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2024年 11月 12日 (火)

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯008】三浦英生さん(東北大学機械系長)に聞く 多様性と共存の社会に必要なこと 取材・写真・文/大草芳江

2014年9月16日公開

多様性と共存の社会で必要なのは、
ちょっとの辛抱と、感謝の心。

三浦 英生 Hideo Miura
(東北大学大学院工学研究科 教授 機械系主任専攻長)

昭和58年、東北大学大学院工学研究科博士課程前期2年の課程電子工学専攻を修了。同年(株)日立製作所 機械研究所入社。同所主任研究員、研究室長・部長代行主任研究員、主管研究員を経て、平成15年東北大学 教授、大学院工学研究科附属破壊制御システム研究施設に異動。平成21年より、工学研究科附属エネルギー安全科学国際研究センター長、平成24年より大学院機械系長、工学部機械知能o航空工学科長に併任、現在に至る。工学博士。

「機械工学」といえば「油まみれで重量物を扱う」イメージがあるが、それも一昔前の話。
現在では、医工学やバイオなど、機械系が対象とする研究分野は多岐にわたり、
従来の男性中心の視点だけでなく、女性の視点が機械工学研究においても求められている。

そんな中、東北大学工学部内でも先駆けて女子静養室を設置するなど、
男女共同参画の取り組みをリードする機械系。

そもそも男女共同参画社会の実現に必要なものとは何か。
機械系長の三浦英生さんに聞いた。


東北大学大学院工学研究科 教授 機械系主任専攻長の三浦英生さんに聞く


「門戸開放」精神と男女共同参画

◆他に先駆けて女子静養室を設置

 東北大学で男女共同参画推進事業が公式に始まり(2006年)、本機械系にも女子学生が増えてきた、ないしはさらに増やしたいという中で、では男女共同参画推進のために何ができるだろう、という議論が始まりました。そこで、「学内に静養室があると、女性が安心してキャンパス内で過ごせるのではないか」という意見が出たのです。コストパフォーマンス的に必要かとの議論も当然ありましたが、最終的には賛否両論の中、全員の合意が得られたため、機械系が工学部内でも先駆けて女子静養室を設置することになりました。私は、機械系内の安全衛生委員長や工学部の健康安全管理室長(当時)として、その設置に関することを少しだけ取りまとめて後押しさせていただいた、ということです。いずれにせよ、教授の先生方のご理解を得られなければ、私一人が騒いでも何も変わらなかったですし、何の支援も得られませんでした。

◆機械系のチャレンジ精神

 機械系は、東北大学の「門戸開放」を、率先垂範しているところだと思います。私は、もともと民間企業に勤務していましたが、43歳の時に公募を経て機械系の教授に着任させて頂きました。後から知ったことですが、当時は公募制が始まったばかりの頃で、私は東北大学の公募第1号だったそうです。当然、保守的な先生方からは「公募による民間企業からの教授の任用なんてリスクを負う必要があるのか」というご議論もあったそうですが、機械系は公募を学内で他の部局に先駆けて行いました。そうしたチャレンジ精神、「門戸開放」を良しとする先生方が、機械系には多くいらっしゃった。その先生方が、女性支援活動に関しても良しとし、教員全体がチームとして協力し合うことに合意してくださって、それが今でも続いている。その賜物だと思っています。


30歳で日立製作所の管理職に/組織としてのパフォーマンスを高めるために

◆女性研究者採用元年に社会人生活スタート

 私が日立製作所の研究所に入社した1983年は、まだ「男女共同参画社会基本法」が施行(1999年)される前でしたが、ちょうど民間企業で「管理職◯%女性」と言い始めた頃でした。当時はまだ現場に女性管理職はほとんど見当たりませんでしたが、研究職なら可能なのでは、ということで、日立製作所がまさに日本のトップを切って、女子大生に対して研究職の門戸を大きく開いたのが、その年でした。大卒の研究職として私が配属された研究所の同期は男性20人に対し女性10人で、女性研究者がすぐ近くにいることが当たり前という環境で、私の社会人生活がスタートしたわけです。

◆チーム全体のパフォーマンスを高めるための役割分担

 そのような環境で、私は30代前半で約30人の研究者を束ねる研究室長を任せられました。そこでは、多い時には女性研究者が6人いました。当時は、介護休暇や育児休暇が始まったばかりの時代。女性が、いろいろな事情で休みを取るとか、定時で帰られることがあるのです。もちろんそれは会社として認めるのですが、現場としては当時、その分をサポートする体制が必ずしも充実していませんでした。

 そのために私がやったことは、一言で言えば、チーム全体のパフォーマンスを高めるための役割分担という価値観の共有と実践でした。これは男女関係なく、ある技術・能力に対して高い人と低い人は必ずいますし、ベテランの人と経験の浅い人、あるいは個人的、家庭の事情等で業務に十分時間を割けない人なども、チームの構成員として必ずいるはずです。研究者全員が常に同じ水準の能力で均質な結果を出すべきというのが理想論ですが、そんなことはあり得ないでしょう。その中で、誰にどの業務担当してもらうかを決定することが、研究室長に委ねられた最重要任務でした。

◆「なぜ私がサポートしなければいけないの」は永遠の課題

 そこで必ず生まれる「なぜ私が他の人の業務をカバーしなければならないのですか」という議論は、永遠の課題だと私は思っています。誰にも彼にも「サポートしてくれ」と、お願いはできない。そこで、他の人のサポートができる、優秀な部下を育成する必要がありました。私は会社時代、「鬼軍曹」と呼ばれ続けましたが、部下を徹底的に鍛えるわけです。少しの余力(私は目標30%と言い続けていますが)を常に持って業務をこなせる能力を持つことができれば、普段は生まれた余力を家庭や将来の自己への投資に使える。それによって本人の能力が上がって優秀になり、給料も上がったり昇格も早くなったりするかもしれない。ですが、スキルアップをして欲しいのは、個人のためだけではなくチームが常時高度に機能するためなのです。鍛えられた能力の一部を時々周囲へのサポートに使ってくれる仲間がチーム内にいてくれれば、チームとしての業績が滞ることはなくなります。

 チームの中で、大きな義務を担っている人と、少し義務の負担が軽い人が混在していて、何をもってチームへの貢献が妥当とみなすのか。結果でイーブンは、あり得ないわけですよ。大きな結果を出す人、残念ながら小さな結果しか出せない人、それぞれが置かれた環境で努力をされた時、それに見合う評価をきちんとしてあげる。それができれば、細かい点に不平不満は一時生まれるにせよ、全体として、常時7~8割は満足という関係を築いてこられたかな、と思います。

◆組織全体のハッピーを、自分のハッピーと思えるか

 いろいろな意味でバランスなのです。それぞれ個々の負担と、チームのための+アルファの負担をどういった形で負うか。自分がハッピーなだけでなく、相手もハッピーということを、どれだけ本当に認め合うことができるか、です。

 相手がハッピーになるために、自分が少し負担をしなければいけない。その負担をすることによって、自分のためだけに使えれば本来100できたところを、誰かのために時間を使ったので、90や80しかできなかった。その「80しかできなかった」ことにだけに目を向けてしまうと、自分はハッピーではないわけです。言葉では「誰かのために」と思っても、「誰かのために」のはずが、「誰かに時間を奪われた、損をした」となると、なかなか長続きしないんですよね。特に昨今の成果主義の時代では。負担や我慢ではなく、役割分担と考えることができるか、その発想の転換が大切なことだと考えています。

 自分の余力の20を使ったことによって、周りでハッピーになった人がいる。そういう組織全体として積分してのハッピーを、自分のハッピーとして共有できるか、ということなんです。つまり、組織のパフォーマンスを最大にするために、誰が何をすべきか。「それが必要なんだよね」と認め合うことができたら、それぞれ少し周囲に気づいて周囲に働きかける部分が生まれてくるのです。

◆デジタルでなくアナログ思考で共存を

 「ちょっぴり不満とちょっとの満足」と私は言うのですが、学生たちには「アナログ的なものの考え方をしなさい、デジタル的思考はやめなさい」と言っているんです。そこに本来、男女は関係ありません。単に少し能力が高い人と能力が低い人がいる、もしくは、ハンディキャップを持つ人や少し困っている人を社会としてどうサポートするか、という問題なのです。残念ながら理想論ではダメで、困っている方を助けるためには、誰かが支援(負担)をしなければいけない。自分のためだけでなく、周りに対するサポートも含めて、自分の役割をお互いが認め合うことで、社会全体としてバランスがとれると思います。

 正直しんどいですよ。人のことを考えて、人のために時間を、お金を、空間を使うのは。ですから、わずか数人がボランティアでやったのでは、長続きしないのです。皆がそれを少しずつ「良し」として役割分担する、ということ。これからのグローバル社会の中で男性と女性だけでなく、国籍や宗教などの多様性を持った人たちが集まって、チームや組織をつくる時なんて尚更です。そんな中、どうやって共存・協力していくか。

 繰り返しになりますが、「ちょっとの辛抱=周囲へのちょっとの配慮」を負担ではなく当然の役割分担としてお互いが受け入れることさえできるようになれば、かなりの部分は共存できるようになるのではないでしょうか。


仕事と家庭の両立/ハッピーの価値基準をずらし協力し合う

◆家庭での「ちょっとの辛抱」

 実は、私の妻も研究者でした。私が東北大学へ赴任することが決まった時、妻は一緒について来ることを選んでくれたので、結果として家内は仕事を辞めることになりました。その前は、私と妻の勤務地が離れていました。電車で3時間強ほどの距離です。その状況で、どうやって仕事と家庭と両立させるか。私の選択は、私の通勤時間が約2時間、彼女が約1時間のところで住む場所を決めましょう。それが私の「ちょっとの辛抱」でした。

 というのも、彼女は仕事を続けたかったので、約1年の育休を取得後、子どもを保育園に預けていました。保育園の送迎もあるので、彼女の通勤時間は短い方が良かったのです。もし完全にイーブンなら「それぞれ約1.5時間の場所」となりますが、そうなると私も家事をしなければいけないし、保育園の送迎もしなければいけない。ですが私は若くして管理職を務めていたこともあり仕事と家庭のバランスも考慮した結果、往復5時間をかけて毎日通勤する生活を選択し、約10年続けました。それもある意味で、「辛抱」なわけです。

 そんな生活をしていたので、本当は週末くらいゆっくり休みたいわけです。けれどもそこで自分のハッピーばかり主張してしまったら、子どもたちは、お父さんと一緒に住んでいるはずなのに、ほぼ顔を合わせなくなってしまう。じゃあ土日くらいは本当は寝ていたいけど、家族と一緒に時間を過ごす。そこもバランスです。そのバランスとは、0か1かのデジタルじゃないんですよ。

◆ハッピーの価値基準をずらす

 若い頃は、妻と大げんかもしました。彼女は一研究者として働いていましたが、私は若くして管理職になり、20~30人の部下を束ねる立場でした。偉そうなことを言うと、仕事では自分で自由に時間を使えず、部下たちのため、チームのために時間を使わなければいけない。ですから残業・残業で、場合によっては、週末も会社に行かなければいけない。そうなると、「僕はこれだけ仕事をし、チームとしてこんな業績をあげて、会社にこれだけ貢献しているんだから、土日は休ませろ!」って、なっちゃうわけです。すると妻は「私だって子どもの保育園への送迎をしながら仕事をしているんだ!」と不毛な喧嘩になるわけです。そういう経験を私も何度もしてきました。

 個人として「究めたい・幸せになりたい」を突き詰め過ぎて相手に譲歩を要求し合うと、なかなか、解は見つかりません。ですから、何をもってハッピーとするか、という価値観をずらすだけで、ずいぶん上手に協力し合えることはあるだろう、と私は思っているんです。それが良いかどうかは、私にはわかりません。ただ我が家の場合、少なくともちょっと個々の理想をシフトさせ、別のところにも幸せを求めた。こんなことを喋ると、嫁さんから「あんた違うでしょう、そんな綺麗事ばっかり言って!」と怒られるかもしれないけど(笑)。


「感謝」の循環で社会全体の「負担」と「ハッピー」がバランスする

◆周りに対するほんの少しの気配りと、ちょっとの負担

 ただ、男性と女性の話に戻すと、単に性が違うというだけでなく、体力的な問題や育児の問題など、全くイーブンはあり得ない。やはり、お母さんにしかできないこと、お父さんにしかできないことがあります。近い将来家族や組織、社会全体がハッピーになるために、皆さんが理解して、女性も支援しなければいけません。

 とはいえ、支援そのものは、間違いなく周囲にとって何らかの新たな負担が求められるのです。どんなに綺麗事を言っても。敢えて申し上げると、支援された時に変に恩を感じる必要はないですが、当然の権利と主張されるのではなく、感謝の気持ちは持って欲しいのです。その恩も、受けた人に対して1:1で返すだけが恩返しではありません。恩を受けたことで心に貯金をし、心に余裕がある時に別の人でも良いから返してあげる。それを私は「感謝のたらい回し」と呼んでいます。そんな価値観を互いに持つことができれば、「世話になりたくない」みたいな気持ちをあまり持たずに済みますし、周囲も暖かく支援しようという気持ちになれる。

 そのように「感謝」が循環すると、「負担」と「ハッピー」が色々なところで、順番につながっていきます。全体で見ると、負担とハッピーがバランスして、ある意味、ゼロになります。数字上は同じゼロですが、全体が均質な上でのゼロと、プラスもあればマイナスもある上でのゼロは、意味するところが大きく違います。後者にはバリエーション、すなわちアナログ思考が生まれるのです。

◆今はあくまで過渡期

 ですから本当は男女共同参画なんて難しいことを考える必要はないと私は思っています。周りに対するほんの少しの気配りと、ちょっとの負担。それを皆さんが理解できるような意識付けと教育が必要でしょう。

 ただ、今は機械系に女性が少ないので、「女性支援」と強調した方が、気づいてくださる男性が増えるかもしれない。今はあくまで過渡期なのです。長続きするには、男性も女性もお互いがちょっとずつ相手を理解して相互に負担(=役割分担)をするのが理想です。そんなことを勝手ながら考えています。なるべくエンカレッジはしますが、オーバーシュートはし過ぎないように、どこかでまた、引き戻すようなことも少し意識しながら、マネジメントはしているつもりです。


日本の教育の問題点/多様性の受け入れ方を経験していない集団

◆「他人のために負担する」価値観を教わらない世代

 「多様性」という言葉はありますが、多様性の受け入れ方を教わっていない、経験していない集団なので、なかなか行動と言葉が一致していない。そんな点も含め、日本の教育にも問題があると思っています。

 なぜこんな話をしているかと言うと、「男女共同参画」と言っても、「なぜそんなことをしないといけないの?、あるいは、当然の権利であるのに何故要求してはいけないの?」と言う心に刺さる言葉の交換は、むしろ若い世代に増えているように私は感じているからです。時代ととともに個々が受けている教育が違うのも確かに多様性の一部です。しかし本来、若い時に教わるべきことを教わらずに大人になっている若い人が急速に増加していると感じています。

 「自分のために自分の好きなことを精一杯やりなさい。嫌いなことはやらなくてもいい。場合によっては競争をしなくてもいい」というのは、ある意味では美徳で、好きなものを伸ばす意味では良い教育かもしれません。しかし、結果として、「他人のために負担する、協力する」という価値観をあまり教わっていないんですよ。もちろん、協力し合うことの大切さを理解してくれる人たちもたくさんいます。しかし一方で、「協力し合うことは無駄で自分のためにならない。従って協力し合うことはしない」という価値観の人も同じくらいいるのです。

◆粘り強く教育し続けなければ、社会は円滑に進まない

 個人の価値観を醸成する上で、一教授として個々の学生にどうすべきかは、具体的には言わないスタンスです。あくまで考えるために必要な情報やヒントは与えますが、きちんと自分の頭で考えて比較・検討し、自分の責任と意思でどちらにするかを決めなさい。ないしは折衷案が必要なら提案しなさい。そのアクションをサポートはするけど、「選択肢の中からAをとれ、Bをとれ」とは絶対に言わないですよ。負担するのも、周りに気づき、配慮するのも、少なくとも自分でその大切さに気づき、勇気をもって自らの意思で行動しないと意味がないし、社会の一員として生きていく力にならないのです。

 ただし、比較をするためには、情報をたくさん集め、良し悪しの価値判断基準を学ばなければいけないので、準備に時間がかかるんです。ところが今は忙しい時代なので、準備に時間をかけるのがもったいない、無駄だと思う人が多くなっています。

 ですから、なかなかうまく噛み合わない。噛み合わないから、話せば話すほど、むしろ離れて、徒労感ばかりが募ってしまう。そして今度は、話すのが嫌になる。ところが、話さなければ伝わらないから、ますます孤独になっていく。だから私みたいな立場の者は、繰り返し同じことを信念を持って語り続けないといけない。粘り強く教育していかないと、社会は円滑には進まないと思います。


結果としてのオリジナリティ

 ここまで本音も含めてお話させていただいたのは、表面的に取り繕うだけで終わりたくはないからです。そうでなければ、私を信じて協力してくださってきた先生方、職員や学生を裏切ることになります。努力してくださる人たちがいて、その恩恵を受ける人と、ある意味で辛抱して(理解して役割分担を担って)いる人、それが織り交ざって、今の機械系、工学部がある。

 他と似ているところもたくさんありますが、ここ東北大学工学部の機械系は、ちょっとだけ他と変わっているところもあるようです。そんな工夫を積み重ねた結果としてのオリジナリティも、ぜひご理解いただけたらと思っています。


ずんだぬき(東北大学ALicE)からの一問一答

―「多様性を受け入れる」には何が大事だと思いますか?

 十人十色、百人百様を経験すること、自分と違う価値観を持つ人が当たり前にいることに気付き悩み、その人たちと仲間になるための苦労の実体験が大事です。その補填として、本を読み、他者の実体験に基づく考えを知ることでも、多様性に対する価値観は醸成できるのではないでしょうか。本で、他者の体験を疑似体験できます。本を読まない若い人が増えていることも他者に対する気づきを失った一因ではないでしょうか。

―三浦先生の家庭における「ハッピー」とは何ですか?

 嫁さんと子どもたちが笑っていること。家に帰って、家族が泣いていたり文句を言われたりするより、そんな風景を見ることが、私は仲間外れですけど、手っ取り早い幸せです。「父ちゃん元気で、留守がいい」。

―准教授や助手の先生が「育休を取得したい」と言ったら?

 個人の都合はお互い様。様々な配慮や気遣いがお互いにあるのが前提で、「積極的にやれ」と強制はしませんが、「家庭と仕事のバランスには最大限配慮しろ」。チーム内で個々の事情が発生するのは当たり前。チームや個人のパフォーマンスが下がることがあったとしても一時です。30~40年のロングレンジでものを見るべきでです。生涯で8勝7敗(大相撲の勝越し)を目指すという価値観は大切だと考えています。

―最後に、女子学生に期待することやメッセージを一言。

 一言で言えば、女性と子どもに優しいものをつくって欲しいです。社会を構成する人口の半分は女性で、約3割が18歳以下です。自分たちにとって必要だと思うものを、自分たちの責任で、ぜひ生み出してください。

―三浦先生、ありがとうございました。

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