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2016年 12月 11日 (日)

鳥類が恐竜から進化した説を巡り、唯一残されていた矛盾を解決 田村宏治さん(東北大学大学院生命科学研究科教授、発生生物学) 取材・写真・文/大草芳江

2011年4月25日公開

鳥が恐竜から進化した説を巡り
唯一残されていた矛盾を解決

田村宏治 Tamura Koji
(東北大学大学院生命科学研究科教授、発生生物学)

栃木県立宇都宮高等学校卒業(1984年)。東北大学理学部生物学科(1988年卒業)から同大学院理学研究科博士課程 に進み、1993年に修了。博士(理学)を取得した。日本学術振興会特別研究員(DCおよびPD)、東北大学大学院理学研究科助手、アメリカ合衆国ソーク研究所(Salk Institute)研究員、東北大学大学院理学研究科助教授を経て、同大学院生命科学研 究科の設立に伴って同研究科の助教授に就任し、2007年4月より現職となった。

 「科学って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【科学】に関する様々な人々をインタビュー
科学者の人となりをそのまま伝えることで、「科学とは、そもそも何か」をまるごとお伝えします


鳥類が恐竜から進化した説を巡って唯一残されていた矛盾を、
発生生物学的に解決した田村宏治さん(東北大教授)。

田村さんの研究成果は、始祖鳥の発見以来150年に及ぶ「指論争」を解決し、
世界で最も権威のある学術雑誌のひとつ「Science」に掲載された。
そもそも本研究成果は、どのようにして生まれたのだろうか。

「いろいろな生き物がこれほど多様な形をしているのはなぜだろう?」
不思議だと思うことをサイエンスとして追求したいと語る田村さん。
そんな田村さんのスタンスから見える、科学とはそもそも何かを探った。


【研究の概要】
鳥類が恐竜の一部から進化したことは様々な証拠から広く支持されているが、恐竜の前足の3本の指は第1-2-3指であるのに鳥類のそれは第2-3-4指である、というパラドクスが問題点として指摘されていた。今回、東北大学大学院生命科学研究科教授の田村宏治さんと大学院生の野村直生さんらは、発生学的解析から鳥類の翼の3本の指が第1-2-3指として形成されていることを示し、始祖鳥の発見以来150年に及ぶこの問題を解決した。本研究成果は鳥類恐竜起源説の強力な証拠となるもので、その内容は2011年2月11日発行の米国の科学雑誌Scienceに掲載された(参照:東北大学プレスリリース)。


<目次>
恐竜から鳥への進化 唯一残されていた矛盾を解決
現生の生き物を見て、過去の生き物を考える
身近にある不思議を学問として研究している
"最後のピース"をはめることができた理由
自分が「おもしろい」と思うことを形にする
「好き、おもしろい」と思うことを自分で見つけることが一番大事


東北大学大学院生命科学研究科教授の田村宏治さんに聞く



恐竜から鳥への進化 唯一残されていた矛盾を解決

―今回の研究成果のおもしろさとは何ですか?

 今回の研究は、恐竜と鳥の関係について鳥側から考えたものです。私は20年以上、鳥の発生について研究をしてきましたが、今回、150年近く論争が続く問題を解決しました。

―150年も論争が続く未解決問題とは何ですか?

 化石を見る学問(古生物学)では、鳥類は恐竜の一部から派生した生き物であること、言い変えれば、恐竜は絶滅しておらず現在も鳥類として生きていることが、ほぼコンセンサス(共通概念)として考えられています。ところが、そのコンセンサスに合わない矛盾がいくつか指摘されており、古生物学的に見ると、それが解決されなければパズルが全部組み立たない状態でした。その最後に残っていたパズルのピースが、「指」の問題でした。しかし、それは大きな問題だったのです。

―なぜ「大きな問題」なのですか?

 鳥類学や発生学など、現生の生き物を扱う学問が支持してきたことが、「鳥が恐竜から派生した」と考えては矛盾してしまう内容だったためです。現生の生き物を扱う人たちから見ると、その矛盾があるために、鳥が恐竜から派生したことをあたかも受け入れていない状態になっていました。

―具体的にはどのような矛盾なのですか?

 その矛盾とは、指の番号の問題です。古生物学的に恐竜から追いかけて鳥を見ると、鳥の翼の中にある指は「第1-2-3指(人間で言うと、親指、人さし指、中指)であるはずだ」と主張されていました。一方、現生の鳥を扱う学者たちは、「いや、それは第1-2-3指ではなく第2-3-4指(人さし指、中指、薬指)だ」と言っていたわけです。実際に、発生学などの教科書にもこれまでずっと「第2-3-4指」と記述してあります。要するに、化石のつながりで見ると第1-2-3指なのに、現生の生き物で見ると第2-3-4指なので、合わないわけですね。人によってはこのパラドクスを理由に「鳥と恐竜は他人の空似で、実は全然関係ないものだ」と鳥類恐竜起源説を否定する人もいるくらいです。

―その矛盾に対してどのようにアプローチをしたのですか?

 僕は発生学者の立場から、このパラドクスを解決したいと思いました。実は発生学的に第2-3-4指と言われていた根拠は希薄なもので、さらに詳細に調べる必要があると考えていたのです。そこで今回、これまでの根拠となっていた実験よりも詳細に、「もうこれ以上は無理だ」と言うところまで自分たちで実験し直しました。時間的にもいろいろなレンジ(範囲)で、空間的にもいろいろな調べ方をして、詳細に調べ直したのです。その結果、確かに見方によっては第2-3-4指にも見えていたが、実はそれは見方が甘かったせいで、第1-2-3指と考えなければおかしい、あるいは考えた方が良いものがそこに存在していることを明らかにしました。

 ここで冒頭の質問に戻りますが、何がおもしろいかと言えば謎解きがおもしろいですし、今回はさらにお題目そのものが非常におもしろいですね。鳥と恐竜の関係が「やっぱり、鳥は恐竜なんだね」ということは、少なくとも自分たちにとっては大変おもしろいことですし、おそらく今回に関しては、サイエンスにとっても、さらに一般の社会にとっても、おもしろいことだったのではないかと思います。

―たくさんの報道が今回の成果を取り上げていましたね。

 それこそ自分の親類からも、「え?!じゃあ、僕らが食べているのは恐竜の肉なの?」なんて聞かれました(笑)。まぁ、「それはあながち間違いじゃないよね」となるわけですね。ただ正確に言うと、別に僕らが「鳥が恐竜から派生した」と最初に言い出したわけでも、その論理をつくりあげたわけでもないのです。あくまで今回の成果は、これまでもコンセンサスとして考えられていることに対する、最後の矛盾を解いた、という点にあるのです。


現生の生き物を見て、過去の生き物を考える

 普通、これだけ大きな進化の過程は、化石を中心とした古生物学の人たちが研究するものです。けれども今回おもしろいのは、現生の生き物を見ても、過去の進化の過程を議論できる点にあると思います。

 つまり「鳥の指のでき方は恐竜の指のでき方と同じ」と主張していることになるので、これから僕らが鳥を研究する時は、恐竜も鳥の発生の仕方と同じ状態で発生したであろうことを前提に議論ができるのです。そのような意味で今回の研究は、現生の生き物を見て過去の生き物を考えることができることを示した、一つの端的な例と言えるでしょう。

―現存する動物の形態が形成されていく過程を解析する発生学という手法によって、動物の進化過程を説明したことが本研究の先駆的な点とのことですが、研究分野での位置付けについてもう少し教えてください。それは「現生の生き物を見て、過去の生き物を考えることができる」実例自体が珍しいという意味ですか?

 いや、そうではないのですよ。これまでも「発生進化学」の本は数多く出されています。
現生の生き物の発生過程を見ると、生き物がどのようにしてその形をつくるかわかるので、過去の生き物がどのように発生してきたかを類推することができます。あるいは、現生の生き物を二つ比べると、過去に存在していた生物をより正確に類推することができます。例えば今回の話も(僕らの実験ではあまり触れませんでしたが)、鳥は3本指でワニは5本指です。恐竜は、ワニと鳥の間に生じたものなので、現生のワニと鳥を比較することで、恐竜をより正確に類推することができます。このような「発生進化学」の研究は、発生学の一つの研究分野として、特にここ10~15年で盛んに行われるようになってきました。

―発生進化学の研究が盛んになったのは、意外と最近なのですね。

 そもそも発生学とは、最終的にはヒト、つまり自分がどうやってここに存在しているか?を考えるための一つの学問です。例えば、自分には目が二つあって、鼻の穴が二つあって、指が5本あるけれども、なぜ自分はこういう風に生まれてきたのだろう?たった一個だった細胞から指や何やらが出て、自分はこうやって生まれてくるのだな、という過程を知りたいのです。そして発生学は、1990年代頃までずっと、如何に生き物が共通のシステムを使って生まれてきているか?を考えようとしてきた学問なのです。つまり、ずっとヒトとネズミと鳥と魚とカエルの共通部分を探していたわけですね。

 僕もこの業界に入って20年以上になりますが、研究を始めた頃は、鳥をヒトと同じだと考えて、「鳥の指はこう発生してくるから、人の指もこう発生してくるのだね」という保存された仕組み(ジェネラリティー)をずっと研究していました。今では高校の教科書にも載っている有名な話ですが、指は最初、『ドラえもん』の手のような形をしていて、その間の細胞が型抜きのように抜け、一つひとつバラバラになってできます。それは鳥でもネズミでもヒトでもカエルでも一緒だね。でもカエルはそれが不十分だから"水かき"ができるんだね。このようなジェネラリティー(一般性)を発生学ではずっと調べてきたのです。

―生き物の違いを考えることはしていなかったのですか?

 その違いを考えることは、していなかったと言うよりも、できなかったのですよ。なぜかと言うと、よく僕はこんな喩話で説明します。「地獄はどこ?」と聞かれて「天国の隣」と答え、「天国はどこ?」と聞かれて「地獄の隣」と答える。一瞬すごくわかった気になるのですが、実際には位置関係が全然わからないのです。けれども「"閻魔様"がいて、地獄は閻魔様の左側、天国は閻魔様の右側」と言って初めて地獄と天国の位置関係がわかるようになりますね。つまり僕らは違いを考える時、何か基準になる共通のもの(指標)を置き、それと何が違うかを比較して初めて両者の違いがわかるのです。逆にそうでなければ違いはなかなか見つけにくい。ですから、いろいろな生き物の違いを考えるためには、まず何が共通なのかがわからければ、考えようにも考えられなかったのだと思うのです。

―生き物の発生過程は、意外とわかっていないことに驚きました。

 今でもわかっていないことはたくさんありますよ。骨一本だって長さがどうやって決まっているか、僕らはまだ知らないのです。それでもやっぱり昔に比べたら、何を共通に使っているか、つまり"閻魔様"がだんだん見えてくるようになりました。要するに、発生進化学という生き物の多様性を発生学的に考える学問は、ここ10~15年くらいで一般的になってきたところなのですね。今回の研究は、恐竜と鳥の関係でしか考えられない鳥の特殊さを考える研究なので、ようやく共通性を考えるところから、多様性を考えるところに、研究が進んできたということです。

―それは最終的に、生物の多様性を考えたいということなのですか?

 最終的に僕らは、この地球上に存在している生き物のそれぞれの違いがどのようにしてできるかを知りたいのです。今回は恐竜と鳥でしたが、魚とカエルと比べて見えるものもあるし、いろいろな生き物が多様性をつくるための共通のしくみ(いや、そんなものがあるかどうかはわからないですよ。同じものをつくるために共通のしくみがあることはわかりやすいですが、それぞれが違うものをつくるのに統一されたしくみが存在しているかはわからないのです)それがあるかないかも含め、いろいろな生き物がいろいろな格好をしているのが、どうやってできてくるかを知りたいのです。今はそれを考えることのできる時代になってきたのかもしれませんね。僕の研究に対する一番のモチベーションは、そのようなところでしょう。


身近にある不思議を学問として研究している

 例えば、この写真集『骨から見る生物の進化/EVOLUTION』(ジャン=バティスト・ド・パナフィーュ/著、パトリック・グリ/写真)をパラパラめくってみると、いろいろな動物の骨を見ることができます。いろいろな生き物がいろいろな格好をしていて、でも何となく似ていると言えば似たようなつくりかたをしているのですよね。けれども変形していくと、これだけ多様なものができるのです。一体何が違っているとこうなるのだろう?と考えることは、生き物って何だろう?を考える一番基本的なことだと思うのです。そしてその中に、僕らヒトがいます。

 ヒトって、ものすごく奇妙な恰好をした生き物なんですよ。例えば、ヒトの膝は、実は背中なんですね。なぜかと言うと、手を見ればわかります。手の平はお腹ですね。ですから肘の出っ張ったところは背中です。すると、この出っ張っている膝は背中ですよ。ヒトは二足歩行をするために、背中をぐっと前に持ってきたのです。このような恰好をしていない生き物はとても多いのです。

 僕らは人間を基準してものを考えます。(いや、基準にして考えて良いのですよ。どこかに"閻魔様"を置かなければ駄目なので、どうせならヒトを基準にすれば良いよねと思うのですけど)けれども、別のものを基準に置くと、ヒトは特殊な恰好をした、非常に変わった生き物なのですね。ですから、ヒトって何だろう?を考えようと思えば、ヒトだけを見ていてもわからないのです。それとは別のものを皆見て、「ヒトとはなるほどこうなんだと」わかるのではないでしょうか。

 ただ、そう難しく考えなくても、一つの造形物としてこれら骨を見た時、やっぱり僕は、(それは美しいと思うか・気持ち悪いと思うかは人間の感情なのですけど)、美しいと思うのです。いずれにせよ、これが自然にできてくるって、やっぱりすごいなぁ。人がつくろうと思っても絶対につくれないよなぁと思います。「すごいなぁ」と思うことが、「どうやってできてくるのだろう?」と考える原動力になっているのはないでしょうか。とても身近にある不思議の一つを、僕は学問として研究しているのではないかと思います。

 今回の研究も、「手羽先の先が親指だろうが中指だろうが、何の役にも立たないよね?」「恐竜のことがわかったって、何の役にも立たないよね?」と言われれば、確かに直接的には役に立たないだろうとは思います。けれども今回のことで嬉しいな、ありがたいなと思ったのは、今回これだけ多くの人が「おもしろい」と言ってくれたことですね。それこそうちの研究室で(実験のために)鶏の卵を購入している養鶏場があるのですが、そのお孫さんが恐竜好きで、今回「鳥と恐竜が同じものだ」と聞いて大変喜んでいたと聞いて、嬉しかったですね。もちろん僕らのやったことは(鳥類恐竜起源説の)最後のピースをはめたことではあるのですが、改めてこれだけ皆の話題になると、やっぱりそれは「おもしろい」ことなのだと思うのです。とても大きな反響をもらって非常にありがたい話です。


"最後のピース"をはめることができた理由

―そもそも、鳥類恐竜起源説を巡って唯一残されていた矛盾を、なぜ今のタイミングで、なぜ田村さんらのグループが解決できたのですか?

 さて、なぜでしょうね。他分野の発生学の先生方からも「えっ!?まだ、こんなこともわかっていなかったのですか?」とよく聞かれました。それに自分たちも、もし20年前に気づいていたら20年前にできたことかもしれません。なぜこのタイミングで、なぜうちで?というのは、ある意味、遅かったくらいかなとも思います。きっかけは今から約4年前に、「こう考えてみたら、あのパラドクスが解けるかも」とふと気づき、自分で実験を進めていく間に「やっぱりそうだな」と思うようになったくらいのことなのです。
 
 実は、今回の論文では私ともう一人、野村という大学院生が筆頭著者になっています。野村は、僕とは全く別の思い入れから別の研究として実験を行っていたのです。けれどもある時、僕の実験では明らかに「第1-2-3指」を示すデータが出ていたのですが、野村が「いや、先生は間違っている。それは第2-3-4指だ」と言い出したのです。

―何が違ったのでしょうか?

 彼が見ているものと僕が見ているものが、違うレンジ(範囲)だったので、時間的にも空間的にも、違う見方をしていたのです。僕の見立てでは第1-2-3指なのだけども、別に進めていた研究で彼の見立てでは第2-3-4指だった。あれ?!おかしいな、僕たちの中ですでに矛盾しているぞ。そこで今回の論文の著者となる5人が中心となって、どうすればこの矛盾が解けるのか、議論を始めました。

―どのように議論を進めていったのですか?

 僕らが最初にやることは、まず僕が出したデータに間違いはないか皆で洗い出すのです。僕の実験自体が間違っていれば話になりませんからね。僕がやった実験が正しいかどうかを議論して、「もしこのデータが正しいとすれば、あれだったらこうなるはずだし、これだったらこうなるはずだ。本当にそうなるの?」と聞かれ、それがわからなければ、実験してみる。その結果、僕の実験は全部正しいとなった。一方で、野村の実験自体も間違っていれば話にならないので、「君のデータは、ここがおかしくないか?あれがおかしくないか?」と皆で議論したのです。そのようにして皆で叩くのですが、叩いても叩いても皆正しいのですよね。

 それで結局、「両方が正しいとすれば、この矛盾を説明できる"からくり"があるはずだ。それを解ければすべてが見えてくるのではないか」となりました。そしてある時、「こんな実験をすれば良いのでは?」と僕が野村に持ちかけた時、彼が手にしていたのが、僕と同じ実験プランでした。要するに、蓋を開けてみたら二人とも同じことを考えていたのです。「じゃあ、これがうまく出れば、全部説明がつくぞ」となり、最後の実験を野村がやってくれました。そして、すべてのピースがつながってしまったのです。

―具体的にはどのように考えたのですか?

 非常に単純な図で書きますが、概念的に言うと5つの丸があります。両端の2つは使われないので、真中の3つが指になるのですが、指の番号を決める時、このように"ずれ"てしまうのです(図)。そして結局、第1-2-3指となる。野村が見ていたのがここ(右図で"野村"部分)で、僕が見ていたのがここ(右図で"田村"部分)なのです。そして僕ら両者が考えた実験とは、ここ(右図の"ずれ"部分)がずれているはずだという実験です。つまり、指の数が少ないために、その指ができる時までにどの細胞を使うかという位置が"ずれ"てしまうから、第2-3-4指に見えていたのは、第1-2-3指である、となったのです。
より詳しい説明はこちらをご覧ください)。


【図】概念図

 なぜこれができたのかと言えば、学生が僕の言うことを聞かないからかもしれません(笑)。今回非常に心強かったのは、常に自分一人よがりではなく、非常に客観的に現象を見渡せていたことです。どうしても研究は自分一人でやっていると、自分のやっていることは正しいと思い込みがちです。それをまわりの三人がより客観的に議論を進めてくれました。

 要するに、いろいろな要因があると思うのですけど、まずひとつは、僕が発想したことから始まっています。なぜその発想が出たかと言えば、これまで15年以上ずっと指のことを考えていて、ある人の研究データをいくつか見直していた時、発想したことがきっかけになっています。けれども、それだけではこのような結果にはつながらなかったでしょう。いくつかの良い偶然も重なっています。けれども一番はやはり、それぞれが自分で考えて自分の思う研究をやっていたことが、この偶然を生んだのだと思います。


自分が「おもしろい」と思うことを形にする

―研究室運営について、そのような場の前提をつくるために心がけていることは何ですか?

 非常に簡単な言い方をすると、僕、学生に研究テーマを与えないんですよ。自分で何が一番おもしろいと思うか考えて、自分がおもしろいと思うことをやれ、と。ただし発生学しか僕は教えられないので発生学をやってくれ。そして僕は脊椎動物しか見たことがないので、骨のあるものをやってくれ。もっと言えば、手以外のことは、エキスパートとして見ることができないので、とりあえず手のことをやってくれ。もし手ではない脳や眼をやりたいと思うのなら、そのエキスパートがそれぞれいるので、そこに行った方が良い。そのような"囲い"だけはつくりますが、その中で何がおもしろいと思うかは自分で考えろ、と。ですから十数人いる学生たちは皆、違う研究をやっています。

 このようなやり方は、効率という意味では悪いですよね。けれども、自分も学生の頃、そのような環境で育ってきました。でもそれは何故かと言えば、一番最初に戻ってしまうのですけれども、生き物のことを考えるのが好きで、自分が「生き物をこうやって研究したいんだ」と思いながら僕も育ってきたのです。ですから、できるだけ自分の後輩たちにも、自分がやりたいと思うことやれたら良いのじゃないかと思うのです。

 ただし、一人ひとりが自分で考えたことを如何にサイエンスにするかが僕の仕事です。そんなことはやってもおもしろくない。そんなことはサイエンスとして論理性がない。そんなことはやりたくてもできない。この3つを教えるのが僕の仕事。さらに、その3つを掻い潜ってでもやりたいとなれば、具体的にどうすればそれを実験にして示していくことができるのかを、一緒になって組み立てていく。それが僕の仕事だと思います。研究室に入ってきたばかりの学生は、自分でこれがおもしろいと思っても、実際にどうやれば良いかなんて、当然ながら、やったことがなければわからないはずなのですよ。でも何かきっかけがあると、「なるほど、ここから見ていけば良いのだな」とわかる。すると自分で、「ここがわかる、ここがわからない」が出てくる。わからないことは、文献で調べてわかることか、それとも本当にわからないことなのか。本当にわからないことは、その先は自分で見ていく。それでわからなくなったら、一緒に議論をして模索しながら進めていく。ですから、放ったらかしにもしていないつもりです。でも、どれくらいちゃんとそうなっているかはわからないと言えばわらないですけどね。(笑)そのような雰囲気をつくっています。

 結局、僕が「おもしろい」ことを学生にやれと言っても、学生はやっている間は「おもしろい」と思うかもしれないけど、結局出てきたものがボスの言う通りだったりすると、つまんないんじゃないかなと思うのです。少なくとも僕はつまらないよなと思う。僕自身、先生がやる実験と同じ実験だけは絶対にやらないと思って実験をしていました。だって、同じことやったら敵わないよなと思うのです。今回の話、野村は多分すごくおもしろかったと思うのです。僕が言っていたこととは違うことを言っていて。結局、最終的には両者の矛盾が全部説明できて、彼が言っていることも正しい、僕が言っていることも正しい、これが正しいことなのだ、ということを全部まとめることができた。そういう意味では、彼もきっと満足しているのはないかと思います。


「好き、おもしろい」と思うことを自分で見つけることが一番大事

―最後に、読者へメッセージをお願いします。

 僕はよく出前授業などで高校生の皆さんに、「今日皆さんは実験をしてきましたよね」と聞くのですが、皆さんは「実験なんてしたわけないじゃん」ときょとんとした顔をします。けれども、皆さんは毎日実験をしているのですよ。例えば、今日遅刻せずに学校に着くためには「何時に家を出て、どういうルートを通ると、何分で学校に着く」と計算しますよね。それは実験なのです。ある目的があって、その目的に向かって、「自分でこうやったら、その目的に一番効率良く辿りつくはずだ」と毎日実験しているのです。どんな小さな目的でも、それを達成するためにどうすれば良いかを考えて、やってみることが実験なのです。皆さんは意識していないかもしれませんが、例えば学校に行くのも、料理をつくるのも、すべて実験なんですよ。僕らは毎日実験をしているのです。

 自分の利益になることに対して、すべての選択肢を取ることはできません。ですから、幾つかある可能性の中で、自分で一番良い選択肢をチョイスする。サイエンスって、そういうものなのです。一方、すべての可能性を試すのは錬金術です。サイエンスが錬金術でない所以は、すべての選択肢ではなく、自分が良いと思う選択肢を取る点にあります。つまり、自分で「こうしたい」「なぜだろう?」と思うことに、選択肢を幾つか自分でつくり、その中で一番良いと思うことをやる。それがサイエンスなのです。ですから、研究や実験と言うと、すごく難しいことに感じるのですが、決してそうではなくて、毎日皆がやっていることなのですよ。だから、もっと気軽にサイエンスをしてみたら?と言うか、既に皆サイエンスしているよね?ということですね。あまり難しく考える必要はなくて、不思議だなと思ったことを自分で考えてみる。やるかやらないかは別としてね。それが、サイエンスだと思えば良いかなと思います。

 すると結局、一番大事なことは、「不思議だな」「変だな」と思わなければ何も始まらないので、そう思うことなんですよね。ではそれはどこから出てくるかと言えば、良く見ることなのです。では良く見るとはどういうことかと言えば、「好きだな」「おもしろいな」と思うことを、自分で探すことではないでしょうか。それはコップでもコンピュータでも何でも良いのです。自分が「おもしろい」と思うことを自分で見つけることが大事です。それは、スポーツでも絵でも勉強でも同じだと思いますよ。そこには絶対に"からくり"があるはずだし、そのからくりは解けるはずです。あるいは、うまくいかないことも、繰り返しやっていく中で、うまくいくはずです。

 ですから、小学生が考えることも中学生が考えることも「サイエンス」に載ることも、基本は何も変わらないのです。あとはどこまでやるかの問題なのです。そして、どこまでやるかは、どこまで好きか、ということだけだと思うのですよね。野球好きな人もいるし、サッカー好きな人もいるし、絵を描くのが好きな人もいる。だから、自分で何が好きかを探すことが大事で、それをやろうと思ったら、常にどこでもサイエンス。その営みをサイエンスと言うのであって、毎日のように皆やっていることなのです。

 繰り返しだけどメッセージとしては、自分で「好き、おもしろいな」と思うことを見つけることが一番大事なことです。そしてその中に「あれ?不思議だな」と思うことを「おもしろいな」と思う人がもしいたら、本当にサイエンスをやったら良いと思うんです。僕らのモチベーションは、そこにしかないから。僕ら何がおもしろいかと言えば、不思議だから。なぜ不思議だと思うかと言えば、わからないから。わからないことを理解するのがサイエンスなのです。

 生き物って不思議なんですよね。不思議に決まっているのです。なぜかと言えば、人間がつくったものではないから。僕らにとってコンピュータは不思議じゃないですか。それは理解できないから。でも悔しいのは、コンピュータはつくっている人がいるわけだから、誰かは理解しているわけです。でも、生き物って誰もつくったことがないから、この不思議さは万人にとっての不思議さなはずなのです。だから僕は、生き物をやっているのです。不思議だと思うことを誰からも否定されないはずですから。誰も「いや、俺はわかっているよ」と言える人がいないし、もしいたとすれば、それは嘘だとわかっていますからね。僕は本当に、生き物ってすごいなと思えるのです。


「生物好き」な田村さんのもとには、珍しい生物のぬいぐるみ等が、学生や知人から贈られてくるそうです

―田村さん、本日はありがとうございました。

取材先: 東北大学      (タグ: , ,

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