取材・写真・文/大草芳江
2011年12月5日公開
幸運は準備のできた者に味方する
飯島 澄男 Sumio Iijima
(名城大学理工学部教授、 NEC研究開発グループ特別主席研究員など)
1939年、埼玉県生まれ。物理学、材料科学、電子顕微鏡学、結晶学の研究者。1963年電気通信大学卒、1968年東北大学大学院理学研究科博士課程を修了。1968年東北大学理学部助手、1970年米国アリゾナ州立大学研究員、1979年英国ケンブリッジ大学客員研究員、1982年新技術事業団(現・科学技術振興事業団)を経て、1987年日本電気株式会社(NEC)に入社。1991年にカーボンナノチューブを発見し、1998年から名城大学理工学部教授、2001年から産業技術総合研究所新炭素系材料開発研究センター(現ナノチューブ応用研究センター)研究センター長など現職で兼任。「高分解能電子顕微鏡法の確立およびカーボンナノチューブの発見」などの業績により、ベンジャミン・フランクリン賞、バルザン賞、カブリ賞、アストゥリアス皇太子(スペイン)賞などの海外の賞や、日本学士院賞恩賜賞、文化功労者顕彰、文化勲章など国内の賞など、数多くの賞を受賞。トムソンISI社の調査により、2007年にノーベル物理学賞候補として名前が挙がっている。
「科学って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【科学】に関する様々な人々をインタビュー
科学者の人となりをそのまま伝えることで、「科学とは、そもそも何か」をまるごとお伝えします
21世紀を支える基幹材料のひとつとして期待されているナノ炭素素材
「カーボンナノチューブ」の発見者として世界的に著名な科学者の飯島澄男さんは、
「"カーボンナノチューブの飯島"と言われるのが、心外でね」と笑う。
はじめから狙ってカーボンナノチューブを発見したわけではない。その意味では偶然だ。
しかし、新たな分野に自ら飛び込むことで見つけた「おもしろい」分野・電子顕微鏡の研究で、
飯島さんは、物質構造を原子レベルで解明する高分解能な電子顕微鏡の技術を、世界に先駆けて開発。
約30年間も「みる」体験と「どうしてか?」を積み重ねた結果、ある瞬間、パッと新しい世界がみえたそうだ。
「幸運は準備のできた者に味方する」(パスツール)という意味では、必然の結果でもあった。
このように偶然をとらえて幸運に変える力を「セレンディピティ(serendipity)」と言う。
そこに至るまでの過程こそが大切と語る、飯島さんから見える、科学とはそもそも何かを探った。
<目次>
・サイエンスとエンジニアリングのキャッチボール
・だんだん取捨選択して今に至る
・サイエンスとエンジニアリングが混じり合っている
・細分化された分野が融合されていく
・既存のものには満足しない好奇心
・みないことには何もはじまらない
・玉石混淆の中から本物を見抜く目
・共通の思考は「どうしてか?」
・体験や経験がなければ、せっかくの宝物も見逃してしまう
・おもしろがる感性と洞察力
・へそ曲がりがいないとチャンスはつかめない
・これからの日本の科学は、時間の問題
・学校の試験の良い・悪いは、たかが知れている
・背水の陣で仕事をしたのか
・失敗を恐れず挑戦し、自分に合ったもの見つけて
カーボンナノチューブ発見者の飯島澄男さんに聞く
サイエンスとエンジニアリングのキャッチボール
―単刀直入にお伺いしますが、飯島先生がリアルに感じる、科学ってそもそも何ですか?
うわぁ、始めから、そんな漠然とした大きな科学?(笑)そうですね...いくつか科学に対する見方があると思いますが、「学問としての科学」と「科学を基礎にして産業に役立てる応用科学」、まずはこの2つに分けられるかしら。
そこに関わる人たちも、前者は大学の先生などサイエンスに携わる人、後者はいわゆるエンジニアリングに関わる人、だいたいこの2つに大きく分けられるんじゃないかな。
私の場合、科学と言うと、自然科学になりますけどね。科学とは、基本的には自然現象を理解すること。これまで人類は長い時間をかけて自然現象を理解しようとしてきました。それは今に続いているし、これからもずっと続くと思います。
もう一方の応用科学の方は、これは我々人類の生活に直接役に立って、いろいろな面で見えてくるところがあります。エンジニアの方は「科学技術」と言った方が良いのかもしれません。
サイエンスあるいはエンジニアリングをやる現場の人間からみると、人それぞれ適正がありましてね。生まれながらにして自然現象に興味を持つタイプの人と、ものをつくることに喜びや生きがいを感じるタイプの人、大別してこの2つに分けられる気がしますね。
ですから、いろいろな自然現象を理解しているばかりでは我々の生活の役には立たんのですが、かたや、エンジニアリングの才能や興味がある方たちがいるので、それでうまいことキャッチボールしながら、科学全体が進んでいくと思います。
なお、自然科学のほかにも人文科学や社会科学があります。そうなると興味の対象が、自然科学の場合はまさに自然ですが、社会科学や人文科学の場合は対象が人間やその営みだったりします。そういう意味で、ここでの話はいわゆる理科の話になると思います。
だんだん取捨選択して今に至る
―なぜ飯島さんはそう思うようになったのですか?
おそらく2つ理由があると思いますね。一つは、やっぱり小さな頃から、いろいろなことに興味を持っていました。それが今でもずっと続いているかなぁ。
動物であったり植物であったり。蝶々を捕まえたりして昆虫採集をやっていたな。とにかく自然現象には結構興味を持っていたかもしれませんね。あるいは模型飛行機をつくるのにも興味がありました。ラジオをつくるラジオ少年だったなぁ。
そうやって小学校、中学校を過ごし、今度は高等学校にくると、まず自分の興味は2つに分けられました。文系ではなく理系だな。そこらで分かれたかな。でも、具体的にはどうなるかわからない。それがまず一つかな。
それからもう一つは、これも自分の話だけど、もう一つの選択肢として今度は、例えば文系に行くとすると相手は人間ですよね。人間とか、そういうことには向いていないことが、だんだん歳をとってわかってきたかな。
最初の頃は、医者とか外交官とか、漠然としたものをいろいろ考えていました。だけど、それには俺は向いていないなと。そういう意味では、選択肢が絞られてきたと言うか、だんだん取捨選択して、今に至っているという感じです。
我々の仲間の中には、始めから「科学者になる」という強力なモチベーションで突き進んでいる人もいますが、私の場合はそうではないですね。
サイエンスとエンジニアリングが混じり合っている
―飯島さんの中には、サイエンスとエンジニアリングの2つが同時にあるということですか?
今の私をみると、純粋な基礎科学と言うより、どちらかと言うと応用科学に近いと言いますか。そこら辺はバサッと切れるものではないので、混ざり合っている、ということかもしれませんね。
歴史的な発明や発見もそうですね。例えばトランジスタの場合、シリコンやゲルマニウムといった材料が電気を通したり・通さなかったりする現象が「発見」されました。それを使ってトランジスタが「発明」され、現在のコンピュータにつながるわけです。
つまり非常にわかりやすく言うと、サイエンスの方は、いろいろな自然現象の新しい現象を「発見」する。それを使って我々の社会に役立つよう応用するエンジニアリングの方は、発見と言わず「発明」と言いますよね。
私からすると、その両方とも興味があるのです。今私がいる分野は「ナノサイエンス」あるいは「ナノテクノロジー」と言います。サイエンスとエンジニアリング、つまり科学と技術があまりスパッと切れておらず、非常にくっついている学問の分野なのです。
専門的には、これを「融合分野」と言いますけどね。化学であり、物理であり、生物であり、そういった分野が皆一緒くたになっている。今そういう分野が、結構おもしろいのです。
例えば、細胞あるいはDNAレベルで生物の新しい現象が見つかり、それが今度は病気を治す薬の開発につながるとか。そのあたりをみると、どこが応用でどこが基礎か、よくわかりませんね。そういうものは融合分野なのです。
昔のように「これは物理です」「これは化学です」「これは生物です」と各分野に留まるのは、今では非常に少なくなっています。今はむしろ、いろいろなことをやらないといけないですね。
私自身、東北大学大学院博士課程で研究していた時は、純粋な物理学でわりと基礎的なことを研究していましたが、今では応用関係がたくさんあります。そういう融合分野にいるのです。
細分化された分野が融合されていく
―なぜ今、分野は融合していく方向にあるのですか?
私も専門ではないですが、例えば生物でも、細菌を見つける時などに昔は光の顕微鏡(光学顕微鏡)などの道具を使いましたよね。それが今では細胞の中のもっと細かなところまで見ようとすると、光の顕微鏡のほかに、例えば電子顕微鏡など物理の原理で測定する道具が必要になります。実際にウイルスを電子顕微鏡でみる仕事がずいぶん盛んだった時代がありました。
すると、生物の知識だけでなく、道具にかかわる知識も必要になってきます。今いろいろある道具を使わなければいけないし、なぜその道具で見えるかも理解しなければ、たとえ写真を撮ったとしても、それが何なのか解釈に困っちゃうわけです。
これは簡単な一つの例ですが、このように何かを測定して解釈しようとするとき、非常に進歩した計測・観測技術も同時に理解しなければいけないのです。すると、物理と生物の間には非常につながりが出てくる。そういうことが今、非常に盛んに行われているのだと思います。
―分野は単に人間がそう分けただけで、そもそも本当はつながりがあるということですか?
きっと中世の時代には、もともと「これは物理」「これは化学」といったものは多分なくて皆全部同じだったのだろうと思います。例えば、とにかく病気になれば「どうしてだ?」と皆で悩んで、それを克服しようとした。日食が起こって太陽が途端に暗くなれば、皆は畏れ慄いておろおろしたと思う。「それはどうしてか?」そういうことを理解しようと、皆でやっていたと思うんだよね。
そしていつの時代か、多分19世紀の始め頃だったと思うけど、そういう分野が生まれて、どんどん細分化して、今に至っている、というわけですね。そして今、またいろいろな分野がつながって融合してくる。そういうのが何となく感じられなくもないね。
例えば、宇宙に地球外生命体はいるのか?という問題も、まず我々は調べる手段から始めると思います。それをどのように観測するか、地球科学や惑星科学、あるいはもっと広い宇宙科学か、いろいろな技術があると思うんだよね。そして何かおもしろい証拠になるような観測データが出たとすると、今度はおそらくDNAレベルで生物の存在を証明しなければいけないから生物学が出てくると思います。
そういう風にいろいろな科学の分野がつながっていく、インターディシプナリー(※)な融合科学というのが、今また戻ってきたのかもしれないですね。
※インターディシプナリー【interdisciplinary】 多くの分野の専門知識や経験が必要な研究課題などにあたるとき、さまざまな領域の学者や技術者が協力し合うこと。学際的。
アメリカの大学では、かつて物理のProfessor(教授)や化学のProfessorだった先生が、生物など異なる2~3のDepartment(学科)を掛け持ちしているケースが増えているように思います。それは、そういった融合の流れを表しているのかもしれませんね。
既存のものには満足しない好奇心
―そういう意味では、今の融合科学の流れに、飯島さんは合っていると思いますか?
いやぁ、私自身はね、興味を持てば、それにずっと流れていくので何でもいいのです。ただ、さすがに生物はね...(笑)、今は少し関係していますけど。けれども、物理と化学は結構勉強しましたね。
―なぜ化学なのですか?
(私が専門の)材料科学には化学も入っていたし、そういう関係で鉱物学も自分で勉強しましたね。材料科学も、ちょっと前は無機材料でしたから、化学といっても有機化学ではなく無機化学でしたが。今では材料科学に有機材料も随分入っていますけどね。
そして現在、我々が研究しているナノカーボン材料を、例えば薬に応用すると、これからは薬学や生物学の人、あるいは有機化学の人との交流も出てきますしね。
ですから、始めの若い頃は、まず自分で得意なところを何か見つける必要がありますが、ずっとそれに囚われてしまうのではなく、もう少しほかのところにも目を向けて、広い視野でものをみるのが、いいのかもしれないですね。
―「興味を持てばそれにずっと流れていく」と「自分の得意なところにとらわれず、他のところにも視野を広げる」は、ある意味では受身と能動で相反する話のようにも聞こえますが、その辺りの兼ね合いはどうですか?
いやー、そこはやっぱり難しいところですね(笑)。我々科学者は、人様のやらない新しいことをとにかく見つけなくちゃいけないわけです。まだやられていないところが、どこにあるかを見つけなければ、まず勝負にならんわけです。
ですから、そこらは好奇心と言うか、「何かおもしろいもの、変わったものはないかなぁ...」という考えが常に頭のどこかにあるような気がするね。そういう態度の人が科学者ということが多いのかもしれないよ。そういう意味では、既存のものに満足しちゃうと、あまり進歩がなくなっちゃうと思うけどな。
みないことには何もはじまらない
―飯島さんは常に「今までにない、何かおもしろいものはないかなぁ...」と探しているのですね。
そうなんですよ。ただ50年くらい前は、他の学問もそうだけど、新しい物理がたくさん出てきて、おもしろい研究テーマが簡単にみつかったと思うんですよ。けれども今は、既に全部やられてしまったので、そういったわくわくするような新しいものは、だんだんなくなってくると思います。ですから、なかなか簡単にみつからない、というのがありますね。
―そもそも、新しくておもしろいものはこの世に存在しなくなりますか?
今まで我々が持っていた実験あるいは観測手段では、もう既にみられちゃっている、ということです。ですから新しいものをみつけるには、新しい観測手段を自分でつくらなければいけないわけですね。それを通して、また違う世界がみえてくるんですよ。
もちろんみえたからって、必ずしもそこにおもしろいことがある保証はないのです。けれども、まずはみることが第一段階で、みないことには何も始まらないわけですよね。
私の場合で言うと、例えば、昔は電子顕微鏡の分解能が良くなかったので、結晶中の原子がどのように並んでいるかや、どういう風に乱れているかは、1960年代以前はみることができなかったのです。1970年代以降、(高分解能の電子顕微鏡を開発したことで)物質を構成する原子1個1個が、徐々に電子顕微鏡を通してみえるようになってきたんですよ。
すると、また新しい分野が開けて、新しい科学が誕生するわけです。自分のことですが、例えばカーボンナノチューブというのは、ナノメートルサイズの非常に小さなものなので、電子顕微鏡以外にはみる手段がないのです。ですから、電子顕微鏡を使っている人でなければ、絶対にみることはできなかった。
そういう意味で、私は電子顕微鏡の研究を東北大学大学院時代から始めて、たまたまそういう技術があったので、カーボンナノチューブをみつけるチャンスがあったわけです。これは非常にラッキーなことです。
すると実験屋さんは、例えばカーボンナノチューブに電気を流して電流がどう流れるか?といった実験をするわけですね。そして、今までの炭素材料にはない新しい特性があるらしい、ということがわかるわけです。
かたや理論屋さんは、そんな特殊な構造をしたものが理論的に、例えば電気が通るのか・通らないのか?半導体になるのか・金属のままなのか?彼らはコンピュータで最新の理論を使って、物性の予測を盛んにやったわけですね。
そうやって世界中の人が、たった一つのナノチューブにいろいろ寄ってきてね(笑)。つまり、新しい物質がみつかったために、新しい分野が開けて、それを今度は使って例えばトランジスタをつくるとかね。そういう風に今、発展中なのです。
玉石混淆の中から本物を見抜く目
―電子顕微鏡の研究者は他にもいたと思いますが、そもそもなぜ飯島さんがカーボンナノチューブを発見できたのですか?
それはまたそれなりに、いろいろな理由があるわけね。私の場合、たまたま電子顕微鏡で原子をみる仕事をずっとやってきたので、そういう新しいものが電子顕微鏡で見えたとき、「こいつは何かおもしろいに違いない」と、すぐに想像できたわけです。
なかにはそれを想像できずに、すっと通り過ぎちゃったり、見逃しちゃう人もいるけどね。でも本当は、「こいつは何かおもしろいに違いない」って、玉石入り混じったところから本物をすくい上げるところの訓練が、本当は一番おもしろいところなんですよ。
―それは訓練できるものですか?
それはね、なかなか説明しづらいのだけど。きっと「心眼」と言うか...骨董屋さんの目ですよね。いろいろな贋作のなかに、本物が一つだけ入っていて、それを見抜かなきゃいけないわけね。彼らそういう訓練をずっとしていると思います。
どんな訓練をしているかと言うと、すぐに想像できるのは、良いものも悪いものもとにかくいろいろなものをみる。とにかくみて、自分のメモリにどんどん詰め込んでいく。それを長年繰り返していくと、良いものとはどういうものか、おそらく直感的にわかる。
科学者もそれと似たところがあるんじゃないか、と私は想像しているんです。やっぱり、いろいろなものを経験して見ておくこと。それは、教科書からじゃなくて、人間、体験するということが重要だと思います。
教科書には先人がやったいろいろなことが書いてあるし、読んだときは理解しているようでも、実は、表面だけすっと理解しているだけで、あとはそんなにしっかり覚えていないのじゃないかな。天才みたいな人は、覚えているかもしれないけど。
けれども、自分で一から手足を動かして体験してずっとやってきたことは、結構しっかり後まで覚えているものです。自分でやった周辺についてはね。
私の場合も、まさにそれで。1991年にカーボンナノチューブを発見したのですが、その前の30年くらいは、いろいろなことをみてきたんです。それが皆、この発見につながっているのですよ。
特に実験科学の場合、そういう自分で身をもって体験したことが非常に重要だと私は思っていますよ。新しいものに出会ったとき、それは「嘘か・本当か」を判断しなければいけないのでね。そこのところは「これは本物だ」ということがあるとピンときますね。
共通の思考は「どうしてか?」
そういう意味ではね。小学校の日本の理科教育はね、もちろん知識は必要ですが、あまり教科書中心というよりね。体験学習って、あるじゃないですか。ああいうのは非常に良いと思うのだな。
ですから普通、都会の子どもたちは、あまり外で遊ぶと危険だからと、ちょっと制限されてしまうけども。ちょっと田舎では、わりと学校以外で、いろいろな遊びの間にいろいろな体験をして覚えていくことが多いのではないかな、と思いますね。
―「昆虫採集や飛行機をつくるのが好きだった」とお話されていましたが、それも「心眼の訓練」に入りましたか?
そうなんですよ。例えば飛行機をつくる時も、今の人は買って来てすぐ設計図通りにつくるけど、昔は、ものはできても飛びませんでしたね。他の人のをみると結構飛んでいるのに、せっかく自分でつくって飛ばしても、すぐにぴゅっと落ちたりしてね(笑)。
つまり何を言いたいかと言うと、「どうして飛ばないのだろう?」と、そこで悩むわけです。そこで「どうしてか?」って考えるプロセスが、やっぱり必要じゃないかと思うのね。
研究もね、いろいろと難しい高尚なことをやっているように見えるけど、結局は、そういうところに行き着くね。「どうしてか?」「どうしてか?」ってね。非常に単純なことなのですけど。
いろいろ手を打ってみて、だめだったら今度は次の手を打たなければいけないのです。選択肢ごとにこっちか・そっちか。こっちを選んだけど違うから、次にまたいろいろやってみて今度はこっちだって。謎解きみたいな感じで、ずっと進んでいるからね(笑)。
それをずっとやって、本物に近づかないといけないのでね。そういう意味では、そういう考え方というのは、多分どこでも共通だと思うね。それは我々が生きるために、本能的にそういうことをやっていると思うのです。
体験や経験がなければ、せっかくの宝物も見逃してしまう
―とは言え、カーボンナノチューブ発見まで30年。「本物」までの道のりは決して短くないと思うのですが、それでも「本物」に近づいていると、そもそもわかるものですか?私も生まれてからもう少しで30年ですが、30年は結構長かったものですから。
ははは(笑)長いね。具体的には、カーボンナノチューブって、細長い構造で小さくてね。普通は結晶と言うと、例えば塩の結晶みたいに丸っこくて塊ですよね。そもそも、こんなに長い結晶というのは、結晶としてはおかしいのですよ。
―「おかしい」とは?
長いものがおかしいっていうのはね、自然界には、そんなにないのです。けれども私は、東北大学大学院博士課程の時に、そういう細長い針みたいな結晶を電子顕微鏡で研究していた経験・体験が、まずあるのですよ。
ですから、ナノチューブをみたときに、「これは30年前に研究していた、あの細長い結晶と非常に似ている!」と、すぐにぴっとくるわけね。
そして次は、何をしなければいけないかと言うと、結晶ですから、原子がどう並んでいるかを調べる「結晶構造解析」をしなければいけないわけです。
それは電子回折(でんしかいせつ)という技術を使って構造解析ができるのですが、それも銀の細長い結晶で経験していたのです。ですからカーボンナノチューブが出てきても、その方法を使って、どういう結晶構造かは理解できたのですね。
逆に言えば、そういった経験がなければ、その分岐点に来たとき、せっかく宝物がみえたのに、きっと見逃して行っちゃったかもしれないね。
つまり、昔にそういう経験をしていたので、「お、これは昔のものと少し似ていて、何かおもしろそうだ」と、ちょっと立ち止まると言うか、そこで触手がちょっと動くというか。そうやって、「こいつはおもしろそうだ」という判断を下す。
科学者って多分、そういうことの連続だと思うわけね。四六時中いろいろなことをやっていて、どんどんどんどん手繰っていって、そして本物にありつくわけですよね。
おもしろがる感性と洞察力
―それでいて、経験さえしていれば誰でも発見できるわけでもなさそうです。
そういう訓練は、一体どこでするんだろうなぁ(笑)。それは、きっと人が生まれ持った好奇心というか、非常に好奇心が強いやつがいるのかもしれないなぁ。
私は1970年から12年間、アメリカのアリゾナ州立大学で過ごしたのですが、アリゾナにはかの有名なグランド・キャニオンがあるのですよ。私は行きたくて行きたくて、それで10回以上も行ったけどね。
同じ大学にアメリカ人の友達がいてね。彼はもう5~6年は住んでいるのですけど、まだグランド・キャニオンに行ったことがない、って言うの。そいつは自然科学者としては、だめではないかな、って(笑)。好奇心が全然ないの。
彼の専門は、コンピュータ・プログラマーなのですよ。コンピュータやるやつはね、そういう自然現象というのはあまり興味がないのかもしれないなぁ。
今のたとえはね、昨今の都会育ちの子どもたちが皆、ゲームなどで遊んで、自然を観察する機会が少ないので、多分、自然科学者はあまり育たないのではないかなと思うのです。だって、そういう訓練するところないもの。でもコンピュータのプログラマーみたいな人は出るかもしれないね。
―私事ですが、私は小さな頃、埋立地に住んでいました。公園など外で遊んでいましたが、例えば「土を掘ってもどうせコンクリートだから意味ないや」と無意識に思っていたことに最近気づきました。すると当然ながら土の下がどうなっているかなんて、不思議にも思わなかったですし、ですから自分で確かめてみようなんて気持ちは起こりませんでした。自然観が人工的なことが、その後の人生に大きく効いているような気がします。
あはは(笑)なるほどね。そういう意味では、なんだろうなぁ。昔は昔でいいのだけど、今は今で何か新しいことを、若い人は学んでいるかも知れないけれどもね。
今の話を聞いて、子どもの頃を思い出したのだけど、例えば、お寺の境内で遊びまわっていると、セミの穴があるのね。幼虫が地下に何年か住んでいて成虫になるために穴を掘って上に出てくるの。だから穴の下にセミがいるはずだと。
穴があるときは既に木に登って成虫になっていると思うのだけどね。穴に棒を立てておいて動くか・動かないか、っていう遊びをしたなぁ。そこでピクッと動くとね、「あ、いた!」とびっくり仰天、感動するんだな。そういう子どもの頃の遊びを思い出したね。
昔はそういう遊びの中にもいろいろあったと言うと、今の若い人に怒られちゃうのだけどね。何かそういう体験はね、好奇心というより、いろいろやって興奮すると言うか、感動すると言うか、おもしろがると言うか。そういうのはね、子どもの頃にいろいろ体験させてやった方が良いですね。
もっと正確に言うとね、例えば、物理でも化学でも、創成期という始まりの時期があって、それがだんだん成熟して、やがて、また終わっていくでしょう?そのどこにいるかが結構、重要なんですよね。
ですから、今もしあなた方が電子顕微鏡の分野に入ったとしても、だいたい成熟期のピークはもう過ぎているので、あまり一生懸命やっても、もう難しいものしか残ってないし、そんなにおもしろいことはないかもしれない。
私の場合、たまたま顕微鏡が出てきてだんだん分解能が上がってきて、いろいろな細かいところの原子までみえるようになってきた。その非常におもしろいところにいたのでね。
それも私にとっては偶然で、ちょっと先に生まれたら、そのおもしろいところに行けなかったかもしれないし、もう少し遅かったらもう過ぎちゃっているかもしれない。
そういった環境やタイミングといったものは自分ではコントロールできないものだけど、それが科学には結構大切だと思いますね。たまたまおもしろいフェーズに遭遇したとき、いろいろ活気があるので、そういう感動にきっと巡り合わすことができたのかもしれないね。
へそ曲がりがいないとチャンスはつかめない
―確かに自分ではコントロールできない偶然の力だけど、それを「おもしろい」と感じ取って求める力が働いた結果でもあるのですね。ある意味では偶然だけど、ある意味では必然。偶然と必然が、常に背合わせの印象です。
そうですね。必然とはパスツールが「偶然はよく用意した者に微笑む」と言ったように、電子顕微鏡を30年間ずっと研究して、いろいろな体験が身についていたので、ナノチューブが見つかった、まさにその通りなのですね。
偶然とは、科学者は皆同じようにやっているはずなのですが、そういうおもしろい機会に巡り合わなかった人たちは、たくさんいると思うのですよね。全員が全員やればできるわけではなくて、誰かが当たるわけで、たまたま私が当たったのかもしれないですね。
―たまたまなのですか?
こりゃ、なんと言うかな。アメリカの場合はね、底辺がすごく広いですよね。アメリカはどうしておもしろい仕事が出やすいのか、って言うとね。日本の場合は結構、ひとつのところに何かあると、「それっ」と皆同じ方向に走り出すから(笑)。
すると、チャンスはあっち方向だけしかないところに皆が殺到するので、競争が激しくて大変なんだけど。でもそうじゃなくって、皆が「あっちに行く」と言う時、「俺はこっちだ」と言う、へそ曲がりがいないと、チャンスはつかめないかもしれないですね。
―飯島さんは「へそ曲がり」タイプなのですね。アメリカと日本ではそんなに違うものですか?
そうなんですよ。それはね、極端な話かもしれないけどもね。やっぱり日本人って農耕民族だからね。収穫期もあるから皆で協同でやらないといけない。だから、人と変わったことをやると、歩調が合わないのだけど。
一方(アメリカのような)狩猟民族はね、こっちに行ったら獲物はそいつに捕られてしまうので、後から同じようについて行っても捕れるわけがない。それなら「あっちに行け」という、西洋の狩猟民族っていうのは、そういうDNAがあるのかもしれないね。
だから科学は、彼らに有利なんだな。農耕民族の文化は、人と違うことはやってはいけない、出る杭は打たれる、そういうカルチャーは、科学にはきっと、よくないかもしれないですね。東洋と西洋の違いは、そんなところにあるのかもしれないなぁ。
―なぜ飯島さんは、農耕民族のなかで狩猟民族的になったのですか?
なかには変わった奴もいるんじゃないんですか(笑)、それはきっと確率的な分布か何かで。普通、平均的な人がいないと困る分野もあるわけですね。日本には平均的な人が非常に多かったので、そういう人達が、戦後の日本の経済成長を支えてきたわけです。
けれども次の時代は、自分で切り開かなければならないフェーズに入っていくので、やっぱり強力なリーダーがいないと、なかなか右往左往しちゃってね。日本の政治に似ているけど、科学もそんな点があるかもしれんなぁ。
これからの日本の科学は、時間の問題
―では、これからの日本の科学はどうなると思いますか?
日本の科学は今、日本の経済もそうだけど、開発途上国の追いつけ・追い越せの強力なプレッシャーを、受けていると思いますね。特に、中国や韓国、インドなどから。今までの日本はわりと幸いだったと思うのです。
日本は明治の開国以来、外国に人を送って、外国の文化や科学を吸収してもどって来て、一生懸命、子どもたちに教えてきました。それが今、功を奏して、ノーベル賞受賞者を十数人輩出しました。一方で、中国や韓国などの科学者の悩みは、自国で教育した科学者のなかにノーベル賞受賞者がまだいないこと。彼らは自分でトレーニングをする経験をまだしていないのです。
日本はわりと早くそれをやったので今は良いのですが、韓国や中国は日本より1周・2周遅れて、今それをやっているわけですね。ところが、それも追いつこうとしています。そういう意味では、もう時間の問題でしょう。ですから、これからが本当の競争になると僕は思っているのです。
―なぜ、差がなくなっているのですか?
彼の国の子どもたちは体験から学ぶ機会がいっぱいある。けれども今までは生活が忙しいので、自然の成り立ちとか、そういう見方はきっと余裕がなかったのかもしれないですね。けれども、ある程度余裕ができれば、確実に子どもの頃からいろいろなことに興味を持って、自分で考える。そして、それは既に始まっているのですね。
もう一つは、おそらく知的な活動においては、あまり民族や人種による差はないと個人的には思うのです。生まれたての子どもを集めて、同じレベルで教育を始めれば、そんなに差はないでしょう。つまり、いろいろな人種で優秀な人はもうたくさんいるのね。そういう人の生活レベルがある程度上がってくると、日本と差がなくなってきちゃう。
―では、これから日本はどうすべきでしょうか?
そうやって追い上げてくる国とのハンデをいただいているので、それを利用しないといけないのですよね。彼の国は、このハンデをまず同じレベルにして、そこから競争が始まるわけですから。彼らが日本と同じレベルまで来た時、我々がそこにじっと停滞していたのでは、追いつかれてしまいます。ですから追いつかれないよう、ハンデを利用して、我々も自分で走らないといけないでしょう。
―具体的には、どうすべきですか?
やはり、日本独自の技術を身につけることです。例えば、電子顕微鏡は非常に精巧な道具ですよね。その設計図があったとしても、そこにはいろいろなノウハウがあるので、すぐには絶対にコピーできないものです。日本にはそういう優れたものが、たくさんあると思うのです。そういうものをなるべく取られないようにして、さらに優れたところを伸ばし、差を保たなければいけません。
そういった日本の優れたものがどんどんなくなって追いつかれてしまうと、皆どんぐりになって、本当の競争時代に入るのだけど、幸い今までのハンデがあるわけです。ですから我々はそういう良いところを、しっかりと守らなければいけないと思いますね。多分、国の政治の問題だと思うけども。そういうことをやらないと、本当に大変なことになると思います。
でも、それだって時間の問題だと思いますけどね。インターネットが進歩して、知識はすぐに得られるので。ですから、それ以上のもの、今度は考え方の問題ですよね。コンピュータがあれば何でもできるかと言えば、そうでもないので。
そういう好奇心を持つようなやつを、我々は育てないといけないんですね。それは環境なのか、それとも教育かなぁ。でもこれは、先生が教えてもね、そんなに育つとは思えないものかもしれないなぁ。
学校の試験の良い・悪いは、たかが知れている
―とは言え、原動力は好奇心ですか?
好奇心だね。それがないとだめですね。ただ私の場合、何と言うか、消去法で来た人だからね(笑)、結果論から言えば良かったのかもしれないけど。
私のいる分野は、必ずしも学力優秀である必要がない気がしますね。もちろん、ある程度はきっと必要なのかもしれないけど。じゃあ飛び抜けている人が必ず達成するかと言えば、全然そうではないですからね。
私がいろいろ経験して感じることなのだけど、所詮、学校の試験の良い・悪いは、たかが知れていると言うかね。その学校のクラスでは良かったかもしれないけど、外に出るとそういう人はたくさんいて、世界にはもっとすごい人がいっぱいいてね。そういう人たちと最終的には我々、戦わないといけないのでね。
ですから、例えば、益川・小林先生みたいに素粒子の理論で身を立てようなんてことは、私、始めから捨てていましたから(笑)。そういう人たちは、すごい天才でね。そういう人たちと戦おうと思っちゃあ、いけない(笑)。
おそらく理論屋さんの分野では、何か新しいことに到達するためには、まず底辺をいろいろ固めて、その上に少しずつ積み上げて、頂上に達するわけですね。だから、始めの頃には数十万人いても、ピラミットの上に行くと数百人とか数十人とか、その中のトップなわけですから、それはもう大変なものですよ。世界中の秀才が集まってくるところ。理論科学のような、そういう分野もあります。
けれども、そればかりがサイエンスじゃないところが、おもしろいところでね。ナノチューブの発見なんて、別にそんな高尚な理論は直接的には全然必要ないんですよ。けれども、おもしろいものが見つかるのですね。
こんな積み上げてきたやつが必ずしも発見するわけでもないのです。むしろ、あるとき突然ぱっと現れるような類のもの。ナノチューブがそこに当てはまるかは知らないけど、例えば、非常に好奇心があって、そういう目でみるやつがいれば、そこに行けるかもしれないですね。
一方で対照的なのは、最初にお話したエンジニアリングです。技術の方は、理論科学の積み上げ方式に似ているんですよね。90%まで積み上げて、あと10%で良くなる。急にぱっと良いものができるはずはない。そこで、いろいろ競争するわけですけども。ですから、サイエンス(実験科学)的なアプローチとエンジニアリング的なアプローチでは、随分違うんじゃないかなと思いますね。
つまり、サイエンスの新しい発見には、そういう積み上げの部分もあるとは思うけど、わりと「セレンディピティ」と言いますか。何かをやっているときに突然現れる、そういう類の新しい発見も、科学の歴史では普通だったりします。むしろ大発見は、そうやって発見されてきたわけね。その事実に結構、我々凡人は勇気づけられますよね(笑)。
もう一つはね、科学に興味を持って取り組んできた若い人はね、ある程度の分岐点に来たとき、やっぱり決断しなければいけないと思いますね。決断しないで、ずっとそのままだらだら来て、変な言い方だけど、終わってしまう人もたくさんいると思うね。ある時点で自分を見て、やっぱり方向転換しなくちゃいけないと思うんだな。
それは自分の問題だから、他人がとやかく言う問題ではないのだけども。でも私は学生にはね、この大学でも大学院に行って勉強したいと盛んに努力して行ったやつもいるけど、やっぱりある時点で「これは俺には向いていない」という決断をしたら潔く違うところに行くことが大切だと思う。
すると、もっとチャンスがあるかもしれない。我々そんな自分の未来のことなんてわかるわけないので、やってみてダメだったら、そこで方向を変える。その決断と柔軟さが、きっと必要かもしれないね。
背水の陣で仕事をしたのか
―飯島さんは冒頭で「小さな頃に興味を持っていたことが今でも続いている」「それは俺は向いていないなと絞られて」「だんだん取捨選択して今に至る」とご自身の適性の形成過程についてお話されていました。そして先ほども「消去法」とお話されていましたが、逆に言えば、各分岐点で自分を客観視して潔く決断できる柔軟さがあったということだと思います。それができた前提は何だと思いますか?
ただ私の場合、危険なのは結果論だからね(笑)。不幸にしてうまく行かなかった人の話を、本当は聞かないといけないのだけど。各分岐点で私はたまたま、うまいとこ皆、選択してきたけども、そこではやっぱり悩むわけですよね。
悩むというより、その前にやっぱり一か八か、生きるか死ぬかの努力をしていますよね。もう先がずっと決まっている安泰な人は、そういう背水の陣で仕事をしたのか、って言うね。生きるか死ぬかで何かをやらないといけないという心構えと、わりともう安泰とは、ちょっと違うと思うね。
―どのあたりが違うと思いますか?
それは人によって違うので、必ずしも私がやってきたことを他の人にも当てはめろなんてことは毛頭言いませんけどね。私は結構、東北大学に行った後、アメリカやイギリスなどあっちこっち動いて、今ここにいますが、動いたことが結構プラスになっていました。それは選択肢のところでね。
それはね、きっと、やっぱり動く前は全く不安でどうなるかわからない、っていう背水の陣なわけです。すると、やることも今度は真剣勝負なんですよね。そういうことが、きっとエネルギーになったのかもしれないですね。
そういう意味では、心新たに違う場所へ移って一から始めるっていう考え方かな。そういうところはよかったかもしれないですね。ただ、それを「移れ、移れ」とそののかして移って、申し訳ない人もいますから(笑)、人それぞれ違うのです。
―心新たに違う場所へ移る決断を潔くできるのは、「既存にはないおもしろいものを見つけたい」と思う原動力からですか?
ま、それもありますけど、そればっかりではないけどね。いろいろなファクターが入ってきます。例えば、アメリカに12年もいて引き上げる時、何が決め手かと言ったら、家族のことや子どもたちの教育とかね。そういうファクターも当然だんだん入ってきますよ、仕事だけじゃなくってね。
けれども、やはり研究者であるのなら、どうせやるなら、とにかく研究環境のベストなところに行かないといけないですから。そういういろいろな選択肢はありますけどね。
―年を取れば取るほどいろいろなファクターが入ってくるイメージですが、それに比例して自由度は減っていくものですか?
そうですね。若いうちは自由度がだんだんなくなって、でも年をとるとまた自由度が増えてきますけどね。
失敗を恐れず挑戦し、自分に合ったもの見つけて
―最後に中高生も含めた若い世代へメッセージをお願いします。
ありきたりだけど、夢を持って、失敗を恐れずに、いろいろなことに挑戦して、自分の得意なものを見つけて。どうせ一生をかけるのなら、興味を持ったおもしろいものでないと、結果もよくならないと思います。逆に言えば、自分でおもしろいものが見つかれば、もう誰が何とも言わなくたって、自分で行きますからね。だから、とにかくなるべくおもしろいものを見つける。
そして見つけたものが、自分に合っているかどうかを、少し時間をかけて、見つけてください。自分に合わないものを見つけても、希望だけではなかなか実現できないのでね。そのためにも、いろいろなものに恐れずに挑戦する、ってことですね。
―挑戦すると、おもしろいかどうか、そして、それが自分に合っているかどうかが、体験して肌身でわかるということですか?
そうそう。体験しなければ、頭の中で考えるだけでは、なかなかどういうものかはわからないものです。ですから、いろいろ体験してみてください。そして、自分に合っているかどうかを見つけていく。そういうことが必要ではないかなと思いますね。
―飯島さん、本日はありがとうございました。
名城大学(愛知県名古屋市)電子顕微鏡の前で。「『どうだ!こんなにおもしろいものを見つけたぞ!』って、やっぱり言いたいじゃない(笑)」と お話されていたことが印象的でした。
コラボレーション
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