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2024年 11月 21日 (木)

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯004】東北大で女性キャリア継続セミナー開催/「とりあえず」のススメ、OGが講演 取材・写真・文/大草芳江

2013年12月25日公開

東北大で女性キャリア継続セミナー
/「とりあえず」のススメ、OGが講演


講師を務めたNEC知的財産本部の森岡由紀子さん(平成10年 東北大学工学部 化学・バイオ系 修士卒)

女性のキャリア継続を支援しようと、東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)は先月、全学女性研究者育成支援推進室との共同企画で「キャリア継続セミナー」を同大青葉記念会館(仙台市)で実施した。

 講師を務めたのは、NEC知的財産本部の森岡由紀子さん(東北大学工学研究科化学バイオ系修士卒)。「『とりあえず』のススメ」と題した森岡さんの講演に、参加した女性教員や学生らが熱心に耳を傾けた。講演要旨は以下の通り。


「『とりあえず』のススメ」 森岡由紀子さん(NEC知的財産本部) 講演要旨

 本学工学部分子化学工学科を卒業し、同大学院工学研究科材料化学を修了後、16年前、NECに入社。最初は研究所で研究をしていたが、4年前から知的財産本部に異動。独身。今日はスーパーウーマンではない普通の社会人の「とりあえず」選んできたキャリアを紹介する。


1.これまでのキャリア形成


◆学生時代/「とりあえず」工学部に入ってから決めよう

 仙台生まれ、仙台育ち。中2で「化学が好き!」と思ってから、「自分は理系なんだ、理系の大学に行こう」と思い込んでいたが、実は、5科目平均タイプで、ずば抜けて理系が得意なわけではなかった。

 実家から通えることや、当時は入学後に専攻を決められたことなどから、「後から物理が好きになるかもしれないし、『とりあえず』工学部に入ってから決めよう」と、東北大学工学部を受験。第一の「とりあえず」の発動である。

 結局、物理や数学はそれほど得意ではなく、化学が好きなのは変わらなかった。そのため、大学2年生の進級時に化学系を選択した。


◆研究室配属/じゃんけんで希望する研究室に入れず

 4年生の研究室配属時、じゃんけんで負け、第一希望の有機化学系に入れず、表面電気化学に配属。この分野で研究し続けよう、と思えるほどの魅力は見つけられなかったが、1年間研究した。

 当時は、院試の順位で研究室が決まったため、院試を頑張り、修士は晴れて第一希望の有機化学系の研究室へ。研究成果としてはいまいちぱっとしなかったが、有機化学に触れ楽しい2年間を過ごした。


◆就職活動/「とりあえず」NECにしてみるか

 いざ、就職活動へ。中学生くらいの頃から「化学の力で地球環境を救う研究者」になることがぼんやりとした夢だった。しかし、就職難で化学系の職も多くなく、某・化学メーカーが不採用となり、夢ばかり追いかけてはいられず。

 化学・薬学系の求人は早い時期からあるが、その中でも早々に不採用通知が来たため、「まだ誰も同期が落ちていない中、私が最初に第二ラウンドの企業選択ができる状況だ」と頭を切り替えた。

 ちょうど求人活動の遅かった電気・機械系からの求人が届いており、「化学メーカーで化学の専門家ばかりの中で狭く深く追求するよりも、幅広く化学の知識を活かしてみよう」と思い直し、募集の来ていたNECにとりあえず応募してみるか、と第二の「とりあえず」が発動。無事採用され、NECに入社することになった。


◆入社後2年間/有機ELディスプレイの開発

 入社して最初の2年間は、研究所で有機ELディスプレイの開発に携わった。電流を流すと発光する材料自体は有機材料のため、化学の知識も少し活きた。発光メカニズムは物理だったので苦手だったが、何とか勉強して頑張った。


◆入社3~10年目/不本意だった電気化学の勉強が活きる

 企業に就職すると否応なしに起こることだが、2年後、自分の意志ではなく上司に言われて、テーマを変更。しばらく、有機ラジカル電池を研究した。

 電気を貯める材料は有機材料のため、有機化学の知識が活きた。さらに電気化学を使うため、ここで当時は不本意だった大学4年生の1年も、無駄ではなかったと思った。


◆入社11~12年目前半/なんと環境をやりたい夢が叶う

 入社11年目、また青天の霹靂のように上司から「テーマを変わってみないか」と言われ、「これから環境・エネルギーの研究をNECで始める。どんな分野に参入すればいいか、今の研究・開発状況を調べてくれ」と、研究を準備するチームに移った。

 ついに、環境に携わりたいという学生の頃からの夢が、なんと叶ってしまう。どっぷり電池を研究していたので半分忘れていたが、巡り巡って環境に携わることができ、嬉しかった。これまでの電池の知識も活きた。人生無駄がない、有難いと思ってやっていた。


◆入社12年目後半~/知的財産本部へ異動

 しかし一方で、研究所で頭の良い人たちとずっと一緒に仕事をする中で、自分には研究者として大きな仕事をできる自信がないと思うようになっていた。そこで上司に相談し、「これまでの仕事の中で、人と接することが好きだったので、それが活きる仕事が良い」という程度の希望を伝えた。その結果、現在の知的財産本部に異動となった。


◆知的財産本部の仕事について

 知的財産とは、主に2種類ある。芸術や学術の著作権と、特許・トレードマーク・デザインなどの産業財産権、主にこの2つの権利を合わせて、知的財産という。

 NECの知的財産本部の活動について特許を題材に説明すると、特許技術者が、研究者や技術者から新しく発明が生まれた時、特許法に基づき、幅広く権利を取得できるよう明細書を作成し、特許を登録する。そして、特許を登録した後、渉外担当者が交渉・裁判により、特許を権利として守る。

 特許技術者の仕事は弁理士の国家資格を取らなくてもできるが、弁理士の資格を取ると、その人の名前で特許庁に申請できる等、責任者の仕事ができる。弁理士の資格を、例えば産休中に取って戻ってくる人もいる。


◆今の仕事が一番楽しい

 私の仕事は、特許技術者や渉外担当者ではなく、戦略・企画担当者。全体を見て、会社が活用できる特許をたくさん持つために必要な仕組みや計画を立てる仕事をしている。

 会社のために何をすればよいか、幅広い視野でものを考える戦略・企画の仕事の方が、狭く深くより、広く浅くタイプの自分には向いている。

 振り返ると、5科目平均タイプだった自分や、化学メーカーより電気メーカーで「化学を知っている人として頑張ろう」と思った気持ちと近い。今までの16年間の中で、今が一番楽しく働いていると思う。


◆「とりあえず」のススメ①

 最初の入口が「やりたいことと違う」と思っても、そのうちやりたかったことにたどり着くかもしれないし、無駄な経験はない。私も地球環境に携わることは諦めて入社したが、入社10年後に実現したし、大学4年生の電気化学の経験が電池開発に活きた。

 最初の夢が、自分に向いているかどうかは、やってみないとわからない。私の場合も、憧れていた環境関係の研究者を実際にやれたが、実は、今の企画職の方が向いていたのか、今が一番楽しくなっている。

 不本意だと思っても、始めてみたら、それが自分の天職ということもあるかもしれない。だから、まずは与えられた環境で「とりあえず」頑張ってみる。頑張ってみてから、次の動きを考えるのもありでは?


2.キャリアの入口と、続く道

 自分が大学院生の頃は、「この仕事をずっと一生やっていくんだろうな」としか将来を思い描けなかったが、実際に働いてみると、実は、いろいろな形があり、後からいろいろな道が見えてきた。友達や先輩から聞いた話も紹介する。


◆入口も、その後の道もたくさんある

 私の場合、就職活動時は、4つくらいしか選択肢をイメージできていなかった。教師か、大学・研究機関の研究者か、企業の技術者か、公務員(化学を活かすなら警察の鑑識)か。

 弁理士や知的財産の仕事は、私は存在すら知らなかったが、私のように途中から知的財産関係の仕事をする人もいる。最近は、新卒で知的財産をやりたい学生や、知的財産の大学院で修士号を取得した後に入社する人もいる。

 企画戦略の仕事も、理系の大学院を出てすぐやりたいと入る人もいれば、研究所で研究・開発をした後に移るケースもある。また、NECのような技術系企業では、製品の成果を正確かつわかりやすく伝える広報も、技術に対して理解のある理系が重宝がられる。

 他にも、サイエンスライターや科学館の学芸員など、理系と文系の両方の力を使う職業の選択肢もある。中には、科学を漫画で描くなど、新しい道を自分でつくった人もいる。

 このように入口はたくさんある。また入口からずっと一本道である必要もなく、自分に合った道を選び転進する人もたくさんいる。新しい視野を持って、いろいろ勉強しながらキャリアを積んでいくケースはたくさんある。


3.子育て中の先輩に聞いてみた① / 育児とキャリア継続の両立

 「キャリア継続セミナー」ということで、結婚や育児等の悩みをどのように経たのか、いろいろな人生の先輩に聞いてきた。先輩たちは「いろいろな働き方があり、子どもがいても仕事を継続できる」と話していた。


◆企業から国立の研究機関に出向

 企業の研究所でバリバリ働いていた先輩は、子どもが産まれたタイミングで、就業時間の自由度が高い、国立の研究機関に出向。時間をやりくりして子育ての大変な時期を乗り切り、企業の研究所に戻った。その先輩は、役員クラスまで出世している。


◆出張の少ない部門に企業内転勤

 出張の多い開発部門にいた先輩は、子どもが産まれた時、異動願いを出して、自宅から近く出張の少ない職場に企業内で転勤した。もとの仕事もやりがいがあり異動直後はさびしかったが、どんな仕事も真面目にやればおもしろく、今はやりがいを感じているという。


◆自ら交渉して在宅勤務制度を確立

 知的財産部門の私の先輩には、子どもが生まれた時、人事部に交渉して、それまでNECにはなかった育児のための在宅勤務制度を自ら確立し、第一号の利用者になった人がいる。もし調度良い制度がなければ、自分でつくる道もある。


◆夫婦でバトンタッチして半年育休

 同じ企業の研究所に二人とも勤めている夫婦は、子どもが産まれた時、奥さんが半年の育児休暇を取得後、バトンタッチで半年旦那さんが育児休暇を取得。休暇で仕事の遅れを取り戻す大変さを二人で分け合った。1年の休暇は大きいが、半年の休暇なら「浦島太郎」度合も半減できる。今も交代で、奥さんが保育園に送った日、迎えに行くのは旦那さんというように、交代で遅く来たり早く帰ったりして、二人で働いている。


4.子育て中の先輩に聞いてみた② / 仕事を続けている理由


◆仕事を辞めるか迷ったか?

 「結婚や出産を機に、仕事を辞めるか迷ったか?」と先輩に聞くと、「結婚の時は当然、続けると思った。出産の時も仕事は楽しいし、辞める選択肢はあまりなかった」と答えた。仕事を続けている人に聞いたので当然かもしれないが、仕事を続けている人は、そう言う。

 「やりがい」と言うと、格好付けているように聞こえるが、皆さんも仕事をする先輩方に聞くとわかると思う。仕事はおもしろい。仕事のおもしろさは、きっと子育てとは種類の違うおもしろさで、できれば手放したくないから、仕事を続けているのだと思う。

 他にも「家でじっとしていられない質なの」や「義理の両親と同居しているので、家にいると息が詰まるわ」と説明する人もいた。逆に言えば、義理の両親に子どもを見てもらえる後押しがあるとも言える。


◆2人目を産むタイミングの方が悩み

 「むしろ出産よりも、2人目をどうするかの方が一番の悩み」と先輩方は話していた。二人を続けて産むと、育児休暇の時間が長くなり、仕事の遅れを取り戻すのが大変になるデメリットがある。しかし、一人目を産んで職場に戻り、休んだ分を取り戻した後に、二人目を産むとなると、今度は、昇進試験の時期と重なったりする。「今休んでしまうと課長への昇格が遅れてしまう」「今は産まないでおきたい。先に産めばよかった」と悩むのだと、先輩方は話していた。


◆また後で働くなら、辞めない方が有利では

 子どもが小学1年生の頃は専業主婦だったママ友も、子どもが高学年になってパートで働く人も多い。子どもが小さな頃も、何とか頑張って会社を辞めずに正社員として働き続ける方が、給与や福利厚生等有利だったり、仕事のやりがいも大きいかもしれない。また後で働き始めるなら、辞めずに続ける方が良いのでは、と言う先輩もいた。


◆NECの育児支援制度

 ちなみに、NECにはいろいろな育児支援制度がある。おそらく会社によって特徴があるので、企業研究の時はどんな制度があるかを調べてみると、おもしろいかもしれない。

  • 妊娠通院休暇、産前産後休暇、育児休職
  • ファミリーフレンドリー・ファンド:出産時に支給されるペアレントファンド(55万円)や、子供が18歳になるまで毎月の給料への上乗せ、子ども育成保険への奨励金がある。
  • 育児短時間勤務:NECの場合、小3まで、2時間まで短縮可能。時間が減る分、給料も減るが、正社員としてキャリアを継続できる。
  • 育児のための在宅勤務:小6まで。先に紹介した先輩が自力で獲得した制度。
  • 転居支援:親の近くへの転居、あるいは、親が近くに転居する費用を支援するという、珍しい制度。統計的にも、親のサポートがある方がキャリアを継続できている結果がある。

5.「とりあえず」のススメ②

 キャリアの入口からゴールまでは一本道とは限らない。もちろん、皆さんのまわりにいる教授など、一本道で食べていく人もいるが、それだけでもない。

 自分が思っていた道とは違う入口から入っても、他の道からいつの間にかやりたい道に合流したり、もっとおもしろい仕事が見つかることもある。「この仕事は子育てに大変そうだから、やめておこう」というように、入る前から決めるのは勿体無い。

 仕事を続けていくためには、忙しい時期を乗り越えるための制度を活用したり、親に手伝ってもらったりと、いろいろな方法がある。ワーフライフバランスは固定するものではなく、その時々に最適なバランスを選択するもの。また、サービスや制度は時代とともに進んでいくため、いざ出産の時になってから考えても、間に合うかもしれない。

 だから、頭でっかちに考え過ぎず、やりたいことやご縁のあったことを、「とりあえず」始めてみて、そこで頑張ることが良いのでは?、ということで、今日の話を終わりにする。

講演後には、講師と参加者、工学系女性教員も交えた茶話会もアットホームな雰囲気の中で行われた。参加した学生は、進学や就職に対する悩みや不安などを、講師や教員に積極的に相談していた。

取材先: 東北大学      (タグ: ,

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