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2017年 05月 23日 (火)

今の学生は、自分の地域に対するこだわりが強くなっている



今の学生は、自分の地域に対するこだわりが強くなっている

最近は少子化の影響もあってか、今の学生を見ていると、
自分が生まれた地域や自分が住む町に対する愛着が
僕らの頃と比べると、すごく強くなっていますね。

我々はどちらかと言うと、自分の故郷を捨てて、
大きな町に出てくるパターン。

私たちよりももっと上の、団塊の世代の人たちは、
大体そういうパターンだったと思うのですね。

それで60歳位になると、故郷に対する愛着が増して、
自分達の故郷のために戻って尽くす人たちも、
最近は仙台でも他の地域でも、すごく増えていますけど。

けれども、ある時期は、自分が生まれたところなんか、
すっかり忘れちゃう、なんて時期があるわけですね。

それに比べると、今の中高生は、子ども一人しかいない環境です。
親も、できれば一緒に暮らして欲しいと願う。
その要求が、我々の時期に比べると、すごく強いんですね。

それは良い意味と悪い意味の両方、あるかもしれない。

そういう意味から言うと、自分の地域に対するこだわりは、
昔と比べて、ずいぶん強くなってきています。

せっかく、そうなっているのだとすれば、
そのようなつながりのようなものを、
地域のなかで小さく閉じちゃうのではなくて、
自分達の地域にある良いものを、外へと発信していく。

外とは、日本全国だけでなく海外へも発信していって、
ちゃんとそのなかで評価を得ることができる人材を求めます。

少なくとも大学を出た人たちには、やはり、
そういうことを求めたいですよね、私達としては。

最初からこじんまりとまとまって、自分の会社だけが良いという発想ではなく、
自分の会社も良くしていくけども、地域も良くしていく。
その地域も、どこへ出してもちゃんと輝くことができるようなものに変えていこう。

一般の「世の中で、こういう職業に就くと偉い」という意味のものではなく、
そういう良い意味でのアンビション(野心)を持ちながら、仕事をして欲しいと思うのです。

そういうものに対して、今の学生は、とても関心を持っているのですよ。
ですから、やり方によっては、とても良い方向に動いていけると思うし、
是非、そういうことも考えて欲しいと思っているのです。


大都市で仕事をした人が地域に戻って活躍できる場を

これは大学によってもパターンが違うと思うのですが、
東北大学の典型的なパターンは、ほとんどの学生が卒業後、
大都市圏の大企業へ行ってしまいます。

それが悪いと言うつもりはないのですが、
そういうところで仕事を経験したり世界を見てきた人たちが、
また自分の町に戻ってきて活躍できるというキャリアも
これからすごく大事になると思っているのです。

そのタイミングは人それぞれだろうけど、自分達が培ったものを、
地域の中で生かせる場を広げていくことができれば、
日本の地域社会はもっと良くなっていくと私は思うのですね。

ところが今の状況は残念ですけど、
東京に、ほとんどの情報と人材とノウハウが集中している状態です。

東京まで新幹線でわずか1時間半程度の仙台ですら、
都市機能という点から見ると、圧倒的に東京に依存している。

東京や一部の大都市は、それで良くなっていくかもしれないけど、
このままでは、ほとんどの都市は沈んでいってしまうと思います。

極端な二極構造になっているのですね、今の日本は。 でも、それではおかしいのです。
それぞれの地域のなかで、それぞれの地域が光り輝いて自立していくことが必要です。

そのためには、やはり、そういう人材が戻ってくるとか、
そういう人材を地域の中で育てていくことをやらないと、おかしいと思うのです。

「Wikipedia」には、東北大学はいわゆる「brain drain(頭脳流出)」が激しい、
とまで書かれている。あれほど、恥ずかしいことはなくてね。

参照元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「学都仙台」

それが、もうちょっと幅広く、野心と能力を持った人たちが、
仙台に来て仕事をしてみようと思えるような場をつくることが、
私はとても大事だと思うのです。


離れて初めて気づく、故郷の良さ

長く仙台に何十年も住んでいるから、
仙台の町をよくわかっているかと言うと、
本当はそうじゃないみたいなところがあってね。

自分の故郷を離れて初めて、
自分の故郷って、いいところがいっぱいあったんだ、
と気づく場合もあるんです。

私は長野県の諏訪盆地にある諏訪市というところで、
高校生の頃まで育ちました。

その小さな盆地の中には大きな湖があって、
その周辺に十数万人の人たちが住んでいる、そういう構造です。

もともと「セイコー」という時計メーカーから出てきた、
今は「セイコーエプソン」という名のメーカーの本社もあります。

精密機械や情報関連のいろいろな機器を製造している
中小企業がたくさんある町なのですね。

自分がそこにいた当時は、そういう町が当前だと思っていたのですが、
東北に来てみて初めて気づいたのは、そういう町って、ないんですよ。
東北地方にはあまり。

あんなにたくさん中小企業が集まって、中小企業らしいものづくりをして、
小さな企業だけども、世界で活躍している会社が、かなりたくさんあって。

いかに自分の育った町が、特異な町だったか、わかりました。

しかも私が生きていた18年くらいの間で、
実は、その町のなかでも、すごい産業の変遷があったんですね。

もともと時計のメーカーである「セイコー」社が、戦争中に疎開してきて、
そこに工場をつくったのが、今につながる直接の理由なのですが、

その第二次世界大戦前まで、私の町は、
世界最大の生糸(絹の材料)の生産地だったんです。

生糸、要するに蚕でそこから糸を紡ぐという、
一種の繊維産業の町だったんですね。

そういう繊維産業からはじまって、
良い繊維をつくるためには良い繊維機械が必要だとなって、
精密機械がだんだんと地域の中に集積していって、
それも原因になって、セイコー社が来たわけです。

セイコーという会社自体も、私がいる間に、メカニカルウォッチから、
やがてクオーツやデジタルに変わって、ということが一方では起こりながら、

デジタル化という流れのなかで、同じセイコーグループの中から、
プリンターや情報関連の機器をつくる会社が新たに出てきまして、
それが現在の「セイコーエプソン」になっているわけです。

わずか数十年くらい間で、ものすごく産業が変遷している。
幸いなことに、地域自体も駄目にならないで、産業の変遷のなかで、
ずっと自己革新しながら今に至っているわけですね。

ですから、今となってみると、すごい地域なんですよ。

自分達の力で自己革新しながら、小さな企業であっても
そこで何とか生き残ってくることをやれた経営者の人たちが、そこにいたわけですね。

けれども、そういうことは、私が仙台に来てから、
「あぁ、そういうことだったのか」とだんだんわかってきて、
自分達の故郷の姿に対する見方が変わってきたのです。

高校生の頃は、こんな狭い盆地のなかで生活していたので、
やっぱりね、息苦しくてしょうがなかったわけです。

湖の向こうに八ヶ岳という大きな山があって、
いつもその山を見ながら高校に通っていたわけですが、

もう高校終わったら、早く山の向こうへ行きたい。
そういう欲求ばかりがありましたね。

それはもちろん私だけでなくて、皆そうで、
「こんな小さな町にいるもんか!」と言って、外に出て行くわけです。

そして出て初めて、自分達の町の良さがわかっていく。
町の中にいる人たちの偉大さなどがわかってくるわけですね。

次へ 「こういうもんだ」ってパターンは決まっていない



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