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2016年 05月 31日 (火)

堀切川一男さん(東北大学教授)に聞く:科学って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2011年9月15日公開

社会に役立つ夢を見つけ、その実現のために、
「筋の良い答え」の見つけ方を学ぼう。

堀切川 一男  Kazuo HOKKIRIGAWA
(東北大学大学院工学研究科 教授)

1956年、青森県生まれ。専門は、摩擦・摩耗・潤滑に関する科学技術分野「トライボロジー」。1979年、東北大学工学部機械工学科卒業。1984年、同大学院工学研究科機械工学専攻博士後期課程修了(工学博士)。同年より東北大学工学部助手、1990年、同大学助教授を経て、同年7月から2001年5月まで山形大学工学部助教授。2001年6月より東北大学大学院教授(工学研究科)、現在に至る。地域中小企業からの技術相談に応じ、製品化・実用化を産学連携で進める。2007年、「米ぬかを原料とする高機能・多機能炭素材料RBセラミックスの開発と応用」により、第5回産学官連携功労者表彰「科学技術政策担当大臣賞」受賞。

 「科学って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【科学】に関する様々な人々をインタビュー
科学者の人となりをそのまま伝えることで、「科学とは、そもそも何か」をまるごとお伝えします


 堀切川一男さん(東北大学教授)は、「何か困っていることはありませんか?」と、地域にある中小企業のものづくり現場を訪ね、問題解決や新製品開発などを無償で一緒に考える、自称"御用聞き学者"である。

 地域の中小企業との共同開発により、長野オリンピックのボブスレー日本代表チームのランナー(刃)や、米ぬかを原料とする高機能・多機能炭素材料RBセラミックス、滑りにくい靴・サンダル、車いす用電動駆動ユニットなど、数多くの新製品を生み出した。

 堀切川さんの御用聞き型企業訪問スタイルは「仙台堀切川モデル」と命名され、2007年には「米ぬかを原料とする高機能・多機能炭素材料RBセラミックスの開発と応用」により、第5回産学官連携功労者表彰「科学技術政策担当大臣賞」を受賞。

 製品開発の多くは、専門分野のトライボロジー(摩擦に関係する分野)の知識がベースだ。しかし「商品を使った人から感謝された時の満足感を味わってからは、たとえ専門分野と関係がなくても、研究・開発で培った見方・考え方を利用し、新しい製品のアイディアを世の中に出すことに、自分でブレーキをかけなくなった」と語る。そんな堀切川さんがリアルに感じる科学とはそもそも何かを聞いた。

<目次>
研究とは何か
なぜ学ぶのか
一つでも満足感を味わうとやみつきに
「専門分野だけを生かす」限定は外す
専門分野はトライボロジー
成功確率の高いものの見方・考え方
「筋の良い答え」を見つける
独創的な発想を生み出すコツ
複雑なメカニズムを体系的に表す「摩耗の地図」を世界で初めて提案
過去の積み重ねの上に自分がいる
「良い頭」より「強い頭」を鍛える
社会に役に立つ夢を見つけることから、始めませんか?


東北大学大学院工学研究科教授の堀切川一男さんに聞く


研究とは何か

―堀切川さんがリアルに感じる科学って、そもそもなんですか?

 科学ってそもそも何だろう?は自分で考えたことがないですね。けれども、少なくとも科学技術分野で研究って何だろう?は考えながら仕事をしていますから、それには答えられます。科学技術の分野で研究って何だろう?から答えてもいいですか。

―堀切川さんが最もリアルに感じるところからお話いただくのが本取材の趣旨ですので、では、それでお願いします。

 研究とは、①新しくて②役に立つことを③論理的に進めていく作業だと思っています。①新しい②役に立つ③論理的、この3つのキーワードに沿えば、それは科学に限らず全部研究なのです。それが科学技術分野であれば、科学技術分野の研究ということですね。

―なぜ、そのように思うようになったのですか?

 わたしたちは工学の分野にいます。少なくとも工学の道に進もうと思う人間は、今までにないものをつくりたい。それが人に役立つものであってほしい。それをしっかりとやるためには論理的でなければならない。これが自分の仕事を進める上でキーワードになっています。学生の頃から、そのような意識を持っていました。


なぜ学ぶのか

―学生の頃は、どのようなことを思って、そのような考えに至ったのですか?

 大学生の頃は、やっぱり悩みますよね。なぜ自分はこの道に進むのだろう?と、自問自答していました。当時はどちらかと言うと、新しいことで役に立つことをロジカル(論理的に)にほじくることが好きでした。自分の学問を、製品一つでもよいからものづくりに使ってもらうことで、世に提示したい。それが大学生の頃の夢だったのです。

 ですから、なぜ学ぶのか?を自問自答しました。わたしたちは、子どもの頃から勉強します。なぜ学ぶのか?には、いろいろな答えがあります。有名な答えは、二つあります。一つは真理の探究、もう一つは知的好奇心を満たすため。つまり、一般性で言えば真理の探究ですし、自分を主役にして言えば知的好奇心の探究ですね。

 けれども、自分の中ではそのどちらでもないのです。なぜ学ぶのか。社会に役立つことを、より効果的に自分で実践していく能力を身に付けるために学ぶのだ。では、何を学ぶのか。単に専門的な知識を得るだけではない。社会に役立つことをやれば課題が生まれる。では、未知の問題に対してどう答えを出すか、その解決の仕方を学ぶのだ。

 知識とは吸収しただけでは役に立ちません。知識は生かして初めて役に立ちます。つまり、知識の生かし方が、今まで誰も解けていない問題と対峙する時に答えを出すのです。そして、その答えが学ぶ対象になっていく。このように学問とは、生き物のように進化していくものなのですね。


一つでも満足感を味わうとやみつきに

 そして、20代後半の頃、自分の研究を踏み台にして世の中に一つでもよいから役立つものを出したい、という夢がひとつ実現しました。すると今度は、やみつきになったのです。

―「研究をすること」と「社会に役立つものをつくること」には、どのような違いがありましたか?

 研究をやることと、研究成果を踏み台にしてものづくりをすることは、レイヤー(階層)が違うのです。やってみないとわからないことは、いっぱいありました。

 実際に研究成果を活かしてものづくりにチャレンジすると、いっぱい苦しいことがあります。それでもやみつきになるのは、次の三つの気持ちがあるからです。

 一つ目は、組織も年齢も違ういろいろな人たちと一緒にものづくりをすることは、一人で好きな研究をやっていることと「充実感」が違います。

 今まで誰もつくったことのない製品にチャレンジすることは、僕は登山はしないですが、今まで誰も登ったことのない山の頂上まで登ることと、おそらく同じなのではないでしょうか。

 一人では頂上まで行けなくても、チームをつくり、ベースキャンプをつくり、作戦を練り、それを実現すべく一緒に前へ進んでいく。その「充実感」です。

 そして、それが製品となり、うまく行けば商品となって、店頭に並んだりした時の「達成感」はたまらないですね。「充実感」は長い期間味わえる気持ちですが、「達成感」は瞬間的です。これは、やった人でなければ味わうことができない気持ちですね。この「達成感」が二つ目の気持ちです。

 三つ目は、その商品を実際に使っている人から、「良いものをつくってくれてありがとう」と、たまに感謝されるんです。その時の「満足感」は最初の二つと比べて、桁違いでしたね。仮に一つ目の「充実感」を1、二つ目の「達成感」を3とすると、三つ目の「満足感」は100です。

 そんな「満足感」を味わえるとは、実際にやってみるまで知りませんでした。けれども、その気持ちを一度味わった人は、苦しくてもまた、次のアイディアを出したいと思うのです。山に登った人が、苦しくてもまた登りたくなるのと、おそらく同じかな。それは「達成感」ではなく「満足感」を味わって初めて、そう思うのだと思います。


「専門分野だけを生かす」限定は外す

―三つの気持ちは、研究者という立場では、なかなか味わえないものですか?

 私は教育研究者の端くれですが、我々のような立場で、研究成果を製品として世に提示できるチャンスは非常に少ないのです。そのような意味で、やってみなければわからなかった気持ちですね。その「満足感」を一つでも味わうと、余計に味わいたくなります。

 私は博士学生まで基礎研究をやっていました。自分の研究成果が米国の教科書に載ったのですが、教科書に載るような仕事ができて嬉しかったですね。研究者として、現役のうちに自分の研究が学問で使われることは、すごいことです。

 大学生の頃までは、学問をつくる人に役立つことが人生最大の目標だと思っていました。モチベーションとしてはそれで十分だったのです。けれども大学院にいる間に、「それだけじゃだめだ」と思うようになりました。

―なぜ、そのように思ったのですか?

 学問をつくる人は、自分の研究成果が学ばれるだけでなく、使われて欲しいと願います。その使われる範囲が、一つでも実用化まで行けるのなら、それにチャレンジしたいと思いました。そしてラッキーなことに、そこまで行けたのです。

 私は機械系なので、最初は、機械に応用されることで先ほどの気持ちを十分味わえました。けれども「最終的な満足感があれば範囲を限定する必要はないな」と思うようになったのです。

 専門的なものは同じ土俵の人相手ですが、一般社会の人が直接使うものまで広げると、応用範囲は無限の可能性から選べるようになります。ということで、30代でそちらに切り替えました。そうしたら、楽しくなってきましてね。

 そのうちに今度は「自分がやってきた学問を生かす」と限定する必要性も消えてきました。もちろん研究者は皆、自分がやってきたことを一番だと思ってやっています。けれども使われる人から見れば、誰がつくった学問なのかはどうでもよく、できたものがよいかですよね。

 もちろん自分がやっていたことが、できあっがったものに心臓部として入れば良いのですが、それだけではものはできません。他の技術も入るし、過去の良かったものも生きているし、総量として自分がやってきたことは、絶対にそのごく一部なのです。

 すると今度は、私は「トライボロジー」が専門なのですが、ジャンルを自分の分野に限定する必要がなくなってきたのです。そして、自分が研究で培った見方・考え方を利用することで、新しい製品のアイディアが生まれるようになりました。


専門分野はトライボロジー

―研究で培った見方・考え方とは、どのようなものですか?

 では、自己紹介も兼ねて、まずは研究分野を紹介します。私は、1956年8月16日八戸生まれの55歳。八戸大使も務めていますので、ぜひ八戸へお越しください。

 「地域に根差し世界を目指す研究、夢の実現を目指した研究」がモットーです。全く関係ありませんが、趣味は「妻との会話」ということになっています。研究分野は「トライボロジー」です。

 トライボロジー(Tribology)とは、ギリシャ語で摩擦を表す「Tribos」と、英語で学問を表す「logy」を組み合わせた言葉で、摩擦に関係した分野です。

 固体の表面を二つぺたっと触らせることを「接触」と言い、片方が動くと「摩擦」が起きますね。摩擦は普通、摩擦抵抗力が出るので、摩擦を減らそうと、機械などに油を注したりするのが「潤滑」です。潤滑には、もう一つ役割があります。擦って減っていくことを「摩耗」と言いますね。摩耗を抑制するためにも、潤滑があります。

 ざっくり言いますと、この摩擦・摩耗・潤滑に関する総合科学技術分野を、トライボロジーと言うのであります。1966年、イギリスで、この「Tribology」という言葉は誕生しました。

 世界的に見ると、工学部の中でも材料科学や機械工学で研究している人もいれば、表面物理学として物理の専門家がやっている場合もあるし、潤滑油のミクロな挙動となると、表面化学の人もいます。

 このように工学だけでなく物理や化学など幅広い専門分野の人たちが、このトライボロジーというくくりの中で、学問をつくるためにチャレンジ中です。学問的には摩耗理論が一番遅れているのですが、その辺りの基礎研究で、私はこの世界に入りました。

 開発製品も、本業であるトライボロジーをベースにすることが一番多いです。けれども先ほどお話した通り、世の中に役立つものを出し、三番目の気持ち「満足感」を味わってからは、こんなに良いことはないと思いました。

 すると、たとえ専門分野に関係がなくとも、研究や開発を行う時の考え方や進め方を利用して、自分にアイディアが浮かべば、それを世の中に出すことに、自分でブレーキをかけなくなったのです。

―それまでは、敢えてブレーキをかけていた、ということですか?

 普通は、「俺はこの分野の学者だから、一応恥じらいがあるし、これだけのものにしておこう」と学者は思うのですよ。けれども、喜んでもらえるものをつくれるのだったら、いいじゃん、ノンセクションで行きましょう、って。ですから、専門の知識だけを生かす、という限定は少なくとも外しています。


成功確率の高いものの見方・考え方

―トライボロジーで培った見方・考え方とは、どのようなものですか?

 自分がこだわる見方・考え方は少し詳しくなりますがよいですか?私は、ものづくりをやる時に「なぜうまくいったのですか?」と、これでもよく聞かれるのです。その時に、「課題抽出」→「問題設定」→「問題解決」の3ステップが重要だ、と答えています。

 今までないものにチャレンジするということは、当然、何事もなくできるのなら既に誰でもやっているわけですから、今までの人が突破できなかった課題があるということです。

 その時にまず必要なのは、課題とは何かを見出す能力、すなわち「課題抽出力」です。これも難易度は高いのですが、最も難易度が高いのは、次の「問題設定力」ですね。問題設定力とは、課題が見えた時、課題を解決するための問題をつくる力です。

 この問題をイコール課題だと思っている人が意外と多いのですが、問題のつくり方が悪いと、的確に問題を解くことができません。逆に、もし問題を的確に設定することさえできれば、その道で飯を食っているプロであれば、その問題を解決できる力(問題解決力)はあるのです。

 その問題を解決するために、学校教育を受けた人の多くは、答えが一つだと思っています。けれども実際に、現実の世界で出てくる問題を解決するための答えは、無限に存在する場合の方が圧倒的に多いのです。

 しかし、そのたくさんある答えを全部やりましょう、というわけにはいきません。たくさんある答えの中から、全部正解ではあるのですが、どれが一番「筋の良い答え」なのかを見つけることが、大切なのです。


「筋の良い答え」を見つける

―「筋の良い答え」とは何ですか?

 実現性を飛躍的に高められる答えが「筋の良い答え」です。全部正解なのですが、実現解には順位があります。その中でこれが一位だと見つけることが大事なのです。それは専門分野だけでなく、諸問題についても当てはまります。

 例えば、ここに棒があるとします。そして、両端に軽い重りがついた紐が、その棒からぶらさがっている状態であるとします。手を離せば、その重りと紐は棒から落ちてしまう。仮に、落ちないようにすればどうすれば良いか?という問題を出したとしましょう。


【図1】「筋の良い答え」とは何か

 この時、人によっていろいろな答え方をします。例えば「紐を指で押さえる」。確かに落ちないので正解です。けれども長時間やると指が疲れてきます。ですから、答えとしてはちょっとランクが低いですね。

 他には、例えば「接着剤でくっつける」。これも正解ですが、接着剤を買わなければいけないし、紐も棒も汚れてしまいます。では「画びょうで止める」のはどうか。棒に刺さるかどうかは別として、汚れませんが棒に穴が開きますね。このように、答えにはデメリットがあります。

 少し頭の良い人は、例えば「摩擦の大きな棒に変える」と答えます。開発費は多少かかりますが、できれば他に何も必要ないですからね。このようにやっていくと、答えは幾らでも出てきますが、出題者の立場としては、あまり「筋の良い答え」ではないですね。

 最も筋の良い答えは、「紐を棒に巻きつける」が、一番単純で良い答えだと思います。永遠に落ちることはありませんが、他に何も必要ありませんからね。

 では、棒に何周紐を巻きつけるのが最も良いのか。その答えを出すには、とても面倒な摩擦の式を解かなければなりません。それは大学の数学を勉強した人なら解ける式ですが、高校生には解けませんね。けれども、そのような学問を学ばなくても、体験的にそのような「筋の良い答え」を見つける人はたくさんいます。

 すなわち、学問を学ぶ上で大切なことは、問題をどのように設定し、たくさんの答えを出して、その中から最も実現性の高い「筋の良い答え」を見つけるかなのです。この時、「筋の良い答え」を意識すれば、どんどん「筋の良い度」は高まりますよ。

 なかには「紐が短くなるから良くない」と言う人がいるかもしれませんが、この絵を眺めて、「棒に紐を2周巻きつければ大丈夫」と答える人が、良い仕事をするのです。


独創的な発想を生み出すコツ

 その答えを見つけるための道具として、私は「因果短縮思考法」をお勧めしています。その理屈を知っていれば、誰でも独創的な答えに辿りつくことができますよ。話を聞けば、「なんだ、当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、一度やり方を覚えることが大事だと私は思っています。

―「因果短縮思考法」とは、どのようなものですか?

 良いことでも悪いことでも、原因があって結果があります。それが科学における数少ない共通性の一つですね。世の中すべてが従来の学問で成り立っているのであれば、それは従来の学問を使うだけの話で、新しい学問は要りません。けれども世の中、原因と結果がつながらないことが、実はいっぱいあって、だから悩んでいるのです。

 例えば「ご飯を毎日2倍食べたら、太っちゃった」となっても、太りはしますが、あまり悩む必要がありませんね。けれども、「ご飯を毎日2倍食べたら、やせちゃった」となったら、悩むわけです。現実の問題は、数学的ではない問題がいっぱいあるわけですね。原因と結果がつながりにくい時、どのように考えれば良いか。そこで私がお勧めするのが「因果短縮思考法」なのです。

 具体的には、まず原因から「こうだとしたら、こうなるかもしれない、ああなるかもしれない」とどんどん候補群を出していきます。そして次に「じゃあ、こうなるね」と論理を進められる候補群を出していきます。その時に、明らかに結果と矛盾するものは、×(ばつ)にします。明らかに×でないものは、残しておきます。

 しかし、そこから結果まで、まだひらめきが出ない時がありますね。そこで、結果から戻ろう、というのが、私のお勧めなのです。「この結果に行き着くためには、こうかもしれないし、こうでもその結果になるな」と戻っていくわけです。これには×がつきませんので、結果につながる候補群になりますね。

 このようにして、こちらが新しい原因候補群、あちらが新しい結果候補群となり、今度はその組み合わせ全部の問題になりますね。すると、一番最初の問題では遠いところにあった原因と結果がだんだん近くなっていくでしょう?因果の距離が近くなると、ひらめくチャンスが広がるのです。


【図2】因果短縮思考法

 このようにして書き出してみると、普段はひらめかなくても、大概の人が「あ、ひょっとしたら、こうだとすると、こうなるよね」と浮かぶわけです。すると、実はそこだけ、世界で初めての考え、かもしれません。けれども、その前後は今までの学問から教わった考え方ですよね。前にも後にも独創性はないのですが、途中にぴんとひらめきが出る。

 それは、因果の距離を縮めたからなのですよ。ここが新しい原因で、ここが新しい結果。原因候補群と結果候補群のあらゆる組み合わせを順番に考えていくと、どんな凡才でもぱっとひらめく可能性が高いのです。

 すると、この論理プロセス全体が、独創的な論理プロセスになるのです。それを「よくこんなもの考えついたな、あの人は天才だ」と説明を聞いた人は言いますが、実は、この問題に変えていたら、かなりの人が、その答えを出したかもしれないのですよ。

 とにかく難解な問題、解決の糸口も見つからない時は、原因と結果の距離を両方から縮めていくと、誰でも独創的な発想をするチャンスが広がります。そう私は思っています。

 要するに、独創的な発想を生み出すコツは、因果の論理的な距離を両側から縮めることで、問題を再設定すること。この意識を持つか・持たないかで、その人がその後の人生でいろいろな問題を解けるか・解けないかが変わると、私は思っています。

―逆に、普通の人はどのように考えていますか?

 多くの人は、原因と結果だけを眺め、それを直接つなごうとして、「無理だ、現代の科学技術では答えが出せるはずがない」と諦めてしまいます。

 確かにそうかもしれませんが、問題を再設定してしまえば、両側から距離を縮めた因果が正しいかどうかを、「では、実験や解析で調べてみよう」とやる気が出るでしょう?もしそれが正しければ、その人が考えついた論理プロセスは教科書に載せるべき新しい考え方になる、というのが私の意見です。


複雑なメカニズムを体系的に表す「摩耗の地図」を世界で初めて提案

―最初に「博士学生の頃に行った基礎研究で教科書に載るような成果が出た」とお話されていましたが、その時も「因果短縮思考法」を実践していたのですか?

 そうです。そんな昔にやったことを、あまり言いたくはないのですけれども、私は「摩耗の地図」を作る仕事をしていたのですよ。ものはなぜ磨り減るのか?そのメカニズムは8種類あり、どんな条件でどんな摩耗が起こるのかを地図にできれば、学問的なベースができるためです。

―摩耗の地図をつくることで、どうなるのですか?

 摩耗のメカニズムは複雑なのです。面倒なパラメータが、山ほどあるのですよ。材料的な条件のパラメータもあれば、力学的な条件のパラメータもある。いろいろあるのですが、個々のパラメータがどのように効くかを全部複合した形で、摩耗の予測式をつくれるんです。そして、うまく式を解いていくことが、この地図があると、できちゃうわけです。

 すると、例えば「磨り減らさなくしたい時は、こうすれば良い」といったことがわかります。「チョークはなぜ磨り減るのか」「鉛筆はなぜ磨り減るのか」「木は鉛筆と同じような動きで書いてもなぜ磨り減らないのか」といったことも説明がつきます。現実的に言えば、「こうすることで磨り減らなくなる」とわかるので、「機械の部品の寿命が何年延びますよ」という話になるわけです。


【図3】摩耗の地図

 世界中でいろいろな人がやっている仕事ですが、この種の仕事の半分くらいを私がやったのです。私も見栄を張りますが(笑)、世界で1番目と2番目は私がやって、その次にケンブリッジ大学がやったくらいの順位です。

 ここには一つ共通点があります。他の研究者も含めほとんどが新しい無次元数を提案するのですよ。「この現象を総合的に理解するためには、こういった無次元数があればまとまる」と出てくるわけですね。

 例えば、熱や流れなどの世界では、いろいろな無次元数があります。科学技術にはいろいろな分野がありますが、無次元数がたくさんある分野ほど、成熟している証拠だと私は考えています。

 ですから、無次元数が足りない分野は「まだまだやり残しがいっぱいある」、山ほど無次元数がある分野は「何も俺が出て行かなくてもいいかな」。そう思って良いかもしれません。

 そして、成熟した学問は、知識をそのまま使っていけばいい。成熟していない分野は、学問的バックグラウンドは弱いので、チャレンジする人は、それを知った上でチャレンジすればいい。

 つまり、学問にも成熟度のランキングがあり、無次元数がいくつ入っているか、という側面からその成熟度を見ることができると考えています。

 学問をつくる側の人間からすると、一つの側面としては、科学技術は無次元数で自分がつくったものを表現していくことだと思っています。そこまで行った人が、教科書に載るのだと思います。

 けれども当時は、初めから意識してあの考え方(因果短縮思考法)を実践していたわけではないのです。そして体験上、自然にやってきた考え方を、「だったら、その考え方が使えるよ」という方が大事だと思うようになりました。

 大学・大学院では、知識を学ぶのではなく、知識のつくり方、生かし方、使い方を学ぶのです。もっと言えば、知識を生かしたり、使ったりすることで、先ほどお話した「充実感・達成感・満足感」という気持ちを味わう仕事に、誰もが就くことができると思いますよ。


過去の積み重ねの上に自分がいる

 そこで、いつもするお話なのですけどね。例えば、専門書や教科書の最後には「参考文献」があります。参考文献は、多くても200~300くらい。そんなに多く載っていないものも、いっぱいあります。その200~300の論文は、例えば、過去20~30年くらいで、最も重要な上位200~300の仕事だと思うのです。

 では、その一つの論文はどのようにできているか。通常の研究論文には、やはり30くらいのリファレンス(参考)が載っています。先達の30くらいの仕事が、たとえ批判的な対象であってもプラスの対象であっても、自分の仕事に役立つ意味では同じなのです。一つの仕事は、30の他人の仕事が土台になっている。その30をもう一個さかのぼったら、また30・・・となりますね。

 ですから、最終的には教科書が300くらいの論文ベースでできていたとしても、その下には、何万、あるいは何十万という研究が隠れていると思うのです。そのような流れで、教科書はできているのですよ。

 このように隠れた研究者のいろいろなチャレンジがあるわけですが、一番おいしく知識や考え方を次世代に伝えるのが、実は教科書なわけです。ですから教科書を学ぶ人は「教科書ってすごいな」と思って欲しい。「三千円で高い」とか、思っちゃいけないわけですよ。

 大学院くらいまで行けば、あるいは早ければ卒論で、今までにないチャレンジを形にする、つくり手側の作業をしますね。すると、他人の仕事の上にのって自分が研究をしている、と初めて理解ができるわけですよ。

 科学技術の世界は、階段を登って行く話です。時々、他よりも一段高い人がいます。こんなに低いところでも一段つくった人はすごいし、こんなに高いところで1mmしか上にのせていない人は、他の人でもできたことかもしれない。

 つまり、その人のいる絶対的な高さを見てはいけないのです。そこまでの過去があって、その人が何をやっているか、場合によっては、落としている場合もあります。

 科学技術は、そういう踏み台の上に成り立っている、という意識は大事なのです。それを多くの社会の人たちは知るべきだと私は思います。一般社会の人は、エンカレッジする意味でも批判する意味でも、勢力として一番重要でなければならないと思うからです。

 そのような意味で科学者は皆、謙虚でなければいけないと思います。けれどもその分、胸を張って言えるのは、「そのおかげで、私はこの新しいものを生み出す仕事ができましたよ」ということです。


「良い頭」より「強い頭」を鍛える

 科学技術分野に行きたがる人の中にも、そのような人が相当数見受けられます。けれども「知識ひけらかし系」や「テストの点数がすごかったもん系」は伸びないし、科学者としては長くないでしょう。

 逆に言うと、テストの問題がさっさと解ける人は、何も疑問に思わない人です。何となくルーティン的に覚え込んで、解いていく。だから、独創性が消えていくのですよ。成績が良すぎる人は、すごく注意しなければ、科学者には向かないのです。

 それに成績が良すぎる人は、「これはしんどそうだ」と予めわかるので、絶対そこには行かず、やったなりの答えが出そうなところにしか行かないわけです。すると、より独創性がないところでやっていくようになる。

 一方、そうでもない人は、しくじるかもしれないけど、誰もやっていないからやってみよう、となる。そんな人たちの中から、ある確率で、良い仕事は生まれてくるのですよ。ですから、頭の良い・悪いでは決まらない、と私は思っています。

 うーん、中高生向けですから、話が難しいですね。実は、子どもに受けないのですよ。お年寄りには受けるのですけどねぇ...(笑)。中高生向けは難しいねぇ。

 でも、どうしても言いたいことがありまして。頭で「良い・悪い」があるじゃないですか。頭の良い人、悪い人。けれども、頭の「良い・悪い」の軸はあると思いますが、先ほどもお話しましたように、頭には「強い・弱い」の軸もあると思うのです。


【図4】頭の「良い・悪い」と「強い・弱い」

 個人的な意見です。「頭の良さ」とは、理解する力だと思っています。一方、「頭の強さ」とは、考える力だと思っています。ざっくりした私のフィーリングで言いますと、一流の研究者には、ある程度ぎりぎり「頭の良さ」はあるかもしれませんが、ある程度以上「頭の強い」人だと思っています。世界トップレベルの研究者たちも、より「頭の強い」人たちです。

 じゃあ、受験生はどうか。特に東北大に来る学生さんは、そこそこ「頭の良い」人たちがいっぱいいて、すごく「頭の良い」人たちは来ていない。まぁ当前ですね。けれども実は、「頭の良い」人たちは考える力も弱い、と私は勝手に思っているのです。

 頭の「良い・悪い」は、あれだけクイズみたいな答えを出させる訓練ばかり繰り返していくと、生徒同士でもわかりますよね。けれども、頭の「強い・弱い」については、まわりの人はわかってないし、もっと言えば、本人もわからないのです。

 頭は鍛えてみないければ、どこまで強くなれるかは、本人も含めてわからない。ですから、できれば大学以降は一回、自分の頭を鍛えてみたら良いと思うのです。特に大学院は、没頭して自分の頭を鍛える良いチャンスだと思いますよ。

 ただ、鍛えたくなるかどうかは、モチベーションの問題です。モチベーションがないから、皆鍛えない。そのモチベーションとは、知的好奇心が重要という意見にも賛成ですが、それだけでなく、私は夢や使命感でも良いと思うのです。

 「社会のために、これをやりたいと思って大学に来ました。そのために自分の頭を鍛えます」というのでも私は良いと思っていて。そういうことを含め、頭は鍛えて「強く」した方が良いと、個人的には思います。


社会に役に立つ夢を見つけることから、始めませんか?

―最後に、中高生も含めた読者へメッセージをお願いします。

 どう学べば良いのか。それは、人によって意見が違うと思います。私はなぜ学ぶのか。それは最初にもお話した通り、社会に役立つことをより効果的にやっていくために学ぶのです。では、何を学ぶのか。それは知識ではなく、知識の使い方、もっと言えば、最も「筋の良い答え」をどう見つけるか、だと思っています。

 では、どのように学ぶのが良いか。それは学ぶ前に、あるいは学びながら、社会に役立つ自分の夢を見つけることから入るのが良いのではないでしょうか。自分の夢を見つけ、それを実現したいと思ったら、テクニックを身につけなければ、クリエイティブな仕事はできません。けれども夢があるから、頑張れるじゃないですか。

 ですから、私の子どもたちへの最後のメッセージは、社会に役立つ夢を見つけることから、始めませんか?サイエンスへの一歩は、社会に役に立つ自分の夢を見つけることから始まると思うのです。それを実現させるスタイルは人によって違うでしょう?子どもらも一緒じゃないのか、と思うのです。いろいろなのです。

 自分が実現したい夢は、必ず社会とつながっていなければいけなくて。それさえあれば、自分の取り組む姿勢が自ずと決まってくる、と私は思います。


地域の中小企業と共同開発して生み出した新製品たちの前で

―堀切川さん、本日はありがとうございました。

取材先: 東北大学      (タグ: , , ,

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