核スピンを使った「量子コンピュータ」をつくりたい
―これからつくっていきたい「新しいもの」は何ですか?
今一番うまくいくかもしれないな、
と思っていることのひとつは、
非常に感度の高いNMRの開発です。
―核スピンは、化学の世界ではNMR、医学の世界ではMRIとして広く用いられていると
先ほどお話されていましたが、既存のNMRと比べて、どれくらい感度が高いのですか?
NMRは普通、
化学の世界でやる実験からもわかるように、
チューブに試料を詰め込んで測定するのですが、
そのサイズが、ミリメートルなのです。
ところが、私達がやっている半導体の研究では、
ナノメートル(※)の膜や、場合によっては、
厚みもナノメートル・幅も数十から数百ナノメートル
という「ナノマテリアル」をたくさん扱っています。
※1ナノメートル=100万分の1ミリメートル
もちろん、代表的なナノマテリアルである
フラーレンやカーボンナノチューブでも、
NMRはやられています。
けれどもそれは、ミリメートル単位で
それらをたくさん集めてやったもの。
一個の薄膜や一個の構造でのNMRは、
これまでやられたことがありません。
―どうやったら、ナノサイズの情報のNMRができるのですか?
私達の技術は、
電子と核スピンの相互作用を使っているので、
核スピンの情報を、電子系で読み出すことができます。
ですから、非常に小さいところの情報も読めるんですよ。
それが汎用でいろいろなものに使えるかというと、
そうじゃないところが、
普通のNMRとは違うところなのですが。
ただ少なくとも、ある種の半導体については、
ナノメートルサイズの情報のNMRができる、と。
―ナノサイズの情報のNMRができると、どのようなことが新しくできるようになるのですか?
超高感度のNMR測定によって、
半導体の電子スピンやいろいろな物性で、
今までわかってなかったことがわかってきます。
そこは、かなりうまくいくんじゃないかな
と思っています。
ナノ構造でNMRが測れましたし、
ちゃんと新しい特性が出てきましたから。
新しい物理が出てきたり、
あるいは新しいデバイスに結びつく。
そういうところが出てきそうだな、
ということが見えてきていますね。
もうひとつは、非常に小さい構造の中で、
核スピンを制御すること。
核スピンを使った「量子コンピュータ」を
つくりたいと思っているのです。
私達は「コヒーレント(※)」という
言葉を使っているのですが、
「古典ビット」ではなく「量子ビット」として、
核スピンを動かすことができるところまでは確認しました。
けれどもそこから先、
どういうところで展開を開けるかは、
まだ未知数という感じですね。
※コヒーレント:(波の)位相がそろっているという意味
古典の世界と、量子の世界
―そもそも「古典ビット」と「量子ビット」の違いは何ですか?
電子の存在は、
「古典的」か「量子的」で、
その扱い方が違うのです。
今、うちの研究室では
電子スピンや核スピンの話がメインですが、
私が昔、NTTの研究所で研究していた例が
一番わかりやすいでしょう。
例えば、ここにふたつ並んだ
小さなナノ構造があるとします。
ふたつの箱がくっついていることを、
イメージしてください。
そして、ここに電子が1個あります。
電子1個を、このくっついた箱に放り込みました。
さて、電子は右にいますか?左にいますか?
これが古典の世界だと、
電子が右にいるとき、
左には絶対にいないんです。
反対に、電子が左にいるときは、
右には絶対いないわけですね。
要するに、電子は、右か左のどちらかにいる。
つまり、「0」か「1」の世界です。
これが古典の世界ですね。
―「量子の世界」では、電子はどうなるのですか?
量子力学の示すところによると、
電子は、粒子の性質と波の性質の
両方を持っています。
では、電子が波としての性質を持っている、
と考えてみましょう。
そしてこのふたつの箱が、
波と同じ大きさか、
あるいは波より小さい、と考えてください。
さて、電子はどうなるでしょう?
今、右の箱に電子が入っているとします。
でも電子は波の性質を持っているので、
波に広がりを持っています。
波の広がりは、箱の大きさよりも大きいわけですね。
ですから、右の箱に入っている電子の波の広がりのすそは、
左の箱にもかかっている。
すると、不思議なことが起こってきます。
電子が右の箱にいる確率が80%で、
左の箱にいる確率は20%、
ということが起こり得るわけです。
つまり古典の世界なら、
「1」か「0」でしょう。
けれども量子の世界では、
電子は1個しかないのに、
「0.8」と「0.2」が起こり得る。
これが、量子の世界なのです。
「量子コンピュータ」とは
―では、そもそも「量子コンピュータ」とは何ですか?
その「0.8」と「0.2」を、
「0.5」と「0.5」とか、
「0.9」と「0.1」」といったように、
外から自由にうまくコントロールできることが、
量子の世界のコントロールで、
量子制御だと思ってください。
そのような性質が、
きちんと保たれていることを、
我々は「量子コヒーレンスが保たれている」
という言い方をします。
要するに、何%が左で、何%が右、というように
自由にコントロールして「量子ビット」をつくり、
それを重ね合わせて計算するのが
「量子コンピュータ」である。
そういう風に思っていただけると、
古典と量子の違いが、
なんとなくわかってくると思うんですね。
―量子ビットの「重ね合わせ」とは、何ですか?
先述のペアの箱をたくさん用意して、
たくさん並べるわけですね。
すると、一つ目の箱は「0.8」:「0.2」、
二つ目の箱はA:B・・・というように、
それらがお互いに相互作用をするわけです。
これを「重ね合わせ」といいます。
―「量子コンピュータ」が実現すると、一体何ができるようになるのですか?
それは非常に良い質問で、
量子コンピュータで一体何ができるか?は、
残念ながら僕の能力では対応しきれないくらい、
まだわかっていないことがたくさんあります。
私達は量子コンピュータの原理となる素子をつくろう、
ということはやっているのですが、
量子コンピュータで一体何ができるか?は、
数学の世界に入ってしまう話なのです。
それを数学の世界を中心に、
研究している人はたくさんいます。
けれども、まだ100%の答えは見えていません。
―では今のところ、何ができることがわかっているのですか?
ひとつだけ言えることは、
古典コンピュータでは絶対に解けない問題が
いくつか解けるようになる、ということです。
その一番良い例が、因数分解です。
因数分解って、実は、
今の暗号の原理なんですね。
因数分解っていうのはおもしろくって、
例えば、14を素因数分解すれば7と2で、
簡単に暗算できます。
けれども例えば、
5桁や6桁の数字を因数分解しなさいとなると、
ものすごく難しい問題になるわけですね。
それを今のコンピュータが計算した場合、
1桁増えるだけで計算にかかる時間は急に大きくなり、
あっという間に発散してしまうんです。
ですから、今のスーパーコンピュータを
がんがんまわしても、解けない問題になっちゃう。
ところが反対に、因数分解した答えを知っていれば、
かけ算は簡単ですね。
例えば、5桁×5桁のかけ算は、
もちろん大変だけど紙で私達が計算しても、
すぐに答えは出るじゃないですか。
つまり、因数分解をする方は難しいけれど、
かけ算する方は簡単。
だから、答えを知っている人は簡単に解けるけど、
知らなければどうしようもない。
ということで、暗号に使えるわけです。
―そこに量子コンピュータが登場すると、どうなるのですか?
少なくとも量子コンピュータが完璧に動けば、
その因数分解が一桁増えても計算時間は
そんなに大きくならずに済みます。
つまり、エクスポーネンシャル(指数的)に
計算時間が長くなるのではなくて、
リニア(直線的)に計算時間が長くなるだけで、
答えが出てしまう。
だから、因数分解は少なくとも解けるようになる。
他にも、いくつかの数学の問題は
解けるようになることがわかっています。
―量子コンピュータができると、世の暗号が解かれてしまいますね。
それですごい、と言ってくれる人もいるのですが、
因数分解を解けたって解けなくったって、
僕には関係ありませんよ、と言う人もいます(笑)
結局、古典ビットって、
「1」か「0」かで自由度はふたつしかないのです。
けれども量子ビットでは、
その間の自由度を自由にコントロールできるので、
結果的に、自由度がたくさんあるんですね。
その自由度をうまく全部使うことができれば、
難しい問題も解けるようになる、ということです。
<※補足としてのまとめ>
「0」か「1」のどちらかの状態しかとることができない「古典ビット」に対して、「量子ビット」は「0」と「1」だけでなく複数の異なる状態も同時にとることができるため、既存のコンピュータでは実現できない並列処理が、量子コンピュータでは可能になると言われている。
核スピンをうまくコントロールして、量子ビットをつくりたい
―では、「核スピンを使った量子コンピュータをつくりたい」とは、どういうことですか?
さて、ここまでは、電子の電荷が
どちらにいるかで話しました。
ですからこれを、電荷量子ビット
(チャージキュービット)と言います。
けれども実は、それだけじゃなくて、
同じことがスピンに対しても言えますね。
電子スピンが、
上を向いていれば「1」、
下を向いていれば「0」。
このように古典的な世界では、
電子スピンは、上か下かしかありません。
これは、磁場に対して平行か反平行か、
この二つが安定な状態なので、
この二つしか考えないのです。
ところが量子状態というのは、
この中間で傾いている状態です。
傾いているときは、くるくるくるくる、
いろいろなところをまわっているのですが、
そういう状態を全部考えるわけです。
これを「量子状態」と言います。
私達の研究のひとつの目的は、
さらに核スピンをうまくコントロールして、
そういう量子ビットをつくってやること。
ただ、こっちの方は、すごく難しくって。
先程の「何合目」という話で言えば、
先が全然見えていない状況ですけど。
少しずつ、そちらの方も頑張っています。
ナノ構造で高感度の核スピンコントロールができることが強み
―自由度がたくさんあればあるほど、その相互作用も考えなければならない分、
逆にどんどん複雑になって、そのコントロールが難しくなりそうな気がします
仰るとおり、自由度がたくさんある
ということは複雑になるということ。
複雑だから、制御するのは大変なんですよ。
とても難しいんです。
けれども、うまく制御する方法を
見つけることができれば、
自由度がたくさんある方が、
今まで解けなかった問題にも対応できる。
そういうことなんですね。
―そのような難しいことにもチャレンジできる前提、強みは何ですか?
私たちのひとつの大きな売りは、
ナノスケールの厚みの半導体薄膜や
ナノスケールの半導体構造で、
高感度の核スピンコントロールが
できるということです。
外から核スピンや電子スピンを
うまくコントロールするために、
電磁波のパルスを加えるのですが、
そのパルスをうまくコントロールして
制御しています。
―具体的には、どのように手を動かして研究していくのですか?
具体的には、そのあたりの制御技術を
地道に改善していくわけです。
つくっては実験して、つくっては実験して、
を繰り返しやっていきます。
「こうやったら、こううまくいくんじゃないか」
と思ってやってみると、
うまくいくこともたまにありますが、
うまくいかないことも多いんです。
けれどもうまくいかなかったときに、
その副産物として、新しい話が出てきたり、
新しい原理が見つかったりするものなのです。
そこに結構おもしろみがあるんですよ。
つまり、うまくいったときにも、おもしろみがあるし、
うまくいかなかったことにも、おもしろみがあるんです。
コラボレーション
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