東北大学生態適応グローバルCOE人工湿地実験施設の設計者である中野和典准教授に、本研究の目的や将来のビジョンなどを聞きました。
生態系が持つ機能を利用する
―そもそもなぜ中野先生は人工湿地の研究をしようと思ったのですか?
我々の研究室は「環境生態工学」という研究室です。例えば、湿地や干潟のような広くて浅い場所は、人間の都合の良いよう埋め立てられるなどして、どんどんなくなってきています。しかし失われてみて初めて、そのような場所が果たしていた役割や機能がきちんとあったことがわかってきました。生態系は、たった一つの機能ではなく、いろいろな機能を同時にたくさん持っていたわけです。その中にはわれわれ人間にとって利益になるような機能も多く,これを「生態系サービス」と呼んでいます。したがって,そのような環境を再生することは、我々人間にとっても利益があることです.「環境生態工学」という分野は、そのような生態系の機能について工学的な視点で研究したり勉強したりする研究室です。
「自然再生」という言葉がありますが、再生するにあたり実際にどのようなことをするかと言えば、工事です。生態学の人たちは生態系のことをわかっていても、工事をする立場ではないし、再生する工事の技術も持っていません。もちろん生態系の知識がなければ、どのように再生すれば良いかわからないわけですが、再生する作業の具体化という点においては工学的な部分が逆に必要です。そのような意味では非常に分野融合的で、生態学と工学、両方の分野にまたがるものです。
「人工湿地」は、生態系が持つ機能のうち特に水をきれいにする機能を、人工的に新しくつくった湿地で利用しようというものです。今日の日本では、下水処理場もある程度は普及し、エネルギー等を使えば効率的に高度な水の処理ができるようになりました。ただ一方で、最近は「低炭素化」というキーワードに代表されるように、できるだけエネルギーを使わず、二酸化炭素を排出しないことが求められています。生態系は、まさに低炭素のシステム。これまで人工的にやっていた廃水処理を、自然の機能を利用して行うことで、低エネルギー・低炭素の実現が可能です。
どちらかと言うと、日本はこれまで、高効率に水処理をする技術をずっと発展させてきました。ですから反対に、生態系を利用して水をきれいにしようという研究は遅れています。その背景には、国土が狭いことや人口増加社会があるでしょう。しかし今は「地球温暖化」や「低炭素」というキーワードにも表れるように、少し方向性が変わってきました。また、人口減少社会となって地方は過疎化し、耕作地や水田が放棄されているところも出ています。すると、多少効率が悪くて土地を使ってでも低エネルギーの技術が入りこむ余地が、日本でも出てくるわけです。
もちろん、東京の真ん中に人工湿地をつくろう、ということにはならないと思います。しかしながら適材適所の観点で、必ずしも高効率でなくても、低コストで低炭素の技術という意味で、自然の機能を利用した人工湿地を活用する道も切り開くべきです。そして、それを研究する研究室がやはり必要だと思うのです。むしろ、そのようなものを利用した方が、長い目で見たときには良いかもしれません。
人工湿地普及までの道のり
―同じようなテーマの研究室は日本に少ないということですか?
これまで環境を利用しようとする技術が全くなかったわけではないのですが、むしろ日本ではハイテクの方が脚光を浴びてきたので、そちらに集中してしまったという背景があります。例えば、海水から淡水をつくる技術や、下水から飲み水をつくる技術など、膜処理の技術は日本がこれまでずっと世界を引っ張ってきており、今でも世界シェア一位です。その陰で、環境を利用しようとする技術は脚光を浴びてきませんでした。結果的に廃れた時期もありますし、研究者の数も少ないというのは否めないですね。
しかし日本でも、田舎の方では必ずしもきちんとした廃水処理をできているとは限りません。特に畜産農家は経営が厳しく、法律を厳しくすれば経営が困難になる背景もあって、なかなか廃水を処理できていない現状があります。これは日本に限ったことではなく世界中がそうなのですが、日本の場合、廃水処理が進んでいる半面そのような現状もあるのです。そんな中、エネルギーがかからず低コストな人工湿地が受け入れられる可能性は高いと考えています。ネックなのは土地が必要なことですが、酪農をやっているようなところは土地があるところですから、うまくマッチングする可能性が高いと見ています。日本の場合、人が出す廃水よりも畜産から出る廃水の方が、人工湿地が受け入れやすい状況にあると考えています。
―川渡の人工湿地は畜産排水用ですが、日本で受け入れられる可能性の高さを考慮してのことですか?
廃水処理は、実際のスケールで実験することが非常に難しいわけです。失敗すれば汚水が出てしまうので、多大な迷惑をかけることになり責任は重大です。ですから小さなスケールで実験をするのですが、人工湿地のように土地を使うような、あるいは自然の環境下でやるような実験は、小規模に実験室の中でやっても説得力がないわけです。大体皆さんは「冬はどうなるのだ?」と仰いますね。ですから実際の冬の環境下で動かすような実験が望まれるわけです。つまり、生態系を使うということ自体、もう実験室ではやりにくいのです。すると、研究できるところはなかなか限られており、大学が責任を取れる場所となると、大学の農場になるわけです。そのような意味での必然性がありました。
さらに言えば、日本では皆さんあまり人工湿地を知らないし、こんな湿地を通っただけで水がきれいになるなんて普通は思わないわけです。ですから一番説得力があるのは、実際に見せること。例えば、隣の農場が使い始めれば、じゃあ自分たちも使おうとなる。要は、すぐ見学に行けるようなところで実際に動いていることが大事なのです。そのようなこともあり、いろいろな人にデモストレーションをして、必要な人が見に来ることができるような場所をつくろうというのがGCOEで川渡に設置した人工湿地実験施設の大きな目的です。
逆に言えば、日本では最初の一つがなかなかつくれないでいることが、普及の足かせになっています。人工湿地は、まだ本州には東北大学にしかありませんが、北海道では最近5年間で7ヶ所くらいできています。北海道で最近でき始めたのは、関係者の努力に加えて、やはり一つ二つできて、3、4年動いている実績が認められてきたことが大きいでしょう。「こんなに安い値段で廃水処理ができるんだ」と実証できたことが呼び水となり、次の普及につながっていく。我々は大学ですから、大学の農場レベルでしかできませんが、本当は実際の農家が使ってくれれば、それは何より説得力のあるデモストレーションになるわけです。
その一方で、海外や北海道でうまく行っても、それはその地域の自然環境下で行っていることですから、別の自然環境下ではどうなのかという問題があるわけです。その地域の気候や降水量の影響があるため、同じ日本でも、北海道と東北では違うし、仮に九州でつくっても違うと思います。九州は暖かいので、微生物の働きが活性化しやすい点で北海道よりも有利なはずです。そのようなこともあって、海外で人工湿地が普及しているから、ではそのまま日本に持ってこれるのかと言えば、そうではないのです。日本の地域特性に合わせた開発をすればもっと良くできるかもしれない。そのようなところが研究だと思います。
もうひとつの問題は,だれが人工湿地を建設するかという技術者の問題です。たとえ良い結果が研究で出せたとしても、だれでも簡単につくれるわけはありません。人工湿地に関する知識を持った工務店がなければできません。まず誰かが設計図をつくり、次に設計図通りに誰かが人工湿地をつくる。そのような人たちも育てなければなりません。ですから研究者だけではなく、まずはそれを使う人。そして研究者と使う人の間には、その工事をする人。その工事をするためには、その設計をする人。そのようなことも含めてどんどん裾野を広め、人工湿地で商売ができる会社が出てこないと、普及しようにも普及しないのです。
―人工湿地のメカニズムをきちんと知らなければ設計は難しそうだと感じました。
本当はそれほど難しくないはずなのですが、たくさん土地も使い廃水も出てきますから、大きな失敗は許されません。誰かが勝手に見様見真似でつくり、失敗して汚い水を出す湿地をたくさんつくってしまえば、風評被害が出てしまい、人工湿地の信用は失われてしまうでしょう.現に、海外でもそのようなことが繰り返されています。だからこそ、きちんとした技術を広めなければなりません。
実験施設としての人工湿地
―川渡人工湿地は5段式であることがポイントとのことですが、それは特別なことなのですか?
本当はもっと単純でいいのですよ。例えば3段目で法律の廃水の基準を満たしていたら、もう4段目と5段目は要らなくなりますよね。「廃水基準さえ満たせれば良い」と考えれば,4段目以降はいりません。でも、人工湿地で一体どこまできれいできるのか知りたいですよね。普通なら法律さえ満たせれば、それで終わりにしてしまうのですが、我々は研究という立場なので、このようなことをわざとやるのです。ちなみに5段目まで流せば、魚が泳げるような水質まできれいになります。
本当は配管ももっと単純で良いのですが、実験しやすいよう大きく三つの系統に分け、さらに三つの系統が四つに分かれているので、全部で12系統に分かれています。実験用に、いろいろと条件を変えることができるようにしているところが特別な点です。
―ほかにポイントはありますか?
例えば、植物がないところを通ってきた水と、植物があるところを通ってきた水で、どれくらい浄化力が違うかを調べています。浄化メカニズムの説明で「微生物が浄化している」と言うと「では植物はなくても良いのか」と聞かれるためです。世界的には「植物がある方が良い」というのが定説なのですが、改めて説得力あるデータを出すために、植物がないケースをわざわざ確かめる場所をつくっているのです。
ただ意外なことに、植物があるか・ないかの差は、かなり時が経たなければ出てこないようです。4、5年経てば差が出てくるというのが定説なので,もう少したたないと確認できないのかもしれません.川渡人工湿地の場合は,去年1年間の冬に限って言うと、植物がない方がきれいな水が出てくるのです。そんなことがあるから人工湿地という技術はなかなか信用されないのかもしれません.どうしてそうなるのかは、研究者としてはおもしろいところですが。
―では、研究としてはどのようなことをしているのですか?
研究の話をすれば、例えば、水があるところは酸素が溶け込みにくいため、酸素がない環境になります。人工湿地の地下部には60cmのろ過層があって,そこには普段水がないのですが、地下30cmくらいを水がある状態にした場合としない場合でどう違うのかを比較しています。酸素がある場所とない場所の両方を作った方が、それぞれ両方の反応(好気的反応と嫌気的反応)が進んで良いという考え方があるためです。このように理論的に考えられることを、ここではいろいろと試しています。
―理論的に考えられることをいろいろ実験して試せるよう、予め設計していることがポイントということですか?
実験用につくった人工湿地である上に、30頭の牛から出てくる実際の廃水を使っていることがポイントしょうね。なかなかこういうことは、実験ではやり辛いのです。例えば、北海道にある人工湿地は、実際の農場の廃水処理施設としてつくられているため、条件を比較するような実験はできません。つまり一つの条件でしか試せないのです。けれどもそれでは「こうしたらもっと良くなるかも」と思う時、困りますよね。試してみて、もっと良くなれば良いですが、前よりも悪くなったら大変です。
もし「こんな条件を試してみて」という要望があって、我々がやる価値があると判断すればそれはやりますよ。我々は大学の研究者ですから、そのような社会的役割として、実験施設という位置付けが重要だと思うのです。そのうち人工湿地の条件についていろいろと研究してくれという要望が来るような状況になれ良いですけどね(笑)。けれども普及していない段階なら、そういうことは充分にあると考えています。
ハイテクとローテクのハイブリッド
―では最後に、これから中野先生はどのようなことを目指したいですか?
自然を利用する技術として海外では人工湿地の普及が進んでいる一方で、日本はそのような海外での情勢に気づかずに、ハイテクの方にずっと走ってきました。人工湿地をローテクという位置付けとするならば、ハイテクとローテクを上手に組み合わせることが今後重要でしょう。
人口が密集し、エネルギーはかかっても高効率にやった方が、トータルとしては効率が良く低炭素になる場合もあります。逆に、人口が少ないところや畜産では、ハイテクを使うのはもったいないわけです。
これまで日本がつくってきたハイテクと、人工湿地のようなローテクを上手にハイブリッドさせて、適材適所で使えるような社会になれるよう、日本では人工湿地が遅れていますので、その担い手になりたいですね。そして人工湿地をつくることによって、水や生態系がきれいになり、水生生物がきちんと住めるような環境が創出できれば良いなというのが、私の夢です。
―中野先生、ありがとうございました。
コラボレーション
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