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2024年 04月 20日 (土)

[Vol.5]
加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター代表理事・常務理事)

なんとなく惹かれるものってあるじゃない。なんとなくを大切にしなさい。行ってダメだったら、別のところに行けばいい。

加藤哲夫さん
1949年、福島県生まれ。広告代理店を経て、宝石貴金属卸業を1989年まで営む。本業のかたわら1981年に出版社「カタツムリ社」を設立。1985年には、エコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」を開店。環境・エネルギー問題・食と、有機農業などに取り組む。また当初よりエイズ問題に積極的に関わりHIV薬害訴訟を支援、1993年には、患者・感染者サポートの民間団体「東北HIVコミュニケーションズ」を設立し、活動してきた。1992年より[独立するより分かち合う]をテーマに全国的な起業サポートと事業者の異業種交流ネットワーク「エコロジー事業研究会」を主宰。
その後、市民活動/NPOによる新しい市民社会のシステムづくりに積極的に取り組んでいる。1997年11月に民設民営によるNPO支援センター「せんだい・みやぎNPOセンター」を設立、1999年特定非営利活動法人化して、代表理事・常務理事を務めてきた。1999年6月より、仙台市の市民活動支援施設「仙台市市民活動サポートセンター」の管理・運営をせんだい・みやぎNPOセンターで受託している。また2000年より企業との協働による、NPO支援のシステム「サポート支援提供システム」および「地域貢献サポートファンドみんみん」を開発・設立・運用し、全国から注目されている。
一方、全国区の活動として、年間130回以上、行政職員研修、NPOマネジメント研修等幅広いテーマの講演・ワークショップを行い、全国を飛び回っている他、多数の著作がある。


―皆さんは"NPO"と聞いて、何をどうイメージするだろうか。"NPO"という言葉そのものは浸透しつつあるものの、その本質を正しく理解する人はまだ多くはない。NPOの草分けとして全国で活躍する加藤哲夫氏は、NPOの必要性を常に肌で感じながら、まさにNPOのあり方を体現したような人物である。"NPO"が社会に生まれた必然性を理解することなくして、その本質と可能性を理解することは難しい。しかしながら、加藤氏がその実現を目指す"多様なNPOがたくさん存在する社会"のあり方は、あなたにとっても"関係がない"ものではない。市民の自然な生き方、社会の自然なあり方、それらをシンボライズしたものが、広義な意味での"NPO"なのかもしれない。そう感じさせるエネルギーを、加藤氏は恒常的に放っている。

社会の中の自然治癒力を高めましょう、というのが、うちの仕事なんです。

―自己紹介をお願いします。

今年で設立10年目となる"せんだい・みやぎNPOセンター"の設立者です。"せんだい・みやぎNPOセンター"は、仙台・宮城の地における、ボランティアや市民活動、市民事業をする組織の発展のためにある中間支援組織で、NPOの必要性を広く社会に発信するとともに、マネジメント情報支援や研修講座、資源の仲介・提供など、ありとあらゆることをやっています。大きな仕事のひとつは、企業の方たちと一緒に、社会を良くするためのしくみをつくっていて、2001年には中古のオフィス家具やパソコンをNPOに仲介する"サポート資源提供システム"、2003年にはその資金版"地域貢献サポートファンド みんみん(みんみんファンド)"を開始しました。NPOが必要とする様々な経営資源(もの、パソコン、お金、時には人まで)を、地域の企業・各種団体・市民から集め、それをNPOに仲介・提供することで、NPOを支援し、地域を元気にするしくみです。将来的には、市民が市民を助ける基金「コミュニティファンド」を日本各地につくりたいと思っています。 現在は物品も含めたトータルで年間1000万円余りを"サポート資源提供システム"と"みんみんファンド"で動かしていますが、これが年間3000万円くらい集められるようになれば、コミュニティファンドとして成り立ちます。地域のNPOを継続的に支えていくためのファンドを、地域につくりたいと考えています。

―NPOに支援が必要なのは、なぜですか?

企業は、物やサービスを相手に売って利益を得ます。商品を開発して、サービスして、相手から対価を貰えれば、なんとかなります。 けれども世の中には、直接相手からお金を貰える活動もあれば、一方で貰えない活動もあります。例えば、"広瀬川の清流を守れ!"と言っても、広瀬川からは直接お金をもらえないでしょ。ホームレスを支援するといっても、相手からお金は貰えない。活動や事業のもともとの成り立ちが、企業とは違うのです。でも、お金は貰えないけれども、共感する人が出てきて、その労力は動きます。その規模が大きくなったら、人を雇ったり、事務所も必要になってきますね。そうなると、それなりにお金が必要になってきます。そこで対価をいただける活動は対価を適正にいただき、テキストをつくったり、一方で支援者にセミナーで知識やノウハウを売ったりして、お金を生み出すしくみを考えられるビジネスセンスが必要なのですが、そういうことに慣れていない人たちに対して、私たちは支援を行っています。つまりNPOには、顧客が2種類いるのです。第1の顧客は受益者。第2の顧客が、支援者であり、社会であり、行政や企業や市民です。その2種類の顧客をつなぐ仕事を、わたしたちはしています。社会からお金を集めるしくみづくりが、NPO支援には必要なのです。

―だから、"中間支援"なのですね。ではNPO支援を通して、どのようなことを実現したいとお考えですか?

社会の大本となる市民活動が盛んな社会をつくりたいのです。これまでの社会は、市民の力を評価しない社会でした。役所と企業が大きな比重を占めていて、それが癒着したら、泣きを見て被害を受けるのは、いつも市民なんです。

―市民の力とは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか?

市民が問題解決行動を起こすこと自体を、市民活動と言います。社会がそれを評価しないと、それをつぶすことになります。声を上げて行動した人たちが、孤立してしまうのです。例えば、薬害エイズ事件。出血を防止する薬を使っていた大勢の血友病患者が、薬のせいで、エイズウイルスに感染させられてしまった事件です。血友病は、いったん出血すると血が止まりにくい病気で、何度も出血してしまうから、昔は長生きできないと言われていました。新薬が開発されてからは良くなりましたが、その輸入血液製剤に、HIV(エイズウイルス)が入っていたのです。1985年頃には日本でもそれがわかったのだけれども、政府や製薬会社はずっとその責任を認めず隠そうとしてきました。そのせいでたくさんの人が亡くなりました。差別や偏見が多いため、被害者は顔も出せない状態でした。今治市のある寺の住職だった赤瀬範保さんという方が、日本で最初に大阪で裁判に出て闘うために、原告で名前を公表しましたが、この方も1991年に亡くなられました。その後を継いだ京都の石田吉明さんも、もう亡くなっています。 仙台にも名前は公表してはいないけれども、こういう闘いをして亡くなった方たちは何人もいらっしゃいます。私と一緒に運動をし、問題を解決しようと努力した仲間の人たちは今ほとんど生きていません。今では想像がつかないほど、ひどい時代でした。そして、そういう闘いをする人たちがいなかったら、今のエイズ治療体制はできていなかった可能性が高いのです。市民の力によって、現在の医療の体制が整備されたわけです。だけど、その恩恵に与るのは、彼らではなく、私たちですよね。

―政府や製薬会社が保身に走り、市民が命を落としてしまう...

国と製薬会社の行動を、チェックする機関がないんです。政府や製薬会社が保身に走る、その結果、市民が死んでしまう。それって、何かおかしいじゃないですか。最初、社会は、なかなか誰も声を上げなかった。何千何万人が動くまで、世の中は無視ですよ。誰も責任を取らないし、問題が起きたときに解決をする仕組みがない。結局市民の力が弱すぎる。行政や企業が癒着をしたり、天下りをしたりといった問題が起こった時に、市民がチェックする機能が無ければ、そういう問題は繰り返し起き、ゆがんだ社会になってしまいます。企業、行政だけでは世の中はまったくうまくいかない、そういうことを何度も体験したわけです。

―当事者でなければ「自分には関係ない」と、どこか無意識のうちに切り離してしまう癖のようなものが、確かに自分にもある気がします。

例えば今だったら、HIV感染がわかっても、治療を受けられて、普通に社会生活ができることがあたりまえになりつつある。そういうことを、まさにそうやって闘って死んでいった人たちが、つくっているのです。そういうことって、誰も教えてくれない。政府がやっていることだ、なんて皆思っています。官僚機構は、変化を望みません。"問題があるから変えていこう"というのは、被害にあった人・その共感者、わずかな人からはじまるんです。少数なんだけど、大多数派にはならないけど、警鐘を鳴らしたり、新しいアイディアを出すのは、そういう少数派。そのような少数者の声を聴く耳を社会が持つべきだと思うのです。

―企業や行政などの組織が形骸化した今、その硬直した社会を柔軟にしていくのは、その弊害をリアルに感じる市民。そして、その感じ方もそれぞれの立場や境遇によって多様であるという点に、大きな意味があるということでしょうか。

例えば、介護保険法が成立する前はどうだったか、知っていますか?"介護は嫁の仕事だ"と言われ、女性たちは会社を泣く泣くやめて、介護をしなければならなかった時代があったのです。そういう経験をした人たちが、"なんとかしなくちゃ"って考えたんです。自分たちで集まって、家事援助、洗濯、留守番、お掃除をはじめた。自分と同じ立場の人が、たくさんのお金を払えないことを知っているから、時給600円とか、そういう金額でやるんです。会社を起こしている意識はない。ボランティアをやりたくてやったのではなくて、社会の問題を解決したくて、やったんです。非営利の社会事業体。当時は誰もその概念定義をできなかったので、それを"有償ボランティア"と呼びました。だから誤解が多かったんです。ボランティアがお金儲けして!と非難されたのです。その動きは2000年4月以降、介護保険制度という社会制度の創設にもつながります。そして認知されてマーケットになったので、コムスンなどの企業も参入した、というわけです。つまり、多様な市民の先駆的な活動が、新しいサービスや制度をつくりだしているということです。 そういうことがNPOのもっている仕事の、ポイントなんです。

―それぞれの立場や境遇によって、問題だと感じる点は違うでしょうから、それぞれの人が、社会構造の一部を射影する鏡のような存在となって、それが社会に認知されるような流れができれば、社会全体が自浄される方向に向かいそうですね。

これまで、市民が行っていることを、国に認めさせるというプロセスをやってきたんです。それをやっている途中で、情報の公開が制度化されました。国・行政の情報は、外には出にくいものです。日本なんて、全然、民主主義じゃないですよ。独裁政権みたいなことを平気でやっている。行政(官僚機構)は、どうしても上意下達(じょういかたつ)で市民をコントロールしたいという指向性があり、市民はそれを義務としてとらえてしまう癖があります。百年前からの官民の上下関係を引きずり、官が誘導し支援しないと民は力がない、と言う観念に、官も民も囚われているのです。1998年にNPO法が成立する前までは、市民が集まって公共的な活動をしていくために法人をつくろうとすると、主務官庁の許可が必要でした。法律と制度でそうなっているのですが、それでは役所の思いどおりになる活動だけを認めることにもなります。そういう構造自体がよくないし、これを変えていこうとこれまで活動してきたのです。

―そのような"役所が主で市民が従"というような上意下達的な関係に、近年変化はあったと感じていますか?

ある部分だけですが、社会構造が根本的に変わり、その結果、従来の上意下達的な官民関係が、基本的には壊れてきました。その結果、どうなってきたのかと言いますと、市民の公共領域における力が大きくなり、市民がチェックしたり参加したりすることで、行政や企業が変わらざるを得なくなってきています。行政側は情報公開制度、市民参加や協働の推進をし、いわゆる殿様の政府から市民の政府に変わる方向に変わってきています。最近、行政職員の研修の仕事をすることが多くなったんですよ。15年前には厚生省の前で、薬害エイズの被害者たちと座り込みをしていたような人間が、行政職員のNPO研修の講師をするようになったのだから、とりあえず世の中は変わったなぁと思いますよ。

-面白いですね。立場が逆転していますね。

企業側も、『CSR(Coorporate  Social Responsiviity)』、企業の社会的責任という言い方をしますが、企業は儲けをあげていればいいという時代は終わり、例えば中国で服を作っているなら、そこで子どもが労働していないかが社会的基準になったり、会社内で男女同一労働同一賃金がきちんとできているか、ガラスの天井は無いかが要求されたりします。私の定義では、CSRは、"企業自らが、未来社会を今ここに実現する運動"と位置づけています。未来社会というのは、いろんなNPOや、いまある問題を解決しようとしている人たちが提起している世界ですよ。そこで企業のもてる力を使って、社会の矛盾を解決するような活動、つまり企業が本業でNPOのような考え方をするということが、これから求められてくるわけです。そのように社会のためになり、社会的な(社会に求められる)責任を果たす企業に、投資をして伸ばそうというのが、SRI(Social Responsivility Investiment:社会的責任投資)という考え方です。だから今、小さな地元企業であっても社会貢献やNPOとの協働を選択する企業が増えてきています。 "おかしいじゃないか、あんたのとこの商品買わないよ"と市民が言ったから、変わってきたわけです。市民が言わなかったら、そのままだった。NPOセクターが世界的に成長したからこそ、初めてこのようになるのであって、成長していなければそれは絶対にあり得ないことです。

―市民のチェック機能が、以前に比べて、だいぶ整備されてきたのですね。

でも日本はまだまだ企業に甘いですよ。全体的に甘いと思います。不祥事が起こっても、それをすぐにみんなで助けちゃうんですよね。車のリコール隠しだって、私たちが危険な車を買わされて企業にリスクを負わされていたにも関わらず、誰も訴えようとしない。自分の子どもがひき殺された親だけが訴えても、皆はなかなか助けなかった。アメリカだったらもっとたくさんの裁判起きているんじゃないですか?市民がリスクを負わされたわけじゃないですか。権利意識が低いんです。市民活動やNPO活動が広まらないと、そういう力は高まりません。でもここ10年間で、ようやく変わりつつあります。昔と変わって、市民の政府に近づいてきたところもある。でも、まだ市民がそれを使いこなしていないかな。

―"市民の政府"、これまでのトップダウン型の構造が、ようやく逆転してきたと言うことでしょうか?

憲法に、国民と国の約束が、書いてあるでしょう。それを守らなければならないのは、政府や役人なんですよ。憲法99条にはなんと書いてあるか。第10章最高法規の第99条(憲法尊重擁護義務)には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」とあるんです。でも、公務員は誰もこの条文を知りませんね。さらに、憲法25条に"すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する" と書いてあります。国民には、国に対して権利があるんです。その権利をすべての人に実現する、という約束を国はしています。その権利を保障するために税金と権力の行使ができるわけだから、政府や役人は努力をしなければならないのです。それを実現する結果責任というものが、アカウンタビリティーというものです。アカウンタビリティとは、よく言われている説明責任などという言葉ではなく、委託者(公務員)の負託者(国民)に対する全面的な実行責任なんですね。 仙台には、ホームレスが何人いるか知っていますか?仙台市内に、200人いると言われています。 そのうち、毎年15人か20人くらいが凍死、実質餓死で、亡くなっているんです。

―そんなになくなっている方がいるなんて、初めて知りました。

こういうことは、なかなかニュースで知らされないでしょう? 路上生活で死んでいくということは、"人間らしい文化的な最低限度の生活"とは違います。そういう人が何百人もいて、路上で死んでいる現実は、憲法が要求している水準を満たしていないことになります。権利があると言っていながら、憲法違反じゃないですか。すべての人にその水準を満たすため、憲法は公務員に税を徴収させ、税を公務員に預け、権力でもってそれを行使する権限を負託しているわけです。しかしながら、現に路上で死んでいる人がいることは、公務員(政府)の仕事が成功していない、ということなのです。公務員の人は、その責任を恥ずかしいと思ってもらわないと困るんです。

―国と国民との約束事である社会契約を、公務員が理解しないまま、権力だけを行使してしまえば、歪な社会構造になってしまいますね。

市民活動は、小さくても社会に対して警鐘を鳴らす、坑道のカナリア。分散していると、いろんな問題に対応することができます。それは例えて言うならば、脳と免疫系の関係のようなものです。例えば、手に怪我をして、体内に病原菌が侵入してくると、免疫機能が働いて、白血球が病原菌と戦います。そこには脳みその指令とは関係なく、戦いが起きて熱が発生しますね。市民活動って、だから白血球みたいなもので、社会の自然治癒力なんです。でもそこで、外から抗生物質ばっかり与えてしまうと、自然治癒力は低下してしまうでしょう。社会の中の自然治癒力を高めましょうというのが、うちの仕事なんです、わかりやすく言うと。脳みそだけで社会全体を考えていると政府は考えているけど、社会の自然治癒力を高めなくてはいけないわけです。企業も政府も、変わらなくてはならない。変わらなければ、潰れる時代に、これからはなりますね。

かけがえのなさっていうのが、人間が人間である根拠なんですよ。

私の知っている人で、セツ・モードセミナーを主宰した長沢節さん(故人)という絵描きさんがいるのだけど、"仕事は、世界に対する愛である"と言ってたのね。素敵な言葉でしょう? 1人に対する愛は恋愛ですけど、世界に対する愛は、仕事なんですよね。26歳の頃から、僕はずっと会社の経営者なのですが、仕事というのは、本質的にはそういうことだと思うんです。

―すごい表現ですね。"仕事=世界への愛"。自分と世界が自然にリンクしている。そういう状態ではじめて、仕事を喜びと感じることができるのでしょうね。"愛"という言葉に、その重みとあたたかさを感じます。でも自然体でそう言い切れる人は、世の中にどれだけいるのでしょう。

私たちが生きている世界を典型的に分ければ、"システム社会"と"生活世界"というように、分けて考えることができます。"システム社会"とは、つまり役目役割の社会です。企業や行政がそうですね。A部長が、替わりのB部長になっても、仕事が問題なくできるというのが、システム社会のメリットです。つまり、取り替えても困らないことを、"システム"と言うわけです。一方、生活世界では、それとは別な存在の根拠があって、例えばある家庭のAというお父さんを、隣のお父さんと交換するわけにはいきません。家族や個人というものは、役目役割じゃありません。かけがえがないということは、つまり取替えが不可能と言うことです。逆に言えば、しがらみにもなる。常に一回きり、なんですよ。この違いって、大きいと思います。かけがえのなさっていうのが、人間が人間である根拠なんですよね。私たちの生は、そのことによって支えられていると言ってもいいのです。そして、取引(市場)という取替え可能な関係ばかりが世界を覆い尽くしている時代だからこそ、取替えが利かない関係=かけがえがないという関係に人間は支えられているのだということがわかりますね。 世界中でたった一人でいいから自分のことをかけがえがないと思ってくれる人がいるから、どんな悲惨にも耐えられるというのが人間じゃないですかね。

―システムが有用で必要な理由も、最近はわかるような気がします。しかしながらその一方で、自分である必然性を、システムの外で、常に追い求めている気がします。

現代社会はますますシステム化が進行していて、コミュニティや家庭の中にまでそれが及んでいます。子どもたちの危機も、よい子という役割を過剰に期待されている中で、必然的に起こっていることのように思えます。人間の存在を丸ごと肯定する視点は、システム社会には生まれません。システム社会だけならば、私たちはロボットと変わらなくなります。たとえば普通企業社会では、労働力としての評価だけで成り立っているので、寝たきりになった人は捨てられます。システム社会の役目・役割が自分の自我になっちゃうために、ロボットと変わらない、自分がなくなっていくんです。仕事を通して、社会関係を通して、あなたじゃないといけないよね、という関係を社会の中につくれるかどうか、そこが今一番求められています。"かけがえのなさ"を、仕事の中に生み出していけるか。地域社会にとって"かけがえのない"関係をもてる企業として、本当に必要にされるためにはどうすればいいのか。それが、CSRなのです。一方的なサービスをしてしまえば、それはただの"消費"です。消費は、人を消費者に一面化し、固定する。人を"モノ化"している。 それはつまり、無力化です。サービスで虜にし、依存させて無力にさせるやり方で商売は繁盛する。それはもう駄目です。

―役目役割という目に見えやすくてわかりやすい関係性だけが残り、それ以外が削げ落ちてしまう形で、それがその人の自我になってしまうことに、非常な恐ろしさを感じます。

NPOセクターの持つ可能性のもっとも大きなもののひとつが、このかけがえのなさの創出機能と、参加交換の可能性でしょう。起業やボランティアといった、自分でつくる側の人が増えないと、いつまでたっても"消費"から抜け出せません。一定の形やモデルにならないと、難しいですよ。そこを支援できたりするといいかな、と思っています。

無意識に惹かれるものってあるじゃない。"なんとなく"を大切にしなさい。

―最後に、中高生へメッセージを。

とっても良い社会にいる皆さん。とっても良くて、とっても大変。そう簡単に餓死しないし、それなりに裕福だし、パッと見、恵まれています。でも大変だよね。特に中高生くらいの年代で起きている問題というのは、根本は大人になる悩みだよね。大人になる大変さはいつの時代でも同じだけど、"こういう大人になる"というモデルが今の社会には少ないから、その分もっと大変かもしれないですね。どんな大人になるかということは、誰かが教えてくれるものではないですから。大人が反面教師でも良いから、強力なモデルがいればいいんですけど、今の大人は皆まともすぎて変なんだと思うんだよね。でも大体10年くらいたつと、自然に大人になるから、あまり悩まないで。

―現代は、戦後のようなわかりやすい"逆境"ではないものの、また別の側面で、やっぱり"逆境"にあるのかもしれません。

それとね、"自分に向いている仕事、自分の好きなことをしよう"と世間では言うけど、そんなものは所詮わからないものなので、なんとなくでいいから仕事をしなさい、何の気無しに。そして10年、20年たつと、自分のうしろにやってきた足跡というのが見えるでしょ。自分の興味・関心というものが、後からわかるのですよ。ボクの仕事って、すごく目的持ってやってるように見えるかもしれないけど、もちろん興味・関心はそれなりにあるけどね、偶然なんです。後から自分がどういう人間かというものがわかるんです。そういう仕事が、ボクはしたいなぁ。でも、消費者意識じゃそれがわからないんですよね。学ぶということは自己変容することだから。

―夢や目標という言葉で、"自分のやりたいことは~だ""自分は~のために生きているのだ"と固定化してしまった瞬間、見えない何かが私から削げ落ちてしまう恐怖を、最近強く感じています。ただ世間はそれを強く求める傾向にあるので、手段と目的と結果を混合しないよう、常にその恐怖と戦うといった感じです。

そうそう、結局目標の奴隷になれ!ってよくビジネス書に書いてあるよね。そうじゃないと思うんだ。無意識にひかれるものってあるじゃない。"なんとなく"を、大切にしてください。行ってダメだったら、別のところにいけばいいのです。今は、余裕があるんだから。でも、仕事はした方が良いね。何でも良いの。社会にコミットした方が良い。バイト感覚で、責任をとらずに、時間を切り売りするのは、ダメです。まとまった仕事をやりなさい。人間は、他者からの承認で生きているので、そういうことを必要としているところに出ないといけません。だから引きこもっては駄目です。(まあ、そうは言ってもでられないところに来ちゃったということは別の問題だから、ここでは何も言えませんが。)自己認識がどんどん低くなっていくので、いいことはありません。あとね、よく勘違いしている人がいるのだけど、入社1年目では、みんな使い物にはならないんですよ。それで対等になろうと思ってる方が、おかしいんです。している仕事が必要とされるから、はじめて給料がもらえるものなの。誰かの役にたつっていうことが、証明されないのに、給料がもらえるわけないじゃないですか。 もらっているものは、先行投資資金なの。それをもらえるんだから、感謝しなくちゃ。

―実際に動いて、社会に何かしらの影響を与えて、その反応を五感で感じて、それをもとにまた動く。その繰り返しなんですね。

自分で動いてみて、自分が変わること。直感と、無意識が大事なのです。私がずっと気になるもの何かなというと、制度とか公的なものに公認されなかった人々が気になるということがわかってきました。たとえば韓国の被爆者、犯罪者、さまざまなマイノリティー、知的障碍者、精神障碍者・・・。そういう人たちの置かれた状況と気持ちが、気になって気になってしょうがなくなるんです。そして、何とかしたいという人が連なってきます。何が気になるかは、わからない。わかる必要はないんです。気になることの方向性に歩んでいけばいい。そうやって20年やってきたら、足跡がひとつながりになって、なんで気になったのかな、ということがようやくわかってきます。あなたはどこかに、何か気になることはないか、それがあなたです。あなたの内側にあなたはいないのです。外側にあなたがいる。すごく微細なことでも良いのです。

―そのような、見えにくいもの、明示的なものではないものに、外から与えられた位置づけではない、その人である必然性があるような気がしますね。そうなったときにはじめて、個性とか、多様性とかが、結果生まれるような気がします。

その通りですね。無意識なもの、だんだん固まってくると、わかってくること。無意識で良いんですよ。嫌いって言うのも、気になるっていうことと同じです。長期にわたって、関心を持続することが大切なんです。なにかをやる、オリジナルな自分になる。さっき言った、仕事の話とつながっています。あとね、混乱したり、自信をなくしたり、それは当たり前のことなのです。自信は、他者の承認がないと生まれません。他者の承認がない自信は、ただの妄想です。反対に言えば、承認される枠以外では、なかなか自由にはやれないものなんです。だから次第に自由になるということにあこがれています。これからはボクは、ずっとヒッピーでいたいなぁ。20代で社長になって、50代でヒッピーになるっていうのが、目標なんだけど、まだなれてないね(笑)。

―普通の方と、反対のパターンですね。

社会的承認に縛られず、年取ったらもっといろいろとやれるようになりたいです。自由になりたい、というのはそういうことですね。今だったら、本当の恋愛ができるような気がしますね。余計なことがなくなってくるから、恋愛も変わりますよ。シンプルになりたいなぁ。でももう、半分シンプルになってるかも(笑)。」

(2007/05/01 Five Bridgeにて 聞き手:大草芳江)


【参考サイト】

加藤哲夫さんについて
せんだい・みやぎNPOセンター
http://www.minmin.org/
仙台市市民活動サポートセンター
http://www.sapo-sen.jp/
東北HIVコミュニケーションズ(THC)
http://www16.plala.or.jp/thc/
加藤哲夫さんの個人サイト
http://blog.canpan.info/katatsumuri/
加藤哲夫さんの本 【著書】
加藤哲夫のブックニュース最前線 無明舎出版
NPO その本質と可能性 せんだい・みやぎNPOセンター
市民の日本語-NPOの可能性とコミュニケーション ひつじ書房
一夜でわかる!「NPO」のつくり方 主婦の友社
NPOの本質とその経営とは 淡海ネットワークセンター

【共著】
現代日本文化論「欲望と消費」 河合隼雄・上野千鶴子責任編集 岩波書店
JYVAブックレット「ワークショップを使って」 日本青年奉仕協会
公務員のためのNPO読本 仙台NPO研究会 ㈱ぎょうせい
市民プロデューサーが拓くNPO世紀 ㈱ぎょうせい
「力まず、ゆるまず、とらわれず」 かしましファクトリー
季刊『仏教』1998年4月号掲載「エイズが教えてくれたもの」 法蔵館
市民社会創造の10年-支援組織の視点から日本NPOセンター編集 ㈱ぎょうせい
NPO!? なんのため だれのため村岡兼幸+まちづくり市民財団編著 時事通信社
道州制で日はまた昇るか道州制.com編著 現代人文社
コミュニティの自立と経営 山田晴義他共著 ㈱ぎょうせい
アカデミック・ジャパニーズの挑戦 門倉正美・筒井洋一・三宅和子編 ひつじ書房
私のだいじな場所-公共施設の市民運営を考える ハンズオン埼玉編集・発行
コミュニティ再生と地方自治体再編 山田晴義+新川達郎編著 ㈱ぎょうせい

【関連】
HIV/AIDSをめぐる集合行為の社会学本郷正武著 ミネルヴァ書房
参照
薬害エイズとは(NHK週刊こどもニュース)
http://www.nhk.or.jp/kdns/_hatena/00/0227.php
長沢節さん(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%A2%E7%AF%80
取材先: せんだい・みやぎNPOセンター      (タグ: , ,

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