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2024年 11月 21日 (木)

世の中に科学者ばかりつくる必要はない



自然の中で、自然に、自然の成り立ちを覚える

ここまでは、いいですよね?

では一体、今の若い人たちが、科学あるいは技術なんていうのを、
どこで勉強することになるんだろう?

そして教育の立場から、児童・生徒に、科学なり、また、将来それに慣れ親むことを、
どういう具合にして、教えていけばいいのだろう?

そういう問題がありますよね。

私は、世の中に科学者や技術者ばかり作る必要はないと思っています。

ごく一般的・常識的に、理科という名称が与えられている教科・分野について、
児童・生徒に、全く毛嫌いすることなしに普通に受け入れられるのが良いと思っています。

そして、もし本当にそれが好きならば、
将来、そういう方面に進めば良いわけですから。

皆が今、危機意識を持っていると称するのは、
若い連中が、それが嫌いなっちゃった、ということですよね。

けれども、私自身は、本当にそうなのかな、と思っているのですけど。
この感覚、わかります?

―今わたしたちが生きている社会は、ものも情報も溢れていて、
 何でもあることが当前のように錯覚しがちな成熟した社会だと思います。
 その分「毛嫌い」と言うよりも、そもそも不思議だと疑問に思ったり
 新しいものをつくる必然性を感じないという方が、しっくりきます。
 しかしながらその一方で、例えば幼児を見ていると、非常に自由に、
 自らの五感で感じ、疑問に思ったり、ないものをつくったりしているので、
 人間って、もともとは非常にクリエイティブな存在なのだなぁと感じます。
 人はそれを、「遊び」と呼ぶのだと思いますが、
 ただ、人間が本来もっているそのような感覚が、成長するにつれ、
 どんどん削れてしまうような環境だなと、これまで肌身で感じました。

そう、「遊び」なんだよね。
あのね、私が少年時代を過ごした頃は、戦時中だったの。

日本が太平洋戦争に突入したのは、昭和16年12月8日のことでした。
これを知らない若者がいるのには、驚かされました。
その時、私は小学校1年生でした。当時は国民学校と言いました。

風邪をひいて、学校を休んでいる時、
「戦争が始まった」と、大人たちが大騒ぎをしていました。

その頃は、よく分らなかったのですが、
その時代に、何が起こったのかと言いますと、
鮮明に覚えているのは、だんだん、ものがなくなっちゃったんですよ。

私の親父は、後ほど町長を務めた人でしたが、
とても変わった人でした。

太平洋戦争が始まった翌年、つまり、私が小学校2年生の時、
親父がこう言ったんです。

「やがて東京は、焼け野原になっちゃうだろう。だからお前らは、
無くなる前の東京を、よく見ておかなければならない」と。

そして親父は、姉2人と兄と私の4人を引き連れて、
東京見物に行ったのです。

何時間かかったのだろう。
兎に角、何時間もかかって、行ったのですよ。
エレベーターに生まれて初めて乗りました。
このエレベーターは数年前までありました。
上野の松坂屋です。タクシーに初めて乗りました。
タクシーから、東京の街をぼんやり眺めましたが、何も憶えていません。

戦争がはじまって翌年くらいまでは、まだ、ものがありました。
けれども、だんたんものがなくなっちゃったの。
戦争で負けた頃は、丸っきり、何もなくなっちゃった。

じゃあ、私達子供は何をして遊んだのだろう。

模型飛行機を作ったり、グライダーを作ったり、
電池で動くモーターなんかを、作ったんですよね。
小さな木片を使って、プロプラなんか、削ってね。

兄のところに、いつでもへばりついて、
彼のやることを真似したり、一緒にやったりしていました。
刃物の研ぎ方を憶えたのも子供の時です。

当時の教科に、「工作」っていう科目があったんですよ。
工作の教科書では、何年生でモーターを作れとか、
何年生でプロペラを削れとか、ありました。

我々の頃は、多分、今よりもはるかに教育はすごかったですよ。
小学校4年生から、平家物語の暗唱もやっていましたから。

それから、秋になると、薬草やきのこ、栗なんかを採るために、
皆で近所の山へ行くんです。

私の弟なんかは、やることがもっと激しくてね。
あれはね、多分、私がもう大学生になった時かな。

高校生の弟達と一緒に山へ行ったとき、
彼等が、ちょろちょろと流れていた谷川で、
「あ、いた。あれを捕ろう」と言うんです。

ヤマメです。
捕っちゃうんです、素手で。

どういうことをやるかと言いますと、
皆でその小さな谷川の上流と下流に石を積むのです。
まず、水は流れますが、魚は出られない位に積んでしまうのです。

それから、川上からね、バイパスをつくるわけですよ。
その後で、川上にある石を積んであるところにずっと
土を入れて、水をせき止めちゃう。

すると、川下への水量がものすごく少なくなります。
そしたら中へ入って、魚が隠れることができないように、
流れの中にある大きな石を全部、岸に放り投げて、
そして隅の方へ行った魚を捕まえちゃう。

別の魚取りもしましたよ。手で掴めばすぐ掴めちゃうのを、
わざわざ割り箸を持って来て、それに針をつけ、針の先に餌をつけるんです。

それで、「どんかち」というハゼみたいな格好をしたカジカ科の川魚の鼻先に、
針と餌を、やれ食べろ、ほれ食べろ、とぶら下げるんですよ。

魚もね、じっとしていて、餌を食べないんです。
特に、石の下にいるやつは、
その小さい石をどかすと、中でじっとしている。

けれども、馬鹿なやつは、ついに堪えきれずに、パクッとやるんです。
そういう「遊び」ですよね。

魚を捕って、それを食べることが目的ではなくて、釣ること自体が面白い。
けれども、ただ釣るだけでは面白くないから、趣向を凝らすわけです。
そういうことは、その魚の生態を知っていなければできません。

そういう魚捕りとか、山に薬草を取りに行ったとか。
畑の隅に生えているノノヒロ(本当の名前は知りません)などはは、
一部を見ただけで、「あぁ、あれだな」とすぐわかるんです。
赤蛙の食べ方とか。

そういうことを、自然、自然に、覚えていくわけです。
意識的に強制的に勉強する前に、自然の中で、至極自然に、
自然の成り立ちを覚えるのです。

ここまでは、いいですよね?

それから、弟達の魚捕りは、だんだん大掛かりになったね。
田舎では、おきな川で、強いゴムでゴム銃を作って、
深いところへ潜って行って、大きな魚をバッチンとやる。

そんなことをやるようになったんだな(笑)
やることが組織的になって、かつ大掛かりになるのは、高校生の時ですね。

昔は学校で教える理科というのはね、
「サイエンス」と「エンジニアリング」と、
混ぜこぜに教えていたと思いますけど、
ずーっと後になって、私の子供達が小学生になる頃になると、
理科は理科、技術は家庭科みたいな感じで教えるようになったね。

だから、本当の意味で、科学を科学らしく研究するような話は、
職業人としてのいわゆる科学者にならないと、やらないですよね。

私は、俗に言う理系、理科ってやつが嫌いであってもいいから、
拒否するような嫌い方ではなく、常識的に受け入れて、ある時期にそこを通過できる、
そういう教育ができていれば良いのかな、と思っています。 繰り返しですけど。


子どもの頃にぎゅうぎゅう詰め込むな

子どもの頃にぎゅうぎゅう詰め込むな
一時期、日本の教育が潰れていると、
騒がれた時代がありました。

多分ね、あれは受験勉強がなせる業じゃないかなと思うのですけど。
私は「ゆとり教育」には反対なのですけど、受験競争が激しすぎるのもどうかと思います。
沢山勉強すれば、他人を追い越せる、そう信じるわけですね。

そういう競争の激しさはね、発展途上国へ行けば、
びっくりするくらい、ものすごくよくわかります。
一般に、発展途上国はかなりの学歴社会なのです。

あれは20数年前、私が中国へ行った時のこと。
合肥という三国志に出てくる街で、セミナーが会った時です。
日本人では、私がただ一人招待されました。
その時、たまたま、ちょっとした裏通りを通ったのですね。

するとね、子供達が学校から帰ってきて、
そこから塾へ出かけるところを見たたんです。
送り出す親の態度から、そう想像しました。

びっくりしました。
あの時代に、こんな田舎に、塾があるんだ。

私がいたタイの町にも、塾がありましたよ。
なんとかオリンピックってあるでしょう。
それが、高校生だけでなく、大学生のもあるのね。

私がいた大学では、若い先生が優秀な学生だけを集めて、
試験勉強を一生懸命やらせているのです。

でもね、その大学は弱くて、毎年上位には入れませんでしたね。
その連中は、「結果さえ良ければ」と、無理やり詰め込まれるのでしょう。
力を入れたから成績が上がるかと言えば、さっぱり上がらない。

数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した
数学者の広中平祐先生も、「子供の頃にぎゅうぎゅう詰め込むな」
というのが持論でしたね。

その広中先生が、奥様方とテレビで対談したことがあるんです。
「ぎゅうぎゅう詰め込むな」と広中先生が奥様方に言ったら、
「今日の先生があるのは、きちんと勉強をして、良い大学に入ったからではないのですか。
だから、勉強させることが絶対に必要なのです」というのが奥様方の意見でした。

先生はそれに何と答えたのでしょうか。
「うちの親父は小売業をしていた。非常に商売がうまくて、いろいろ金儲けをした」

先生は、奥様方に、延々とそういう話をしたので、奥様方が、とうとうしびれを切らして、
「今はそんな話をしているのではなくて、受験勉強をさせるかさせないか、
っていう話をしているんです」と言いました。

すると、先生は、「ちょっと黙って聞きなさい。
もし、私が大学に入って数学なんてやってなければ、私は親父の後を継いだであろう。
親父の後を継ぎ、親父以上に熱心に、商売を発展させたに違いない。
そうしたら、私は、今頃、大金持ちになっていたかも知れない。
もし、そうだとしたら、数学なんて自分でやらないで、数学者を何人でも雇ってやる」って言ったのです。

ひひひ(笑)

また別の話もあるんですよ。
ある時、私の上司が夕食に招待して下さいました。その先生と飲んでいるうちに、
先生が飲みすぎて寝ちゃったんです。

私がそこにぽつんと座っていると、二人の息子さんのうち、
弟の高校生を奥さんが連れてきて、私に訊いたんです。
「この子は来年受験をするのですが、何科を受験すればいいでしょう?」と。

「君は、数学が得意か?」と私が聞くと、「数学は得意です」と彼は言いました。
「英語は?」と聞くと、「英語も好きです」と。

私は、「そう。じゃあ、法学部へ行きなさい」って、言ったの。
そしたら、親子で「えっ?!」ていう顔をしていましたね(笑)
奥さんが言いました。「この子は当然、理系へ進ませようと思っていました」と。

ですから、私は、こう言ったんです。
「そんな馬鹿なことはやめなさい。君は、数学を勉強する必要はないでしょう。
できるのだから。それをこれ以上やって、理系に行って、
数学や物理みたいなことやってみなたら、どうなるか。
一番成功しても、そこでいびきかいて寝ている、この親父さん位にしかなれないぞ。
せいぜいうまくいって、教授だ」とね(笑)

そして、「そうだったら、もう、法学部に行って、その頭で法律を勉強しなさい。
今は、君はそれがどんなものだか全く知らない。ただ知らないで嫌いなだけだ。
行ってやってみなさい、絶対にそっちの方が良い。
そうすると、君の将来は、会社の社長さんかな、ひょっとして総理大臣かな、
天皇は無理だよ、あれは世襲制だから(笑)
だけど、そういう偉い人になる可能性があるのだから、そっちに行きなさい」
って言ったの。

そうしたら翌日ね、その先生がやって来て
「君!夕べ、うちの息子に何を言ったんだ。
すっかりその気になっちゃったぞ!!」って(笑)

それで文化一類に入って法学部を出たのだけど、
結局ね、その人はやっぱり大学の教授になっちゃった(笑)

それと、彼には兄貴がいるわけだ。
兄貴は、大学に入る前に、私と会ってなかったから、
物理に進んで、高エネルギー物理の教授になっちゃった。

だから、先は見えているんですよ。
あはははは(笑)

だからね、私がその頃の持論だったのは、
「数学がよくできる」、「勉強が良くできる」って言うのはね、
それは非常に良いことなのだと思っているかも知れないけど、
君、それは欠点だよ。
それしかできないと、教授にしかなれないよ。

ほどほどに、ほどほどに、ってね(笑)
トラップされちゃうのです、科学やりだすと(笑)

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