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2024年 11月 02日 (土)

東洋の教育の方が、程度が高かった



東洋の教育の方が、程度が高かった

前回のインタビューでも、西澤さんは「やってみせるのが教育だ」と仰っていました。
 知識ではなく人のスタンスが、人を育てるのですね。
 

昔の東洋では、教育とは「人を育てること」だと言った。
ところがアメリカは、「知らない知識を教えてあげることだ」、
と言っているわけだよ。

東洋の教育の方が、奥が深いんだね。
だから、先生より偉い弟子が出てくるのは当たり前なんだよね。
人を育てるんだから。

だから昔は、先生につこうと思うと、
「弟子にしてくれ」と、頼みに行くんですよ。

先生が嫌だよと言うと、門の前で座り込みをやるんだよ。
それで先生も根負けして、じゃあ入れてやると言ったんだ。

すると、その時に弟子はお金をまとめて持って行き、
先生に差し上げたのだよ。

そのかわり、女中代わりのような形で住み込んで、
弟子が子どものおもりから飯炊きまでやったんだよ。
人を育てるんだからね。

―研究だけとか仕事だけとか、そういった境目がないものなのですね。

そうだね。
だから、東洋の教育の方が、程度が高かったのだよ。


ヨーロッパに学校ができた1500年前に、アジアには学校があった

―西洋と東洋の教育、なぜそのような違いがあるのでしょうか?

そりゃ、だって、別々に出発したのだから。

皆、さっぱり知らないことけど、
日本に学校ができたのと、
ヨーロッパに学校ができたのと、
どっちが早いか、知ってる?

『孟母三遷(もうぼさんせん)の教え』って、
あなた知らない?

孟子のお母さんは、はじめは墓場のそばに
住んでいたけれども、孟子が葬式の真似ばかり
しているので、市場近くに引っ越した。

ところが今度は孟子が、売り買いの真似をしたわけだ。
それを見たお母さんが、また引っ越した。

3回目に住んだところは、学校の隣だった。
すると孟子はだまっていても、勉強を始めた。
それで、そこにずっと住み続けたわけ。

孟子はいつ頃からいた人か歴史を調べると、
だいたいキリストが生まれる400年前なんだよ。

すると、孟子が子どもの頃には、中国には学校があったわけだ。
それで、日本にも仏教伝来がその後にあったから、
日本にも学校というものが、一緒にくっついてきた。
だから日本にも、結構古くから、学校があったんだ。

つまり、キリストの生誕前後400年前の
アジアには学校があったんだね。

一方、ヨーロッパに学校ができたのは、
ボローニャという北イタリアのまちに、
若者が集まって話をしたとき。
これから何をやろうか、という話になった時だね。

そして、いろいろ新しい知識を持っていなければ困る。
だから新しい知識を、偉い人を呼んできて、
教えてもらおうじゃないかという話になったわけだ。

聞くところによると、お礼をいくら出すか、
という話にまでなったらしい。

それが、ヨーロッパの学校になったのだよ。
西暦で言うと、11世紀。

すると、アジアに学校ができたのと、
ヨーロッパに学校ができたのでは、
1500年も違う。

ずいぶん昔から、アジアには学校があったんだ。


アメリカに学校ができた2300年前に、アジアには学校があった

じゃあ、アメリカに学校はいつできたか?

アメリカには何もなかったんだね。
インディアンがいたのだから。

インディアンというのはアジア民族なんだよ。
それが昔は、ベーリング海峡が凍結していたから、
その氷の上を歩いて、アジアからアメリカへ移っていたんだ。

インディアンのお尻には斑点があるんだ。
だからアジア系だって言うの。日本の子どもにもあるだろう?

それでスペインの船乗り・コロンブスは、地球が丸いのなら、
西の方にずっと航海すればインドに到達するだろうと思った。
それで皆と相談して、3隻の船を連ねて、西へ出発したんだ。

その当時、地球は板状だと思われていたわけだね。
だから海の果てに行けば、水が下に落っこちる、
と思っていたから、皆その近くに行かなかったわけだ。

逆に言うと、すでにヨーロッパの船が喜望峰を回って
インド洋に入って、インドまで来ていたんだね。

だから、同じように西から行っても、インドに着くはずだ、
とコロンブスは言って、3隻の船で乗り出したわけだ。

他の船乗りたちは心配になって、帰ろう・帰ろうと言ったけど、
コロンブスは頑張って、行っちゃったわけだね。

とうとうコロンブスは、島があることを見つけて、
上陸したわけだろう。アメリカ大陸の発見だね。

ところがコロンブスは、「アメリカ大陸を見つけた」とは
思っていなかったんだよ。アジアに着いたと思っていた。

だからあの辺の島には、「東インド諸島」という名前をつけた。
つまり、インドの東にある島だと思っていたから、
そういう名前をつけたけど、実はアメリカだったんだね。

ということで、やっとアメリカにヨーロッパ人が行ったのは、
コロンブスの頃だから、学校なんてできっこないよ。

それで学校をつくったのは、アメリカの国ができたのと
近いから、少しおまけをしても300年前くらい。

すると、アジアに学校ができてから、
ヨーロッパに学校ができたのは1500年後、
アメリカに学校ができたのは、それからさらに700年後。

するとアジアとアメリカを比べてみると、
2300年間、アメリカは遅れているのだ。

だからアジアの教育というのは、非常に優れているはずなのだよ。
昔からやっているのだから。


欧米の方が良いと思っちゃっているところがいけない

―つい日本人は「海外の方がすごい」と思ってしまいがちです。
 けれども、やはり日本の優れている点も含め特徴を認識することが大事ですね。

アジアだって、アメリカよりも優れている点が、いっぱいあって。
教育なんかも、その一つですよね。

明治になって、外国と日本との間で交流がはじまったわけだ。
そこで慌ててヨーロッパ式のものを取りいれたけど、
実は日本の方がはるかに優れているものもたくさんあったんだね。

明治時代、日本にヨーロッパ式の学校をつくって、
非常に日本の文化が進歩したのも、それはやっぱり、
江戸文化があったからだ、ということを言う人もいるんだよ。

だって、教育という点から言えば、日本の方が良かったのか、
アメリカの方が良かったのかわからないくらい、アジアは良かったのだから。

今だって、教育も欧米の方が良いと思っちゃっているところがいけない。
日本だって、すごい文化があるんだよ。

―そもそも日本人って何だろう、って最近強く思うんです。
 私事ですが、今春、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を訪れた時、
 自然崇拝や神仏習合、多神教などの痕跡を見て、
 日本人独特の自然観や宗教感というものに、初めてリンクがかかりました。
 そもそも日本人って何なんだろう、もっと知りたいと思うようになりました。

もっと早く、そういうことに気がつかないといけないね。

そういう列国の文化というのは、皆違った発達を遂げて、
それが適当に融合しながら、またそこで特徴を出して、
どんどん進歩しているわけだから。そういう過渡期にいるわけだよ。

キリスト教の方が、仏教より優れているとは言えないし。
神道より優れているとは、言えないしね。


日本人はどこから来たか

だいたい我々は、戦争中そんなこと考えている暇なかったんだよ。
それで戦後になって、そういうことに、とにかく初めて気がついてさ。

それで、初めて外国に行ったのは、昭和30年頃だったかな。
はじめはずっとアメリカに行って、ヨーロッパをまわって帰ってきた。

当時は南方航路しかなかったから、ヨーロッパから南の方を、
ぐるっとまわって帰ってくるわけだ。

油を少ししか積めないから、降りたところで石油を積んでまた飛んでいく。
だからヨーロッパから日本に帰ってくるまで、一週間くらいかかったんだ。

ところが、ヨーロッパにいたときもそうだったのだけど、
日本人かなと思って声を掛けると、違うのがいるんだ。
タイの人だよ。

タイの人間と日本の人間はよく似ているけど、どうしてだろう?

そこで、後からわかったことは、逆に言うと、
あの辺から、日本へずいぶん来ていたんだね。

大体昔は、皆あたたかいところに住んでいたわけだから、
それがこう、あっちこっちへ散っていくわけだよ。

それで結局、今一番ひとつの強い主張というのが、
南シベリア辺りに、日本人の発祥の地があるっていうんだよ。

だからあれだろう?例の今、力士がいっぱい来る。
あのへんの人間と日本人、よく似ているだろう?

―モンゴル人ですか?確かによく似てます。

それでたまたま、東北大学医学部を出た先生が、
抗体の研究をしていたんだよ。

人間の体の中には、細菌に対して対抗する組織
(抗体)ができるわけだ。

それがお墓の中に残っているというわけ。
昔は火葬しなかったからね。
それを調べてみると、どんな病気にいじめられたかが、わかる。

それでずっと昔の地図と比較してみると、
ここで死んでいる人が、どこの国にいたかがわかるっていうんだ。

それでずっと絞っていくと、日本人の祖先は、
南シベリアにいたということになっているんだよ。

そのようなことから、日本人は地球の上を移動して歩いた。
それで、日本に定着したことになっているのだよ。

それと多分、見たことがあると思うのだけど、
ヒマラヤあたりの国でブータンの人は、ドテラ(民族衣装)を来ているよね。
(昭和)天皇が亡くなった時、ブータンの人はドテラを着て、大葬式に出ていたよ。

つまり、日本人があの辺から、ずーっと流れてきているんだけど、
ドテラの伝統だけは持ってきたんだ。

あんな寒いところでドテラ着るのは、一つの風習だったのだろうけど、
下に降りてきたら暑いわけだから、よくあんな暑いところで、
ドテラを着る風習が消えなかったもんだけどさ。
ドテラを着る癖はずっと持ちながら、日本に流れついているわけだ。

そういうことで、民族の大移動があったんだ。
ヨーロッパでもあったと言われているだろう?
アジアでもあったんだよ。

そして、文化というものを、持って移動しているんだ。


我々だってやればできるのだ、と思わないといけない

―では、西澤さんから見て、アジアの中で、
 日本のポテンシャルを、どのように考えていますか?

やっぱり結構高いと思うよね。ありがたいことに。

―どのあたりが、どのように、どれだけ高いと思いますか?

あはははは(笑)

例えば、日本の技術工芸というものは、
世界に冠たるものがあるじゃない。

科学技術の方は少し落ちるけどね。
中国の方が、もっと歴史があるよね。

中国で発明したものは、三つしかないと言うんだよ。
ひとつは木の活字。それから火薬。そして方位磁石。
けれども、そんなことあるもんか、と言ったんだ。

例えば昔の物語でね、三皇五帝時代があったんだよ。
皇帝が3人いて、帝王が5人いた。
中国の一番古い歴史なんだよ。

そのあと、殷の時代あたりからは、
相当いろんなことが残っているから、
だいたいのことがわかっているのだけど。

その三皇五帝時代に、三皇の一人である親王が、
そこらへんに生えている草を舐めて、毒と薬と食料に分けた。
舐めてわかるというのは、物語だからね。

それで、人民に教えたやったというわけ。
これは食べても良いよ、これは薬になるよ、
これは食べてはだめだよ、と教えたわけだ。

つまり、これは植物分類学だよ。
植物分類学は、アジアでけっこう早く発達したんだ。

だから今だって、薬の世界では、漢方薬ってあるだろう?
あれは西洋医学だって、敵わないところがあるのだから。

独特の発達をしているわけだ。
今だって、そういう分野では、西洋科学の先生が勉強するんだから。

だから、中国に3つしか発明ないと言っているのは、
みっともない話で、ちゃんと良い発明がいっぱいあるわけだ。

だから、やっぱり他の分野だってそうなのだから、
ちゃんと自分たちでも、そういう自覚を持っていないといけない。

先輩だって良い仕事をしてきたんだ。
我々だってやればできるのだ、と思わないといけない。


外から見ないとわからない

―アジアのお話が中心ですが、日本としてはどうでしょうか?

残念ながら、中国の分家みたいなもんでね。
もちろん中国人と日本人はだいぶ違うけど。
文化について言えば、中国の出店みたいなもんだ。

韓国に行ったときにね、
むこうに行ってみると、何でもあるんだよ。

例えば、関西の人が太鼓を叩く時、
こっち(東北)の祭り太鼓の叩き方とは違うんだ。
こうやって後ろを向いて叩くよね。

それで韓国に行くと、皆、後ろを向いて叩くんだよ。
これは韓国のやり方を真似したに違いないなと思って、
こちらががっかりしていたら、韓国の大学の先生に慰められたよ。

何でもかんでも韓国の真似じゃありませんよ、
日本人独特の文化だってありますよ、ってね。

それはやっぱりむこうの人に、教えてもらったんだ。

例えば、お城っていうのは、日本にしかないって言うんだよ。
韓国にはない、って言うんだ。

日本でも独自に発展した学問や習慣って、あるんだよ。
一方で、韓国にも優れた文化があるんだ。
特に、陶磁器なんか、すごいからね。

ただ、陶磁器なんていうのは、
日本が韓国に行って散々嫌われるようなことをやった時代には、
そこらへんに野積みされていたんだ。
ああいうものをつくるのは卑しいと、言われていた。

ところが、日本人が行って「これは非常に良い」と言った。
それで、そこら辺に落ちていたものを拾って帰って来た。

日本人が、むしろ韓国の陶磁器の価値を認めたんだ。
それ以来、韓国の人たちも、やっぱりすごいんだと言い出した。

だから、韓国の人たちは、陶磁器が良いと見つけてくれたのは、
日本人だと言っているよ。

―お互い外から見ないとわからないものなのですね。

外から見ないとわからないこともあるんだよね。

やっぱり文化とは、そんなもんでね。
日本文化っていうのも、そうなんだよ。


次へ 天分見つけてくれた



取材先: 西澤潤一     

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