タンパク質分子一つか二つかで大違い
―では今度は、結晶表面の不純物の影響について、調べる必要があるということですか?
次に、どのくらいのところで不純物が悪さをするかを知りたいわけです。と言うのも、不純物がどのような挙動をするのか、今まで知ることができなかったのですよ。それはなぜかと言うと、タンパク質結晶の不純物と言えば、一つのタンパク質分子が二つくっついた「ダイマー」を言うからです。ですから化学分析をしても、不純物と言ってもタンパク質そのものだから、変わりがないわけですね。
一方、無機塩の場合は例えば「食塩の中に鉛が入っている」というように、別のもの)を不純物と言うよね。ですから同じ「不純物」という言葉を使っているけれど、無機塩の場合とはだいぶ意味が違うのです。つまり、単分子のものは「モノマー」と言うのに対して、二つの分子が共有結合して強固にくっついているものを「ダイマー」と呼ぶのですが、分子が一つの状態か二つの状態かで、だいぶ違ってくるのですよ。
例えばアルツハイマーという病気がありますが、アルツハイマーの原因となるタンパク質はモノマーとして誰だって持っているのですが、発病しない状態なのです。けれども、ある人はダイマーができたり、それらが凝集して脳内に沈着したりすると、アルツハイマーとして発病するのですよ。要するに、化学組成で言うと何も変わりはないのだけども、極端な表現をすると、分子が一つだけの状態なのか二つくっついた状態なのか、あるいはそれがもっと集合した状態なのか、その集合の様式だけで、病気の発病性が違ってくるわけです。それくらい、モノマーかダイマーかは大きな影響を与えるのですよ。
これはアルツハイマーに限らずいろいろな病気で、そのようなことが原因であることが、生化学分野の研究でわかってきています。その原因やそれを抑える方法について、一つは結晶成長の視点からのアプローチも考えられますし、実際に研究も進んでいます。不純物の影響を、生体に直接適用して調べることはできません。ですから、例えばタンパク質の結晶をつくる時、ダイマーや集合体がどのような影響を与えるかを、基礎研究として調べるわけですね。
不純物の影響を調べるために
―では、タンパク質の不純物は、どうやって調べるのですか?
今までなら、例えば「砂糖は、色素を入れると成長速度ががたっと落ちる」というように、マクロな指標で考えていました。けれども、もう少しミクロな指標で調べたい。そこで、共同研究者の佐崎さんがやったことが、一つの不純物を直接見ようというわけです。けれども、そんなに小さいものは見えるはずがない。そこで、蛍光分子をタンパク質と不純物であるダイマーにくっつけることによって、結晶表面のどこにつくか、あるいはくっついた後でどのようにして表面から逃げていくかの滞在時間を調べられるようになってきたわけです(図5)。
【図5】タンパク質分子の不純物を追いかけるために蛍光分子をつけた
―そのような手法はこれまで行われていなかったのですか?
これまでは、例えば「一分子蛍光」という手法はありました。一分子蛍光とは、溶液中に多数ある分子一つひとつに蛍光分子がくっついて、それを見るという方法です。しかし彼の新しい方法は、蛍光物質がくっついた結晶表面での分子を追いかけるという全く新しい方法です。今までは不純物がくっつくかどうかはわかったのですが、その不純物が結晶表面のどこにつくか、それがどれくらいの表面に滞在しているのかまではわからなかったのですよ。彼のおかげでまさに結晶成長にとって必要な情報が直接的に得ることが出来るようになったわけです。
【動画】不純物の影響を調べるために、一つひとつの分子の挙動を直接調べた。
(提供: 北海道大学 低温科学研究所 佐崎元 准教授)
この光っているものが、蛍光ラベルをしたタンパク質分子です。本当は、タンパク質分子は無数にあるのですが、無数にあると追いかけられないので、決まった数だけ蛍光ラベルし、その動きをとらえていったわけですね。それがどのように動いているか、結晶表面のどこにあるかを、表面を見ながら調べていったのです。
一つひとつを数えていったのですから、もの凄く大変な仕事ですよ。しかも蛍光分子はあまり光を当てすぎると、すぐダメになってしまう性質があるのです。ですから少し光を当てて調べて、また少し当てて調べて、いろいろな工夫をしながら長時間の実験をしたわけですね。
地上でも良い結晶はつくれる
―そのような実験でわかったことは?
そのようにして調べてわかってきたことの一つは、タンパク質が1分子か2分子か(モノマーかダイマー)かによって結晶表面にくっつく場所が違うということ。そしてもう一つは、それら分子の結晶表面上での滞在時間は、1秒前後ということでした。また、その滞在時間は条件に応じて変わることが、ある程度わかってきたのです。すると、成長パターンだけではわからないことが、速度論的なところで少しわかり始めてきたわけですね。
例えば、先ほどお話したように、ゆっくり結晶を成長させると、不純物の影響が大きくなる。では、どれくらいゆっくりさせれば良いのか。それは、その不純物のライフタイム(寿命)によって変わってくるのです。
不純物はたくさんあってもすぐに消えてしまうので、それは心配ないです。しかし心配なのは、不純物が結晶表面に来た時、その不純物がある間に、ステップが来たりすると、その分子(不純物)を取り込んでしまうよね。けれどもステップが来る前に、その分子(不純物)が逃げてしまえば、そんなことを気にすることはないよね。その競合をうまく組み合わせることによって、結晶は綺麗になったり汚くなったりする、というメカニズムが、だんだんわかってきたのです。
ここで話を戻しますが、今までは宇宙でタンパク質の結晶をつくると、20%くらいは良い結晶ができると言われていましたが、なぜそうなるのかは誰も知らなかったのです。ただし、この20%という数字に騙されてはいけないのだけど、20%すべてが良い結晶になるわけではなく、なかには地上よりずっと悪い結晶もたくさんあるわけね。
ですから、我々基礎研究の立場で言うならば、別に宇宙でも汚い結晶はできるし、そのメカニズムを知ることによって、地上でも工夫すれば20%くらいの良い結晶はできる、ということがだんだんわかってきたわけです
「宇宙では結晶成長速度遅い」常識覆す
―では、それでも宇宙実験をする意味とは何ですか?
では、なぜ宇宙実験をするのか。これまでも僕らは、ロシアの「フォトンM3」という人工衛星を使い、衛星が12日間地球を周回する間、その中でタンパク質の結晶の成長速度の実験を行いました。無重力ですから対流がないため、分子が運ばれにくくなる。だから成長速度も遅いだろうというのが、皆さんがこれまで考えていた常識なのですよ。
そもそも「宇宙でつくると結晶が綺麗になる」と考えられていた大前提には、「宇宙では流れがないため成長速度が遅い」という考えがあったのです。どれくらい成長速度が遅くなるかを予想してみると、もし拡散速度に成長速度が比例するとすれば、数十倍から百倍くらい遅くなって当たり前なのですね。
しかしながら実際に同じ条件下で測ってみると、(成長速度は)地上と変わらないか、または地上よりも50%速かったんですよ。2007年、スペイン人の研究者との共同研究で初めてわかりました。これは今までの常識を覆す結果ですよ。
飛行機を使った無重力実験では、20秒間ですから、ほんのわずかしか成長していませんが、我々の最新の技術でもって見ることができました。その結果、飛行機を使った20秒間の実験でも、やはり無重力の方が成長速度が速いのもあったのです。更にそれを詳しく調べることが、次の宇宙実験の大きな目的なのですよ。
―なぜ宇宙の方が、タンパク質の結晶成長速度は、逆に速くなるのですか?
それはなぜかを考えてみると、定性的にはだいぶわかってきたのです。結晶の成長速度を決めるのは、普通ならば、例えば過飽和度を上げると成長速度が上がると考えられます。それはパラメータの一つとして確かにそうです。ところが、それよりもっともっと効くのは、不純物の数なのですよ。不純物の数が多いか少ないかによって、同じ過飽和度であっても成長速度はドラスティックに変わるということがわかってきたわけです。不純物はほんの僅かでも効くのです。
不純物、つまり先ほどお話したダイマーは、断面積が大きいために拡散速度が遅いですよね。ですから、もし宇宙で対流がないとすると、確かにタンパク質分子(モノマー)の来る速度も遅くなるのですが、ダイマーが来る速度は相対的にもっともっと遅くなるのです。すると、不純物であるダイマーが結晶にくっつく数はずっと減るでしょう?よって、同じ過飽和度であったとしても成長速度は速くなる、ということを考えたわけです。
無重力下の結晶成長における不純物の効果
定性的にはそれは正しいと思うのです。なぜと言うと、不純物の量によって、先ほどお話した、結晶表面の二次元核の形がすっかり変わるんですよね。例えば、不純物の量が非常に少なければ、エジプト人の目のような切れ目の形になるのですよ。けれども、不純物の量が多くなると、シャープだった形が丸くなっていきます。
【図6】不純物の効果 (ステップの形)
―具体的にはどのような宇宙実験をしたのですか?
具体的には、純度の悪い溶液から結晶成長をさせたのです。純度の悪い溶液の場合、結晶成長を地上で行うと、確実にこのような丸いステップが表面に現れるはずなんですよね。けれども宇宙の場合、いろいろな方法で再現してみると、宇宙では汚い溶液から成長したにもかかわらず、実際はあたかも不純物がないような条件でできたようなシャープなステップの形状であったことが、わかってきました。
つまり、宇宙で結晶化させると、溶液が汚いことを意識させないような、まるで綺麗な溶液からできたような顔つきになるんです。そういうことがわかってみると、定性的には、先ほどお話したように、ダイマーが表面に来ないため、つまり不純物の効果がないから、表面のステップの形も綺麗になったんだ、ということで納得でき始めたんですよね。
要するに、おそらく無重力の効果とは、対流がないために、ダイマーのような不純物が来ないようになる一種のフィルターのようなもの。その結果、綺麗な結晶表面ができる。綺麗な表面なら、そこにできるタンパク質結晶は、完全性の良いものができるのではないか、という風にわかってきたのです。
すると定性的には、いろいろなことのつじつまが合うようになってきました。例えば、先ほどお話したように「結晶の完全性が良くなるはずだ」「ステップの形がシャープな二次元核の形になる」「成長速度も速くなるはずだ」ということが、いろいろわかってきたわけですね。
2012年国際宇宙ステーション宇宙実験
―そこまでメカニズムがわかってきたのに、なぜ次の宇宙実験が必要なのですか?
では、そこまでわかれば別に宇宙実験もいらないよね、ということになってきました。ところが、量的に調べてみると、「何かちょっと変だ」というところがあるのです。
確かに実験結果からすると、ダイマーが結晶表面にそれ程来ない理由を、定性的には「ダイマーは断面積が大きいため、結晶表面に届く数が減る」と考えれば、いろいろなことを解釈することができます。けれども、計算でどれくらいの量の不純物が減るかを計算してみると、それ程減少しない、あるいはあまり変化しないこともわかってきたのです。
要するに、不純物の効果と成長速度の関係は、直線的な関係ではなくて、ノンリニアな世界(非線形)なのかもしれません。それが閾値だとすると、ほんの少し変わるだけで、どかっと変わるような現象です。それが不純物の実際の効果だと思うのですが、具体的に物理的な描像を得るまではまだ至っていません。ですから、そこをきちんと調べるために、宇宙実験をいろいろなケースでやる必要があるのです。
飛行機を使った無重力実験も毎年実施していますが、実験できるのは、たった20秒間だけでしょう。ロシアの回収型衛星を使った実験でも12日間だけだから、そんなにたくさんの条件で実験したわけではないのです。けれども2012年打ち上げ予定の国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」を使った実験では、約半年間にわたって様々な条件でたくさん調べることができます。今、2012年の実験の準備を進めているのです。
つまり、定量的な議論をするためのデータが、地上実験や飛行機実験だけでは不足しているので、もう少し長期間の実験でちゃんとしたデータを集めて議論したいというのが、次の宇宙実験の目的なのです。
ヨーロッパの宇宙実験が失敗した理由
実は、我々のアイディアを基にして、2008年にヨーロッパで先に宇宙実験しちゃったんですよ。不純物の効果といった深い考え方は無しで、僕らが考案した"その場"観察装置と同じような実験装置でもって、ヨーロッパの方が先にスタートしたのです。先を越された!と思ったのだけど、彼らがやってみた実験はほとんど成功していないね。
―ヨーロッパは、なぜ失敗したのでしょうか?
我々には"その場"観察のノウハウも歴史もありますが、付け焼刃的にできる実験ではありません。それで結局、ヨーロッパで実験しても、「溶液が漏れてしまう」「結晶がどこかへ行ってしまう」「装置が動かない」など、ほぼ失敗したに等しい結果になったのです。
この実験が非常に大変だということをわかってもらうために、実験装置をご紹介します。例えば、これが結晶をつくる装置(図7右)。親指の爪くらいの大きさで約百万円の装置です。これは僕が1年間くらい考えたアイディアの固まりでね。黒いところは樹脂でできていて、透明のところがガラス。その中にある空間に液体が入っていて、この丸いところの裏に、ねじ込み式で結晶をつけるのです。
【図7】(左)2012年に使用される宇宙でのタンパク質結晶成長「その場」観察装置。手前に結晶をつくる装置。
(右)上記装置に含まれる結晶成長セル(内容積11×11×2mm)
―この装置の特徴は?
この装置の自慢を少しだけ。こんな小さい装置だけど、ここで結晶をつくれるんです。見えないくらいのほんの小さな結晶なのですよ。小さな先っちょに結晶をつけて、ねじ込むわけです。ただ、泡が入らないように液を入れておくことは大変なことなんですね。それに、結晶表面を見るので、観察する光の軸に垂直でないと反射しないよね。それを調整するのも結構大変なんです。なぜかと言うと、x、y、z、回転、あおり、この5つのステージをコントロールする必要があるのです。一つひとつのステージをコントロールするためには高さが必要になるけど、そんなに大きな装置はつくれないので、工夫しています。また、普通はモーターと言えば巨大ですから、大きな体積になってしまいます。けれども、ねじ自体がモーターというハイテクを使うと、この下にステージを載せて、加熱や冷却する装置を入れたとしても、これくらいのサイズ(手のひらサイズ)になるのです(図7左手前)。
既にデザインが決まっているものなら、アメリカでもヨーロッパでも立派なものがつくれるでしょう。けれども、ここまでつくりあげていくナノテク的な発想は、ヨーロッパやアメリカにはないのだよね。このようにして技術的にも、いろいろ工夫された装置の準備も日本では整ってきています。
日本の強みとは
―そもそも日本の強みはどのような点にあると思いますか?
日本の強みは、メーカーさんの技術者と研究者の間で非常に密なコミュニケーションを取りながら、一緒にものをつくりあげる体制が良くできている点にあると思うのですよね。この装置もたった親指の爪ぐらいのものですが、1年間かけてやっとここまで来たのです。
けれどもメーカーさんから見たら、たった百万円の外注に1年間もかけるのは、コストパフォーマンスという点から見ると割に合わないのですよ。ですからヨーロッパやアメリカのメーカーは、既にデザインされた装置を立派につくることは得意でも、その中身まで研究者と一緒に話し合ってつくるまではしないのです。そのため、できあがった装置が研究者の要望を満たすものではなかったりするのですね。
実験目的・実験方法・装置開発、この三つがきちんと調和していなければ、良い実験はできないのだと思います。
共同研究者のGarcia Ruiz教授(右)と一緒に。
―塚本さん、本日はどうもありがとうございました。次回は、飛行機を使った無重力実験を現場レポートさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
コラボレーション
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