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2017年 11月 24日 (金)

科学って、そもそもなんだろう?:ノーベル化学賞受賞者の白川英樹さんに聞く 取材・写真・文/大草芳江

2011年01月05日公開

知識を探究する人間の知的好奇心そのもの

白川英樹 Hideki Shirakawa
(筑波大学名誉教授、2000年ノーベル化学賞受賞)

1936年、東京生まれ。工学博士(東京工業大学)。1961年、東京工業大学理工学部化学工学科卒業。1966年、同大学院理工学部研究科博士課程修了。1966年、同大学資源化学研究所助手。1976年、米国ペンシルベニア大学博士研究員。1979年、筑波大学助教授。1982年、同教授。1991年、同大学院理工学研究科長。1994年、同大学第三学群長。2000年、ノーベル化学賞受賞(マクダイアミッド・ヒーガーの両氏と共同受賞)。

 「科学って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【科学】に関する様々な人々をインタビュー
科学者の人となりをそのまま伝えることで、「科学とは、そもそも何か」をまるごとお伝えします


「導電性高分子の発見と開発」でマクダイアミッド・ヒーガーの両氏と共に
2000年ノーベル化学賞を受賞した白川英樹さん(筑波大学名誉教授)は、

そもそも科学とは「自分がまだ知らないことを知りたいと思う」ことであり、
それは「物心ついた頃から研究者になってからもずっと変わらない」と語る。

そして、「自分がまだ知らないことを知りたいと思う」ことの前提は、
まだ知らないことがたくさんあることを知っていること。だからこそ、
「自然は未知に溢れた宝の山」「一歩外に出て自然に親しもう」と呼びかける。

そんな白川さんがリアルに感じる科学とはそもそも何かを聞いた。


白川英樹さん(筑波大学名誉教授、2000年ノーベル化学賞受賞)に聞く


自分がまだ知らないことを知りたい

―白川さんがリアルに感じる、科学とはそもそも何ですか?

 「科学って何だろう」と聞かれると答えにくいのは、要するに、人間の知的欲求を満たすというのかな。科学と言うと、自然科学だけと思われるかもしれませんが、自然科学だけでなく、そももそもscienceの語源で「知識」という意味のラテン語「scientia(スキエンティア)」そのものだと思うのですよ。

―白川さんは、昔からそう思って科学をしていましたか?

 いや、それはそう聞かれたので、そのように考えるということ。昔からそんなに言葉を突き詰めるということはなかったですから。僕は、人間の行為は、大きく分けると2つあると思うのです。ひとつは自然に興味を持つか、もう一つは人間に興味を持つか。人間に興味を持つということは、あわせて社会に興味を持つということですから、サイエンスの分類で言うと人文科学と社会科学です。一方、自然に興味を持つということは、自然科学を学ぶということだと思いますね。ですから、私にとっての科学とはそもそも何だろう?と聞かれれば、やはり知識を探究する、人間の知的好奇心だと思います。

―白川さんがリアルに感じる科学とは人間の知的好奇心そのものとのことですが、白川さんは自然に興味を持ち、知的好奇心が趣くままに探究していった、あくまで結果として今ここにいらっしゃるのだ、という風にとらえればよいですか?

 まあ、そうですね。特別な理屈は何もないんです。自然の中に身を置いていた方が、満足できると言うか、安らぎを感じるのでしょうね、きっと。それはもう、後付けですよ。何の理由もないです。

―感じるままに自然のことを知りたい、それが白川さんにとって自然なことだった。

 そうそう。どうしてなんだろう?それをわかりたい、ということです。

―そんな白川さんにとって、自然とはどのような存在ですか?

 僕自身は山登りが好きなのです。まだ誰も足を踏み入れたことのない、人の手が入ったことのないような、地球の姿というものにすごく憧れるのです。ですから僕の自然って何だろう?という第一義は、そういうことなのです。けれども今、日本国内にはそのようなところはないのですが、自然の場所としたらそのような太古の面影を残している。そのようなところに、すごく魅力を感じているのです。

―今まで誰も見たことのない自然の本当の姿を、自分の目で見てみたいということですか。

 そうそう。そのようなものを見たいですね。これは僕にとってなのですが、科学というのは、自分がまだ知らないことを知りたいと思うこと。そして、それを実践することに尽きるだろうと思っています。それは、おそらく物心がついてから、そして研究者になってからも、全然変わらないところです。そして、それがたまたま人間や社会よりも自然に一番近かったということ。自然科学に関する、自分がまだ知らないことを知りたい。そういうことなんですよね。


自然の中にいる限り、五感で感じた自然現象が、
まず第一に不思議だと思う対象にならざるを得ない

 ただね、僕は結果として化学を専門にすることになったのだけども、子どもの目で見て想像することは限られています。ですから、自然に目に映るものが興味の対象となり、それがはじまりだと思うのですよ。実際に自分の場合もそうでした。

 人間社会は別として、自然を見ていると、風が吹いたり雨が降ったり、あるいは物体が動いたり月が満ち欠けをしたり、いろいろな現象がありますね。それはまずは目で見て変化が感じられる、ということがあります。それから、風が吹いて揺れたり音が聞こえるというような、いわゆる五感で感じられることがあります。このように五感で感じた自然現象が、まず第一に不思議だと思う対象にならざるを得ないわけです。

 すると、例えば太陽が昇って沈んだり星が出たり、といった天文学は興味の対象になるでしょうね。天文学というカテゴリーをつくる・つくらないに関わらず。また、例えばボールを放り投げると、ボールは飛んで地上に落ちたり跳ねたり、といったニュートンの運動の法則のようなものは体感できるわけです。

 ですから、それに対して何も知らない子は「どうしてだろう?」と不思議に思うでしょう。そのような点で言うと、物理学のすべてではないですが、物理学の多くのものは自然を見ているとわかります。それから生物というのも、そのような具合で感じることができます。物理学や生物学といったカテゴリーをつくる・つくらないに関わらず。したがって、それに対して不思議だと思う心も芽生えるだろうと思うのです。

 そのようなところで言うとね、自然科学の、例えば物理学や生物学、それから天文学や地学といったようなものが、割とわかりやすいわけです、自然を見ている限りは。そして僕は化学を選んだわけだけども、いくら自然を見ていても、化学現象が目に見えるかと言うと、どうですか?もちろん、ものが燃えることは化学なのだけど、おそらく直接的に見えるのはそれくらいかな。

 ところがね、春になると植物の芽が生えて緑の葉が出たり、あるいは動物が生きている過程は全部、化学のおかげなんですよね。そのような植物・動物の中で化学反応が起きているのです。ですから本来、化学というのは、物理学や生物学や天文学以上に身近にある存在なのだけども、目に見えるようにはなってくれていないわけです。


なぜ化学を選んだのか?と自分自身でも不思議に思います

―たとえ自然の中にいても目で見て五感で感じられない化学なのに、なぜ白川さんは化学に一番リンクがかかったのですか?

 なぜ化学を選んだのか?と自分自身でも不思議に思います。それはやっぱり振返ると、ひとつはね。子どもの頃、母の手伝いでご飯を炊くこととお風呂を沸かすことが、小学生の頃から僕の当番だったのです。

 当時は、ガスもなければ電気も炊飯器もありません。ですから薪を燃やして、ご飯を炊いたり風呂を沸かしたりするわけです。そこで、とにかく火を燃やさなければいけません。火を燃やしていると、どうやったら火がうまく燃えるかを工夫しなきゃいけませんね。そんなことをやっているうちに、燃える現象が非常におもしろかったんですね。

 ご飯を炊くのは忙しいのですが、風呂が湧くまではけっこう時間がかかるのです。ですから釜の前に座って、いたずらをしました。どんなものが燃えるだろうとか。それから、雑誌に載っていた炎色反応を自分でも実践したりして、おもしろいなと思いました。新聞紙に塩水をしみ込ませて燃やすと、炎が真っ黄色になるんです。じゃあさらに他の金属で試すことまでは、食塩以外は手に入らないので、子どもですから自分ではできませんでしたが。でもまぁ、そういうことがひとつありましたね。

 それに当時は終戦後で、食料も物資も何もない時代でした。そのような中から少しずつ豊かになっていく過程で、プラスチックというものが出てきたわけです。

 僕らが子どもの頃、つまり戦前には、プラスチックと言うと、今じゃあまりお目にかかれないけれども「ベークライト」といって、電球のソケット部分に使われているものくらいしかありませんでした。それが「ポリ塩化ビニル」になって、それから女性の靴下で有名な「ナイロン」が出てきたでしょう。そして「アクリル樹脂」も登場しました。

 そのようなものが登場して、それが家庭用品にも使われていたわけですね。例えば、お風呂の椅子や風呂桶、食器のコップとかね。そういうものは皆、塩ビ(ポリ塩化ビニル)でつくられていました。カーテンやテーブルクロスにも塩ビが使われていた時代なんです。今じゃ、かえって使われていないですけどね。当時は、つまり昭和23~24年くらいから、ずーっと使われてきたわけです。

 塩ビは、テーブルクロスにも使われていたように、風呂敷用にも四角く切って、おそらく売られていたのでしょう。中学校になると給食じゃないので弁当持ちになるのですが、普通は綿の風呂敷に弁当を包んで持っていっていました。けれども綿の風呂敷だと、汁がこぼれたりして、風呂敷そのものが汚れるし、教科書やノートが汚れちゃう。そこで母は、ではビニールを使うと良いだろう、ということで、塩ビの風呂敷で弁当を包んでくれるようになったのです。

 ところがね、アルミの弁当箱に熱いご飯を入れるもんだから、確かに汁はこぼれないから良いのですが、特に初期の塩ビは熱に対してすごく柔らかくて、伸びちゃうんですね。そして、お弁当をお昼に食べる頃には、固まっちゃうわけです。ですから包みを開けると、ビニールの風呂敷が弁当箱の形になっちゃう。

 それをこうやってしわを伸ばすのだけど、なかなかもとに戻らないんです。それは、いわゆる熱の可塑性というプラスティックの普遍的な性質です。でも、それがなかなかね、おもしろいと思ったんですね。良い材料だけども欠点はあるんだと。そこで、欠点を改良したプラスチックをつくるというのもおもしろいことなんだ、ということを考えたわけです。

 という風に、それを辿っていくと、結局、そこに行くんじゃないですかね。


化学一辺倒というわけではなく、
割と広い視野を持てていたんだなと思うことがありますね

―自然の中にいて五感で感じられない化学ではあるけれども、とは言え、振返ってみれば生活の中に...

 まぁ、少しはあったと(笑)。それだけが全部ではないですけどね。ですから、そういうことを言うとね、「白川さんって偉いな。初志貫徹だな」と言われるのですが、それはちょっと当たっていないんですね。

―それはなぜですか?

 小さな頃は、野山を駆け巡って、動物や植物を見て、特に植物や昆虫の採集が好きでした。野の花を持って来ては植えて、花が咲くのを楽しむことも好きでしたね。ですから、中学校の終わりから高校くらいの頃にかけては、生物学がいいなと思っていました。

 それから中学校の終わり頃、自分は結局できなかったのですが、「アマチュア無線」って知っていますか?資格をとって自分で送信機や受信機もつくる必要があるのですけど、アマチュア無線をやりたかったんです。そこで、まずは手始めに、鉱石ラジオをつくり、真空管ラジオをつくり、高校生の終わり頃にはトランジスタができたものだからトランジスタづくりをやりました。いわゆるエレクトロニクスにも興味を持ったのです。ということで、物理もやりたい(笑)

 生物学と物理学と化学、三つやりたいことがあったのです。その三つのうち、プラスティックと言いますか、化学が実現したということなんです。ですから、初志貫徹というわけではなくて、いろいろ感じたことがあったんですね。もちろん大学に入って学んでからも、いろいろ感じたことがまたあって。それで結局は、高分子合成という領域の研究をやったというわけなんです。

―最初から「これしかない」と決まっていたのではなく、いろいろな興味があったのですね。

 いっぱい選択肢がありました。当時としては、自然科学というのは普通に言えば、生物学・物理学・化学の三つですよね。そのどれにも興味を持っていましたが、最終的には化学を選んだということです、結果としてはね。どの領域にも興味を持っていたので、化学一辺倒というわけではなく、割と広い視野を持てていたんだなと思うことがありますね。当時は意識していませんでしたけど。

 ですから、よく研究者は「自分の専門外だから知らない」とか「自分の専門以外だから興味がない」と言うのだけども、僕の場合は興味はあるんだね。興味があるけれども、知らないというようなことで。

 それで結局、熱に強いプラスチックを合成したいというのが中学生の頃の将来の希望だったわけですが、実際には、新しい高分子をつくる点では、ずっと一本筋が入っていた。

 けれども、単につくるだけということだけではなく、ノーベル賞をいただいたテーマは「導電性高分子の発見と開発」だったかな。つまり、電気を通るプラスチックをつくることに対して与えられたわけですよね。けれども電気が通るっていうことは、物理学の領域で化学ではないのです。

 それは実にスムーズで、もともとエレクトロニクスに興味を持っていた時期があるわけですから、電気が通るということに対しては、全然違和感がないわけです。


世の中で言う「理系に凝り固まった」というわけではなく、
先生に恵まれ、友達に恵まれました

―少し戻りますが、「大学に入って学んでからも、いろいろ感じたことがまたあった」について、もう少し詳しく教えてください。

 きっかけはプラスチックであるということはずっとひきづっているのですが、大学ではいろいろな勉強をしました。多くの大学では「応用化学科」と「化学工学科」の二つに分かれていて、この二つは全く別物で、それこそ物理と化学くらいの違いがあるのですが、僕が専攻した「化学工学科」は、それを一緒にしたような学科だったんです。

 応用化学というのは、例えば鈴木先生や根岸先生がノーベル賞を受賞したような新しい化学反応(クロスカップリング反応)を見つけるとか、僕がやったような新しい高分子を見つけるとか、そういうものなんです。一方、化学工学というのは、例えばクロスカップリング反応を工業的に応用する際に、どのような条件が必要なのかを研究して設計するんです。

 例えばフラスコを使ってできることも、工業的に大量に生産するためにはその装置では間に合わないから、ものすごく大きなスケールで反応装置を組み立てるわけですね。その時に、例えば原料を輸送したり撹拌したり蒸留したりするためには、特に熱の出入がどうなっているのかを見るんです。そこで反応が起こると すれば出る熱を除去しなきゃいけないし、逆に加熱しないと反応しないものもあります。ではその加熱をどうするかとか。化学工学とは、このようにして反応の要素を研究し、どのような反応装置が最適かを設計する建築みたいなものです。

 その両方とも勉強しました。そのような中でいろいろな先生がいらっしゃって、それぞれの先生は素晴らしいのですが、とりわけ高分子をつくることに関して、世界的な権威がたまたま何人もいらっしゃったんです。それは日本の大学では珍しいことです。京都大学と僕が学んでいた東京工業大学の、おそらく二つだけだったのではないかという気がするんです。こういう言い方すると、他の大学の人が反応するかもしれないけど(笑)多分当たっていると思いますね。

 ですから、そういうところで勉強して、やっぱり高分子をやりたいと思いました。ですから、良い教授陣に恵まれていたということがあったというわけです。主観的ではあるけれども、良い教育環境に恵まれていたと思います。

 さらに、僕が入った当時の東工大(東京工業大学)は、「理工学部」と言って理学部も工学部も一緒で、それぞれの専攻に分かれていなかったんですね。ですから本当は学科が10くらいあるところが、理工学部という枠だけで、皆が一緒に入ってきたわけです。そして2年生が終わった段階で、10くらいある学科にそれぞれ振り分けるということですね。

 それは、数学科や物理学科、それから建築学など、いろいろな学科に分かれていくわけです。分かれるまでは皆、友達だったわけですね。それぞれの友達というのは、将来、建築をやりたい人もいるし、その建築の中にも、建築の構造や都市設計、デザインなど、いろいろな人がいました。

 化学とは関係のない思考を持っている人もいたけれども、皆、同列に学んできたわけです。そのような友人関係にも恵まれてきました。つまり一口に「理系」と言っても、いろいろな考え方を持つ人がいるのです。世の中で言う「理系に凝り固まった」というわけではないですよ。先生に恵まれ、友達に恵まれました。

 結局ね、いろいろな選択肢があったのだけど、固まっていく過程というのは、必然的なものもあるし偶然的なものもある。そういうものは、きっちり「ここはこういうものだ」とは言いにくいものなのです。

―振返ってみればそう言えるけれども、最初からこうだと決めてこうなったわけではなく...

 そうですね。科学者になりたいとか、何とかになりたいとか、全然ありませんでしたね。


知らないことを知ろうということの原動力は、
まだ知らないことがたくさんあるのだということを前提としないとできない

―今までのお話を踏まえて、小中高生へメッセージをお願いします。

 特に小学校や中学校の義務教育というのは、学校の先生がそれぞれの教科を教えるわけですが、僕はそれがすべてなんじゃないかなという風に見えるわけです。少なくとも、自分が学んだ小学6年から中学3年がそうでした。今でもおそらく、それに近いのではないかなという気がします。

 つまり、教わった知識をとにかく自分の中に取り込むということですよね。しかも後から振り返ってみると、ひたすら先生の言うことを学ぶだけで、それをもとに何かを考えるとかではなく、要するに知識を吸収するだけと言ったら良いかな。そういうことだったのですよね。

 それと同時に先生が教えることは、特に理科なんかもそうなのですが、教科書にあることはわかっていることなんですよね。先生がわかっていることを教えるから、「自然の法則はこうなっている」と教わるでしょう?すると理科という学問は、大体これで完結したと思われがちなんですよね。

 もしかすると、子どもはそのようには理解しないかもしれないけど、要するに、物理学のいろいろな法則があって、自然がこういう風に動いていると教わると、じゃあその中で新しいことを見つけようという発想がなくなるわけです。つまり、自然というものは完成しているのだと教わる。

 ところが、実際はそうじゃなくて、新しい発見や発明は次から次へとあるわけですね。けれども新しいことは教えないし、「こういうことはわかっているけれども、こういうことはまだわかっていない」という教え方はしないんです。

 ですから、理科だけについて言うと、完成したように教わって、まだわからないことは教えないから、それを知らない。したがって、理科は完結したものだと思って、手の出しのようがないと子どもが思うのではないかと思うのです。

 ともかく実際は、わからないことばっかりで、わかったことはほんの少しだ。ですから「自然は未知に溢れた宝の山だ」ということを、私は言っているのです。子どもたちに、もっと自然に触れさせることが大切なのだけれども。しかしどうも室内でゲームや携帯電話に夢中になることの方に時間が割かれて、自然に向かえないのが残念ですよね。

―自然を五感で感じていれば、自然と不思議に思うものがたくさんあるはずだ。

 もちろん。今は、すごく良い教材もビデオも教育ソフトもいろいろあるけれども、僕はそういうものは虚像だと思っているんです。文字通りのイメージ。

 それは「虚像だから悪い」と言っているわけではなくて、虚像の限界があるということです。それは人間の思考の産物なのですから、思考以上の内容はそこには多分盛り込まれていないと僕は思うのです。

 もちろん計算速度は速いので、そこは人間の能力を超えていると思いますよ。けれども、そこに何か新しいことがあるのかというのでは、そこには多分そこまで盛り込まれていないと思うのです。そこまでプログラミングできていないと思うんですね。

 それよりも、一歩外に出て自然を見ることの方が、よっぽど奥深くて、いくらでも掘り下げることができる、そういうことだと思っています。僕はそのような意味で、そのようないわゆるソフトなどに触れる前に、自然にもっと親しむ、自然にひたることが大切だと思うのですね。

―知らないことを知る。つまり、自然の中にいれば、自然と知らないことがいっぱいあることがリアルにわかる。

 知らないことを知ろうということの原動力は、まだ知らないことがたくさんあるのだということを前提としないと、できないわけでしょう。そういう教え方をしていないのだから、それは育たないはずですよ。自然はもっともっと、まだ知らないことはたくさんあるんだということを、まずは教えるということが大切だと思います。

―白川さん、本日はありがとうございました。

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