ってきたのではないかというのが、自分たちの強く感じるところです。そこは仮にお金に換算したらものすごい額になるところだと思いますが、そこがこれまで評価されていなかったと言うより、存在するものとしてあまり認識されていなかったことが、問題ではなかったかと感じています。では、それはどうやって回復するかと言えば、まさにおっしゃるとおり、人と人のつながりをもう一回、取り戻すことから始まると、自分たちも思います。

 そうですね。その辺りはGDPには現れてこないので、計測のしようがなかったのですね。やはり、人間関係の力をもっと見なおして、ちゃんと評価し直さなければいけない感じがしますね。


人との関係が出てくる時に必要な力

―少し話は変わりますが、守本さんは経済産業省の「社会人基礎力」を担当されていたと伺いました。今までのお話と関連するところはありますか?

 ありますよ。教育も、まさに今までお話したように、人が一人ひとり独立して生きられることも、ある程度、念頭におきながら制度ができてきた、という流れになっていたと思うのです。

 一人ひとりがいろいろなことを勉強し、付加価値を生み出していくことができれば、それで社会はまわっていくのだ、と。従って、それを図る尺度は、どうしてもテストなどで勉強したものをそのまま紙の上に出すものになったのではないか、と思うのです。

 当然、その帰結として、学校でそんな雰囲気の中で教えられると、皆、教えられるものを吸収していれば良いんだ、となってしまいがちです。しかし、実際の社会はそうではなかったのですね。社会は、一人が何かを知っていることで動くものではないからです。

 何かを生み出そうとすれば、必ず他の人を動かしていかなければいけません。他の人に影響を与えていかなければいけないのです。しかし、そのような力を学校は意識的に育ててこなかったのです。では、そこで何が起こったか。

 若い人が社会に入った時、「仕事をしてみなさい」と言われ、「何にお応えすればいいですか?どんな質問に答えればいいですか?」と思ってしまう。しかし、そんなことは求められてはいないのです。自分がいろいろな人に話を聞きながら、いろいろな人達と一緒にあることを達成していくことが仕事なのですよ。

 そんな環境に置かれて、若い人たちが戸惑ってしまうケースが増えました。「どうして、これができないの?」と言われ、びっくりして「どうしたら良いのかわからない」となり、引きこもってしまう若い人たちが実際に出てきたのです。ですから、そこは見直さなければいけません。

 以上のような理由で、知識は知識として重要ですが、その持っている知識を活用していくためには、人との関係をうまくマネージメントする力を身につけることが必要だ、それが課題になったわけです。

 そこで、それをどうやって表現して皆さんに理解してもらうか、いろいろ工夫したのが「社会人基礎力」です。小学生でもわかるよう、「考え抜く力」「前に踏み出す力」「チームワーク」、3つの力で構成されています。その力の中身がどうこうというのではなく、そういう力が大事だということを、学校や若い人に伝えることが目的でした。

 そうでなければ、どんな知識を持っていても、それを中に抱えているだけでは、世の中に還元したことにはなりません。つまり、仕事にはならないのです。人と一緒に仕事をしていくための力を、若い頃から鍛えましょう、というメッセージが「社会人基礎力」です。

 記者発表した時は、「なんですか、これは?」と言われちゃいましたが(笑)。僕らも、実際どうしたらいいかはよくわからなかったのです。けれども、とにかくこんな力が大事なんですと言っていると、どんどん反応する人が増えてきました。今はわりと知らない人の方が少ないかな、というくらいにはなっていますよね。

―先ほども「人間関係の力を見直す必要がある」というお話でした。それと「社会人基礎力」とは関係がありますか?

 ありますね。「人は一人でも生きられる」という前提に立てば、社会人基礎力は要らないわけです。けれども、そうではありません。

 それは仕事の上でも大事だし、住んでいる地域でコミュニティをつくる上でも大事だし、やはり家族の中でうまくやる上でも大事だし。すべてにおいて社会人基礎力が必要なわけです。およそ人との関係が出てくる時には、絶対に必要な力です。


「社会人基礎力」を構成する3つの力

―社会人基礎力を構成する3つの力「考え抜く力」「前に踏み出す力」「チームワーク」について、もう少し詳しく聞かせてください。

 「考える力」ではなく、「考え抜く力」なんですよ。それはもう覚えた名前を思い出すのだって、考えているに違いないですが、そういう力ではなくてね。自分が仕事なり、生活なりする時、自分で考えて最後まで答えを出す、ということなのです。

 次に、「前に踏み出す力」とは、そうやって考えたとしても、それを人に言えないとダメなんですよ。まず、自分でやろうと思わなければいけませんが、「俺はこれがいいと思うんだよ」と相手に言って、「ふーん」で終わっても困らないケースがいっぱいあるわけです。けれども、それが自分のため、あるいは皆のために良いことであれば、ちゃんとやろうと自分で考え、行動に移さなければいけません。そう自分でやろうと思い行動に移せる力が、「前に踏み出す力」です。

 そして「チームワーク」ですが、じゃあ行動に移そうと思っても一人ではできません。自分がやりたいこと、あるいはやるべきだと思うことを叫んでも、人はついて来ません。それは、自分の考えをわかりやすく相手に伝える必要があるし、当然、相手は違うことを考えているかもしれませんから、ちゃんとそれを聞き、一緒にやっていくためには、この人の思いをどう向けないといけないかを考えて接する必要がありますね。そんな力を身につけるのが、「チームワーク」です。

―社会に出て、と言うか、起業して初めて、それが大事だと私も痛感しております。


社会人基礎力が問題になった背景

 では、なぜそれが問題になってきたか、という話を少しします。だいたい、昔の日本の企業は、新入社員が入ってくると、あまりたいしたことをやらせてこなかったのですよ。「コピーを取ってこい」「お茶を入れろ」「電話をとれ」とかね。その程度をまずは結構時間をかけてやらせたのです。

 そんな、すごく単純なことをやっている間に、社会人基礎力を鍛えてきたわけですよ。例えば、「電話をとるならこんなやり方を」「この上司に電話をつなぐ時は、こんなつなぎ方を」「クレームが来た時は、どれだけきちんと相手の立場に立って聞けばいいか」など、かなり丁寧に教えられてきました。

 その間にものすごく単純なことをやらせるので、例えばホッチキスの止めるのでもね、「止め方がうまい」と褒められたりしたわけです。僕も、ホチキスの止め方をだいぶ褒められた記憶があります。だーっと、すごく早くてね(笑)。

 そんな単純なことをやっている中で、自分がどんな場合に落ち込んだり、どんな場合におだてられて、モチベーションが高まるかも、一緒に勉強するわけです。そんな期間があったわけですよ。

 ところが、バブルが弾けた後は、企業も非常に厳しくなってね。そんな余裕がどんどんなくなってきたのです。ですから、「即戦力」と言い始めて、大学生も「卒業したんだから、当然、すぐ仕事できるよね」と、最前線に立たせたわけです。例えば、営業に行くとか、ちょっと難しいこともやらせ始めたわけですよ。

 すると、できる人はできるけど、できない人は、「目上の人と話したことがありません」なんて人たちもたくさんいて、そういう人たちはどうしたらいいかわからない、となっちゃったわけです。

 そのような意味で言うと、昔の人と今の学生を比べて、「今の人は社会人基礎力がない」とは言えません。言えないのですが、社会の中でどれだけのスピードで、その実力発揮を求められるかという、そのスピード感が変わってきたのですよ。

 けれども、そんな話ももう、一昔前の話かな、という感じがするんですよね。ここからは僕の想像ですが、最近は上司自体もゆとり世代ですから、「今の学生の実力がこれくらい」とよくわかっているかもしれませんね。

 2000年頃は、上になっている人たちが、自分たちはそうやって丁寧に育てられたことは忘れちゃって、「俺はもう、こんなことくらいできていたよ」って接していた可能性もあるのでね(笑)。

 当時は、新入社員に対し「一言、注意したら、来なくなりました」「注意したら、お母さんがやってきてクレームがありました」という話は、すごく特殊なこと、奇妙なことが起こっているようなニュアンスで、人事担当者の間で話されていたのです。

 今は、どうなんでしょうか。もうなくなったのか、それとも、あまりにも常態化して、普通だよね、となっちゃったのかもしれないですね。

―どの時代も「今の若者は・・・」と言われがちですが、時代の変化はありながら、人間がもともと持っている能力そのものはあまり変わらない、ということですか?

 昔の人は入社してからできるように教育された、会社に育てられた、というのが正しいと思います。能力として、今の人と昔の人と、社会人基礎力がある・ないと言う程、本当に違うのか?というのは、やや、クエッションマークがありますね。

 ただ、育った環境の違いはあるかもしれません。団塊の世代ってあるでしょう?放っておいても、社会人基礎力が求められた世代です。人数が多いので、どこに行っても、ぎゅうぎゅう詰め。その中でうまくやっていかないといけない、という要請がありました。そんな時代と、今の人口が少ない時代、一人ひとり大事にされた時代とは、やはり違う面があるとは思います。


ここ数十年か百年が大変特殊な時代だった

 そこで、話を元に戻しますと、先ほどお話した「第三段階」のところで、やっぱり日本は今、大変な時期に来ていると思うのです。ものすごくたくさんの制約があるのですよ。

―どのような制約があるとお考えですか?

 一つは、人口縮小という問題です。これは「ダーウィンが来た」的に言えば、一番怖い問題です。群れのパワー全体が落ちるわけですから。すると、「縮小均衡」(経済規模を縮小化することで、需要と供給の不均衡などの経済問題を解決すること。/出典:三省堂大辞林)になってしまいます。もう一つは、少し違う観点ですが、エネルギー資源の制約が厳しくなる問題もあります。

 また、財政の問題もあります。今の世代が、大変大きな借金をしてしまったわけです。では、その借金を返すのは誰かと言えば、若い世代ですよ。そして、借金は返せなければ破産しますが、その時に大変な目にあうのは破産した時代に生きている人たちです。我々世代で解決できる問題ではないにせよ、何とか解決することを考えなければいけない時代にまで来ているのです。

 ですから、僕らが育った若い時代と、180度違う感じなんですよ。僕らが育ったのは、夢いっぱいの時代でした。未来はキラキラしていたのです。今、未来は一体何色なのでしょうか。

 そのような意味で、我々は大変特異な時期を生きてきたのかもしれません。人類史的に見れば、ここ100数十年の間で、人間は化石燃料を発見し、地球が億単位をかけて積み上げてきたものを使い果たす勢いで消費しているじゃないですか。それって、人類2万年の歴史から見れば、ほんの一瞬ですよね。

 その恩恵を一番享受できた時期が、今ですよ。そして、これからは、それをうまく管理しながら使う時期になるわけです。すると、やはり特殊な時期の生活とは違う生活を考えなければいけない時期に来ていると、僕は思います。

 ところが、それがまだ見えてこないので、若い皆さん方はそのようなことを考えていかなければいけません。人に責任をなすりつけて、無責任な言い方になりますが・・・。

―自分たち若い世代は、未来そのものはキラキラしていませんが、不透明な未来の問題を解決することに、むしろ可能性や夢を感じるような感覚だと思います。

 そうかもしれないですね。ところが、そう言っている間にも、2020年半ばくらいには、日本の人口が55歳以上と55歳以下で同じくらいになるのです。つまり、日本の人口の半分が55歳以上になるわけです。

 今度は僕ら世代の話になってきますが、これまでの人生モデルはずっと上昇志向でした。給料もそこそこ上がっていたし、一回上がった生活水準は下げないで一生を終えるという志向ですよ。ところが、それって多分もう無理なんですよね。

 一方、人間の寿命も長くなっています。ですから、55歳くらいでもう一度出直すことになると思うんですよね。第二の人生です。もう1ラウンドやりますよ、と。そんな頭の切替が我々の世代でできれば、若い世代はもっと、ぐっと楽になると思うのです。

―60歳で引退ではなくて、55歳から後半戦に、ということですか。

 そう。人生の後半戦にもう一回、就活をするのです。そこで初任給をもらい、頑張れば上がっていきますよ、ということをやらないといけないのでは、と僕は思っているのです。大体70半ばくらいまでは元気ですから、55歳になっても、あと20年もあるんです。本当に、もう1ラウンドあるんですよ。そんな社会モデルをつくると、うまくいく可能性があるなぁ、と僕は思っているのです。


自分の頭で考えろ

―今後ますます縮小化していく社会に向けて、今の中高生の皆さんが、日々心がけておくべきことは何だと思いますか?最後に、今までのお話を踏まえたメッセージとしてお願いいたします。

 これからは、これまでつくられてきた社会の知恵が通用しない時代になっているのです。ですから、もちろん僕らも自分たちの世代の生き様を考え直す必要がありますが、若い人たちは、逆に言えば「昔と同じことさえやっていれば良い」という考え方は、まず持たない方が良いでしょう。通用しません。

 もちろん昔どうだったかを勉強する必要はありますが、これからの時代の人間の生き方、社会の形というものを、やはり自分の頭で考えなければいけないと思うのです。それは、先ほどお話したように、ここ数十年か百年がかなり特殊な時代なのです。それが継続する前提で考えると、うまくいかないかもしれないですよね。

 それくらいの気持ちで、「自分で考えるぞ!」という気概を持ってやっていく必要があると思いますよ。ぜひ、いろいろなことを吸収して、自分の頭で考えてください。

―守本さん、本日はありがとうございました。

取材先: 東北経済産業局      (タグ: ,

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