文理の垣根超え、物理学者と哲学者が議論 東北大で討論会
2009年9月24日公開
先月、東北大で開催された「学問・芸術と社会」講演と討論の会のようす
文理の垣根を取り除き、理学と哲学の融合を推進しようと、物理学者と哲学者が集まり議論する会が先月、東北大学で開かれた。
中井浩二さん(物理学者、高エネルギー加速器研究機構名誉教授)が代表を務める「学術文化同友会:アルスの会(※1)」と、東北大学GCOEプログラム「物質階層を紡ぐ科学フロンティアの新展開」の共催。
第一部の講演会では、哲学者の石川文康さん(哲学者、東北学院大学教授)による「カントと学問・芸術」、野家伸也さん(哲学者、東北工業大学教授)による「知の統合はいかにして可能か」の講演があった。
「アルスの形成と変容」をテーマに講演する伊達宗行さん(物理学者、大阪大学名誉教授)
第二部の討論会では、伊達宗行さん(物理学者、大阪大学名誉教授)の講演「アルスの形成と変容」、野家啓一さん(哲学者、東北大学教授)の講演「科学技術の転換点」に続き、「アルスへの回帰(※2)」をテーマとしたパネル討論会が行われた。
物理学者と哲学者が議論をする機会は、そう多くはないと言う。哲学者の石川さんによると「現場の科学では、個々の分野が高度に専門化しているため、専門家以外は声をかけにくい」現状がある。
「アルスへの回帰」をテーマとしたパネル討論会のようす
パネリストとして討論に参加した哲学者の野家伸也さんは「これまで理系の人たちと議論する機会はほとんどなかったが、良い刺激になった」と話していた。
議論を終えて石川さんは「現場の物理学者と哲学者が枠を超え、これほど理解し合えるものかと、大変うれしく思った。意外と共通の問題意識を、お互いに強く持っていると感じた」と話していた。
討論のようすは、下記の通り(一部抜粋)。
◆「死んだ」哲学が重要に
伊達宗行さん(物理学者、大阪大学名誉教授):
社会が閉塞的な状況になったとき、重要となるのは、今は「死んだ」と思われている哲学ではないか。
◆哲学教育にジレンマ
野家啓一さん(哲学者、東北大学教授):
「哲学が死んでいる」、外から見ると確かにそうかもしれない。哲学関係は各大学で、ポストも減り、予算も減り、大学院生の就職口も見つからない、三重苦に喘いでいる。
その意味では確かに「死に体」だが、その一方で、社会に役に立つ医療倫理や生命倫理などには活発な動きがあり、学生の就職口も良い。
しかしその反面、同じ倫理でも、カントやヘーゲルなどの古典倫理を押さえていなければ、それらの問題に対し表面的な回答しかできない。
学生の就職口を考えると、現代的なテーマや役に立つテーマに取り組まざるを得ないが、それだけでは本当の意味で役には立たない。そこが、哲学の教育に携わる者のジレンマ。
◆昔ながらのスロー学問を
石川文康さん(哲学者、東北学院大学教授):
哲学は「死に体」。事実であるとともに、謙遜でもある。
現在、我が国の大学や教育、あるいは研究が直面している状況と、私の知る限りだが、ヨーロッパあたりの哲学研究のスタイルには、相当な違いがある。
日本では、「役に立つ・役に立たない」の基準で、哲学の科目を削ったり、看板の書き換えをしている。軽薄で無意味な、学生集めのための行動が目立つ。それは学問にあってはならないこと。
哲学に限らず研究は、昔からのスロー学問でこれからも良いと考える。しかし最近の日本では、デカルトの『哲学原理』やカントの『純粋理性批判』を嫌う。社会から求められていないからだ。一方ヨーロッパでは、古典的な概念や単語を平気で使っている。
理工系にとっての数字は、人文系のテキストに当たる。依然として根底に流れるのは、広い意味での古典、テキストではないか。そのトレーニングなしに、すぐ役立つようなことばかりやっていると、次の時代に太刀打ちできなくなる。
日本の大学教育が抱えている、あるいは歓迎している状況を大変嘆かわしく思う。
◆「道楽」のような研究の評価を
中井浩二さん(物理学者、高エネルギー加速器研究機構名誉教授):
背景として、研究に対するスポンサーの評価を考える必要がある。時代によってスポンサーは変わるが、今我々のスポンサーは国。実は、国のお金は我々が払っている。
国に「もっと道楽をしても良い」という気を起こさせることが必要だ。お金を出す側が賢くなってもらわないと、日本の科学技術は駄目になる。
今の科学技術は、効率だけを追い求め、行政のペースで物事が進んでいる。国策として進めていくことは結構だが、それとは別に、国のする「道楽」のような研究も必要。国が学術的な評価をすることが必要だ。
◆科学の発展に「道楽」は必要
石川文康さん(哲学者、東北学院大学教授):
「道楽を認めてやったらどうか」という意見に賛成。そうでなければ、学問は豊かにならない。学問の進歩、あるいは新しい発見がなされた時は、すべてそうだった。
反対に、科学研究費補助金の申請書で喜ばれるのは、予定通りのもの。厳密に区分されていて、あとはそれを実証して、数値で以って満たし、期限までに結果を出す。ところが実は、それが一番不毛である。
発見とは、そもそも何か。今まで知られなかったことが、今までのデータや実験が基礎となり、予期しないことがわかることだ。文科省あたりがそれを認めないとなると、学問の豊かさは根本からなくなるだろう。
科学あるいは学問、科学技術の発展に関して、やはり「道楽」が必要。本質にこそ、つながっているのではないだろうか。
◆哲学の社会的存在意義を主張することは可能
野家伸也さん(哲学者、東北工業大学教授):
近代では社会が哲学のスポンサーであるため、哲学も何らかの社会貢献を求められる。特に最近は、環境倫理学や生命倫理学の研究など、社会に役立つことを直接求められる。哲学研究者は、それに応える社会的責任があるし、それをやっていかなければならない。
しかしながら哲学研究者が、社会に直接役立つことをあまりにも意識し過ぎて、その方向にだけ走ってしまうと、哲学が本来持っている、人間の精神に与えるインパクトが弱まってしまい、哲学の衰退につながるのではないかと危惧している。
古典的な哲学の研究をきちんと続けていく必要がある。ただし、そのことを社会的にどう正当化するかということはなかなか難しい問題だ。そこで私が考えていることは、東北大工学部で、工学倫理を教えていることとも関連している。
工学部の学生に、哲学や倫理学を教える意味とは何か。工学部の学生達は、それぞれの分野のスペシャリスト。しかしながら専門分化が進んでいる分、専門用語がツーカーで通じる人どうしの狭い社会しか見えなくなってしまうことがある。
例えば10年前、北陸電力の志賀原発で臨界事故の隠蔽があった。専門用語が通じる人たちだけですべてを処理するということをやっていると、普通の市民の感覚を失ってしまうところがある。そのことが色々な不正や隠蔽など倫理的な問題をひき起こすこともある。
それを防ぐためには、普通の市民の感覚を持ち、それにもとづいて技術者としての自らの判断や行動をチェックすることが必要だ。専門家としての知識だけではなく、「市民感覚」を持つという意味でも、哲学や倫理学を学ぶことは大切。そのような意味で、哲学の社会的な存在意義を主張することは可能と考える。
◆尊敬される学術のためにも科学コミュニケーションが必要
横山広美さん(広報・科学コミュニケーション研究者、東京大学准教授):
学術が社会に理解されず、すぐに役立つものだけが重視される最近の傾向を心配している。そこで大事なのは、研究者がしっかりと社会に向き合い、学術の重要性を社会に示すことだと思っている。すぐに実利に結びつかずとも、学術の奥深さと豊かさを示すことで、社会に学術を応援していただく土壌をつくることが大事だ。子供たちに学術が尊敬され、憧れであり続けるためにも、科学コミュニケーションは必須である。
主催者へのインタビュー
「アルスの会」代表の中井浩二さん(物理学者、高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
◆学者は「道楽者」であり「極道者」でなければならない
「アルスの会」代表の中井浩二さん
(物理学者、高エネルギー加速器研究機構名誉教授):
「アルスの会」の一つ目のテーマは、科学者の良心はどこへ行ったか。二つ目は教育について。文科省の教育だけなく塾をつくる。三つ目は、日本学術会議の退潮。
昔の日本学術会議では、研究者が民主的に選ばれた。しかし現在は、後任者を推薦してメンバーを選ぶ。これでは、きちんとした意見が通らない。
そこで民として、研究者の意見をまとめる必要があると感じた。このような議論を重ねながら、分野を超えていければと考えている。
学者は、「道」を「楽」しむ「道楽者」であり、「道」を「極」める「極道者」でなければならない。心配しなくても首を切られない状態でなければ、良いアイディアが出てくるはずがない。
ところが今の教育では、全くそれを許さない。研究費ももらえない。国のあり方の流れが、産業界の流れと一緒になっている。そこから脱却しなければならない。
「アルスの会」名誉会員の伊達宗行さん(物理学者、大阪大学名誉教授、仙台の伊達一族)
◆科学の自由な発達に危機感
「アルスの会」名誉会員の伊達宗行さん
(物理学者、大阪大学名誉教授)
我々の時代、科学を含めて、学問が転換点にある。皆それぞれ悩んでいる。科学技術は国家戦略に組み込まれ、昔ながらの科学の自由な発達ができなくなっている。
組織化が進むと、科学者はサラリーマン化し、仕事を官僚的に決めるようになる。しかしながら科学は本来、フリーな発想から、どたばたと出て、ちゃんと歴史の中に位置づけられるもの。ところが今のような束縛が続くと、本来の科学、創造の中核としての科学が消えてしまうのではないか、という危機感がある。
その中で、この会は価値があるだろう。積極的な期待ではないが、アルスのように歴史的なものから考えないと、この先が見えなくなる。中井さん、これからも意欲を失わずに、続けてもらいたい。
東北大学GCOEプログラムの野家啓一さん(哲学者、東北大学教授)
◆科学は知的好奇心に応えるものであって欲しい
東北大学GCOEプログラムの野家啓一さん
(哲学者、東北大学教授)
「アルスの会」には初参加だったが、大変面白かった。共通する問題意識を持つ方がいることがわかり、刺激になり、嬉しかった。
目前のことを解決するには、基礎が必要。しかしながら今、目前にある問題を解決することが求められ、根源的なことがなおざりになっている。哲学は危機的な状況だ。
学問に対して長い目で見守ってやる態度が、世の中にだんだんなくなっている。産業の迅速な発展や、グローバルな競争に勝たなければならないため、研究開発も近視眼的になっている。現状に対しては、批判的であらざるを得ない。
アリストテレスが「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」と言ったように、好奇心は、本来人間に備わったもの。好奇心を満たすことで科学は発展してきた。
科学は、好奇心に突き動かされ、自然界の不思議に挑戦する無償の行為。それが失われてきて、人間の役に立つことだけが求められていて、人間社会全体がやせてつまらないものになっていく。
芸術や音楽がなければ、食って寝るだけ。人はパンだけで生きるものではない。生活の便利さだけでなく、文化的な生活があって、知的好奇心に応えるものであって欲しい。芸術や音楽が果たす役割と同じ。
哲学は何の「役に立つ」のか、と聞かれる。「役に立つ」とはそもそも何かを考えるのが哲学と答えている。「役に立つ」ことが有用だと重視されたのは、高だか2、300年前の話。
「school」の語源は、ギリシア語の「score」で暇という意味。心の余裕(score)がないと、学問は発達しない。そんなことを言いながら、毎日忙しいのだが(笑)。
補足説明
※1:「学術文化同友会:アルスの会」について
「学術文化同友会:アルスの会」は、「文化としての学術を護ろう」という趣旨のもと、中井浩二さんが、故・伏見康治さんや伊達宗行さんとはじめた会。学術の文化的・精神的側面や研究者のこころを考え直すための "講演と討論の会"をタウンミーティングとして行っている。
※2:「アルス」について(下記参照)
◆アルスへの回帰(伊達宗行)
産業革命まで、芸術と科学は一体のものであったという。それはアルスと呼ばれており、それ自体が創造の中核であった。それまでは、サイエンスも無ければアートも無かった。しかし、その中から科学が異常なまでの成功を収め、ひとり抜け出して産業に革命をもたらし、社会構造に重大な影響を与えた時、アンチテーゼとしてアートが生まれた。アルスは分離され、崩壊したのである。(伊達宗行「アルスの崩壊」―理科教育の視点 東北大出版会会報 1997年3月 [PDF形式])
科学が地球をも変えられる、となった今日、"科学者による自己最適化"はもはや許されなくなった。科学全体がアルスへの回帰を考えるべき時期に来ていると思う。それが、「文化としての学術」という、すわりの悪い言葉に対する提言である。
【本記事は、東北大学理学部物理系同窓会「泉萩会」とのタイアップ企画となります】
コラボレーション
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