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2024年 10月 16日 (水)

内田龍男さん(国立仙台高等専門学校 校長)に聞く:科学って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2012年7月9日公開

あなたは世の中を変えられる一人かもしれない

内田 龍男  Tatsuo Uchida
(仙台高等専門学校 校長)

1970年、東北大学工学部電子工学科卒業。1975年、大学院工学研究科博士課程電子工学専攻修了(工学博士)。同電子工学科助手、助教授、教授、工学研究科研究科長・工学部長などを経て、2010年より仙台高等専門学校校長。科学技術庁長官賞(1986年)、大河内記念技術賞(1986年)、SID Special recognition Prize(1988年)、テレビジョン学会業績賞(1990年)、市村賞(1993年)、SID Fellow(1994年)、日本液晶学会業績賞(2001年)、井上春成賞(2001年)、電子情報通信学会フェロー(2003年)、SID Jan Rejchman Prize(2004年)、文部科学大臣賞・科学技術賞 (2005年)、産学官連携功労者表彰・文部科学大臣賞 (2005年)、映像情報メディア学会フェロー(2007年)、SID Slottow-Owaki Prize(2008年)など受賞。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。


私たちの便利な生活を支える技術の一つ「液晶ディスプレイ」。
その液晶ディスプレイ技術開発の第一人者が、ここ仙台・宮城にいる。
元・東北大学教授で、仙台高等専門学校校長の内田龍男さんだ。

内田さんが考案・開発したカラー液晶ディスプレイは、現在、
液晶テレビやノートパソコン、携帯電話などに広く実用されている。

しかし、今でこそ当前のように使われている液晶ディスプレイも、
技術開発までの道のりは、決して、平坦なものではなかった。

液晶ディスプレイの黎明期、東北大学の大学院生だった内田さんは、
あみだくじで外れ、たった一人で液晶研究をスタートすることに。

何度も壁にぶつかりながら、悩むことの連続。それでも液晶の研究を続け、
液晶ディスプレイの高性能化に内田さんが大きく貢献できた理由とは何か。

内田さんの試行錯誤のプロセスや原点などのインタビューを通じて、
内田さんがリアルに感じる科学とは、そもそも何かを探った。

<目次>
科学に対する興味を、さらに応用につなげる
新しい時代の幕開けに興味津々
単にわかるだけじゃ、おもしろくない
こんな大きかった真空管が、こんな小さなトランジスタに
真っ暗闇の中を一人手探りで歩いていく
光を求めなければ光はない
「犠牲は君一人にしてくれ」
「そんな高純度は到底無理だから、諦めなさい」
最初からつまづきだらけで、一つも前に進まない
「本当かな?」と一つ一つ全部疑うように
科学は確実に正しいことの積み重ね
半導体とともに進歩する液晶
「もう液晶は将来がないから、辞めなさい」
自分が一生懸命やるかどうかで、液晶が変わるはずだ
皆がやりたがらないところで将来大事になることをやろう
飛躍的な進歩が生まれるとき
液晶カラー化を達成したが、権威者に批判される
電気を使わない方法を研究中
人間の直感に含まれる本質
夢のように思うことが大事
科学は一人でつくりあげていくものではない
科学と社会の共通点
科学は一部のみが進化を遂げた
あなたが世の中を変えられる可能性がある
本物になっていく
運を捉える能力と意欲と努力


国立仙台高等専門学校校長の内田龍男さんに聞く



科学に対する興味を、さらに応用につなげる

―内田さんがリアルに感じる科学とは、そもそも何ですか?

 なかなか難しい質問ですね(笑)。

 私自身は、科学というものに、本当に興味から入った気がします。世の中にある現象が、よくよく解き明かしてみると、ある法則やルールに従って起こっている。なぜこういうことが起こるのか?さらにその先を考えると、どんなことが予測されるのか?その予測がその通りに起こるのか?そのようなことを考えることに、とても興味を持ちました。

 そもそもの科学のスタートは、やっぱり人間の興味からできあがったものだと思うのです。それが次は、応用というのに必ずつながります。それを上手く使えば、人間の生活の役に立ったり、人間が苦労しているいろいろな諸問題を解決してくれることがあります。

 私は、その両方がとてもおもしろいと思ったのです。そこで科学の世界に入り、現実には工学部で、科学に対する興味をさらに応用につなげることをやってきたように思います。


新しい時代の幕開けに興味津々

―「科学を勉強する興味を、さらに応用につながる」志向は、今思うと、なぜ生まれたと思いますか?

 それは、もう少し昔に戻ります。私の子供時代は、ちょうどエレクトロニクス(電子工学)が発展し始めた頃でした。真空管というものでラジオができたり、音楽を聞く「蓄音機」が電子式になって良い音が出るようになったり。もう少し進むと、世の中にテレビが出てくるようになります。

 そんな時代だったものですから、エレクトロニクスにものすごく強い興味を持ちました。それを職業にするつもりは全くなかったのですが(笑)、とにかくそういうものに触れること自体が、楽しくてしょうがありませんでした。自分でいろいろな回路をつくったり、ラジオをつくったり。そんなところから入っていったのです。

 一方で当時、電子工学は最先端科学の一つでしたが、それを使ったらいろいろなものができるという興味がとても強くありました。ですから、どちらが先か?というのは難しくて、半分理科好きであったのと、それを応用することと、ほとんど同時並行でした。新しい時代の幕開けのようなものに対して、すごく新鮮な、興味津々の気持ちがあったのです。

―「新しい時代の幕開け」に対する高揚感は、今とは違う雰囲気なのでしょうね。

 今の時代なら学生たちは、例えば宇宙やロボットなどに対して、ある種のワクワク感を感じると思うのですが、その何倍も強いワクワク感だった気がしますね。考えるだけで、もう楽しくなってしまう(笑)

 当時は、生活するのも大変な時代だった気がしますが、そんな中で、新しい未来を何となく垣間見せてくれるような、そんな憧れのようなものを感じていました。


単にわかるだけじゃ、おもしろくない

―憧れやワクワク感を感じながらの勉強はとても身につきそうですね。

 そうですね。私は勉強好きではありませんでしたが(笑)。「科学に興味がある」と「勉強が好き」は、どうも別のような気がします。直接身のまわりに関わることについては、すごくおもしろいと思いました。

 当時は、自動車もずいぶん珍しい時代だったので、自動車がどうやって動くか?にとても興味がありました。関係する本を一生懸命読むのは、おもしろくてしょうがなかなったのです。けれども難しいことは、そんなに好きじゃありませんでした(笑)

 逆に言えば、そういうことがあったので、だんだん勉強もやむなくするようなところもありましてね。勉強していくと、そこから、「あぁ、そういうことだったのか」ということがわかると、ものすごく興味を持ちます。そして新しい考え方や理論を勉強した時は、それが一体どう使えるだろう?と興味津々でした。

 ですから、人より何倍も進み方は遅かったのです。ただ単にわかるだけじゃ、おもしろくないものですから(笑)。わかった後、それが一体どんな風に使えて、役に立って、どうやって発展するのか?まで考えながら勉強すると、えらく進歩は遅いのです。けれども、後から考えると、それが随分、役に立った気がしますね。


こんな大きかった真空管が、こんな小さなトランジスタに

―そんな中、研究対象にはどのように出会ったのですか?内田さんは「液晶」(液体と固体の中間状態)の研究で著名な方ですが、最初から「液晶」を研究しようと思ったのですか?

 いえいえ。当時は、先ほどお話したように、電子工学の中で真空管が花形の時代でした。きっと皆さんは真空管のラジオなんて見たことないと思いますが(笑)、大きな箱のお化けみたいだったんですよ。

 真空管がトランジスタに切り替わった時期が、ちょうど小学生の終わりから中学生くらいの頃でした。すると、こんな大きかった真空管が、こんな小さなトランジスタになっちゃうわけです。

 それで同じ働きをすることに、とてもびっくりしました。しかも、電気もほんのちょっとしか食わないものですから。これはすごいと思いました。

 「これは一体どんな風になっているのだろう?」「これを使うとどんなことが起こるのだろう?」という興味を、ずっと持ち続けていました。

 結果的には「大学も電子工学に行きたい」と思うようになりました。そして「電子工学なら、東北大学に行くべきだ」と、まわりの人達から言われましてね。生まれは静岡県ですが、ぜひ東北大学に行きたいと思い、はるばるとこの仙台の地に来たのです。

 そして電子工学の道に入りました。大学では卒業研究があり、4年生時に研究室を選びます。そして私はトランジスタなどを扱う半導体分野の研究室に入りました。4年生の卒業研究も終えた後、大学院に進学し、また半導体の研究を続けようと思っていました。

 研究室には、同級生が4人いました。教授が私たちに出してくれた研究テーマは、3つまでが半導体でしたが、最後の一つに「液晶」が入っていたのです。

 けれども、まだほとんど誰も手をつけていない新しい分野は、誰もやりたくないわけですね(笑)。それで皆であみだくじを引くことになりました。その結果、私が外れてしまい、私だけ液晶をやることになったのです(笑)


真っ暗闇の中を一人手探りで歩いていく

―液晶は、当時どれくらいよくわかっていないものだったのですか?

 当時、液晶はディスプレイとして発表されたばかりでした。どんなものかはある程度はわかっていて、おもしろいものだとは思ったのですがね。けれども、その時、私は研究を始めて1年くらいでしたが、初めて「研究って、大変な仕事だな」というのを感じ始めていたのです。

 と言うのも、まだ世界で誰もやったことがない新しい問題をテーマとしてやるのが、研究です。けれども、本当に新しい分野に入ると、全く何もないんです。情報はないし教科書はないし、実験装置もない状態です。それに、今まで自分が勉強してきた電子工学も役に立つのかどうかわからないし。

 言うなれば、真っ暗闇の中を、一人手探りで歩いていくような、そんな印象でしたね。

 普通、大学の研究室では、世界的には新しい分野といっても、研究室の先生方や学生が同じ分野でそれぞれ違う研究をやっています。ですから真っ暗闇と言いながらも、周辺のことはある程度、知っている人たちが研究をしていますから、何となく光が漏れてくる感じがしましてね(笑)。その中で、誰もやっていない問題を見つけて研究するのですが、いわば、所々の暗がりを研究すればいいというようなことですから、何とかなるのですね。

 けれども液晶を研究し始めた時は、研究室では誰もそんなことをやっていないので、どうやって参考書や論文を探して良いかもわからないですし、実験材料も何もない。ですから、一応やるというところまで行っても、その先に何をやればいいか?は、世界中が真っ暗という印象なんです。行くべき方向すら検討がつかない。

 ですから「実は大変なことをやり始めてしまったのだな」ということが、だんだん日がたつにつれ、深刻になってきまして(笑)。それが液晶研究のスタートでした。


光を求めなければ光はない

―真っ暗闇の中、どのようにして研究を進めていったのですか?

 周辺には全く光はないのです。けれども自分で遠くの方まで行ってみると、ようやくそこに光らしきものがあるということを、何となく感じるんです。要するに、積極的に何か光を求めていかなければ光はない、という感じですかね。

 そこで最初は、「ともかく知識を得なければ、どうにもならない」と、必死になって論文を探しました。すると、化学分野の本が2、3冊と論文がいくつか出版されていることがわかってきました。化学は電子工学とは分野も全く違うので、読んでも簡単には理解できませんでした。

 そこで、「まずは化学の基礎知識を勉強しなければいけない」と思って、理学部の化学の図書館に毎日のように通って、一生懸命化学分野の本を読みました。そうやって、おぼろげながら、だんだん周辺情報が見え始めてきました。

 それと同時に、東北大学の学風でもあるのでしょうか。理論も大事だけど、自分で実験してみることを大切にする雰囲気がありましてね。そこで実験を始めるために、まず液晶材料を手に入れようと思って調べましたが、どこにも売っていないわけです。

 そのために、薬品会社から基になる化合物を買って、自分で液晶を化学合成してつくらなければなりませんでした。ここで、液晶にもいろいろな種類があるので、まずどんな液晶をつくるかと言うことから始まりました。

 最初の頃の液晶は、100℃くらいまで温度を上げなければ液晶にならないものでした。しかし室温で使えなければ、あまり実用的でないですね。例えばテレビを100℃に上げなければ見られないというのでは、しょうが無いですから。

 調べているうちに、室温で液晶になる材料が少し前に発表されていることがわかりました。そこで、せっかく自分で合成するなら、この最先端の材料をつくろうと思ったのですが、それがすごく難しい材料だったのです。


「犠牲は君一人にしてくれ」

―どんなところが難しかったのですか?

 とにかくその材料をつくるためには圧力を高くして温度を上げないといけない(高温・高圧)ので、つくっているうちに爆発する危険性があったのです。「非常に危険だよ」と随分、皆から脅されました(笑)

 でも、つくらないことには、前に進めません。どうしたら爆発しないで済むか、随分勉強しました。そしてこうすれば「爆発しないはずだ」というある程度の確信を得て、実験を始めようとしたのです。

 けれども工学部では、まわりから「青葉山キャンパスは学生が沢山いて人口密度が高いから、危険な実験はやらないでくれ」と言われましてね(笑)。そこで、人口密度が比較的低い、片平キャンパスの研究所に行って実験することにしました。

 片平の研究所に行って、半分は「だめだ」と言われる覚悟をしながら、「実験のために場所を貸して欲しい」とお願いしました。すると意外にも「いいよ」と言われました。

 東北大学って、すごい大学だなと思いましたね(笑)。研究のためなら、危険が多少あっても良いとと考えているわけです。とても感動すると共に、素晴らしい大学だと改めて感心しました。

 けれども「危ない可能性があるのなら、離れの地下室に行って実験しなさい。犠牲は君一人にしてくれ」と言われましてね(笑)。いやいや、すごいなぁと思いましたけど(笑)。でも、やらせてもらえることは、本当に有難いことだと思いました。


「そんな高純度は到底無理だから、諦めなさい」

―それで室温で使える液晶は無事合成できたのですか?

 それから、しばらく合成に時間はかかりましたが、最終的には合成が何とか上手くいきました。そして、いよいよ液晶の測定を始めたのですが、始めると今度は、思ったような結果が全然出てこないのです。電圧をかけても、何の変化も起こりません。

 「おかしいな、なぜだろう?」と思って、いろいろ調べてみると、中に「不純物」という、液晶以外のものがいっぱい含まれていたのです。それを取り除かなければ、測定にならないことがわかりましてね。不純物をとにかく無くす精製の実験を始めることにしました。

 まず化学の先生に伺ってからにしようと思って、いろいろな先生を訪ねました。「これを綺麗にしたいのですが、どうしたらいいでしょう?」と聞くと、「有機物の精製はものすごく難しいのだが、君はどれくらいの純度が欲しいのですか?」と逆に質問されました。

 当時の電子工学の常識では、99.999%以上、つまり不純物を10万分の1以下にする必要がありましたから、そのように答えました。すると、「そんなのできるわけない」と言われましてね。

 「こういう物質は、もともと綺麗にできるものではないし、そもそも最初の原料ですら高純度といってもせいぜい98%くらいの純度しかないんだ」という話です。「到底無理だから諦めなさい」と言われました。


最初からつまづきだらけで、一つも前に進まない

―そこで諦めなかったのはなぜですか?

 普通なら諦めるのかもしれませんが、せっかくここまで苦労したのに(笑)、今さら諦められない気持ちがありましてね。専門家に聞いても駄目なら、これは自分でやってみるしかない、と思いました。

 そこで、たくさんの本を読んで、いろいろな実験をした結果、こういうやり方をすれば純度が上がる、ということがわかってきました。

 次の段階として、どのくらい不純物が残っているかを調べる必要がありました。しかし、電圧をかけて流れる電流の量を測るのですが、今度は、ほとんど電流が流れない上に、不安定で測定がとても難しいことがわかりました。

 つまり、純度を上げたら上げたで、今度は自分の電子工学分野でも、高純度の液体を測定する方法が正確にわからない。

 このように、最初の段階からつまづきだらけで、一つも前に進まないわけです。そして、ようやく材料ができあがって、基礎的な測定もできるようになったところで、大学院の修士課程2年間のうち1年半くらい経っていましてね。

 この段階で、気がつくと電子工学としてはほとんど何も成果が得られていないどころか、何を研究するべきかすら、さっぱりわからなかったのです。何がわからなくて・何がわかっているかがわからないと、研究にはならないのですね。

 先ほどもお話ししたように、普通は、まわりに同じ研究をしている人たちがいて、誰かに聞けばおよその情報が得られるために、じゃあこの問題を研究すれば良いと、ある程度予測がつきます。

 けれども、それができなかったのですね。いろいろな本や論文を読んでも、うまくいったことしか書いていないですから。そうやって、悩むことの連続でした。


「本当かな?」と一つ一つ全部疑うように

 そんな中で、基礎的な測定をやり続けているうちに、ある時、変なことが起こることに気がついたのです。

 昨日まで測っていた特性が、がらっと変わっていました。「なぜ突然変わったのだろう?」といろいろ追求していくと、どうも分子の並び方が急に変わっていたことがわかりました。

 「じゃあ、どうしてこんな並び方をするのだろう?」と、まず論文で調べてみたところ、かなり古い時期に有名な研究者が関連した論文を書いていることがわかりました。ところが、実験してみても、その通りにならないのです。

 「あれ、論文って、本当のことが書いてあるんじゃないのかな?」と、だんだん怪しくなってきましてね(笑)。それからは教科書や論文に書いてあることも何もかも疑うようになりました。

 自分でやってみて確認してみないと信用できないような、そんな体質がこびりついてしまいました(笑)。まず人の言うことは信用できないとか、本に書いてあることは信用できないとか、「本当かな?」と一つ一つ全部疑うようになるんですよ。

 そして、納得できないものはとことん実験を繰り返して、確認できなければその理論を信用できなくなりました。「研究者の生活はこういうことが普通なのかなぁ」と、我ながらいやな性格になったと思いました(笑)。

 しかし、ちゃんと一つずつ裏をとって確認していくと、「ここまでは信じて良いけれど、ここから先は少し怪しい」とか、「ここから先は嘘じゃないか」と、ある程度わかるようになります。これは科学の世界では、とても大事なことです。


科学は確実に正しいことの積み重ね

―それが科学の世界で大事な理由を、どのように考えていますか?

 科学は、ある理論を基にして、その上にまた新しい理論を積み上げていくものです。その積み重ねが科学の進歩です。しかしながら、最初の土台が本当に正しいものでないならば、例えば、正しい確率80%・間違う確率が20%なら、どうなるでしょう。

 試験で言うと80点で上出来ですが(笑)、科学の世界では、確率80%の上に確率80%の理論を積み上げると、80×80=64%の確率しかなくなりますね。さらにその上に80%の確率の理論を積み上げると、もう50%近くになってしまって、当たるも八卦当たらぬも八卦の占いと同じになってしまうわけです。

 ですから、正しいという確率が80%しかないことは、科学としては許されないことなのです。誰がやっても、何度やっても同じ結果が出なければ、科学とは言わないですからね。そうでなければ、いろいろな理論を積み上げて複雑なものを組み上げていくことができないのです。

 そういうことを体験から学びました。しかし、少しでも間違っている可能性があることは徹底的に実験して考え尽くすことをしたのですが、このためになかなか前に進むことができませんでした。

 まわりの人達の研究はどんどん進んでいるのに、私の研究は遅々として進まないことに焦りを感じました。けれども、電子工学だけでなく化学も含めて非常に幅広く勉強したために、後で振り返ると、とても良かったと思います。


半導体とともに進歩する液晶

―それでは、「役に立つ」応用の方は?

 ちょうど、世の中の進歩と液晶がうまく合ったのです。液晶をいろいろなディスプレイに使えるようになると、液晶がとても役に立ちました。最初の頃は、白黒で文字や数字を表示するものが開発され、まず電卓に使われるようになりました。

 液晶を使う前の電卓は、とても大きくて電気を食うものでした。それが半導体の進歩に伴い、中身はどんどん小さくなりましたが、計算結果を表示する良い方法がなかったのです。いろいろな研究の結果、どうも液晶が一番良いとなり、液晶が使われたのです。

 その後、電卓がどんどん進化し、複雑な計算もできるようになりました。その考えをさらに発展させて、「電子タイプライター」に液晶が使われるようになりました。

 昔のタイプライターは1文字でも打ち間違えると、そのページを最初から手で入力し直さなければなりませんでした。一方、電子タイプライターなら、1行分ずつ入力してメモリーに入れ、液晶で文字を確認した上で正しければ打ち出すようにしたので、間違えて1ページ打ち直しする無駄がなくなったのです。

 そして、ひらがなを打てば漢字に変換し印刷もしてくれる「ワープロ」が登場し、その表示装置にも液晶が使われました。さらに、それが進化して、「コンピュータに使おう」ということになり、ノートパソコンの考え方が出てきたのです。


「もう液晶は将来がないから、辞めなさい」

―今でこそノートパソコンのディスプレイに液晶は当然のように使われていますが、当時はどのような状況だったのですか?

 それまでのコンピュータには「CRT」という昔のテレビのような大きなディスプレイが使われていました。そこで液晶を使って何とかノート型のパソコンができないかと研究され始めたのです。

 ところが、そこまで行くと、こんなにたくさん字を出した時、液晶がぼやっとしか映らなくなりましてね。「液晶の限界だ」「液晶は高級なディスプレイには使えない」とか、いろいろなことを言われるようになって、だんだんみんなの興味も液晶から遠のいていきました。学会にもあまり人が来なくなりました。

 実は、そんな時に、私の研究室の教授が亡くなってしまいましてね。教授が亡くなると、大学では普通、その専門分野は閉鎖されることになります。研究室の人たちは皆それぞれ外に出て、新しい就職口に行ったり転職したり、ということが起こるのです。

 けれども人生にはやっぱり、転機を迎える時期があるのですね。私にとっては、それがターニングポイントだったと思います。

 その時期に、まわりから「もう液晶はどうせ使えないし将来もないから、辞めなさい」と言われましてね。他の分野についていろいろ勉強してみたり、どうしようと、ずいぶん悩んでいたのです。

 そして、もう液晶を辞めて、大学を出てどこかに行かないといけないかな、と思ったのですね。実は私自身、以前から大学の外に出て、会社で仕事をしたかったのです。いろいろなものを、つくりたかったためです。


自分が一生懸命やるかどうかで、液晶が変わるはずだ

 大学院の修士課程を終えた頃から、大学の外に出たかったのですが、なかなか先生が出してくれず、「お前はまだ勉強が足りないから、もう少し研究室にいてちゃんと勉強しなさい」と言われて、大学院の博士課程に進むことにしました。しかし、それを終えても「まだ勉強が足りないから、大学に残って助手になって勉強しなさい」と言われていましてね(笑)

 それから5年ほど後に教授が亡くなったわけですが、丁度良い機会だから外に出ようとも考えました。しかし、私の下に、かなりたくさんの大学院や学部の学生がついていたものですから、「この人達が卒業する前に、自分が出てしまったら、学生たちが困るだろうな」と思って、しばらく大学に留まることにしました。

 一方、まわりからは「液晶をもう辞めた方がいい」と言われているし、困ったなと思いながら、何年か悶々と過ごしました。けれども、よくよく考えてみると、自分は液晶の研究者としてある意味では重要な立場にいるのではないかと、思い直しましてね。

 世の中が「液晶が良い・悪い」と言うことを、第三者の視点から見ていたのでは駄目ではないか。自分は研究者の端くれではあるが、液晶の一番の関係者なのだから、自分が液晶を一生懸命もっと良いものにしようとするかどうかで、液晶が変わるはずなんだ。そう考え直しましてね。

 たまたま他のものもいろいろ勉強してみたのですが、そんなに良いものはないですね(笑)。やっぱり他の分野を外から見ると良く見えても、よくよく勉強してみると、やっぱり問題がいっぱいありしまして。「隣の柿は赤く見える」とは、よく言ったものです。

 そういうわけで、もう一回、液晶に踏みとどまって、液晶を徹底的にやってみようと、思い直したのです。


皆がやりたがらないところで将来大事になることをやろう

―それでどのように考えたのですか?

 次の時代は、液晶をコンピュータ用の高度なディスプレイとして使えるかどうかが大事だと思い、一生懸命研究を始めました。自分でもいろいろな提案をしましたし、他のグループからもだんだんいろいろな研究が出始めました。

 そして、「いずれ液晶がコンピュータ用ディスプレイに使えるかもしれない」というところまで来たのです。ところが、そうこうしているうちに、いろいろな会社も、私たちより10倍も100倍も多くの人やお金をかけて研究するようになりました。

 これでは大学がまともに勝負しても、とても勝ち目はない、と思いましてね。その中で、大学でこのような研究をやる意味を改めて考えました。そこで、他の人達、特に会社の研究者は大変だからやらないけれど、将来は絶対に大事になることをやろう、と決めたのです。

 難しくて時間がかかるために皆がやりたがらない課題ならば、多少遠回りでも大学で研究する意味がある。しかも、それがとても大事なことならば、大学でこそやらなければいけないのではないか、と考えたのです。

 その結果、当時は白黒しか表示できなかった液晶を、いずれカラーにしなければ絶対に駄目だろうと考えて、これを徹底的に研究しよう、と決めました。

 ありとあらゆる可能性を全部試した結果、いろいろな方法でカラーにできることがわかりましたが、実用的には、そのほとんどがとても使い物にならないものばかりでした。しかし最後に、液晶の中に色のついた薄い膜(カラーフィルター)を小さくつくりこんでいく方法が良いことがわかってきたのです。


飛躍的な進歩が生まれるとき

 ただ、これも実はアイディアは良かったのですが、なかなか実際につくることが難しい技術でした。理論的には、カラーフィルターをうんと薄くつくらなければいけないのですが、薄くすると色が綺麗につかなくなったのです。

 これも「本当にできるのかな?」と思っていたのですが、ある時、研究を始めたばかりの4年生の学生が、それを解決してしまいました。「こんなの簡単ですよ」とか言われちゃってね(笑)。やっぱり若い人の新しい発想って、すごいなぁと思いました。

 研究のおもしろさは、まさにそういうところにあると思います。理論をうんと積み重ね、今までの経験と理論でがっちり固めていくのが常套手段ですが、それでも壁にぶち当たり、どうしようもなくなる時があるんです。

 そんな時、全く新しい考え方で、ぽんと答えを出すことが時々あるのですが、それをやってのけるのが、若いフレッシュな人たちなんですよね。

 そういう意味では、同じ分野やグループの人達たちだけでは飛躍的な進歩ができないところがありましてね。やっぱり、いろいろな人たちが集まっていろいろなこと考えるのはとても大事です。


カラーの液晶ができたが、権威者に批判される

 このようにして基本的なことができあがり、これで液晶もカラー表示ができることがわかりました。そこで基礎的な実験結果を日本で発表し、その後にヨーロッパの国際会議で発表しました。

 中には「これは素晴らしい」と絶賛してくれる人もいたのですが、一方で、何人かの学会の有名な権威者からは、「こんなものは非常に悪いものだ」と批判されたのです。

―批判された理由は?

 我々の方法は、赤、青、緑の色分けしたカラーフィルターを液晶パネルの中につくり込むという非常に簡単な考え方です。細かく色分けしたパターンと、液晶で表示した白黒の細かいパターンとの組み合わせで、カラー表示ができるようになります。

 ここで、緑のカラーフィルターは赤と青の光が吸収されて、残った緑の光だけ通します。ですから緑のところは、およそ3分の2の光を吸収して暗くなっているわけですね。同じように赤や青のフィルターもそれぞれ約3分の2の光を吸収するので、結局どの色も暗くなってしまうのです。仕方ないので、後ろにランプを入れて明るく照らしてやる必要がありました。

 ところが、液晶の特長は電気をほとんど食わないことなのです。例えば電卓や腕時計の液晶も、小さな電池一つあれば、電気はほとんど食いません。そういう良いことがあるのに、後ろにランプをつけたら、ものすごく電気を食うわけです。「これはとんでもない。せっかくの液晶の良いところを全部ダメにしてしまう」と批判されたわけですね。

 もう一つの理由は、テレビではすごく綺麗な画像が出せますが、印刷した絵は、テレビほど綺麗ではありません。なぜかというと光を発しないからです。CRTテレビのような「発光色」とカラー印刷の「非発光色」は全く違うのだと教えられ、「だから、これは駄目だ」と言われましてね。

 確かに理論的に考えると、発光するか・しないかの違いがあるけれど、色が綺麗かどうかは人間が目でスペクトルを見て感じるものだから、発光するかしないかにかかわらず綺麗に見えるやり方はいくらでもやりようがある、絶対に解決できると思ったのです。

 ただ、後ろにランプを置くために電気をたくさん使う方の問題は簡単には解決できそうもないと思いました。しかし、これ以外の方法は全部試したつもりですから、液晶でやる限り、この方法しかないという自信はありました。

 最終的には多くの専門家もそれがわかってくださったようで、結局、私たちの方法が採用されて、今ではパソコンやテレビ、携帯電話などに広く使わています。しかも、皆さんご存知のように、液晶でとても綺麗なカラーが出せるようになっています。


電気を使わない方法を研究中

 このようにカラー液晶は完成して広く使われていますけれども、最初の頃に言われた「電気を使い過ぎている」ことが、私の頭にはずっと残っています。それ以来30年近くなりますが、今でもこれを解決するための研究を続けています。

 実は、このノートパソコンにも後ろにランプが付いていて、最近はバッテリーの性能が上がったため、数時間使えるようになりましたが、かなり電気を使っているのです。

 もしこの問題を解決できれば、実は、ほとんど電気を食わなくなります。うまくいけば紙のように薄くなって、一度充電しただけで何百時間でも使えるようになるはずです。そういうものを、いずれはつくりたいと思って、研究テーマの一つとして続けているのです。

―今はどの程度まで実現できたのですか?

 少しずつ進んでいて、二つほど方法を見つけました。

 一つは、問題のカラーフィルターを全部取り除き、それでも綺麗な色を出せるような方法を考え出しました。まだ後ろに特殊なランプは必要ですが、とても綺麗なカラー画像が見える上に、電気を4分の1くらいに減らすことができます。

 もう一つは、ほとんど電気を使わない液晶ディスプレイです。現在、印刷した紙と同じくらいに見えるものはできているのですが、まだいくつか問題が残っています。いずれの日にか、本格的に使えるものにしたいと思っています。


人間の直感に含まれる本質

―そのように研究を進める内田さんの原動力は何だと思いますか?

 みんなが本当に必要で、これがあったら良いなということが、工学では常に重要な研究テーマです。例えば、真空管が小さなトランジスタになって、大きかった装置が小さくなって、電気も使わなくなって。

 今はその代表的なものが、携帯電話です。携帯電話は、まさに半導体の固まりと液晶でできています。最初は電卓から始まり、技術が進歩してノートパソコンになり、さらに小さくなってスマートフォンになり、私たちが欲しい情報はいつでも手に入れ、誰にでも送れるようになりました。

 私にとっては最初のスタート時点で、「トランジスタみたいなものをやりたい」と思った興味と、偶然かもしれませんが、液晶をあみだくじの外れで引いたことから始まりました。それがいつの間にか、現在必要とされている最先端技術につながっています。

 偶然の部分もありますが、必然の部分もあったように思われます。何とか世の中に役立つ仕事をしたいと思って力を尽くした結果ではないかと思います。途中何度も挫折しましたが、本当に嫌だったら辞めていたでしょうね。

 最初の興味と、すごく大変だけど何とかやり遂げたいという気持ちが組み合わされて、いつの間にか人間が情報を手に入れたい・人に送りたいという、人間にとって一番肝心な根幹を担うことに携われたことになったように思います。そういう意味では、最初の直感は、結構大切だと思います。


夢のように思うことが大事

 若い人達と話していますと、いろいろなことを考えていて、科学的には「それは夢物語で実現不可能じゃないか」と思うようなことがたくさんあります。けれども「なぜそんなことを考えたのですか?」ととことん議論していると、その中に非常に本質的で大事なことが含まれています。

 それをちゃんと引き出して一つずつ突き詰めていくと、意外に重要なポイントを突いていて、少し見方を変えるとちゃんと実現できることがよくあります。やっぱり人間の直感は凄いと思いますね。

 ですから、皆さんが「こんなことができたらいいな」と夢のように思うことが、とても大事なことなのです。そのようなもののほとんどは実現できると、私は信じています。

 よく言われるのは、今から約100年前に「将来どんなことができるか?」ということが論じられて、当時は夢だと思うような、例えば「写真電話」「超高速鉄道」等が挙げられましたが、そのほとんどが既に実現されているのです。これはすごいことだと思いますね。

 最初のご質問が「科学」という壮大なテーマでしたが、私にとってはかなり身近な話で、興味からやり続けてきたような気がします。「こんなことがあったらおもしろいな」「こんなことは本当にできるのかな」。

 そんな中でも、人の役に立って喜んでもらえることをやりたいな、というのがありました。その結果が、「液晶」という形になったのだと思います。


科学は一人でつくりあげていくものではない

 自分一人でやっていくやり方もあるでしょうが、壁にぶつかることもしょっちゅうあります。そんな時、人の考え方を聞いたり一緒に何かをやると、自分の分野から一歩違う視点で考えたり、新しい方向に進められることが多いものです。

 そのためには、自分の考えていることを正確に相手に伝えなければいけません。それを私はとても大事なことだと思っています。人は、考えていることを正しく相手に伝えることは意外と難しいものです。

 私も、最初のうちは「こんなに一生懸命説明しているのに、なぜわかってくれないんだろう?」とよく感じたものでした。けれども、相手は専門家ではないのだから、自分がちゃんと説明しなければ、わかってもらえるはずがない。そう考えると、わかってくれないということは、相手の問題ではなく、自分の説明の仕方が悪いのです。

 また、人が納得してくれない場合、説明が悪いだけではなくて、逆に自分の考え方や理論に欠陥があることも結構あります。人にちゃんとわかって頂こうとすると、それだけでも、理論の偏りや不十分な点、間違いなどが修正されたり、しっかりした理論体系ができ上がっていきます。

 人に説明して、人にわかっていただくことが、とても大事なことだと今も強く感じています。分野によっては、それぞれの人がそれぞれ独自の考えや理論を展開して多様性を重視する分野もありますが、科学の分野はそうではありません。

 多くの人達が理解したり修正しながら、さらに、その上に新しい理論をつくって、積み上げてきた歴史があります。

 人に理解してもらえなければ、次の新しい理論の展開に発展していかないのが科学です。ですから人にちゃんと説明して、理解され、その考えや理論が共有されることが科学では基本になります。


科学と社会の共通点

 一人ひとりが勝手に生きるのではなく、皆がコミュニティとして、ある種の共通の考え方の基盤の上で生活しながら、一方では個々の生き方が尊重されている。そして、みんなが幸せになると思える方向を追求していく。それが社会だとすれば、科学も全く同じです。

 さらに言えば、社会が幸せな方向とは、大きな視点から見ると、今の時代だけではなくて、将来も正しいか?という問題、すなわち時間軸も考えなければいけないですね。

 長い将来を含めて、本当に行くべき正しい方向を見つけ出すことは、まさに科学と同じかなぁと思うのです。科学は、今も将来もに正しいものは正しいし、正しくないものは正しくないです。

 人間社会は、そこにいろいろな周辺の状況も入りますから、「正しい」というものが、少しずつ時代とともに変わっていくものかもしれません。その意味で、人間社会の方が複雑ですが、ある条件に限って見れば科学も同じだと思います。


科学は一部のみが進化を遂げた

―社会と科学の関係については、どのようにお考えですか?

 科学は特定の分野だけ進化してきましたが、社会はさらに幅広いものです。科学が社会や人々の生活とつながっている部分は、本当に限られた分野だけです。これから科学はまだまだ進化しなければ、本当に人に役立つところまで行かないでしょう。

 社会の人の生活の方が、うんと複雑で幅広いし多様性があります。その中で科学は、限られた条件のところだけを取り出し、理論をつくり出しています。その頂点は非常に高いところまで行っているかもしれませんが、まだ裾は限られたところだけだと思います。

 例えば、物理学や科学の一部は非常に進化しています。一方、生物学は、まだわからないことだらけです。化学や物理学、その他の情報学などを全部組み合わさったものが生物ですから。生物学はこれからまだまだ進化していく学問分野でしょうね。

 そして人間社会はもっともっと複雑です。このため科学と社会がくっついているのはほんの一部で、まだ一体となっていない部分の方が遙かに大きいですよね。

 そういう意味で言いますと、まだまだやることがいっぱいあります。たとえば、科学の問題として、かつては環境問題もあったし、最近は原子力問題もあったり、いろいろです。これは科学の本質の問題ではなくて、科学がまだ未熟だから生じた問題だと私は思っています。

 これらの問題を、きちんとみんなで認識して考えていけば、必ず解決されるものだと思っています。いずれにしても、まだやるべきことは山ほどあるでしょう。


あなたには世の中を変えられる可能性がある

―最後に、中高生も含めた読者にメッセージをお願いします。

 一見完成されているように見える中にも、よく調べてみると、実はほとんど未熟なものが多いものです。そこにこそ、若い人達のフレッシュな考え方によって初めて解決できるようなことがたくさんあります。

 「こんなに進化した分野に自分はもう入る余地はないんじゃないか」と、私なんか、ある時期よく思ったことがあるのですが、実はそんなことは全く無いのです。それこそ、若い人達の力がなくては前に進められないことがたくさんあります。それをぜひ強く訴えたいですね。

 それを解決するのはあなたで、他の誰でもないのです。それを変えることができる力が、あなたには大きな可能性としてあるのですと。

 私たちは、新米の時に、「自分はたくさんの人達のほんの小さなひとかけらのように思える。そんな自分に一体何ができるのだろう?」と思いがちですね。

 世の中が進化して、安定な世の中ができればできるほど、一人の個人としてできることがだんだん少なくなったり、やりにくい時代になってくることは確かです。

 けれども、今までの歴史を見れば、本当に一人が世の中を変えるようなことはいっぱいあるのです。その一人が、ひょっとしたらあなたかもしれない。あるいは「自分がやってのけるんだ」という意識を持てば、世の中を変えられる可能性があるのです。

 それくらい、一人ひとりが大事なのです、ということをぜひ伝えたいですね。


本物になっていく

 自分ではとてもできないことだと思っても、とにかく頑張って一生懸命チャレンジしていけば、だんだん道が開けてきます。自分が世の中を変えられる一人かもしれない、ということを考えることによって少しずつそのようになっていきます。

 ただし、必ず途中で何度も壁にぶつかります。その壁を一つずつ突破していくことで少しずつ自信が持てるようになっていきます。しかし、一方で、「我ながら、良くぞやれた」と思うような時期に、必ずその反対のことが起こりましてね。まわりからガンガン叩かれるんですよ(笑)

 私の場合も、先述のように、「素晴らしいカラーの液晶ができた」と自分では思ったのですが、そんな時、「こんなことは、とても悪い方法だ」と偉い人達から叩かれました。

 実は、これに関して、大学の時にある先生から教えられたことがあるのです。「人間というのはだいたい良いことや素晴らしいことをやると、必ずまわりから叩かれるのだよ。逆に言えば、まわりから叩かれたら、自分も少しマシな仕事をやったと思え」とね(笑)

 その教えがなければ、私も厳しく非難された時、諦めてしまったかもしれないですね。でもその教えがあったから、「これが自分にとって、あのことじゃないか」と考えました。そして少しまともな仕事をやり始めたかもしれない、と思ったのです。


運を捉える能力と意欲と努力

 それから、運が良かったこともあるんです。たまたま壁にぶつかって困った時も、他に逃げる道がなかったんですよ(笑)。逃げたくても、逃げられない。

 例えば、「大学から早く離れてしまいたい」と思った時、自分の下に学生が何人もいて「この学生たちをきちんと卒業・就職させなきゃ、自分の責務を果たせないから、それまでは」と頑張っているうちに、新しい考え方をしたり、いろいろな状況が少しずつ変わってきたり、ということがありましたから。

 ある種の冷却期間を置かせてくれたのは、ある意味では運が良かったのですね。自分で努力しても、どうしようもない時はありますから。

 大変な状況に陥って、もう先が全くないという時に、「もうしばらく冷静にじっとしてみよう」なんて、なかなか人間できないですよね。もがけばもがくほど、どんどん悪い方向にいってしまいますから。

―そもそも運とは何だと思いますか?

 そもそも運とは何か?も難しいですけどね。運は特別な人だけに巡るわけではなく、人間にはあまねく幸運が巡っているということが良く言われます。しかし、それに気づかなかったり、積極的に取り入れようとしない人には、運命の女神が微笑んでくれないだけなのです。

 幸運をきちんと捉えらるためには、能力と意欲と努力が必要だとも言われています。それがあった人は運を捉えられ、結果的には「幸運だった」と言われる。ただ私の場合は、能力はなかったかも知れませんが、努力は随分したつもりです。

―内田さん、本日はありがとうございました

取材先: 仙台高専      (タグ: , , ,

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