取材・写真・文/大草芳江
2009年10月10日公開
興味を持てなければ、どうしようもない
石井 武比古 ISHI Takehiko (東京大学名誉教授)
1934年生まれ。1957年東北大学理学部物理学科卒業、1962年同大学大学院理学研究科博士過程修了。1962年同大学理学部助手、1968年助教授、1979年筑波大学教授、1983年東京大学教授、1995年定年退官、東京大学名誉教授就任。1995年日本人事試験研究センター特別参与、 1996年タイ国立放射光科学研究センター総轄学術研究専門官、1997年-2005年スラナリー工科大学教授。1990年日本物理学会会長、1991年日本放射光学会会長。1967年愛知敬一記念賞、2003年タイ国立放射光科学研究所功労賞、2005年タイ王国勳4等ディレクナボーン勲章受賞。
「科学って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【科学】に関する様々な人々をインタビュー
科学者の人となりをそのまま伝えることで、「科学とは、そもそも何か」をまるごとお伝えします
「放射光」の専門家で、日本物理学会会長も務めた石井武比古さんは、
「勉強がよくできるっていうのは、君、それは欠点だよ。
それしかできないと、教授にしかなれないよ。ほどほどに、ほどほどに(笑)」と豪快に笑う。
「医者になれ」と言われていた石井さんだが、結局、物理の教授になった。
「トラップされちゃうのです、物理やりだすと(笑)」と、また石井さんは笑う。
ユーモアのかげに「そもそも科学とは何か」をそっとのぞかせたロングインタビュー。
物理学者の石井武比古さんに聞く
科学とは調べること
―単刀直入にお伺いします。「科学って、そもそも何ですか?」
あはは(笑)
それは非常に難しい、答えにくい質問ですね。
その質問に直接答えるかわりに、「科学」の意味を。
「学」はわかるけど、「科」の意味とは何か?
私は知らなかったのですけど、
明治維新後、日本に大学ができた時、大学は
理科大学や医科大学などと呼ばれました。
つまり、理系の大学の名称には、「~科」がつきました。
その「科」で行なわれている学問なので、お役人さんが
明治のはじめに、「科学」と言ったそうです。
便宜上、「科学」と言っている間に、それが英語で言うところの
「サイエンス」を指すようになった、なぁんて話を聞いたことがあって。
本当にそうなのかなぁ、なんて思っていたんですよ。
だから、私自身は、「科学」という言葉に国語として深い意味はない、と思ってきたのです。
ところが、中国に初めて行った時、中国語でも「科学」と書くことを知りました。
そこで、「科学」という言葉は、中国から日本に輸入されたのだろうと、
当然、そう思いましたね。
けれども、実は、その逆なのです。
その言葉は、日本から中国へ、輸出したものなのですよ。
ま、そういうことがありますから、
「科学って、そもそも何だ」と聞かれると困っちゃうのだけど、
ここでは「サイエンス」という言葉で、「科学」を言ったとします。
そして、それを言う前に、もう一つの言葉を考えなくてはなりません。
「科学」に対して、もう一つ、「技術」というものがあるんですね。
この「技術」というのが、また難しくてね。
「技術」には、英語で言うところの「テクノロジー」や「エンジニアリング」という意味があって、
昔は、おそらく、「技術」は「エンジニアリング」だったのではないかと思うのですよ。
けれども、昔は、「サイエンス」と「エンジニアリング」を
はっきりと区別はしていなかった、と私は思うんですね。
観光旅行でスペインに行った時、バルセロナのピカソ美術館へ行ったのです。
パリにあるピカソ美術館が、ピカソのコレクションとしては一番大きいと言われていますが、
バロセロナのものは、中身が非常に良かったですね。
その中で、私が最も感激したのが、
『科学と慈悲』という題の絵なんです。
【参照】 ピカソ美術館(バロセロナ) 公式ホームページ
・Museu Picasso de Barcelona(トップページ)
・Science and Charity (1897. Oil on canvas) ※こちらのページから『科学と慈悲』を見ることができます
医師が女性の患者の脈をとっている。「婦人が間もなく死ぬであろう」と、
椅子に座って、脈をとっている。
その脇に、修道女がいて、たしか子供を抱いていたように思うのですけど。
明らかに、その修道女は幼い子供を死に向かう母親に見せていた、
と思うのですが、その子供も母親を見つめています。
母親はもう顔色が土色のようで、亡くなるような死相が現れていました。
普段私達がイメージするピカソの絵って、変わった絵が多いでしょう。
けれども、その絵は、印象派よりももうちょっと写実的な絵です。
ピカソが16歳の時に描いた絵なのですけど、実に素晴らしいんです。
それで、私はそれを見てすごく感激したのです。
―どのようなことに感激したのですか?
一つは、結局、医学や科学でも、人の命は救えない。
最後に、人の心に救いを与えるのは神や宗教だ、
ということが、文字通り、それを見て思ったことなのです。
だけどね、私は、別のところで、えらい感激したのですよ。
それが、タイトルの『科学と慈悲』。
医学ですよ。
医学は、どちらかと言うと、「科学」ではなく「技術」だと思うんです。
ですが、昔は、そう、ピカソが16歳の頃、
日本で言えば、明治時代の頃は、
スペインでは、「科学」も「技術」も区別がなかったんです。
なるほど。
我々が、今日、「エンジニアリング」と称して、
「サイエンス」とは区別して考えているものが、
昔は区別していなかったのだろう、と思いました。
さて、話をもっと昔に戻してお話しさせて頂くと、
アイザック・ニュートンは、理論物理学の研究者だったのか、
それとも実験物理学の研究者だったのか。そこに興味がありました。
今は、物理学の研究は理論と実験に分かれていますよね。
ニュートンは、力学の基本的な理論、哲学を創りだしました。
それを使った数学的な概念は、微分学、積分学の基礎になったわけです。
だから、以前に、私は、彼はてっきり理論家なのだと思っていたけど、
どうやら、アイザック・ニュートンは、実験家だったようです。
今でも、「ニュートンリング」なんて、ありますよね。
要するに、光の研究をやったのですね。私が言いたいことは、
サイエンスである物理学でも、理論と実験は渾然としていて、
今のように分業化したものではありませんでした。
それから、ずっと時代が過ぎて、現代に近くなってからの話ですけど、
優れた理論を打ち立てた、理論家と思われそうなフェルミ(※)大先生も、
やっぱり実験の先生だったのです。
はじめ実験をして、それから理論研究、やがて原子核実験から核分裂の研究。
聞いた話では、この大先生は、夜、家の書斎で理論の研究をして、
大学の研究室では、実験をしていたそうです。
ここでも昔の大研究者の中には、理論も実験も同じようにこなす大天才がいたのですね。
※エンリコ・フェルミ(1901-1954)
ローマ生まれのイタリアの物理学者。後年アメリカに移住。統計力学や電気力学の理論、原子核理論で優れた業績を残す。後に原子核実験を始める。アメリカでは、原子核分裂の実験、特にウランと黒煙のパイル、自己持続的連鎖反応装置の政策に成功した。
という訳でですね、ここまでが長い長い前置きでして、
それを前提に「科学って、そもそも何か」を一番簡単に言ってしまいます。
「科学」とは、宇宙も含めて、物質がどのようにできているのだろうとか、
物質がいろいろ変わり行く、動いていく、変化していく、
そういうものが何によって、どういう法則に支配されて変わっていくのだろうかとか。
そのような法則を発見する、物質の成り立ちを調べる、そういう調査ですよね。
言ってしまえば、それをやるのが科学なの。
生物学や化学を考えると、わかりやすいですよね。
これに対して、「技術」、「エンジニアリング」というのは、
直接意識するか否かは別として、何かものを生み出す、作り出すことだと思っています。
この頃、また区別がはっきりしなくなりましたけど。
調べることに技術が使われる
―日本では「科学技術」と、ふたつの言葉をくっつけて呼びますね。
ええ。科学と技術をくっつけないと、
どうしようもない例があるのですけど。
二、三の例をお話できると思います。
私は、物理学のうち、「放射光とその利用」の専門家です。
「放射光」って、応用が多岐に渡るのですよ。
今、いろいろなところに、結構使われています。
基礎物理学や化学や各種の工学は勿論ですが、
鉱物学、生化学、臨床医学など、いろいろあるのですが、
変わった所では、考古学にも使われるのですよ。
歴史を辿って話をすると、面白くなくなっちゃうので、
ある学会の時の話をします。・・・あれはだいぶ前の話だな。
その頃ちょうど、パリの街あげてのお祝いがありました。
その前に、ナポレオンの墓が、修理が終わって綺麗になったんです。
ナポレオンが棺の中にいるんです、未だに。
その頃、工事のためにナポレオンの墓を開けたらしいんです。
そこにあるナポレオンの遺体は、非常に、貴重なものですよね。
そんな貴重なものには、触っちゃいけないわけですよ。
けれども、それを、触った科学者がいるんだな(笑)
そして、髪の毛をちょっとだけ、いただいたらしい。勿論、無断ではないですよ。
その髪の毛を、「放射光」を使って化学分析したの。
日本では、この間、和歌山の毒入りカレー事件の死刑判決が確定しましたよね。
あの時、カレーの化学分析に用いられたのも「放射光」ですよ。
>
容疑者の家の中にあった砒素を含む化学薬品と、
カレーの中に含まれている毒物が一致するかどうか、ということ問題です。
何故放射光だったのか、と言いますと、
化学分析の対象となったカレーの量がは穏当に少量だったから、
通常のX線微量分析装置が使えなかったからです。
けれども、このカレー事件のだいぶ前に、
フランスの研究者が、ナポレオンの髪を分析したんです。
その結果を学会で発表した。彼は何と言ったのか、それが面白いのです。
「ここ百数十年間の長きにわたって、世の中に語り継がれた噂がある。
ナポレオンは、イギリス人に殺されたのだ」ってね(笑)
会場は大爆笑ですよ(笑)
何故ならば、国際学会ですから、
会場にはイギリス人の先生もいるわけですから。
では、イギリス人はどのような手段を使って
ナポレオンを殺害したと言われていたのでしょうか。
「毎日の食事に砒素を入れたのだろう」と言われていました。
いきなりやったら死んじゃうから、毎日少しずつ入れていたと。
もし本当にそんなことをしていたら、髪の毛に砒素が蓄積されています。
だから、ナポレオンの髪の毛について、砒素を調べたわけです。
その結果、ナポレオンの髪の毛の中に含まれていた砒素の量は、
(試料が少ないため誤差が大きく、あまり精度が高い実験はできないのですが)
通常我々の髪の毛の中に入っている砒素の量と比べると、
ナポレオンの毛髪の中の砒素の方が多いとは言えない、という結論で話は終わりました。
別な研究会で聞いた話では、考古学に利用すると、その時使われる技術が、
整形外科の手術にも応用できるのですと。
臨床医学では心臓血管の検査、乳癌の検査、関節の軟骨の検査、等など。
話を考古学に戻します。後日、パリの大きな化粧品会社の研究員が、
ESRF(欧州放射光施設:European Synchrotron. Radiation Facility)
を使って、あるものの化学分析をしたのです。
実は、それはエジプトの遺跡の中から出たもので博物館に保管されていたものです。
以前に、遺跡の中から、小瓶が出てきたと言うのです。
それは、化粧品だろうと思われていました。
昔のエジプトの女性が、目のまわりを真っ黒の線で、くっきりと描く。
あれに使われたものだと言うのです。
けれども、その瓶は、開けられません。
開けると、空気に触れて、内容物が化学変化して、変わっちゃうかもしれない。
非常に貴重なものですから。
その価値たるや、ものすごいものですよね。
何千年も前のものですから。
それを、「放射光」なら分析できるのではないか。
そして、やったの。そしたら、できたの。
結果、その中の化学物質には、鉛が入っていた。
つまり、毒だって言うの。
だから、あれは化粧品ではなくて、
目に虫が入らないようにした薬じゃないか、というわけです。
そもそも「放射光」を考古学に応用しようと
したのは、どこからはじまったかと言うと、日本なんですよ。
ある人が、昔の記録文書に使われた墨はどんなものだったのだろう?
と分析したのが、はじまりなのだけど。
今は、ものすごくいろいろな応用があって、
いろいろな方面に応用されているらしいですよ。
それで、今お話した二つの例は、共にサイエンスですよね。
調べるわけだけだ。
つまり、「科学」とはそもそも何か、という問いに答えなくてはなりません。
私は、「調べることだ」、とお話しました。
その調べることに「技術」が使われて、何がどんな具合に使われるか、
というお話をしたつもりなのです。
ついでにもうひとつ、話を絡めて言いますと。
和歌山毒入りカレー事件の時に、「SPring-8(※)」が非常に有名になりました。
※SPring-8:兵庫県にある大型放射光施設
繰り返しになりますが、あれを一般的な言葉で言えば、X線微量分析と言うのですけどね。
そういうのに広い範囲に分布するスペクトルを持つ
非常に強力な光を使うと精度が上がっていく、という話なのです。
すると、科学捜査に「放射光」が応用できますよ、という話になります。
ならば、いろいろな科学捜査は、そのように大型で進んだ施設で、
どんどんやっていけばいいのでは、という具合に、一般の人は思うかもしれない。
けれども、実際は、違うんです。
この間、ある会合で聞いた話なのですが、
証拠品を分析して、調べて、結論を出すのは、科捜研だそうです。そこの研究室。
科捜研には、ものすごく進んだ近代技術が取り入れられています。
―ものすごく進んだ近代技術とは?
「放射光」よりも、圧倒的に利用されているのは、
一番は、何と言っても、コンピュータなのです。
計測をコントロールする、データを高度に整理する。
CGを高度に利用する。そういうことです。
あとは、言うなればレーザー。具体的には言いませんが、
これが、計測の隅々で、従来不可能であった計測を可能にしました。
そういうことで、もう、同じことばっかり喋ることになるのですけど、
「科学」というのは、物事の成り立ちを、
何がどういう具合にできあがっているのかを調べることなのです。
コラボレーション
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