取材・写真・文/大草芳江
2018年02月19日公開
八戸の地で、日本一の修理屋を目指す
ハード工業有限会社(青森県八戸市)
代表取締役 山形 虎雄 Torao Yamagata
公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.10)
青森県八戸市に本社を構えるハード工業有限会社(1991年設立、従業員数25人、資本金500万円)は、プラント等の生産設備の修理・補修作業を生業とする企業である。「ハードフェーシング」のひとつである溶射技術を軸に、鋼材から最終研磨仕上げまでの一貫した加工作業を手がけ、大型機械の磨耗部品の完全修理を実現。さらに、生産設備の補修作業で培った溶射技術を応用し、産学共同研究を通じて、世界初の金属粉末製造プロセスを開発している。平成25年「あおぎん賞」受賞。平成28年経済産業省「はばたく中小企業・小規模事業者300社」選定。そんなオンリーワン企業のハード工業がオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役の山形虎雄さんに話を聞いた。
オンリーワン企業になるまでの軌跡
◆ 溶射技術を軸に、大型機械の磨耗部品の完全修理を実現
― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。
当社は、プラントなどの生産設備の修理やメンテナンスを本業としている会社です。具体的には、機械を分解・点検して壊れている部品を修理あるいは製作し直したり、消耗品を交換したりした後、組み立てて試運転して出荷する、という仕事の流れです。各工程を個別に対応できる修理工場は日本中にたくさんありますが、当社は、溶射技術を軸に、生産設備の補修作業のほぼ全工程を社内で完結できることが一番の強みです。そのため短期間での補修・改善が可能となります。
例えば、機械要素のひとつであるシャフト(軸)は、回転して動力を伝える役目を果たすうちに摩耗します。通常であれば作り直す必要がある部品ですが、作り直すには時間もお金もかかります。そこで「一刻も早く生産ラインを再稼動させたい」というお客様のニーズに応えて、如何に早く修理できるかがポイントになるわけですが、その方法のひとつに溶射という技術があるのです。私自身も「溶射技能士」という国家資格を持っています。
―「溶射」とはどのような技術ですか?
溶射とは、金属などの材料を加熱して溶かし、対象物に吹き付けて皮膜を形成する表面処理法のひとつです。特に、表面を硬くするために下地よりも硬い合金材料を溶射する処理法を「ハードフェーシング(hard facing)」とも言います。ちなみに、表面を溶接金属で被う「肉盛(にくもり)」や皆さんご存知のメッキも、ハードフェーシングの一種です。
先程のシャフトを例にすると、軸が磨り減った部分に金属を溶かして吹き付けることで、その部分を盛り上げ、機械加工で仕上げます。通常、軸を1本製造すれば4~5日は要するところを、溶射ならわずか数時間で修理できます。溶射ができる修理工場はそれほど多くはなく、さらに機械整備まで社内で対応できる修理工場となると、ありそうでないのですよ。「痒いところに手が届く」とでも言いますか、何でもできる点が当社の強みだと思います。
今は人手不足の時代と言われます。例えば、製鉄所で「そろそろ機械が壊れそうだから、修理に出そう」となった時、機械を分解する会社、溶射をする会社、軸を製造する会社、機械を組み立てる会社...とバラバラに発注するのでは、ただでさえ人手不足な中、担当者の負担が大きいですよね。それを当社にまとめて発注いただくと、ワンストップで対応できるということです。すると短期間で納品できる上、担当者の負荷も軽減できるので、担当者の方はより本来業務に集中いただけると思います。
修理前の部品(写真左)と、同社にて修理後の部品(写真右)。まるで新品のように部品が生まれ変わっていた。
― なぜ他には「溶射から機械整備まで何でも対応できる修理工場」がないのでしょうか?
ひとつは、地域特性があると思います。日本の人口と生産拠点が集中する関東や関西地域なら、溶射だけでも商売が成り立つほどの仕事量があると思います。しかし東北地域の場合、溶射だけではなかなか商売として成り立たないという必然性がありました。
もうひとつは、当社の成り立ちに起因すると思います。先代社長の山形琢一会長は、溶射を専門とする外資系企業から独立して、ここ八戸の地に当社を創業しました。創業時は溶射のみを扱っていましたが、お客様から寄せられた「溶射ができるなら、仕上げの機械加工までやって欲しい」「機械加工ができるなら、溶接でものもつくって欲しい」「ものまでつくれるなら、機械のメンテナンスまでやって欲しい」というニーズに段階的に応える形で、現在の電動機・機械加工・溶射加工の3部門ができました。
◆ ないものは自分でつくる
― 生産設備の補修作業で培った溶射技術を活かし、さらに貴社では、産学連携を通じて、新技術の研究開発も展開されているそうですね。
溶射用の材料(金属粉末)を、以前は「使う」だけの立場でしたが、「作る」立場も併せ持つことを目指し、産学連携で研究開発を進めています。一口に「耐摩耗のために溶射する」と言っても、現場が変われば、「高温環境に強い材料」「腐食に強い材料」といったように、現場の環境に応じて欲しい材料は変わります。本当は現場ごとに溶射材料を設計できるとベストですが、そのような材料は売られていませんでした。「世の中にないものは自分たちで作る」という会長の性格もあり、「無いなら自分たちで溶射材料を作ろう」となったわけです。
その後、金属ガラスの専門家(東北大学)と知り合い、金属ガラスでおもしろいことができそうだと考えた会長が、「金属粉末が欲しい」と東北大学に相談しに行きました。すると、「金属粉末はないが、ハード工業の溶射機で溶射材料を作ったらおもしろいのでは」という助言を受け、おもしろそうだと遊び感覚で新技術開発を始めたのがきっかけです。
もともと当社の溶射機は、燃焼工学の専門家(当時は八戸工業高等専門学校、現在は岩手大学)と共同開発したもので、その基本的原理は新たに開発する装置と近いものでした。そこで溶射機を何台か並べて色々試してみた結果、うまく金属粉末を製造することができました。現在は装置が完成し、お客様の環境に合わせた金属組成の開発と実地試験を行っている段階です。試験がうまく行けば、2018年中には金属組成の開発に目処がつく見込みです。通常、こういった技術開発は資金力のある大手企業ならできることですが、当社のように小規模な中小企業ではなかなかできないことなんですよ。
― なぜ大手企業よりも小さな規模で、貴社は新技術開発ができるのですか?
予算がないなりに、本来買ってくるべき装置をすべて自分たちで設計してつくったり、色々な助成金を活用したり、別の手段を考えました。会長も私も自分の興味があることには、足を突っ込んでみる性格なんです(笑)。それは、逆に言えば、小規模な会社のよい面かもしれません。もちろんその分コストはかかりますが、現状維持ではいずれ社会から取り残されてしまいます。たとえ10個失敗しても、1個成功すればよいという気持ちで、経営者として将来の新たな柱を常に探すことが必要だと考えています。
社長が二十歳だった頃
― 次に、山形さんが二十歳だった頃について、教えてください。
◆ 何かをつくりたい
初代社長である父の会社を引き継ぎ、当社の二代目社長に就任して今年で1年目です。自分が二十歳の頃は、今思えば何も考えていなかったですね(笑)。「何かをつくりたい」という漠然とした気持ちがあるだけで、特筆すべきことは特にない、工業大学の学生でした。大学卒業後は東京で約3年、車の生産ラインを設計する仕事をしていました。学生の頃の「何かをつくりたい」という想いが、車を生産する機械設計という形で具現化され、仕事は最高におもしろかったですね。
― お父様の会社を継ぐことについては、当時どのように考えていましたか?
実は、会社を継ぐことは当初は考えていませんでした。当時は八戸という地域自体に魅力を感じていなかったことや、友人のほとんどが関東に就職していることもあって、自分はずっと関東に住むのだろうと思っていました。
― その後、どのような経緯で会社を継ぐことになったのですか?
25歳の時(約9年前)、父から「戻ってこないか」という話がありました。ちょうどそのタイミングは自分に海外転勤の話があった時で、八戸に戻らなかったら当分日本には帰らないとのかと、悩みました。機械設計の仕事は最高におもしろかったですし、海外出張や転勤があることがそもそも就職した理由のひとつでもありましたから。ただ、今までこういった話を一切してこなかった父からの相談だったこともあり、兄とも相談して、とりあえず一回戻ってみようという気持ちで戻ってきました。
― 25歳で八戸に戻った後、どのようなことをしましたか?
正直な話、戻って最初の頃は仕事にあまりやりがいを感じていなかったです。というのは自分の好きな設計の仕事が当時はほぼ無く、さらに修理の仕事のおもしろさを理解していなかったからです。入ってきた機械や部品を日々修理することの繰り返しだと感じていました。そんな中、今の仕事がおもしろくなってきた最初の出来事は、お客様から「こんな機械がほしい」という相談を受け、その機械設計に携わったことです。その後、先程もお話した溶射材料製造装置の設計・製作をしたり、お客様と直接かかわっていく中で、本業である修理のおもしろさもわかってきて、今の仕事にどっぷりと浸かっていったわけです。
― 貴社では本業の生産設備補修で培った技術をベースに、機械整備から機械設計、さらには新技術開発まで幅広く展開されているというお話でしたが、それは山形さんが八戸に戻ったことが非常に大きかったのですね。
そうですね。もともと会長もやりたいと思っていたことですが、一人ではできないので、自分が戻ったことで、会長のやりたいことが少しずつ形になっていったのだと思います。
― これから社長として、どのような会社にしたいと考えていますか?
◆ 日本一の修理屋を目指す
これまで、お客様は主に地元の企業でした。もちろんこれからも地元のお客様が大切なことに変わりはありませんが、ここ数年は、積極的に県外へ営業する体制を作り始めています。成果も出始めており、順調に県外からの受注を伸ばしています。
そこで、今年度から私が全社員にむけて言っていることがあるんです。「この先10年で、日本一の修理屋を目指そう」って。最初に私がそう言った時、社員たちは「社長が変なこと言っているな」という感じでしたが、最近は皆、「いけるぞ」という感じになっています。何をもって日本一とするのかは定義するのが難しいかもしれませんが、まずはそういう気持ちをもって仕事に取りかかることが大事だと思います。言ったもん勝ちですね(笑)。けれども、会長が作り上げたこの会社のポテンシャルを考えると、日本一は実現可能だと確信しています。そのためにも、これから先は優秀な人材の確保が鍵になってくると思いますが、修理という仕事のおもしろさや技術開発を新聞等のメディアに取り上げられていただく機会が増えてからは、地元の若い人を中心に求人への応募が増えてきています。
◆ ここ八戸で仕事をしたい
実は、日本一を目指すにあたってキャッチフレーズを考えたんです。「修理は北へ」って。初めて来社されるお客様に、自分が決まって聞く質問があるんです。「仕事のためにこんな北までは来たことないですよね」と。すると、ほとんどの方から「八戸まで来たのは初めて」という答えが返ってきます。例えば、関東の工場で使われている機械を修理する必要が出た時に、普通は関東圏内もしくは関西方面の会社で修理することはあっても、それよりも北に持っていくという考えはほとんどないんです。せっかく技術があってもPRが苦手な会社が多いため、東北の会社があまり知られていないんじゃないかと思います。それに、「東北」と聞いただけで遠いと思われますね。実際は東京からの距離は大阪と八戸で大差がない上に、東北自動車道は渋滞があまりないので、物が予定通りに届くという意味では東北に地の利があるんです。他県に営業に行った際には、会社の技術的なことだけではなく、地理的な有利性が実はあるということも伝えています。「言われてみると、確かにそうだな」と、皆さん東北に対するイメージが変わっていきます。また、遠方からの仕事が増えてからはお客様に「近くに工場を建ててほしい」といった要望もいただきますが、それは断っているんです。なぜかというと、やっぱり八戸に仕事を持ってきてもらいたいから。お客様にも確認のために八戸まで来てもらって、八戸の街で一杯飲んでから帰ってくれよと。ここ八戸で仕事をしたいんです。
― 二十歳の頃とは、会社だけでなく八戸に対する想いにも大きな変化があったのですね。
二十歳の頃は「こんな田舎には絶対に住みたくない」と思って八戸を出たのですけどね(笑)。正直、戻ってきたばかりの頃は、あまり八戸が好きではありませんでした。それが、ある時、八戸に来たお客様が仕事の後に一杯飲んで、「八戸はすごくいい街だね」と言ったのです。それ以来、その方は年に何回も仕事ではなく観光目的で関東から八戸に来るので、はじめは「何がそんなに楽しいのかな」と思っていたのですよ。けれども自分も色々な土地に出張で行くようになって気付いたのですが、八戸ってどこで食べても飯がうまいんですよね(笑)。八戸に帰って飲むと、「やっぱり、これだよな」と思う(笑)。そのお客様から教えられた気がします。ただ、やはり一度外に出てみなければ、そのよさには気付かなかったでしょうね。
我が社の環境自慢
― 続いて、貴社の環境自慢を教えてください
◆ 八戸に会社があることがパーフェクト
立地で言うと、八戸に会社があること自体がもうパーフェクトだと自分は思っています。どこでも飯がうまいですし、東京まで新幹線で3時間で行けますし、太平洋沿いなのでほとんど雪も降らないです。でも車で1時間も走ればスキー場に行けるし、紅葉は八甲田で見られるし、北海道にも近い。もう完璧じゃないですか?(笑)八戸は日本で一番住みやすい場所だと自分は思います。そう言うと「どうせ飲みたいだけだろ」と言われそうですが(笑)、実は自分がお酒を飲むようになったのは、ここ3年のことなんです。理由はよくわかりませんが、自分が八戸を好きになった時期と、お酒を飲むようになった時期は一致しているような気がします。
◆ 社長が若い
自分で言うなよって感じですけど(笑)、社長が34歳と若いことは魅力的だと思います。後継者がいないために廃業する会社が増えている中、お客様にとっては10年後20年後に取引先が存在しているかどうかも、評価基準のひとつになっています。しっかりと世代交代を進め、30代の社長がバトンを受け取って舵を取り始めていることは、お客様からみても安心できる材料ではないかと思います。もちろん、会長と比べられると自分は知識も技術もまだまだですが、足りない部分はしっかり会長からサポートを受けて経営をしているので心強いですね。基本的に自分と会長は性格が似ている部分が多いですが、創業者の勢いと2代目の慎重な部分が上手く融合されて堅実な経営をしていると思っています。
◆ 社員平均年齢35歳で活気がある
ここ1年で若手社員が増えたこともありますが、社員の平均年齢は約35歳と若いです。例えば、機械加工部門の課長は35歳で、年上の部下もたくさんいます。仕事ができる人は、年齢等に関係なく抜擢され、皆の先頭に立ってどんどん仕事ができる環境が自慢です。
◆ 常に新しい技術を追い求める
「おもしろそうな工具や材料等があれば、どんどん新しいものを自分で買って試してよい」という環境も自慢です。これは「常に新しい技術を追い求め、最新技術でお客様に貢献し、それによって正しい対価をいただく」という当社の経営理念を体現するものです。例えばですけれど、鉄板に穴を開ける作業ひとつをとっても、普通のドリルを使うか、それとも通常の何倍も速いスピードで穴を開けられるドリルを使うかで、穴1個なら変わりませんが、数千個の穴を開ける時、かかる時間は雲泥の差です。それを社員自身が探して、実際に使ってみるんです。現場の人が「すごいやつ見つけた!本当かな」とワクワクしながら使って、本当にすごければ、その人の自信になるじゃないですか。遠慮している人もいますが、故意ではない失敗は悪いことではないと思っています。挑戦しなければ失敗しませんから、どんどんあたらしいものや技術に挑戦してほしいです。
若者へのメッセージ
―最後に、今までのお話を踏まえて、若い世代にメッセージをお願いします。
◆ 結局は「やるか」「やらないか」だけ
興味があることには何でも挑戦して欲しいですね。それができる環境かどうかは大きいとは思いますが、「お金がないからできない」という言い訳は、今の時代ではもう通用しないと思います。今はクラウドファンディングなどを通じて、何かをやりたい人に資金提供できる仕組みも増えていますし、自分のやりたいことさえあれば、お金も年齢も学歴も関係なく、誰でもどこででも起業できる時代になりました。では、成長する企業としない企業の違いは何かと言えば、仕事が「できる」「できない」の次元ではなく、結局は「やろう」と思ってそれに向かって挑戦しているか、それとも現状維持でいくか、その覚悟の違いでしかないと、以前誰かが言っていました。つまりは「やるか」「やらないか」だけなんです。だったら、やった者勝ちじゃん、という話ですよ。学生のうちは、少しくらい失敗したって、別に命をとられるわけではないですから、失敗を恐れずに、ぜひどんどん挑戦してください。
― 山形さん、ありがとうございました。
社員に聞く、我が社の環境自慢
◆ 他社にはできない完全修理が可能
/機械加工課 課長 清川圭太さん(35歳、青森県八戸市出身、入社16年目)
我々の課では溶射課から預かった溶射済み部品を機械加工で仕上げる仕事をしています。課長としての自分の役割は、外回りをして仕事を受注したり、現場へ指示をしたり、新入社員の教育などが主な役割です。時間が許せば、自分も機械を動かして部品の修理や製作をします。
我が社の環境自慢は、他社には修理できないような機械が来ても、電動機・機械加工・溶射加工の3部門が一体となって取り組むことで、完全修理ができることです。実際に最近も、「5台ある機械のうち、1台でも2台でもいいから直してほしい」という依頼が来ました。なぜ5台かと言うと、その1台、2台を活かすために、残り3台は部品取りで使ってくれ、という話です。それを当社では「5台全部直せそうです」と答えました。すでに3台は直し終わり、残り2台も海外から探して取り寄せた部品が来れば全部直せる状態です。
機械の部品が摩耗して使用不可能になると、普段は「新品を買わなければいけない」という発想になるらしいんですよ。でも、当社で摩耗部品を直せば、また最初から使えるので、お客様は新品を買わなくて済みます。ちなみに先程の5台の機械については販売終了商品で、新品も部品も買えないものでした。それを我々が修理したので、お客様から褒められました(笑)。会長の知識は半端ではなく、まだまだ会長に頼っている部分もあるのですが、これから自分たちが会社を引っ張っていけるよう頑張っていきたいです。
◆ 会社の成長を肌身で実感
/溶射課 課長 田端敏勝さん(53歳、青森県階上町出身、入社27年目)
我々の課が専門とする溶射には、色々な種類がありまして、主に力を入れているのがアーク溶射です。また、肉盛に関しては耐摩耗の肉盛等もやっています。
私は創業時から当社に勤めていて、はじめは4人でのスタートでした。創業当時は初めて挑戦することも多くて、ずっと試行錯誤し続けてきた結果、今があります。当時と今を比べると、人数も4人から約30人に増え、当時プレハブひとつだった工場も今では大きくなりました。まだまだこの先、大きくなる予定なので(笑)、それに向かって頑張っています。今は若い人たちがたくさん入社してくるので、これまで培った技術を伝承しながら、また新たな技術も考えていきたいと思います。
コラボレーション
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