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2024年 11月 21日 (木)

[Vol.4]
小泉彌和さん (株式会社K sound design 代表取締役社長兼CEO)

何のためにそれをするの?と、自分に聞いてみて下さい

小泉彌和さん
1974年、神奈川生まれ。1992年、仙台育英学園卒業後、1999年、明治大学~株式会社サイバード入社。2004年、株式会社サイバード退社後、有限会社K sound designを設立し、代表取締役社長に就任。「モバイル中心に豊かになる社会をつくり、地域経済の自立に貢献する」を経営理念に掲げ、急成長中のベンチャー企業として、各方面から注目されている。


-モバイルコンテンツビジネスで当時史上最速の株式公開を果たした株式会社サイバードの創業期メンバーであり、モバイルコンテンツ産業を先導してきた小泉彌和氏。"何のために働くのか""何のために成功するのか"という彼の人生哲学が、地元・仙台での起業を決意させ、仙台から新しいモバイル産業の流れを今、生み出しつつある。会社の成長と地域貢献のベクトルがパラレルとなり、相乗的な発展を遂げているベンチャー企業K sound design。その青写真を描く小泉氏は、常に柔らかな笑顔を絶やさない。

昔、クリエーターとしての自分がやりたいなと思ったことが、会社という組織でやれる状態を目指しているんです。

-今、何をされているのか、簡単にご説明をお願いします。

「会社をやっています。携帯の番組をつくってます。例えば、携帯で遊べるゲーム、携帯で聞ける音楽、などなどをつくっています。中高生の皆さんには、とても身近だと思うよ。」

-なぜ、携帯なのですか?

「この業界に入ろうと思ったきっかけは、当時大学生の時に出会ったインターネットで仕事をしたいと思っていたときに、たまたま求人広告でモバイルインターネット会社を見つけたからです。だから携帯は、たまたま、でした。」

-当時はインターネットが世の中に登場したばかりの頃ですよね。インターネットにどのような可能性を感じていたのですか?

「当時は漫画家か音楽家になりたかったのだけど、自分がつくった作品を世界中に配信できる、インターネットとの出会いは衝撃的でした。意味もなく、サイトを英語で書いたりしていてね(笑)。そうやって自作の音楽を発表していくうちに、ゲームのBGMをつくる仕事を依頼されたりということがあって、そういう商売を1996年から1999年くらいまで続けたかな。でも、自分で見積や請求書をつくったりというビジネスの基本をよく知らなかったので、仕事があまり大きくならなかった。それでまずは会社に入って勉強しようと求人広告を見て、1999年4月、モバイルインターネットの会社に入りました。」

-インターネット端末としての携帯電話は、当時かなり先駆的だったのでは?

「ドコモに"iモード"が登場したのは1999年の2月。その会社は、iモードが始まる前から"携帯+インターネット"の形を提案していた会社だったんだよね。賢いなぁ、と感動しましたよ。彼らについていけば、いろいろ学べるんじゃないかと思いました。それと、そこにいる人たちに惚れたんです。史上最速で株式公開を目指す! 世界で勝負できるビジネスをつくる!という、熱い一体感・ワクワク感が大好きでした。だから、その会社に就職しました。」

-小泉さんにとって、運命的な出会いだったのですね。その会社では、どのような経験をされたのですか?

「最初に担当した仕事が、某コミュニティーサイトのプロデューサーでした。それがいきなり大ヒット。わりと皆さんに持ち上げていただいて、早い段階で成功事例を経験できました。その後も、人まねをすることは好きではないので、前例がないことを試行錯誤しながら、様々なサービスの企画や開発・運用を手がけていきました。寝食の時間も惜しんで、一生懸命働きました。そして2年後、会社は当時史上最速で株式公開を果たし、4年後には"ヒルズ族"になりました。」

-ベンチャー企業のサクセスストーリーを絵に描いたような急成長ぶりですね。そんな中、創業時から変化したことはありましたか?

「最初は社員10人くらいだった小さなベンチャー企業は、300人にまでふくらんで、きちんとした会社として機能するようになりました。それはもうすごい急成長で、一週間に1回新人歓迎会を行うくらいの成長スピードだったんです。でも、六本木ヒルズに移転した頃から、成長率の鈍さのようなものを感じました。もともと逆境で燃えるタイプなので、あまり面白くなくなってしまいました。そこで、燃え尽きてしまったんです。」

-ないものをつくるという、熱い一体感のようなものを、小泉さんは求めていたのでしょうか。

「次に自分が燃えることができることは何だろう?と考えました。そこでモバイルを地元に持って帰って、地元を面白くできたら、地元の人にありがとうと言われる仕事が出来るんじゃないかなと考え、起業する決意をしました。」

-起業にあたって、確信のようなものはあったのですか?

「前職で、地元にいた弟の会社へ外注していた経験から、やり方によっては地方で離れていても、やっていけるだろうということがわかっていました。またモバイル業界を見渡してみると、東京の人たちは東京の人たちで、つくりたいものをつくれる人がいないと困っていたし、一方仙台には、つくりたいんだけど仕事がないと困っている人がいました。そこで丁寧なものを安価で提供できる企業が、東京以外にあってもいいのではないか、という確信はありました。それを弟がすでに証明してくれていたので、決心が固まったんですけどね。そして2004年1月に会社をつくり、起業したことを、これまでお世話になった方々へ連絡しました。そこで某大手キャラクター会社からお仕事を頂き、信用を頂いて、非常に良い一歩を踏み出すことができました。」

-2004年の創業から急成長をつづけ、今や各方面から注目されているK sound designさん。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いですが、どのような成長ステップをこれまで経てきたのですか?

「できることからはじめるのが、最初のステップです。今までの主力事業は、発注を頂き納品するという、いわゆる受託生産業と言えるものでした。例えば、サイトの中におかれているキャラクターをつくるような仕事、音楽サービスのボイスをつくる仕事など、細かい仕事からはじめました。受託の仕事は、非常に泥臭い仕事ですよ。そこから、音楽のサイトそのものをつくらないかという話になって、どんどんできる仕事が増えていきました。今では、携帯のことなら何でもできるようになりました。それが本当に面白くて。今、多くの大手コンテンツプロバイダーのプロジェクトには、うちの会社がからんでいますよ。業界の中では、知る人ぞ知る会社になっています。世界的ブランドのゲームをつくったりもしています。ブランド価値の高いものをつくるのは、簡単ではありませんが、より高収益になるんですよ。3年間で社員も30人になって、本当に地道に、成長ステップを積み重ねてきましたね。」

-成長の仕方を設計図として描くのが、社長の仕事とも言えそうですが、次の成長ステップとして考えていることは?

「これからは委託以外にも、主力となりうる自社ブランドに力を入れていき、自社ブランドの価値を高めて、いろんな人に知ってもらおうと思っています。例えば今は、Mooという自社ブランドと、輝(てる)というゲームサービスの2つの柱があります。まだ業界でやってないサービスをすることで、自社を業界の中で広く知ってもらうきっかけになりました。受託の仕事と自社ブランド、その両輪で成長したいと考えています。」

-クリエーターの個性や思いをより反映できる自社サービスは、音楽家や漫画家を目指していた小泉さんにとって、念願だったのでは?

「コンテンツプロバイダーとして成功したら、次はインターネット上に存在している情報を収集・整理して利用者に提供するコンテンツアグリゲータ(aggregate=集合させる)となり、最後は、コンテンツを所有するコンテンツホルダーになりたいと思っています。コンテンツホルダーは、自分でものをつくるクリエーターにとって、最高のゴールだと思います。昔、クリエータ-としての自分がやりたいなと思ったことが、会社という組織でやれる状態を目指しているんです。」

どこにもない世界の中央を、我々がつくるんだ、ということが、我々の会社の目指すゴールです。

-起業を決意するまで"社長になりたい"と思ったことは一度もなかったとのことですが、実際に起業する時には、いろいろな問題の解決方法を考えていらっしゃったと思います。

「目の前に困っている人がいて、問題が見えていて。見て見ないふりしてもいいんですけど、それを解決するにはどうすればいいか?を考える、その繰り返しでした。"戦争反対!世界平和!飢餓で苦しんでいる人のために!"といった遠い世界の話ではなく、目の前で困っている人をなんとかしていく方が良いと思うんです。遠い問題と目の前で困っている人の問題って、どこか繋がっていると思いますし。戦争を起こす側の気持ち、起こされる側の気持ち。いじめる側の気持ち、いじめられる側の気持ち。両方知らないといけないと思います。どちらか片方だけだと、両方とも攻撃するばっかりになっちゃうから。自分に出来ることを探そう。そのときには、相手の気持ちをわかる思いやりが大切です。いろいろな問題を、自分の問題として考えてみれば、自然に解決方法を考えることをはじめていると思います。そういう意味で、小学生のときに先生から言われた言葉をそのままやっていれば、みんな幸せになれると思うんだけどなあ。」

-では、小泉さんの感じていた「問題」とは?

「ネットの仕事って、リアリティがないんですよ。お金は儲かるんだけど、誰が喜んでいるか、わかりにくいんですよねえ。商品を手にとって、ありがとう、って言われる実感が欲しいんです。誰かを喜ばせた、という実感。商品がヒットした結果、地元が潤う、という実感や手応えが欲しいんです。経済効率だけで動いてはダメです。志がないと、お金の魔力に負けるんです。それに負けないために、理念が必要なんです。それと、地元はあまり景気がよさそうじゃないなと、実家に帰る度に思っていました。地元で働いている人たちを見ると、儲からないとか政治がどうこうという話を聞くことが多くて。"俺が何かを変えてやるんだ!"という意気込みが小さくなっているように感じました。世の中では勝ち組・負け組と二極化していますが、何かを変えたいという意気込みを持てない世の中は、よろしくないと思います。そこで生き甲斐をつかんでいくために、どのようにすれば機会を均等にしていけるだろう?ということをずっと考えていました。地方にお金が残らない仕組みがあるから仕方がないんだと、諦めるのではなく、だったら、その仕組みをつくったらいいじゃん、って思ったんです。」

-地元の経済が潤うこと、そしてそれを手応えとして人々が実感できること。それらを実現するしくみが必要だ、という問題意識ですか?

「国も地域も借金だらけの国を、後世に残すつもりですか?地方は中央からお金をもらうのではなくて、自力で外貨獲得をしなければいけません。地方が儲かることが必要です。そうしないと自治体は破綻してしまいます。どんどん豊かな自治体へ人が流出してしまいます。これが正しい流れだと思わないよ。つくりなおさないといけません。だから、国を変えましょう。別に革命を起こす訳じゃないんですよ。」

-その問題解決のために、小泉さんはどのようなビジョンをお持ちですか?

「地元貢献のために、経営をすることです。地元貢献とは、つまり、税金を地元へ落とすこと、お金をたくさん地元に流すことです。そうすれば、人がたくさん集まります。人がたくさん集まれば、おもしろい人たちが、旗振って、何かやりはじめるよ。でも、ただ人を集めればいいんじゃないんです。おもしろい人を集めなきゃいけません。おもしろいことを考えた人が、それを実現できる環境をつくりたいんです。チャンスが多い地域づくり。チャンスっていろいろありますけど、ひとつは儲かることです。知恵をつかって儲かる環境をつくります。松下幸之助は250年後、伊達政宗は400年後を見据えた都市計画を行っていたと言いますが、私が見えているのは、まだまだ50年後です。死んだ後どうなるかも考えて経営するのが、自分自身の課題ですね。」

-クリエイティブな人々がまわりにたくさんいることが当たり前になったら、とてもおもしろい世の中になるでしょうね。しかし逆に言えば、現時点で地元にはチャンスがないということを、小泉さんは感じていらっしゃるということですか?

「東京なんですよ、仕事の入り口は。私が仕事の入り口になって、地元のみんなに仕事を流すんです。地元がチャンスに溢れていたら、地元に住めるの。ネット業界と言えども、今は東京なんです。ぼくが地元に住めるようになったら、地元にもチャンスが溢れているということ。ぼくは、チャンスのバロメーターになるよね(笑)。それに、"地元で働きたい"以上に、"地元のために働きたい"のです。"地元のために働く"ことは、とてもパワーがいることです。東京での生活が疲れたとか、マイペースで働けて食うに困らなければ良いとか、ネガティブな理 由では、"地元のために働く"パワーは足りません。そういう意味で、"地元のために働く"ことは、"地元で働く"Uターンとは、全然違うものです。」

-では具体的に、その問題解決のために、どのような方法をお考えですか?

「まず人を集めることです。仙台に住む人を増やせば、地元にお金が落ちます。仙台を好きになってもらうきっかけをつくるには、観光客を呼ぶことです。よい町だよということをアピールして、仙台を好きになってもらいます。好きになってもらうには、名物・名所をつくる必要があります。感情を刺激するものをつくろうじゃないか、ということです。そこで我々の掲げるキーワードは、"モバイル未来都市、仙台"。」

-モバイルを、仙台の名物にするということですか?

「どうやったら名物や名所が生まれるのか?を考えてみると、名物も、はじめは誰かが思いついたことに、誰かが感動してそれを伝えたから、結果として、名物になったんだと思うんです。だから、突拍子のない思いつきからはじめても、良いんじゃないかと思いました。私たちは、モバイルを名物にして、世界中のどこにもない都市をつくったら面白いんじゃないかと思っています。目指したゴールはここだ、と決めちゃうんです。決めたら、そこに向かって、走るだけなんです。どこにもない世界の中央を我々がつくる。我々が中央をつくるんだ、ということが、我々の会社の目指すゴールです。なぜかというと、地元貢献のためです。シンプルなロジックです。」

-世界中のどこにもない、ここにしかないものがある地域は、非常に魅力的ですね。

「次に、集まった人がお金を使うこと。これは重要です。でも、お金を使わせる前に、お金を地域に入れる仕組みが必要です。これは、もっと重要です。某ショッピングセンターとか、でっかい施設が仙台にもありますが、あれが東京本社だったりフランス本社だったりすると、東京やフランスへお金が流れていくんです。税金は、本社があるところに納められるんですよ。納税の額ってすごく大きくて、利益の40%もあるんです。このように中央にお金が集まるから、地方は貧しいままなんです。仙台で使ったお金は、仙台に残る、そういうしくみをつくらなきゃいけません。そのためにはここ仙台に、自分たちのショップ、本社をたくさんつくるんです。世界を舞台に、本社は地元。そうすればそのお店でみんなが買い物をして、地元でお金を落ちるしくみができます。でも本社をつくってヒットするくらいの人って、なかなかいません。だから、東京で経験を積んで人脈もある人を、東京から呼んでくるんです。」

-現時点では、一度東京で力をつけた人が地元に戻ってくる流れが必要だ、ということですね。それだけ東京と地方では環境が異なるということでしょうが、本来ならば「本社をつくってヒットするくらいの人」が、地元で育つ環境が理想的ですよね。

「地元貢献のためには、国を変えることが必要で、そのためには、自ら考えて実行できる人材を輩出することが大切です。地域の人が地域にいながらにして、地域から外貨を獲得していくのです。でも最初からそれを出来る天才はいないでしょうから、天才をつくる環境作りを行うべきです。教育も大切ですし、チャンスも大切です。チャンスをつくるには、まず、仕事とお金の流れを、地域につくることからはじまります。お金が儲かるということは、大切なことです。お金で出来ることは多いので、頑張ったらその分儲かる方がいいと思います。それを促すために、地元企業の成功を、私たちの会社がアピールしようと思ってます。そうすれば、成功したい人たちは、みんなが我先にと、地元起業をはじめますよ。そのような"地元起業で大成功"という仕込みを、今年中にやりたいなと思っていて。東京から人を呼ぶだけではなくて、地元の行政と協力して、やっていくつもりです。やっぱり、国のしくみが変わってくれないとね。地元で起業すると支援金がおりるとか。」

-国という枠組みを超えて、地方自治体が自立できるような基盤づくりをできるかどうかが、これからの地方自治体にとって、そして企業にとっても、生き残っていけるかのポイントになりそうですね。

「私がどうしたいということではなくて、おそらくこう変わるのではないかな、という肌感覚を私も追いかけているんです。それはやがては、そうなりますよ。暮らしやすい世の中に向かっていきますから、自分たちもそれに向けてがんばっていきましょう、ということです。夕張市の財政破綻のようなことが、これからもきっと起こるでしょう。だから、いろいろな自治体が"うちの自治体は、魅力的だよ"と言うことを、言い始めているのです。例えば、子どもの医療費がかかりませんよ、とかね。そういうことになっていくんだったら、早めに、行政は魅力的な提案をしなければならないし、企業はそのお手伝いをしていかなきゃならないと思ってるんです。子どもの医療費の財源は、税金なんですよ。そこに貢献することが、地域企業のつとめではないのかな、と思っています。企業の旗振りで行政を動かす、それがいいの。」

何かするとき、何のためにそれをするの?と、自分に聞いてみて下さい。

-では最後に、中高生へメッセージを。

「胸に秘めているやりたいことや夢って、たくさんあると思います。でもなかなか言えなかったりするんだよね。言い方がわからなかったり、まわりを気にしたり。でも気にせずに、言って欲しいですね。夢は言うと叶いますから。胸に秘めているだけじゃ、叶わないですから。言うと叶います。逆に言えば、誰かに語れるくらい、自分の夢を何度も何度も言えるかどうか、です。くじけずに言い続けてください。ぜひ。私は漫画家になれなかったけど、歌手になれなかったけど、遠くないことを今やっているので、ある意味、夢は叶っているんですよね。素敵な仲間達に囲まれて、素敵な夢が叶っています。」

-夢をまわりに語る、と同時に、自分に問いかける、それを繰り返すということですね。

「自分がやっていることを、何のためにやっているかという問いかけを、ずっとやると良いと思います。受験勉強をなぜしているのか?-学校に受かるため。では受かったら、どうするか?・・・というように、何のために、それをやりたいのかを自分に問いかけることで、ちょっと先の自分が見えてきます。そうすれば、後悔のない人生が送れるのではないでしょうか。」

(2007/04/21 Five Bridgeにて 文責:大草芳江)


【参考サイト】

株式会社 K sound design
http://k-sd.jp/
社長ブログ「未来都市、仙台」
http://hiroka.net/
取材先: K sound design      (タグ: ,

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